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令和の三人吉三・大川端

令和3年5月歌舞伎座:「三人吉三巴白浪」〜大川端庚申塚の場

二代目尾上右近(お嬢吉三)、初代中村隼人(お坊吉三)、二代目坂東巳之助(和尚吉三)、初代中村莟玉(夜鷹おとせ)


1)大川端の在るべき位置付け

「三人吉三」・大川端庚申塚の場は、歌舞伎の様式美を堪能させる名場面でもあり、上演時間も30分弱とお手頃ですから、通し狂言とは別に、単独での上演が飛び抜けて多い場であることは、ご承知の通りです。ちなみに歌舞伎公演データベースで検索してみると、戦後からの上演では吉祥院が29回ヒットして・多分これを通し狂言の回数として良いと思いますが、大川端は64回もヒットしますから、かなりの上演頻度です。これだけの回数を上演されると、大川端だけでひとつの演し物としての完結性が生まれて来るのは、これは自然なことだと思います。通し狂言としての大川端の本来の位置付けは、三人の吉三郎がひょんなことから巡り合い、ここから因果の糸が絡み合うドラマが始まる、その発端の場面だということです。これはあくまで「ひょんな巡り合い」のドラマで、発端に過ぎないわけですから、ウェイトからすれば軽いということになるはずです。

ところが、大川端を単独で上演することになると、プログラムのなかで他の演目との釣り合いからも、大川端もそれ相応の重さを主張せねばならないことになります。そうすると大川端は、三人の吉三郎が「運命の出会い」をする場面ということになって来るのです。これは通し狂言全体から見れば、確かにそう云う見方も出来ます。「ひょんな巡り合い」の軽いドラマであったはずが、「運命の出会い」のドラマと云うことで、大川端がそれ相応の重さを持つドラマになって行くのです。大川端が次第に肥大化して行きます。こうして昨今の舞台では、何となく時代物みたいな重ったるい感触になってしまいました。こうなると、今度は通し上演で上演する時に、いつもの調子で大川端をやると、全体のバランスのなかで大川端の位置が重くなり過ぎることになります。ピースが上手くはまらなくなるのです。通し狂言での・このような居心地の悪さは、「菅原伝授手習鏡」通しの時の「車引」の場にもあることなのですが、劇評などでそのような指摘を読んだことがないですが、気にならないんですかねえ?

黙阿弥の七五調の音楽美を堪能させる名場面として、大川端の単独上演の需要は、今後も減ることはないでしょう。しかし、大川端のウェイトの、これ以上の肥大化は避けねばなりません。それにしても、平成期の大川端の上演を見て来た吉之助の印象では、個々の役者の芸に見るべきものはもちろんあるにしても、役者どうしの芸のアンサンブルがてんでバラバラで、全体の出来で満足出来るものは、とても少ないように思いますね。現代の歌舞伎役者にとって大川端が最も難しい演目になってしまったなあと嘆息することが、昨今は多くなりました。

そこで今回(令和3年5月歌舞伎座)の大川端を見ると、三人の吉三郎がそれぞれ初役ということですが、大川端が本来在るべき感触に仕上がっていると感じました。三人の吉三郎がひょんなことから巡り合って、これから因果の長いドラマが始まると云う・発端の位置付けに、思いがけなく立ち返った印象を受けて、ホウと感心した次第です。もちろんこれから改善するべきところもありますが、初役でこれだけ出来れば上々吉と云って良いです。これは若手役者三人が、作品に真正面から初心で立ち向かったことで、作品本来の形が素直に立ち現れたということだと思います。そう云う意味において、これは近来稀に見る大川端と云うべきです。吉之助は見終わってとても良い気分でした。(この稿つづく)

(R3・6・24)


2)写実の大川端

今回(令和3年5月歌舞伎座)の大川端の良い点は、まず第一に、諸先輩の舞台を「らしさ」でなぞったりせず、「黙阿弥の面白さは様式的な音楽美にある」と云う・よくある思い込みを無批判的に受け継ぐことをしていないところにあります。大抵の大川端は、それが様式的であるかどうかは兎も角として、台詞がただの音の流れに化しており、生きた台詞には聞こえません。「黙阿弥の七五調は様式的に歌うもの」なんてことを言う人がいるから、こう云うことになります。今回の舞台は、大川端は写実を旨とする生世話だ・生きた芝居だと云う原点をしっかり押さえているから、三人の吉三郎がしっかり生きた人間の姿に見えて来ます。

