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作品分析:「双蝶々曲輪日記」〜八冊目・八幡里引窓の段
〇人の出世は時知れず見出しに預かり南与兵衛。衣類大小申し請け伴ふ武士はなに者か所目馴れぬ血気の両人。
この箇所については別稿「引窓の様式」の第2章に詳しく記しましたから・それをお読みいただくとして、ここでは要点のみ記します。三代目大隅太夫が師匠からの口伝として、『「人の出世は時知れず」と明るく云うたら「見出しに預かり南与兵衛」と声を落として言う。「衣装大小申し受け」と「ハッ」て云うたら、「伴ふ武士は何物か」と平らに語る』という点は、「引窓」を理解する大事なポイントです。
普通であれば時代(厳かに・重く・暗く)、世話(砕けて・軽く・明るく)となるはずの公式が、この教えでは、どこかテレコな感じになっていると云うことです。つまり与兵衛は、町人の性根(世話)でいる時には郷代官としての職務(時代)を意識せざるを得ない。逆に、武士の性根(時代)でいる時には家族への情愛(世話)を意識せざるを得ない。そのような相反する本音と建前の二筋道に、与兵衛は引き裂かれているのです。それで明るく暗くの繰り返しで「引窓」の風(ふう)になるわけですが、それは明るいから世話だ・暗いから時代だと云うような、単純なものではありません。どこか捻じれているのです。
与兵衛は二人の武士を同道していますが、彼らから依頼の用件をまだ聞いていません。この二人の武士は何者か、どうして気色ばんで様子がおかしいのか、その理由が与兵衛にはまだ分かりません。したがって与兵衛は郷代官を拝命し嬉しい気分もありますが、何となく不安な気分でいます。
〇「お悦びなされ極上々」「すなはちかくのごとく衣類大小くだし置かれ、名も十次兵衛と親の名に改め下され、昔のとほり庄屋代官を仰せ付けられ、七ケ村の支配」
この与兵衛の台詞は、歌舞伎では、誇らし気に嬉々として高い調子で言われますが、文楽では、むしろ声を抑えて静かに云われます。なぜかと云えば、戸口に血気はやった武士が二人待っているからです。武士を戸口に待たせておいて、声高らかに出世の自慢話をするわけにはいきません。
〇私は大きな義理知らず、まことを云はゞわが子を捨てゝも、継子に手柄さするが人間。畜生の皮被り、猫が子を銜(くは)へ歩くやうに、隠し逃げうとしたはなにごと。
「産みの母の情に我を忘れて、我が子を隠し逃げさせようとしたのは、何という義理知らずか。それは猫が子をくわえて歩くように畜生がする仕業。まことの人間ならば、継子に手柄をさせるのが正しい人の道だ」とお幸は言っていますが、もちろんそれはお幸の本心ではありません。「それは畜生がする仕業であって、まことに人間がすることでない」と必死で自分を納得させようとしているのです。
「情に我を忘れて我が子を隠し逃げさせようとする」のは、本当に畜生がする仕業でありましょうか。もちろんそんなことはありません。そうしたくなるのが母の情、人間の真実の感情と云うものです。(法律的に正しいかどうかは別の話です。)「引窓」を義理と人情の対立であると読むならば、この母の情を否定してしまったら、「引窓」のドラマが成立しません。
例えば「義経千本桜・川連法眼館」では、源九郎狐が、「鳩の子は親鳥より枝を下がつて礼儀を述ぶ、烏は親の養ひを育み返すも皆孝行。鳥でさへその通り、まして人の詞に通じ人の情も知る狐、なんぼ愚痴無智の畜生でも、孝行といふ事を知らいでなんと致しませふ」と言います。「仮名手本忠臣蔵・九段目」では本蔵が尺八で名曲「鶴の巣ごもり」を奏で、鶴の夫婦が交代で卵を温めヒナをかえす風景を描きます。「たとえ獣であっても親の情というものがある、まして人間ともあろうものが人情を知らないで何としようか」ということが「引窓」の主題なのであり、ドラマは最終的にその方向に収束していきます。ですからここでは「母の情は蒙昧な畜生の情」と否定されているように聞こえるけれども、「母の情」こそ「引窓」が最も大切にする感情なのです。
〇「拙者が命も御自分ヘ」「それも云はずとさらば/\」
「拙者が命も御自分へ」は長五郎の台詞で、「自分を召し取って貴方(与兵衛)は御自分の手柄にしてくだされ」となおも懇願しますが、与兵衛はこれを押し止め、「さらば/\」と長五郎を追い出します。
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