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二代目吉右衛門の十兵衛

令和元年9月歌舞伎座:「伊賀越道中双六」〜沼津

二代目中村吉右衛門(呉服屋十兵衛)、五代目中村歌六(雲助平作)、五代目中村雀右衛門(平作娘お米)


1)「沼津」のやり切れなさ

「伊賀越道中双六」は天明3年(1783)大坂竹本座での初演です。作者近松半二は八段目「岡崎」まで書き上げたところで亡くなった為、初演の舞台を見ることが出来ませんでした。吉之助は「沼津」を見る度、病床で最後の力を振り絞って筆を取った半二はどんな思いでこんなやり切れないドラマを描いたのかなと云うことを思います。天明期の人形浄瑠璃(文楽)は、歌舞伎にすっかり人気を奪われて既に衰退期に向かいつつありました。岡本綺堂の戯曲「近松半二の死」(昭和3年10月)では、別室で初代染太夫が節附けしたばかりの「沼津」を語るなか、病床の半二は人形浄瑠璃の行方を案じつつ息を引き取ります。

*岡本綺堂・「近松半二の死」は青空文庫で読めます。ココご覧ください

半二の芝居は筋が極端なのが多いことは、ご存じの通りです。難事が次から次へと重なって、主人公を窮地に追い込んで行きます。加えてこれに対する主人公の反応が見る者の予想を飛び越えます。このような極端な筋は、確かに時代物にはよく有り勝ちです。時代の律とか・道徳律・或いは政治権力のように、個人を遥かに超える圧倒的な存在、これを総称して「時代」の論理としておきます。時代の論理が個人を容赦なく巻き込んで行くのが、時代物のドラマです。そして時代は個人の犠牲を「そは然り」と受け取るのです。半二の「妹背山」や「廿四孝」・「近江源氏」は時代物ですから、筋が極端になるのはまあ分かります。

しかし、「沼津」の場合は世話物です。「沼津」には武士やお役人は登場しません。主人公の十兵衛は武士ではなく商人(呉服屋)です。芝居の最後で父親だと分かる平作は雲助(宿場や街道で荷物運搬や駕籠に携わった人足のこと)です。本来ならば時代の論理と云うものと無縁な庶民なのです。「沼津」は仇討ち物なので時代の論理が彼らを強く縛っていることは芝居を見れば明白ですが、それにしても、千本松原は人気のない真っ暗闇なのですから、敵の行方を漏らしたって誰に知られるものでもありません。「親父さん、俺から聞いたことは内緒にしておくれ」、「お前から聞いたことは誰にも言わないよ」とすれば事は済みそうに思うのですが、「沼津」ではそうならないのです。彼らもまた時代の論理に巻かれていたことが、ここで明らかになります。父親は息子の脇差で腹を刺して・息子に敵の行方を明かせと迫り、息子は泣ける思いで敵の行方を明かします。それは十兵衛の商人としての・男としての約束を裏切ることでした。裏切ればその先に死しかないのです。「沼津」だけでは分かりませんが、十兵衛は九段目の「伏見」で自裁同然に妹お米の夫・志津馬の手にかかって死にます。手傷を負って動けなかった志津馬が回復したのは、「沼津」の場で十兵衛が残していった印籠の秘薬のおかげなのです。時代物ならば兎も角、世話物でこの結末はあまりに非情で、やり切れない思いがします。「沼津」が世話物であるから、なおさらそこが切なくなるのです。(別稿「世話物のなかの時代」をご参照ください。)

そこで改めて考えてみるに、半二の言いたいことは、人は生きている限り世間(社会或いは共同体)の論理や義理に縛られて・これと折り合いをつけながら生きて行くしかないと云うことだろうと思います。それにつけても折り合いをつけて生きて行くことの、苦しさ・悲しさ・切なさよと云うことなのです。武士はもちろんのことですが、それは庶民も同じことなのです。「沼津」はこのことを極端な設定によって描いているのです。儒学者の息子である半二が、最後の最後に「沼津」のような切ない世話物を書いたのは、意味深なことであるなあと思います。(この稿つづく)

(R1・10・25)


2)二代目吉右衛門の十兵衛

人気のない真っ暗闇のなかで「親父さん、俺から聞いたことは内緒にしておくれ」、「お前から聞いたことは誰にも言わないよ」と自分たちだけのことにすれば誰にも知られず事は済みそうなのに「沼津」ではそうならないと云うことは、義理や道徳の縛りが十兵衛や平作の外から来るのではなく、縛りは彼ら自身の内にあると云うことなのです。平作は息子に聞いてはならないことを聞き、十兵衛は明かしてはならないことを父親に明かす、そのことの恐ろしさを彼らは心底知っているのです。しかし、その恐ろしさを知っていても・それでも彼らがそうせざるを得ないのは、かれらが親子の縁(えにし)を何よりも大切にしてきたからです。平作は息子を養子に出しても片時も息子のことを忘れたことがなく、十兵衛もずっと実の父親のことを考え続けて来たに違いありません。そこにこの親子の人生の哀しさ・切なさがあります。それにしても半二の「沼津」の芝居の仕立ては意地悪過ぎる・残酷だと言いたくなるくらい、この親子を追い詰めていくのですねえ。別稿「世話物のなかの時代」でも触れましたが、生まれ育った環境であるとか・柵(しがらみ)であるとか、自分の力でどうしようもない大きな力によって左右されるという意味において、人間の生というもの自体が何かの力で支配されていると云えるわけで、そのようなものが芝居における「時代」の要素です。

今回(令和元年9月歌舞伎座)の「沼津」前半は十兵衛(吉右衛門)と平作(歌六)のやり取りがちょっともたつく感じがあって軽妙さに掛ける気がしますが、平作内・後半の「お米は一人もの思ひ」で竹本が入って来ると俄然空気が変って良い出来になります。ここでのお米(雀右衛門)を加えた三人のアンサンブルが素晴らしい。平作からお米が暗闇に紛れて印籠を盗もうとした事情を聞き、仇討ちのこと・平作が実の父親でお米が妹であることを悟り、自分が息子であることを明かさないまま逃げるように内を去るまでを、吉右衛門は十兵衛の心理の綾をじっくり細やかに描き出しています。写実の演技で見る者に十兵衛の感情がよく伝わってきます。この場面には世話物悲劇の味わいが確かにあります。世話物の時代の要素は時代物でのように怖い顔はしていませんが、それはひたひたと忍び寄って来て、主人公を決して許しはしないのです。

千本松原で十兵衛が傘を片手に「股五郎が落付く先は九州相良」と云う場面では、吉右衛門は身をよじるように情に傾斜した演技を見せます。「私はホントはそれをしたくない・しかし私はそれをさせられる」と云う思いに身を翻弄される十兵衛なのです。この点においては、まだ工夫の余地があるとは思います。ツーンとした「時代」の手強さを感得させてくれない不満がないわけではない。別稿「世話物のなかの時代」でも触れた通り吉之助はこの場面については別の考えを持ってはいますが、しかし、今回の舞台では、情において引き裂かれる十兵衛もそれなりのものだなあと思えたのは、やはり平作内での十兵衛の真実味が十二分に描けていたからだろうと思います。

(R1・10・30)



 

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