「鮓屋」の巨視的構図〜九代目幸四郎のいがみの権太
平成28年6月歌舞伎座:「義経千本桜・木の実〜鮓屋」
九代目松本幸四郎(二代目松本白鸚)(いがみの権太)
1)33年前の宇野版・いがみの権太
幸四郎が「千本桜」のいがみの権太の件を、木の実から鮓屋まで半通しで上演するのは、1983年(昭和58年)3月歌舞伎座での、宇野信夫改訂の脚本・演出による上演以来、33年ぶりのことだそうです。(幸四郎はその後1996年と2000年にも権太を演じていますが、この時はいつもの音羽屋型の権太で「鮓屋」のみ。)宇野版「鮓屋」は同じく宇野版「曽根崎心中」とよく似た演出コンセプトで、「木の実」を含む「鮓屋」前半までト書浄瑠璃が多いので、そこを省けば思い切ったテンポ・アップが出来るという算段だったと思います。もっともこの時の幸四郎は、いつもの音羽屋型の権太とかけ離れた演技をしたわけではなく、大筋の手順はそれほど異なったものではなかったと記憶していますが、どこか新作物めいたサラサラした感触になってしまって、評判はあまり宜しくなかったと思います。
強い印象で残ったのは、後半お里が寝入った後維盛が一人佇む場面から義太夫が入るのですが、三味線が鳴り響いた瞬間に舞台の空気が一変したことでした。空間がギュッと引き締まる感じがしたものです。義太夫が丸本歌舞伎の劇的緊張を如何に強く支配するものか痛感させられました。(同様のことはやはり宇野版「曽根崎心中」の天満屋の場の途中から最初に三味線が鳴る瞬間にも感じられることだと思います。)もっとも吉之助は宇野氏の努力が無駄だったと思っているわけではありません。筋を分かりやすくテンポ・アップするということは大事なことです。作品によってはそういうことが必要な場合があると思います。ただ「鮓屋」は筋自体分かりやすい演目であるし、音羽屋型も洗練されたものですから、無理して義太夫を省く必要性があまりなかったように思いました。「ト書き 浄瑠璃なんか取っちゃえばいいんだよ、そうすれば芝居はもっとテンポアップできる、見れば分かるもの」と仰る方が時々いらっしゃいます。しかし、芝居は筋が分かればそれで良いというものでもありません。三味線の作るリズムに合わせて演技を決める(踊るという意味ではなく)ということが、これほど演技の角々をキリッと締まって見せるものだということも、義太夫を取っ払って見て初めて分かることでした。「鮓屋」の音羽屋型は実によく出来たもので、写実であるのに様式的であり、様式であるようでいて写実的なのです。一体リアリズムというのは何なのでしょうか。そういうことに気が付かせてくれた点で、吉之助にとってこの宇野版「鮓屋」上演は興味深いものであったし、恐らく幸四郎にとっても貴重な経験だったに違いありません。
というのは、今回(平成28年6月歌舞伎座)での幸四郎のいがみの権太を見ても、良い意味において、宇野版「鮓屋」の経験がどこかに生きていると吉之助は感じるからです。例えば音羽屋のいがみの権太は基本的に江戸前であるせいか、「木の実」で最初に権太が登場する時、何だか番場の忠太郎みたいな股旅物の感触がするでしょう。まあ粋で洗練されていると云えばそういうことですがね。一方、33年前に幸四郎演じた権太は、如何にも大和下市のごろつきという感じがしたものです。そして、今回の幸四郎の権太も、基本はいつもの音羽屋型で演じていますが、やはり同じようなごろつきの感触がします。細部において、どこかどう違うという明確な指摘が出来ないけれど、間の感触に宇野版「鮓屋」の面影を何となく感じます。あっさりした写実の感触で、そこが良いのです。
型というものは過去の名優たちが作り上げた地層のようなもので、「その通りにやりさえすれば、それらしく見える」という手順です。型とは安心して寄りかかれる規範であると同時に、ただなぞるだけのルーティーンの演技に陥る危険をも孕んでいます。もし、これを一旦ゼロ地点にまで立ち返ったところで、同じ型の生成プロセスを辿るならば、その型はたった今生まれたのと同じ新鮮さで蘇るのではないか、そのようなことを考えます。吉之助が思い返すと、33年前の宇野版権太が義太夫の背景なしで演技した時、それがいつもの型とさほど変わらない手順であっても、それは型という機能をあまりしませんでした。先ほど音羽屋型は「写実であるのに様式的であり・様式であるようでいて写実的」と書きましたけれど、そういう風に機能しなかったのです。写実な演技が、ただ写実であるだけに留まりました。写実の演技を写実以上のものにする為には、音楽の感覚が必要なのです。「鮓屋」の場合ならばもちろん義太夫です。このようなことを身を以て知る貴重な体験を、33年前の幸四郎もしたのだろうと思います。そういうところを踏まえたところに、今回の舞台があると 思います。(この稿つづく)
(H28・7・1)
2)幸四郎のいがみの権太
今回(平成28年6月)の歌舞伎座は「義経千本桜」通し上演で、いがみの権太の件はそのなかの第2部ということになります。幸四郎のいがみの権太を見ると、時代物のなかの世話場の在るべきサイズということが素直に実感されます。権太はもちろん「 鮓屋」の主人公ですから、その持ち場において主人公然としていて良いのですが、権太の死が時代物の構図に取り込まれた時、権太の人生は歴史のなかに消えて行かねばなりません。「千本桜」の本当の主人公は「歴史」であるからです。
