人形振りを考える
平成31年1月歌舞伎座:「伊達娘恋緋鹿子」(櫓のお七)
二代目中村七之助(八百屋お七)
1)四代目小団次の櫓のお七
安政3年(1856)11月市村座の新作「松竹梅雪曙」の櫓の場・義太夫「伊達娘恋緋鹿子」において名優・四代目小団次が八百屋お七を人形振りで演じて大評判を取りました。小団次は、いかつい風貌の立役でした。その小団次が娘お七をやって観客を驚かせたのです。十四代目長谷川勘兵衛はこの思い出を次のように語っています。
『あの鬼瓦のような御面相の小団次が、十六七のお七を演るというので世間はどんなものかと馬鹿にしていましたが、どうしてどうして実にたいしたお七です。よくもあんなに綺麗に化けられたものだと江戸中の大評判になって、客は暗いうちから我も我もと押し寄せる。全く驚きましたね。(中略)ちょっと考えただけでも可笑しそうに思えますが、そこが芸の力でさ。流石は名人小団次だと褒めぬ者はありませんでした。(中略)大雪の降るなかで人形振りの大芝居をしたあの小団次の姿は、どう見ても錦絵そのままでした。』(演芸画報・昭和3年3月号・長谷川勘兵衛実話)
この魔術を可能にしたのが、人形振りという技巧でした。普通の女形の振りならば、さすがの名人小団次も男が透けて見えてしまって、可憐な娘に化けることが難しかったかも知れません。だからこそ人形振りの工夫なのです。人形振りとは、人間が人形の真似して踊る、自然で写実な動きを目指すべき役者が、生命のない木偶人形の真似をして機械的な動きを見せる、いわば異形の踊りです。一方、女形は男が女の振りしているもので、もうこの時代には女形が歌舞伎に当たり前になっていたとは云え、本来は異形の存在です。つまり立役小団次は十六七のお七を演じると云う異形を、人形振りと云う、更なる異形によって押し隠してしまったのです。だから考えただけで笑ってしまいそうな小団次のお七が、全然おかしく見えない。よくもあんなに綺麗に化けられたものだと観客のみんなが感心してしまうお七に見えたわけです。
所作事を人形振りで演ることは、現在では趣向のひとつとして定着していますが、それを江戸歌舞伎で初めて行なったのは、この小団次の「櫓のお七」が最初のことでした。人形浄瑠璃の盛んな上方では、人形振りは早くから行なわれていたようです。しかし、上方においても人形振りは邪道でケレン芸であると蔑まれる傾向がありました。上方での修行の長かった小団次が、江戸での「櫓のお七」にこの演出を取り入れたのです。
それにしても、いかつい風貌の小団次がお七を人形振りで踊ったのは、これは「作戦」としてよく分かる。しかし、それならば美しい若女形が櫓のお七を演る場合、人形振りで演る必要はないのじゃないか?それこそ不自然じゃないのか?ということも、一応考えておいた方が良いと思いますね。美しい女形ならば、小団次のように娘を無理にこしらえる必要がないからです。そう考えれば、逆に云えば、こういうことが言えると思います。女形が櫓のお七を人形振りで演じるならば、そこにそれなりの「大義名分」を見出すべきなのです。(この稿つづく)
(H31・2・25)
2)人形振りについて
人形振りとは、一体何でしょうか。役者が人形の真似をすることに、どのような意義を見出すべきでしょうか。人形は自分の意志では動きません。人形は人形遣いに「動かされている」のです。人形浄瑠璃の人形は人間の自然な動きを模してしていますが、役者の人形振りの場合はまったく逆で、それは不自然な動きを志向し、それによって動かされていることを表現するのです。
人形振りのお七は、十六七のあどけない娘ではなくて、「情念に動かされる人形」そのものです。 黒衣姿の人形遣いに動かされている真似をしながら、人形振りの役者は 「自分にもどうにもコントロールできない情念に衝き動かされている自分」を表現することになるのです。そう考えれば、「櫓のお七」の人形振りに、たんなる趣向以上の、ドラマの「必然」を見出すことができます。
