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鐘に恨みは数々ござれど〜五代目菊之助の「娘道成寺」

令和3年8月国立劇場:「京鹿子娘道成寺」

五代目尾上菊之助(白拍子花子)

「尾上菊之助の歌舞伎舞踊入門」、無観客上演映像)


1)咲くからは

国立劇場制作による「尾上菊之助の歌舞伎舞踊入門」シリーズとして「娘道成寺」と「鏡獅子」の映像2作がネット配信されました。本稿では、まず「娘道成寺」の映像を取り上げます。(「鏡獅子」については別稿をご覧ください。)収録時期は、共に昨年(令和3年・2021)8月国立劇場(無観客上演)とのことです。なお本企画は、東京2020オリンピック(コロナにより実施は2021年に延期)を契機として、「日本の美」を国内外に発信する日本博プロジェクトの一環であるそうです。

咲くからは龍頭へとどけ山桜        慶子

慶子(けいし)は初代中村富十郎の俳名。龍頭(りゅうず)とは、釣り鐘を鐘楼の梁(はり)に掛けて吊るすための、龍の頭の形をした吊り手のことです。宝暦3年(1753)3月江戸中村座で「京鹿子娘道成寺」を初演した時、富十郎は絵看板に自筆でこの句をしるしたと伝えられています。「道成寺の鐘に届けよ我が思い」と云うことでしょうか。これは吉之助の解釈ですけどね、「我が思い」と云うと、どんな思いでしょうかね。恨みの気持ちではなさそうです。富十郎の句からは、恨みの気持ちは窺(うかが)えないと思います。これは恋心でしょう。これは「娘」道成寺なのですから。「咲くからは」と云う文句には、そんな恋する「娘」の気分がしますね。

「鐘に恨みは数々ござる」と詞章にありますが、蛇体となった清姫が鐘に巻き付いて安珍を焼き殺してしまったのは、自分を裏切った不実な恋人が憎かったからでしょうか。そうではなくて、彼を心底好きだったからではないでしょうか。他人から見ればそれは邪恋だとか妄執だとか言いますが、本人は真剣です。清姫は安珍のことがただただ好きであったのです。「食べちゃいたいくらい好き」という表現がありますが、清姫も似たようなものです。ところが愛し方の度が、ちょっと過ぎちゃったのです。清姫が鐘に巻き付いたら、安珍が焼け死んでしまいました。しかし、清姫には決してそんなつもりはなかったと思うのです。安珍が彼女に笑って振り向いてくれさえすれば、結末はハッピーエンドになったはずです(と清姫は主張するでしょうね)。ですから「鐘に恨み」と云っているけれども、その恨みは安珍に対する恨みではないのです。安珍に対する思いは、あくまで恋心です。清姫は、彼が自分に振り向いてくれなかった事実だけを恨んでいます。或いは、彼が自分に振り向いてくれなかった「定め」を恨んでいます。この思いが「念」となって、鐘にずっと残っています。紀州道成寺に二代目の鐘楼が建立された時、鐘に残っていた「念」に感応して、清姫の霊が蘇ります。「だって好きなんだも〜ん」と云うことです。「娘道成寺」とは、そういうドラマなのです。(この稿つづく)

(R4・3・30)


2)鐘に恨みは数々ござれど

外国人に見せて一番評判が芳しくないのは「娘道成寺」だそうですが、その理由は事前解説で白拍子が清姫の怨霊だと云うことをあまりに強調し過ぎるところから来ます。「道成寺の二代目の鐘供養に、その昔不実な恋人を焼き殺した清姫の怨霊が白拍子の成りで登場して、踊っているうちにやがてその本性を顕わし・・・」なんて説明をするものだから、白拍子が次々衣装を替えていくなかで蛇の姿へと次第に変わっていくのだろうと思ってしまう、そういう筋だと思い込んで舞台を見ていると「娘道成寺」は何をやっているのかサッパリ分からん踊りだと云うことになってしまうわけです。ですから歌舞伎の「娘道成寺」と云うのは、頭と尾っぽに本行(能)の筋を借りているけれども、中味は「娘」の恋心を形を変えていろいろな踊りで連ねて見せたものに過ぎないと単純に説明した方が宜しかろうと思いますね。もちろん作品を貫くテーマとして「鐘に対する思い(恨み)」は大切なことですが。加賀山直三は次のように書いています。

