(TOP)     (戻る)

十五代目仁左衛門・二代目吉右衛門による「合腹」

令和2年3月歌舞伎座:通し上演「新薄雪物語」〜「詮議・園部館(合腹)」

二代目中村吉右衛門(幸崎伊賀守)、十五代目片岡仁左衛門(園部兵衛)、二代目中村魁春(園部奥方梅の方)、五代目中村雀右門(幸崎奥方松ヶ枝)、十代目松本幸四郎(園部左衛門)、初代片岡孝太郎(幸崎息女薄雪姫)、八代目中村芝翫(奴妻平)、三代目中村扇雀(腰元籬)、五代目中村歌六(秋月大膳)、四代目中村梅玉(葛木民部)

(新型コロナ防止対策による無観客上演)


1)十五代目仁左衛門の園部兵衛

本稿で取り上げるのは、令和2年(2020)3月歌舞伎座での通し上演「新薄雪物語」から「詮議、園部館(合腹)」の無観客上演舞台の映像です。

まず仁左衛門の園部兵衛ですが、とても情け深い人物に見えます。例えば詮議の場において、息子・左衛門を押さえつけて、「エエおのれ憎いやつ。これほどのこと仕出しながら・・・言い訳なくば何故潔く切腹せぬ」と怒鳴る場面においても、本心のところは息子のことを信じているわけで、怒鳴るのは建前だけのことと云うところを見せて、そこに子に対する父親の愛情をはっきり見せて、まことに分かりやすい。これは園部館広間で、落ちよと云われた薄雪姫がなかなか納得しないところで、「コリャ嫁を娘と思へども、舅を親とも思はず、いう詞を聞かぬからは、もはや縁切って他人になろうかい」と怒鳴る場面においても同様で、表面上は怒って見せても、実は薄雪への情愛いっぱいであると云う心理の両面を、とても上手に仕分けて見せてくれます。

仁左衛門のこの上手さは、広間後半でさらに発揮されます。「左衛門が謀反の件を白状した左衛門の首を刎ねたので・薄雪の首も同じ刀で打て」と伝えられて激怒するも、刀の切っ先の血糊に気付き、「ムウ科は同罪とな、テよく云った・・」と呟く場面では、激高して刀を振り上げるも、切っ先を見て「ハテ」と気付き、「これは・・」としばし考え、伊賀守の真意に「アッ」と気付いて、次にウルッと涙ぐんで、「ムウ科は同罪とな・・」となる、ここまでの兵衛の心理の変化を克明に描いて、筆致の流麗さと息の良さに、まったく感嘆させられます。しかし、上手いと褒めておいて落とすようだけれども、兵衛の人物が柔く見えると云うところがあるかも知れませんねえ。仁左衛門が悪いと云うのではなく、仁左衛門が上手過ぎるので、却って歌舞伎の型の意図が透けて見える気がするのです。同じような印象がするのは、「盛綱陣屋」の盛綱の首実検の場面ですねえ。歌舞伎の段取りが、ちょっと説明的に過ぎるようです。

付け加えると、この印象は仁左衛門の兵衛だけから来るものでもなく、幸四郎の左衛門の優男の印象と相乗して出るものでもあります。同月「花見」の場の観劇随想で幸四郎の左衛門は優男に仕立て過ぎと書きましたが、続く「詮議・園部館」でもこの印象が尾を引いており、これが息子の命を守りたい父親・兵衛の性根を柔く見せることになります。

