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中村屋代々の「連獅子」

令和3年2月歌舞伎座:「連獅子」

六代目中村勘九郎(狂言師右近後に親獅子の精)、三代目中村勘太郎(狂言師左近後に子獅子の精)

(十七代目勘三郎三十三回忌追善狂言)


1)連獅子の発想

創成期の歌舞伎の所作事は、女形の専門分野でした。道成寺物と並んで女形舞踊の重要な系譜である獅子物は、謡曲「石橋」の獅子の優雅なイメージを取り込んだものです。「枕獅子」(寛保2年・1742)を見ると後シテの獅子はたおやかで優美で女性的な毛の振りで、そこがまさに女形の獅子の狂いです。(これについては別稿「獅子物舞踊の始まり」をご覧ください。)ところが江戸後期に立役が舞踊の分野に進出するようになると、次第に獅子を勇壮なイメージで捉える方向へ変化して行きます。幕末の「連獅子」(文久元年・1861・黙阿弥作)では、親獅子が子獅子を千尋の谷に突き落とす件を描いています。後シテの力強い毛の振りを見れば、これは明らかに男性の獅子の狂いです。文殊菩薩の使いである獅子は想像上の動物ですから・性別はないのですが、それぞれ別視点から獅子の女性的なイメージ(優美さ)・男性的なイメージ(勇壮さ)を汲み取っているわけです。したがってこれらの獅子物舞踊を一括りに石橋物と呼ぶことはもちろん出来ますが、同じく「石橋」由来ではあっても、「連獅子」は女形の獅子物舞踊とは発想を全然異にするものだと思います。

歌舞伎舞踊の連獅子の発想がどこから来るのかと云えば、謡曲「石橋」にも小書きで獅子を二頭(あるいは三頭)連なって出る連獅子の趣向があって、演じ手が親子で演じることがしばしばあるからです。本来の後シテは赤い獅子ですが、小書きで数が増える場合には、シテが白い獅子・ツレが赤い獅子になります。これは白を翁・赤を童子に見立てたもので、これを親子であるとはしていません。また謡曲「石橋」の歌詞を見ると、親獅子が子獅子を千尋の谷に突き落とすという件は見当たりません。歌舞伎舞踊の「連獅子」の眼目となるところの、親が子に試練を与えると云う件は別の流れから来るもので、これは「太平記」から引いているようです。

『獅子は子を産んで三日を経る時、万尋の石壁より母これを投ぐるに、その獅子の幾分あれば、教へざる中より身を翻して死することを得ずと云へり』(「太平記・16」)

高いところから投げ落としても生来の性質により身を翻して立つということであって、別に試練ということでもなさそうですが、「太平記」ではこれを母獅子としているところが興味深いところです。「連獅子」の古いやり方では、母獅子の狂いを見せる趣向もあったそうです。これは女形の獅子物の系譜を考えるならば、確かにそう云うものがまず出て来なければならないと思います。やがてそれが父獅子と子獅子の関係へと移っていく。そのような長い変遷の過程を経て、黙阿弥の松羽目の現行「連獅子」が成っていくということですね。(この稿つづく)

(R3・2・7)


2)中村屋代々の「連獅子」

「連獅子」はいろんな組み合わせで演じられますが、試練のため親獅子が子獅子を千尋の谷に突き落とすと云う・いわば教育論的な筋立てであるので、やはり実の親子で演じるのが観客も一層感情移入が出来るということがあると思います。吉之助の世代であれば、目に浮かぶのは十七代目勘三郎の親獅子と十八代目の子獅子という親子による舞台ということに当然なります。十七代目は芸に関して息子にとても厳しかったし、十八代目もこれに必死で付いて行って、ストイックな印象が強い・渋めの舞台に仕上がっていました。先代が生きていた頃の十八代目の芸には、とにかく神妙に勤めなきゃという生真面目さが強くて、若干暗めの印象さえしたものです。それがまた「連獅子」に妙なリアリティを与えていたと思います。

こうして「連獅子」は中村屋の象徴的な演目となって行くわけですが、時代が下って十八代目が親獅子となり息子たちと踊るようになると、「連獅子」は次第にアクロバチックと云うかより華やかな色合いへと変化したようです。これは悪くなったと言っているのではないので、誤解のないようにお願いします。十八代目も芸に対しては真面目であったけれど、良い意味において十八代目の芸は、先代の重し(プレッシャー)がなくなったことで明るくなりました。そこが「連獅子」の色合いの変化に影響していました。ただし、後シテの獅子の毛の振りがやたら激しくて、「息子たちよ、俺に付いて来れるか」みたいな感じで、観客の興奮を煽るようなところは感心しませんでしたが、そんなところに十八代目の血のなかのディオニソス的な要素が現れていたのでしょう。十八代目が親獅子となって親子三人で踊る「連獅子」は華やかなもので、平成歌舞伎の呼び物であったと思います。

 

そして今回(令和3年2月歌舞伎座)の「連獅子」では現・勘九郎が親獅子となって長男勘太郎の子獅子で初共演と云うのですから、吉之助も随分長く芝居を見て来たものだなあと思います。しかし、先々代はこうだった・・先代はああだった・・あそこがちょっと異なるね・・それもいいねえ・・などとブツブツ言いながら舞台を見るために、ここまで歌舞伎を見続けて来たのだから、吉之助の芝居見物のお愉しみはこれからです。

今回の「連獅子」では、十七代目と十八代目の親子共演で記憶していたストイックな印象がまた戻って来た感じがして、懐かしい気分にさせられました。ここに勘九郎の芸の真面目な在り方が反映しています。若干渋くなったかも知れないが、そこが父親とは違う勘九郎の個性なのですから、この点は大事にしてもらいたいと思います。やるべきところをきっちり押さえて、それでいて過度に堅苦しい感じがしない。毛の振り具合も激し過ぎず適切なところに納めて、良い感触の「連獅子」に仕上がったと思います。勘太郎も一生懸命ひたむきに踊って好感が持てるものでした。世代が変れば・時代も変わるし、時代に連れて親子関係は微妙に変化して行くものであろうが、中村屋の芸はこれからも続いていく、なるほどこれは中村屋代々の「連獅子」であるなあと納得できる舞台でありました。

(R3・2・8)



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