『ひとつの主題、ひとつの場面としての組曲舞踊の本質は、結局「芸尽くし」だと云うべきであろう。「鐘に恨み」を主題としているように見えて、それはモティーフにもならぬ、ほんの申し訳みたいな謳い文句に過ぎず、本質的な内容は一向に「恋の執着」でもなく、単なる舞踊芸を見せるに過ぎないのである。もっとも後年になると「道成寺」の性根は鐘だとして、しきりに性根呼ばわりするようになったものの、これは踊り手が成立当初の如く無心に踊るだけの境地に安住できなくなって、何か心持のうえでの拠りどころを欲するようになって、それを金科玉条化したのに違いない。歌舞伎舞踊としては、能から趣向を借りたお印に乱拍子で少々鐘に敬意を払ったら、あとの部分では綺麗さっぱりと返上してしまうのが、歌舞伎の本質であるはずなのだ。』(加賀山直三、文章は吉之助が多少アレンジしました。)

これはまったくその通りで、「鐘に恨みは数々ござる」と恋への執着に重きを置くことは、「本行(能)に対するリスペクト」と云うことなので・もちろん大切なことに違いありませんが、それだけであるならば、それは本行でやれば宜しいこと・何もそれを歌舞伎舞踊でやる必要はないと云うことなのです。ですから、何が「娘道成寺」をかぶき的なものにするかと云うことが大事なのです。

『あの「道成寺」の舞台をつくり出した江戸時代の劇場と観客の雰囲気は、桜の花のいっぱい咲いた中にやたらに美しい娘姿を踊らせて恍惚としていたので、日高川を泳ぎ渡って、鐘の中の男を焼き殺してしまう女の凄まじい執念などはどうでも良かったのである。そういう理屈のない世界の馬鹿々々しい美しさ、気味の悪い美しさを(六代目)菊五郎の白拍子はふんだんに持っていた。菊五郎の「道成寺」を見ていてある老婦人が「こんなにも面白くていいものでしょうか、そら恐ろしい」という言葉のせっぱつまった実感は私にもうなづける。菊五郎の「道成寺」はそういうものであった。』(円地文子「京鹿子娘道成寺」)

円地文子の文章にある六代目菊五郎の「娘道成寺」の舞台はおそらく昭和の初期、つまり菊五郎全盛期のものだと思います。「こんなにも面白くていいものでしょうか、そら恐ろしい」という感想は、痴呆的・享楽的なかぶき的な世界に浸っていたはずが、まったく予期せぬプロセスから、いつの間にやら「鐘に恨みは数々ござる」と云う本行の世界へ立ち返っていると云うことです。観客にそんなことを想わせた六代目菊五郎の「娘道成寺」と云うのは、一体どんなものだったでしょうかねえ。(この稿つづく)

(R4・4・1)


3)菊之助の「娘道成寺」

本興行での菊之助の「娘道成寺」としては令和元年(2019)5月歌舞伎座が直近のものですが、これは「道成寺説話」が強く意識された舞台であったと思います。つまり鐘に対する思いということですが、前半を抑え目にして、後半の「恋の手習」のクドキ辺りから徐々に開放し、鞨鼓の踊りでは情念がメラメラ燃え上がるように表出される、そのような踊りのストーリー設計がされていました。それから約2年後になる今回(令和3年8月国立劇場)の「娘道成寺」映像では、その印象がより一層強いものに仕上がっています。そのことの良さとそうでないところがあるように思います。

