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二代目白鸚の平作と十代目幸四郎の十兵衛〜「沼津」

令和2年3月歌舞伎座:「伊賀越道中双六」〜「沼津」

十代目松本幸四郎(呉服屋十兵衛)、二代目松本白鸚(雲助平作)、初代片岡孝太郎(平作娘お米)

(新型コロナ防止対策による無観客上演)


1)白鸚の平作

本稿で取り上げるのは、令和2年(2020)3月歌舞伎座での「伊賀越道中双六〜沼津」の無観客上演舞台の映像です。注目は白鸚が初役で演じる平作であろうと思います。ご本人もインタビューで「今回だけは一世一代と言って構わない」と張り切っていたようです。新型コロナ染防止で公演が中止になってしまったのは残念なことでしたが、無観客でもなんとか映像に残せたことはせめてもの幸いと云わねばなりません。調べてみると高麗屋にとって「沼津」は、あまりご縁がなかった演目のようです。初代白鸚も十兵衛を三回勤めたきりであるし、二代目も昭和62年(1987)4月金丸座で十七代目勘三郎の平作を相手役に十兵衛を勤めたのがこれまで唯一のことでした。幸四郎の十兵衛は昨年(令和元年)9月歌舞伎座で吉右衛門病気休演した時に3日間代役で演じたのが初役になりますから、今回が二度目です。今回は平作・十兵衛を実の親子で演じると云う点でも話題の舞台でした。

白鸚の平作は型としては十七代目勘三郎が下敷きになっていると思います。勘三郎の平作は愛嬌があったし世話の味わいが濃くて哀れさが立ったのをよく覚えていますが、細身の白鸚であると実直さの方が強く出るようです。そこは時代物の大役を数多く演じてきた白鸚のニンならではと云うべきですが、芝居のなかに時代の論理が顔を出し始めると、白鸚の平作が俄然良くなって来ます。だから白鸚の平作は、後半がグッと良くなります。お米が十兵衛の印籠を盗もうとした事情を察して肚で泣きながら十兵衛の手前お米を強く叱るフリをする芝居が丁寧で、ここから千本松原で平作が十兵衛の脇差を取って自らの腹に突き立てるまでのドラマが自然です。

「沼津」を見ると平作が実の親子の確認をこういう形でしか取れなかったことは悲しいことだなあと云う思いに誰しも捉われると思います。もっとましな手段は他になかったものかと暗然たる気分に襲われます。しかし、多分、平作にはこういう手段しか思い浮かばなかったのです。平作を絡め取る時代の論理の重さが痛感させられますが、これは仇討ちのことだけを云うのではありません。我が子を二つの歳に養子にやり・もはや赤の他人と思うている・そのように割り切ることが「人の道」であると平作が堅く信じているからです。

「ハテお前様、一旦人にやつたれば捨てたも同然。わが子ながらも義理あるもの。今その粋が身上が良いとて、尋ねに往て箸片端貰うては、人間の道が済んませぬ。今出逢うても赤の他人。子といふはハイ、このお米一人でござります」(平作内)

親子の情は本来自然な感情でドラマで云えば普通は世話の要素であるはずですが、ここではこれが時代の要素の如くに作用しています。親子の情が強くなればなるほど、平作の感情に強い自己規制が掛かります。加えて平作は十兵衛が信用を重んじる商人であることを知っています。敵沢井股五郎の紋が入った印籠を持っているとなれば十兵衛がどのような立場にある人物かは明白です。お互いの立場(仇討ち関係)を知ってしまったからには、親子の情を交わすなんてことが許されるはずがありません。だから平作は仇討ちを口実にしなければ、決して親子の名乗りを言い出せないと云うことなのです。逆に云えば、それほどまでに平作のなかに親子の情が強いということです。平作の行動はこのことを承知したうえでの、発作的に見えるけれども、実は覚悟の上での、平作なりの論理的な行動だと云うことです。そのような状況を白鸚の平作は見事に描き出してくれました。かぶき的心情を持つ人間は死によって自分の心情を相手に問い、これにかぶき的心情で答えるならば、問われた者もまた死なねばならぬと云うことです。(この稿つづく)

(R2・5・14)


2)幸四郎の十兵衛

幸四郎の十兵衛は二回目になりますが、叔父吉右衛門の十兵衛を細部までよく写して感心しました。特に平作内後半・お米が十兵衛の印籠を盗もうとして見つかる件から、平作が実の父親でお米が妹であることを悟り、自分が息子であることを明かさないまま逃げるように内を去るまでの心理描写が丁寧で、今の段階でこれだけ出来れば申し分ないと思います。今後のために申し上げれば、幸四郎は小揚げを含めた前半の十兵衛に和事味と云うか・柔らか味を出そうとして台詞のトーンをやや高めに置こうとする意図が感じられます。このため前半の十兵衛が作り物っぽく柔い印象がしますねえ。ここは確かに吉右衛門にもその気配がないわけではありません。しかし、これは吉右衛門のニンだからこれでちょうど具合が良くなるのであって、幸四郎は叔父よりも描線が細く・和事も似合うニンなのですから、幸四郎の場合はむしろ描線を太く取ることを意識した方が良いのです。その方が十兵衛の性根に一貫性が出ます。幸四郎は地声のトーンがやや低めですから、低めのトーンを基調に取った方が十兵衛の心情に真実味が出るはずです。後半がなかなか良い出来でしたから、そこは惜しかったですね。

上方役者が演じる十兵衛は和事味が強くて・東京の役者が演じる十兵衛は辛抱立役の味が強いとよく云われるけれど、近年の舞台で見る十兵衛は、細かい段取りは兎も角、上方と東京でそれほどの印象の差は感じられないようです。それは戦後昭和の十兵衛役者であった二代目鴈治郎の影響かなと思います。現行の十兵衛は、誰でも和事味を基調にしているように感じます。これは分からなくもない。鴈治郎の十兵衛は前半がとても明るくて楽しかったからです。以後十兵衛を演じる役者にとって多分その印象が強いのでしょう。しかし、鴈治郎の十兵衛の真骨頂は、千本松原の悲壮感にあったと思います。「沼津」のやり方は上方風・東京風いろいろあろうと思いますが、十兵衛はクライマックスを千本松原に置いて、シリアスを基調に演じてもらいたいと思います。(千本松原での鴈治郎の十兵衛については別稿「世話物のなかの時代」で触れましたから、そちらをご参照ください。)

孝太郎のお米は、後半「お米はひとりもの思い・・」以降夫の傷回復のため十兵衛所持の秘薬の印籠を盗もうとする心情に哀切さがあって、現在のうらぶれた姿のなかに・思いがけなく仇討ち騒動の渦中に巻き込まれたか弱い女の境遇が浮き彫りにされて、これもなかなか良い出来でした。

(R2・5・22)



 

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