歌舞伎の兵衛が柔く見えることの問題点は、兵衛は伊賀守の真意に気付いて自分も陰腹を切ることを決意するわけですが、当初は梅の方に「明日・明後日の両日は裁断の気遣いなし、この間に伊賀守に出会い・・対談の品いかほどもあるべし」と言っていますから、兵庫のなかに陰腹のアイデアは毛頭なく、子供たちを逃した後お上へどう対処するかはすべて伊賀守と相談してからだと考えていたかの如くに見えてしまうことです。これでは兵衛が甘く見えてしまいます。腰元籬が兵衛に抗弁した通り、「お預りの姫が逃げ隠れいたしたらお上の祟り、殿を下手人は知れたこと」となるのは必定だからです。このことは兵衛ももちろん覚悟のうえです。したがって、ここは兵衛も当然、最初から自分から伊賀守に「一緒に切腹しよう」と持ち掛ける肚であったと考えるべきです。つまり兵衛と伊賀守の考えは最初から一致していたと云うことなのです。それが兵衛の「ムウ科は同罪とな、テよく云った・・」という台詞の意味です。歌舞伎の説明的な段取りであると、そこのところがチト見えにくい。伊賀守に尻を押されて兵衛が陰腹を決意したかのように見えかねないのです。誤解ないようにしていただきたいですが、仁左衛門の兵衛が良くないと言っているのではありません。ただ、情の表出の方へ傾斜気味であるとは云えます。兵衛が陰腹へ至る過程を、もう少し骨太い筆致で描くことも可能かなと思うのです。

かぶき的心情」の行為は、自分の心情の熱さで相手の気持ちを変えようとする形で現れることがしばしばです。「俺のこの気持ち、お前にも分かるだろ」と云う行為なのです。かぶき的心情でこれを問われた者は、かぶき的心情で答えなければなりません。例えば「盛綱陣屋」の盛綱がそうであるし、「勧進帳」の富樫もまたそうです。これは男心に男が応える・かぶき者の行為なのですから、ウケ(受け)の方が柔わに涙もろく見えるようでは、かぶき者の行為が映えません。内実はともあれこれを骨太く見せようと突っ張るところに男の沽券が掛かっているからです。男の沽券なんてツマらんものですがね、それが男を真の「男」にするのです。

かぶき的心情のドラマでのウケは、どれも難しいです。盛綱も、富樫も、難しいです。しかし、もしかしたら「合腹」の兵衛の、血の付いた刀を手にして「ムウ科は同罪とな、テよく云った・・」と唸る場面の難しさは、趣が異なって、また格別な難しさかも知れませんねえ。なにしろかぶき的心情を問うている相手(伊賀守)がまだその場に来ていないのですから。目の前にいない相手にかぶき的心情で答える一人芝居をせねばならぬわけです。だから「ムウ科は同罪とな、テよく云った・・」と兵衛が云う時は揚幕を見込んで・向こうにいる伊賀守に向かって云う心です。ここが大事なところで、仁左衛門の兵衛はもちろんそこのところに如才はありません。心理描写をクドいと言いたくなるほど丁寧に描き込んだところに仁左衛門の兵衛の真骨頂があります。(この稿つづく)

(R2・5・3)


2)二代目吉右衛門の幸崎伊賀守

「合腹」での吉右衛門の幸崎伊賀守は、なかなか骨太い仕立てです。伊賀守はすでに陰腹を切っていますから、身体が弱って身動きが辛いのを、堪えてやっと持ちこたえていると云うところを実にリアルに見せています。特に良いのは、逃したはずの左衛門がこの場に現れたのを「それは狐狸か」を決め付けて、「ヤア左衛門の馬鹿幽霊、早や消えろ。なくなれ帰れ」を叫ぶ場面です。腹に力が入らず出ない声を絞り出して叫ぶ伊賀守の覚悟を見せてくれました。台詞を云い終わって、首桶に右手を掛けたままその場へたり込む姿が壮絶です。

「奥方、お待ちなされ、左衛門は某が手にかけ、首はこの首桶に。なんの左衛門が来るものぞ。万一見えたらばそれは狐狸か、必ず寄るまいぞ。ヲゝ参るまじと契約を背きしは、人間ではあるまい。但しは幽霊か。ヤア左衛門の馬鹿幽霊、最後に伊賀がすすめし一句忘れしか、何に迷うてここへ来た。成仏の道を忘れしか。裟姿に名残りが惜しいか。狼狽幽霊早や消えろ。なくなれ帰れ」