まず良い点は、「娘道成寺」を鐘に対する強い思い(恨み)で徹底的に読み込むことで、普段我々があまり意識することがない作品の骨格(ストーリー性・論理性)の存在を強く印象付けたことです。我々が「こういう踊りは感覚的に愉しむもので、あまり論理的に見るものではない」とついついスルーしそうなところを、菊之助は論理的に面白く見せてくれます。特に後半部・白拍子の踊りが変奏になる毬唄から鞨鼓の踊りまでの面白さは格別です。菊之助が詞章・音楽両面から振りを如何に深く考えているか、よく分かります。そう云う点においては、今回の映像は、現段階での菊之助の「娘道成寺」の完成形みたいなものを見せていると思います。菊之助(44歳)はそのようなものを肚に落とし込まねばならぬ段階に在るわけですから、芸のプロセスとして菊之助は正しい道程を踏んでいると思います。

一方、上述と裏腹なことになりますが、良くない点としては、全体の色調が暗めに感じられることです。画質の明度だけを問題にしているのではありません。桜の花が満開の明るい雰囲気にはなっていないと云うことです。しっとり落ち着いた色調ではありますが、吉之助としては、「娘道成寺」ではもっとパアッと明るい印象が欲しいのです。もしこれが舞台を生(なま)で見たのならばあまり気にならなかったかも知れませんが、舞台の単なる記録ではなく・映像作品として見た場合、そこは少々気になります。特に前半部(道行から乱拍子・中啓の舞まで)ですねえ。それは、云うまでもなく、白拍子が清姫の怨霊であるということで、菊之助が鐘に対する恨みを前面に押し出しているせいです。このため全体のコンセプトが本行(能)に大きく寄った印象が強くなってしまいました。それならば「娘道成寺」が「かぶき」である意味はどこにあるか、「娘道成寺」に於ける「かぶき」的感性とは何かが問われると思います。

原因はいくつか考えられます。ひとつは、今回の「娘道成寺」が(これはコロナのせいではないと思いますが・全体を1時間程度の分量に抑えたかったからかも?)無観客上演の舞台映像収録であり、聞いたか坊主の件が一切カットされてしまったことにあります。聞いたか坊主の件は、吉之助だって踊りの間の息抜きとしてあるもので真剣に見るわけではありませんが、無くなってみると改めて痛感することは、聞いたか坊主も「娘道成寺」の春風駘蕩たる「かぶき」的感性の醸成に一役買っていたんだと云うことです。聞いたか坊主を一切カットしたことで、無駄がなくなって、踊りの密度は確かに高くなりました。そのことの良さももちろんあります。しかし、その分、鐘に対する強い思い(恨み)が前面に強く出過ぎた印象になってしまったようです。このため雰囲気が暗めの印象に映ります。今回ばかりは、聞いたか坊主が恋しくなりました。

もうひとつは、(無観客の客席を見せたくなかったからだと思いますが)冒頭・花道での道行の背景が真っ暗で、白拍子と云うよりも・まさに怨霊の清姫が踊っているかのような雰囲気に見えたことです。画面にまったく華やかさが不足しています。この暗い印象が最後まで尾を引いてしまいました。ここは照明にもっと工夫が欲しいと思いますが、何よりも国立劇場に桟敷席がないことが、決定的に不利に作用しています。しかし、歌舞伎座収録であったとしても無観客の桟敷席では画になりませんが。

ここは無観客上演映像であることを逆手に取って、敢えて道行で演出の冒険をしてみても良かったのではないかと思いますねえ。例えば六代目歌右衛門の映画「娘道成寺」(昭和31年5月・松竹・萩山輝男監督・カラー映像)はスタジオ収録なので舞台面をいつもと違えて、道行を桜満開の道成寺門前の場に仕立てていました。このような工夫もあり得るかなと思います。「娘道成寺」での道行は、とても大事なのです。七代目三津五郎は「舞踊芸話」のなかで、「娘道成寺」で芝居をするのは道行だけなのですから役者にとってここは大事な箇所ですと語っています。同時に、これも大事なことですが、ここで鐘に対する思いを吐露するわけですが、それが過ぎてもいけないわけなのです。

ともあれ吉之助としては、何か鐘供養の場にふさわしくない明るいものが突然に現れる・異様な明るさを持つ何ものかが・・という印象が道行に欲しいと思います。このことが「娘道成寺」のなかで道行が最も「かぶき」的なシーンであるという本質を明らかにしてくれるでしょう。このようなシーンは、現実の劇場では視覚的な実現は不可能かも知れません。しかし、無観客上演ならば出来ると思うのです。(この稿つづく)