お七は、どんな感情に動かされて御法度である火の見櫓の太鼓を打ち鳴らすのでしょうか。「恋しい殿御に逢いたい一心」と云うと、確かにそういうことになりますが、あどけな く可愛い恋心ではありません。ここに見えるのは、ドロドロした情念です。御法度の太鼓の太鼓を打ち鳴らせば街中大騒ぎになることは明らかです。それでも承知で、お七は御法度を破るのです。「もうどうなってもいい、私はこの感情を抑えきれない」と云う心理状況が、人形振りが表現するものです。モデルの八百屋お七が火付けを犯したことは、観客の誰もが知っています。八百屋お七のエピソードを重ねて、観客は人形振りのお七を見るのです。
現実には例外はいくらもあるでしょうが、芝居の世界では、大店のお嬢様に自由意志はないことになっています。いろんな柵(しがらみ)にがんじがらめにされているのです。八重垣姫など時代物のお姫さまも 同じようなもので、政治の取り引きの材料として他家に嫁いで、実家の安泰を保つのがその役割です。歌舞伎でお染など大店のお嬢様の袂の扱いは時代物のお姫さまと同じにするという約束はそこから来ます。 お七が火の見櫓の太鼓を打ち鳴らす行為は、がんじがらめにされた柵から我が身を解き放とうとする行為です。同時にそれは社会的にとても危険なものを孕んでいます。これはもう破壊衝動と呼んで良い。ですからそれは社会的に異形な感情ということにな ります。人形振りが示すものとは、そういうものです。
いかつい風貌の小団次がお七を人形振りで踊れば「よくもあんなに綺麗に化けられたものだ」と云う話で終わるかも知れませんが、美しい若女形が櫓のお七を演るならば、小団次が隠したかった意図が見えて来なければならないと思います。綺麗綺麗の向こうに、「私はどうなったっていいの、恋する彼に会えるならば、例え江戸中が火の海になったって・・・」という異形な感情が透けて見えて来れば良いなあと思います。要するにお七には自分しか見えていないのです。安政3年というご時世では、まだそれは包み隠さねばならないものでした。しかし、実はそれが小団次が一番表現したかったものでした。(この稿つづく)
(H31・2・28)
3)異形の感情
なお歌舞伎舞踊での人形振りは最後まで続くものではなく、途中で「人形を返す」とか「人形を解く」とか云って、通常の振りに必ず戻す約束があるそうです。これは、生身の役者が人形の動き(異形の動き)を擬することの申し訳であると考えられます。小団次の作戦は、したたかです。人間感情のどす黒い情念の恐ろしさを垣間見せておきながら、これをサッと引っ込めて「ハイ今までのことは趣向でございました、なかったことにしてください」と云ってしまうのです。しかし、この申し訳は実はお上へのポーズに過ぎず、小団次が一番表現したかったのは異形の感情であったことは疑いありません。このことは幕末の閉塞した空気を考えれば理解が出来ると思います。
ところで前章で女形自体が男が女(男でないもの)を擬するもので、本来は異形の存在であると書きました。いかつい風貌の小団次が十六七の可愛い娘(お七)の印象を観客に与えることが出来たということは、女形の技巧の意味を考えさせます。つまり女らしさの表出は、純粋に技巧の問題だと云うことなのです。
今回(平成31年1月歌舞伎座)の「櫓のお七」での七之助のお七は、スッキリと涼しい容姿が人形向きで、確かに異形を感じさせる瞬間がありました。ただ動きが若干粗雑なところもあって、人間がチラチラ見える場面もありました。まあ人形振りは確かに難しい。お七の人形振りは趣向ではありますが、これは「恋しい殿御に逢いたい女心」を表現するためのものではないのです。この踊りは綺麗綺麗な娘を見せるためのものではなく、人形振りは異形の感情を表出するための技巧であると割り切るならば、これは肚の問題だと云うべきかも知れませんね。役になり切ると云うことは、そういうことなのです。
(H31・3・1)