ここでの伊賀守には一刻も早く子供たちを遠くへ逃して安全なところに身を隠してもらいたい腹です。もちろん子供たちの顔を見たい気持ちは伊賀守にもあるでしょう。しかし、自分は既に腹を切っており・もう命は残り少ないわけで、そのような気持ちは伊賀守にとって「未練」です。「成仏の道を忘れしか。裟姿に名残りが惜しいか」という伊賀守の台詞は、愛する子供(ここでは左衛門)を突き放すためだけに云われるのではなく、ともすれば弱気になりそうな自分自身を突き放す台詞として云われています。なぜならば伊賀守はまだここで死ぬわけに行かないからです。伊賀守の読みが正しければ園部兵衛もまた陰腹を切っています。この後兵衛と共に六波羅へ向かう大仕事が待っています。「子供たちを取り逃がした責任を取って自分たちは腹を切りました」と大膳の前で言い放つためです。表面上は大膳の前で罪に伏す形を取っていますが、「子供たちの罪は断じて認めないぞ、文句があるか」と云うことです。これはお上の裁断に対する断固たる拒否です。これを云うため二人は陰腹を切るのです。このことを忘れてはなりません。(別稿「身替わりになる者の論理」をご覧ください。)

三人笑いについて「子供のことなど・人生の悩み苦しみすべてから解放された心地良さで笑う」とする解釈があるようです。確かに歌舞伎の「合腹」では子供に対する親の愛情が前面に出る印象なのでそう感じるのだろうと思いますが、柔くてセンチメンタルな見方だと思います。伊賀守と兵衛がこれから六波羅へ向かい最後の大勝負を仕掛けることをお忘れだから、こういう誤解をしてしまうのです。「合腹」の場で彼らが死ぬのではありません。二人の勝負はこれからなのです。彼らはそこまで死ぬわけに行かないのだから、この場の二人に「人生の苦しみから開放された喜び」を感じる余裕などあるはずがありません。床本での兵衛の台詞を見てみます。(歌舞伎では兵衛と伊賀守の二人の台詞に振り分けられています。)

 「二人を取替へ預つたその夜より、今日までの心苦しさ。笑ひといふものとんと忘れた。伊賀殿もさぞあらん。ア心がかりの子供は落す、かやうに覚悟極めたる今の心安さ。六波羅殿への出仕は直ぐに六道の門出。イザ悦びにひと笑ひ笑ふまいか」

これは六波羅への出立の門出を目出るための笑いであることは、明白です。言い換えれば、これは陰腹の苦痛で気が遠くなりそうな自分の気持ちを鼓舞するための笑いなのです。これはかぶき的心情の笑いと言うことです。仁左衛門の兵衛・吉右衛門の伊賀守は、そのような男の意地を申し分なく表現してくれました。

もうひとつ大事なことは、梅の方(魁春)の笑いです。ここで男たちの意地の行為を正しく倫理的なものに高めてくれるのは、梅の方です。女房が笑って送り出してくれるから、男は笑って死ねると云うことです。今回(令和2年3月歌舞伎座)の三人笑いは、そこのところをきっちり見せてくれました。ところで魁春は三人笑いは気が入って良い出来ですが、伊賀守の「ヤア左衛門の馬鹿幽霊」の件での梅の方は、ただ動きを控えているだけでは駄目で、ここは更なる工夫が必要です。この場面では刀で梅の方を押し留めた伊賀守の台詞の息に動きの連動があるべきです。例えば「左衛門は某が手にかけ、首はこの首桶に」では梅の方は首桶を見込んでグッと身体を押す、これを伊賀守があわてて引き戻し、「人間ではあるまい。但しは幽霊か」で梅の方では「ああやっぱり息子は死んだのか」と云う心でヨヨよとよじれて身体を引くとか、ここでの梅の方は云わば観客と同じ気分なのであって、鬼気迫る伊賀守の気配に翻弄される場面でありたいのです。

ともあれ三人笑いは大顔合わせで良い場面になりました。この舞台が生(なま)で見られなかったことは残念でしたが、無観客上演であっても・ともかく映像で記録してもらえたことは大変有難いことでしたね。

 

(R2・5・10)

*令和2年3月歌舞伎座:通し上演「新薄雪物語」〜「花見」の観劇随想もご覧ください


 

 

  (TOP)     (戻る)