(R4・4・2)


4)陰から陽の感覚へ

同時配信のメイキング映像のなかで、菊之助は「「道成寺」が難しいのは白拍子は清姫の霊だというのが核になければならないこと」だと語っていました。それが華やかな桜の光景という視覚と相反する「陰」の要素だと云うことです。もちろんそれは性根として正しいです。それがなくては「道成寺」になりませんが、大事なことは怨霊の正体をどのようなプロセスで・どの程度までほのめかすかと云うことだと思います。どの場面においても鐘に対する思い(恨み)を常に持ち・それが時にグッと前に出て来る瞬間もある・逆に奥に引っ込む瞬間もあると云うことかと思います。それは歌詞や振りの具合に拠ります。そういうところに、菊之助のなかの「道成寺」のストーリー性・論理性が表れます。「陰か陽か」ということで云えば、菊之助は「「道成寺」はどちらかといえば陰の感じがする」とも語っていました。これも菊之助のなかの論理性から導き出された感覚です。菊之助はこのことを正直に吐露しています。

これについて吉之助が申し上げたいのは、以下のことです。「娘道成寺」を分析すれば、どちらかといえば「陰」になるという結論は、論理的には正しいと思います。論理的な破綻は見出せません。だから菊之助の踊りを見てもきっちり正しい楷書の踊りだと感心しますし、細部においての不満はほとんどありません。本行(能)に対するリスペクトも立派に立ちます。しかし、これはかぶきの「道成寺」ですよね。かぶきの「道成寺」たる所以をそこに見ますか?と云うことですねえ。

菊之助の「道成寺」は色調が暗いとまでは言いませんが、明るさが不足気味です。特に前半(道行から乱拍子・中啓の舞まで)がそうです。それは本人が「陰」と言っているのだから・当然そうなるわけですが、かぶきの「道成寺」ならば、そこはやはり「陽」でなければならぬと思います。パッと明るい陽でなくてはなりません。内面の「陰」を引き立てるために、なおさら「陽」でなくてはならぬのです。これがかぶき的感性の本質です。

吉之助はチラッと思いますが、何となく菊之助にとって玉三郎との「京鹿子娘二人道成寺」の経験があまり良くない方向に影響した感じがしますねえ。「白拍子は清姫の怨霊」と云う印象が強いところが似ています。これだから伝承は気を付けねばなりません。あの時の観劇随想「あなたでもあり得る」でも触れましたが、「娘道成寺」においては鐘入りまで白拍子が怨霊であることは伏せねばならないのです。「鐘に思いを向けることを忘れてはならない」という口伝はありますが、それは踊り手の覚悟を問うものです。白拍子が怨霊であることは最後まで観客に明かしてはならない、これがかぶきの「道成寺もの」の約束事であると考えるべきです。

菊之助の「道成寺」を「陰」から「陽」の感覚へと変えるための、料理にかけるスパイスの最後のひと振りが必要です。いいところまで行っているのですから、それはホンのちょっとのことです。それだけのことで菊之助の「道成寺」は、見違えるように華やかに変わるでしょう。それは歌舞伎の痴呆的・享楽的な要素をもっと強く意識することです。どちらかと云えば、これは反理知的な要素です。吉之助も論理で作品を読みに掛かるところがあるから・そこは分かるのですが、菊之助も理知的なのですねえ。今回(令和3年8月国立劇場)の「娘道成寺」映像は、現段階での菊之助の「娘道成寺」の完成形を見せてるのだから、これで十分良いです。現段階での菊之助は型や性根を肚に落とし込まねばならぬ段階に在るわけですから、芸のプロセスとして菊之助は正しい道程を踏んでいると思います。菊之助が更にもう一段上の芸の高みを目指すならば、今回造ったものを壊して・また新たなものを作り上げていかねばなりません。まことに芸とは果てしないものですねえ。

(R4・4・4)



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