もうひとつ大事な点は、「共演者がどんな様式で演じようが関係ない、俺は俺の思うようにやるまでさ」みたいに、三人の吉三郎の向く方向がてんでバラバラの舞台が多いなかで、今回の舞台の三人はしっかり同じ方向を向いていると云うことです。そんなことは当たり前だと思うかも知れませんが、実際、歌舞伎役者は仲間の台詞を聞いていない人が実に多い。昭和26年6月「なよたけ」初演の稽古に立ち会った作者加藤道夫が「歌舞伎役者ってのは、他の役者の台詞を全然聞いてないで、いざ自分の番になると競泳選手がプールに飛び込むみたいに大きく息を吸って台詞を言うんだよな」と言って笑っていたそうです。まあそういうところは昔から全然変わっておりませんね。だから「これからは歌舞伎にもアンサンブルの概念が必要だ」と云わなければならなくなります。今回の舞台では、多分三人の役者たちがきっちり話し合ったのだろうと思います。三人の息がぴったり合って大川端のドラマが近来になく引き締まって見えました。

まず右近のお嬢吉三ですが、盗人の性根を顕わしてガラリと男の声に変わるところも良く出来ましたが、聞かせところの「月も朧に白魚の・・・」の名台詞がスカッとして小気味良い。テンポがちょっと勢いが付き過ぎのところがあるので、ちょっと健康的でドライな感じがするかも知れませんが、そう云うところは年季を経れば自然に練れて来るもので、とにかく台詞が生きているところを評価したいですねえ。初役と云うことを考えれば、これで十分過ぎるほどの出来です。

空のうえのお月様を見上げて・上を向いてツラネを云うお嬢役者が多いですが、正しくは、お嬢は月の光が大川の川面にユラユラ揺れるのを見ているのですから、お嬢は下を向いてツラネを言うのです。そこのところも右近はしっかりしていますが、台詞が様式に傾斜しないから、この場面だけが浮き上がることなくお坊吉三との対決の場面に流れ込んで行きます。このことが効いていると思うのは、大抵のお坊役者はその前のお嬢のツラネの様式性を引き継ぐような感じでそのまま対決に入ってしまうことが多く、お坊の台詞までが様式っぽくなってしまう不満があるからです。大体10人のうち8・9人のお坊はそんな感じですが、今回はそこがしっかり芝居になっています。お嬢のツラネはソング(切り取られた場面)とも考えられますから、様式に傾いたとしても、別にそれはそれでも良いわけです。しかし、お嬢とお坊の対決になったら、芝居をはっきり写実の方へ戻さねばなりません。そこの切れ目を付けるのがお坊役者の役割であるわけですが、お嬢のツラネが様式に傾斜しないから、お坊の仕事がやりやすくなる。同様のことが次の和尚吉三が加わった三つ巴の対決にも云えます。

つまり今回の舞台の成功は、お嬢のツラネの場面を様式から写実の方へいくらか引き戻して様式の振幅を小さめに抑えたことで、全体の芝居の写実度を高めたということです。お坊吉三(隼人)も和尚(巳之助)もその方向できっちり仕事をしています。三人とも早めのテンポで台詞をしゃべっていますが、ダラダラ調に陥っていません。しっかり写実の台詞になっています。それは生きた人間の台詞をしゃべろうとしているからです。色調が健康的なので、しっとりした暗さが足りないと云う声も当然出るでしょうが、そういう雰囲気は彼らが年季を経て「らしさ」が身についてくれば自然と滲み出て来るものですから、いまの段階ではこれで良いのです。「らしさ」に固執していないことが、この良さを生んでいます。

三人の若手が力を合わせて初心で作品にぶつかったことで、期せずして通し狂言のなかでの大川端の本来在るべきサイズ(重さ)が現出することになりました。近来稀に見る大川端だと云うのはこのことです。この大川端ならば、通し狂言のなかにはめこんでもピッタリ納まります。この三人で通しの「三人吉三」が見たいものだと思いました。しかし、役者の道程は長い。初役だけのことで再演時にはまた変わっていくものかも知れませんが、この「初心」を決して忘れないでいただきたいですねえ。

(R3・6・26)




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