丸本時代物は、三大丸本を除けばもはや通しで上演されることはなく、見取りで上演されることがほとんどですが、微視的な見方と巨視的な見方のふたつが同時に要求されます。「鮓屋」の場合、父弥左衛門の許しを得ようと一世一代の大博打を打って破滅する権太の生き様を見るのが、微視的な視点です。これはまあ権太一家のホームドラマと考えることもできますが、実は悲劇の概念としてはそのままでは完全ではないのです。時代物というのは歴史を語るものです。時代物のなかで名もなき庶民が完全な意味での主人公となることは出来ません。「鮓屋」のなかで権太が主人公になれるのは、「千本桜」 大序で提示された三つの謎のひとつ・維盛がどこかに生きているという謎を解いて、これを再び歴史のなかに納める(史実の維盛は寿永3年3月28日に熊野沖でひとり寂しく入水を遂げる)役割を課されているからです。しかし、役割を果たせば権太は「お役目ご苦労さん」ということで、歴史のなかに飲み込まれて消えてしまいます。これが巨視的な視点です。このふたつの見方を併せ持つことで、丸本時代物の世話場の悲劇が正しく理解できます。
ですから「鮓屋」だけの見取上演だといろんな見方が可能ですが、「千本桜」通し上演であると、やはり「鮓屋」の在るべきサイズ(時代物五段から眺めた時の重さ)というもの を考えなければならないと思います。大きすぎてもいけない。小さすぎてもいけない。丸本時代物の世話場相応の格というものがあるのです。そうすると権太が主人公として突出するのではちょっと困ります。やはり或る種のチープさ(卑小さ ・あるいは安手さ)みたいな要素が必要になるでしょう。そのようなチープさを前面に出すことで、本来庶民が芯を取ることのない悲劇の主人公を勤めることの申し訳を入れるということです。大和下市のごろつきの雰囲気がする幸四郎の権太は、その点まことにいい塩梅なのです。時代物の世話場の主人公としてとても良い出来です。
このような時代物世話場の巨視的構図というのは、名もなき庶民が権力者の犠牲となって死んで行った悲劇であると「鮓屋」を読むことはもちろん可能ですけれど、あるいは「この無名の俺でも 、微力ながら歴史のなかに自分ありという痕跡を何か刻み付けてやる」と思って必死にあがいた男の物語であると、ポジティヴに読むことができると思います。まあどちらでもよろしいことですが、どうせ読むならば吉之助は「鮓屋」を後者に読みたいと思っているのです。
(H28・7・3)
3)「鮓屋」の巨視的構図
「鮓屋」を巨視的構図で読むならば、「千本桜」大序において提示された「知盛・維盛・教経の首が偽首である・つまり三人はどこかで生きている」という謎を歴史の正しい形に戻す、そのために歴史は権太一家の犠牲を必要としたのです。「鮓屋」を筋のうえから見ると権太一家は死ぬ・それによ り維盛一家は助かるということで、一方的に庶民が権力者の犠牲にされたように読めるかも知れません。しかし、歴史視点から見るならば、維盛一家は歴史の舞台から降りて消える(その後は名もなき庶民として 忘れられて生きる)わけですから、その意味で死んだのと同じになるのです。そうなることで「千本桜」は「驕る平家は遂に滅びました」という「平家物語」が示すところに納まります。これで「鮓屋」のドラマは「そは然り」という古典的な感触に落ち着 くことになります。
浄瑠璃は語り物の芸能です。語り物とは歴史を物語るということですから、「そは然り」となる形に筋が落ち着くことが浄瑠璃の本分です。「千本桜」が提示する「平家物語」の世界からすると、「知盛・維盛・教経はどこかで生きている」というトンデモ設定を権太が身を挺して解いて、ドラマの筋を歴史の正しい形に戻す、これが権太に課せられた役割です。しかし、歴史はこれを権太の功績とすることはありません。権太のことは時間の波間で忘れられ消えてしまいます。だから権太は完全な意味において悲劇の主人公になり得ないのです。浄瑠璃の末尾において「その名は長く語り継がれん」と語られる者だけが真の悲劇の主人公になることができます。
ところで維盛のことを考えます。お里が「おお眠む」と騒ぐ傍らで物思いに打ち沈む維盛の姿に、諦観の情と云うよりも、もっと強い厭世気分を吉之助は感じますねえ。この場面を見ると吉之助はヴォルフの歌曲「隠棲(世を逃れて)」の歌詞(メーリケ作詞)が思い浮かびます。そこに歴史の舞台から 消えてひとり静かに生きたいと思っている者の気分を見るわけです。
好きなように おおこの世よ 私の好きなようにさせてくれ
誘わないでくれ 愛の贈り物なんかで
この心をひとりにしておいてくれ
世の幸せからも 世の悲しみからも
(エドゥアルト・メーリケ:「隠棲」)知盛や教経のような「源氏に一矢報いてやる」という気迫が、維盛にはまったく欠けています。しかし、「千本桜」大序において「維盛はまだどこかで生きている」と名指しされた以上、維盛は世を逃れてひとり静かに生きることは決して許されません。 維盛が歴史の舞台から降りるためには、正しい手続きを踏む必要があります。「鮓屋」の筋のなかで討たれて死ぬか、あるいは誰かに身替りになってもらって歴史的に「死んだ」ことにして納めてもらうか、そのどちらかです。維盛が「維盛」でなくなった時、初めて彼は歴史の舞台から降りることができます。これは維盛ひとりではどうにも出来ないことです。その役割を買って出たのが権太とその一家なのです。
「千本桜」の作者の作劇術の巧さに感嘆するのは、これだけでも「鮓屋」は十分泣ける芝居に出来るのに、そこに「権太の大博打を梶原はすべてお見通しであった」という大ひねりを最後に加えたことです。これで「平家物語」の諸行無常がより一層くっきりと浮かび上がってくることになりました。「鮓屋」はよく出来た芝居であるとつくづく思います。
(H28・7・9)