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江戸歌舞伎旧跡散策・その6

於岩稲荷と「四谷怪談」

江戸歌舞伎旧跡散策・その5:「髪結新三」の閻魔堂橋の続きです。


1)於岩稲荷と「四谷怪談」

江戸期の初め頃の江戸の街は空き地だらけで、特に江戸城西の麹町あたりは草むらばかりでした。そのなかに四つほど民家があって、その場所を「四つ屋」或いは「四つ谷」とも称したそうです。その後、御先手組諏訪左門組がこの地を拝領して住みました。左門がここを拓いたというので「四谷左門町」と呼ばれるようになりました。

四谷左門町には幕府の御先手組同心・田宮家の武家屋敷がありました。稲荷神社はもともと田宮家の邸内社として祀られていたものでした。田宮家初代・又左衛門の娘・お岩はこの社を篤く信仰しており、田宮家の養子である夫・伊右衛門とは仲睦まじい夫婦でした。お岩は薄給であった夫を支えて、商家に奉公に出るなどして家勢を再興しました。お岩は寛永13年(1636)に逝去しましたが、伊右衛門は亡き妻の霊を慰めたいと思って、邸内のお稲荷さまに妻の霊を合祀して厚く冥福を祈ったそうです。近隣の人々はこれを「お岩稲荷」と呼んで、夫婦円満・家内繁盛の御利益があるとして信仰しました

以上が「於岩稲荷」の由来ですが、近隣で信仰されていた於岩稲荷が世間に広く知られることになったのは、文政8年(1825、実説のお岩さまから約200年後のこと)7月江戸中村座で初演された・四代目鶴屋南北作「東海道四谷怪談」のおかげであることは、ご存じの通りです。(注:「四谷怪談」では田宮家からの抗議をはばかって、四谷左門町が雑司ヶ谷四谷町に変えられています。)実説では夫婦円満で貞女であったはずのお岩さまが、どうして怪談話の主人公に変えられてしまったのかは、これも紆余曲折ありそうです。

 南北は「四谷怪談」を書くにあたり、小説「四谷雑談集」を参考にしました。この小説は享保12年(1727、つまり実説のお岩さまから約100年後)の成立ですから、お岩さまの怪談はかなり以前から江戸の街に流布していたわけです。「雑談集」が伝えるところでは、お岩は御先手組同心田宮又左衛門の娘で疱瘡を患って面相が醜かったのですが、摂州浪人伊右衛門という夫がいました。この伊右衛門に、与力伊東喜兵衛が自分の妾お花を押し付けようとします。伊右衛門は喜兵衛らと策謀してお岩をさんざんにいじめ、離縁し、家から追い出します。その後の気が狂ったお岩の行方は知れませんでしたが、やがて伊右衛門の周囲に次々と不思議な事が起こって関係者はすべて死んでしまいました。これがお岩の怨念のせいなのは、誰の目にも明らかなことでした。

大事なことは、これは民衆が「お岩さま」を先祖の拓いた土地を守る一種の在地霊とみなした或る種の都市信仰だと云うことです。お岩さまの怪談は、同心の娘が与力の謀略で土地を奪われてその怨みで祟るという物語でした。江戸中期からの急速な土地開発・それにともなう先住者と新参者の軋轢のなかでお岩さまの霊は江戸という土地と結びついて江戸の民衆に畏れられたわけです。

2)中央区新川の於岩稲荷

ところで於岩稲荷の場所を調べてみると、新宿区左門町と中央区新川に於岩稲荷があるのです。左門町の方は分かるけど、どうして新川に於岩稲荷があるのか?と思って調べると、これもまた経緯が錯綜しています。

もともと於岩稲荷は左門町の田宮家邸内にあった社で、約200年後の歌舞伎の「四谷怪談」のおかげで多くの人々の信仰を集めましたが、明治12年(1879)の火事で稲荷社が焼失してしまいました。この時、歌舞伎役者の初代市川左団次が芝居関係者の参詣に便利だと云うことで、中央区新川への移転を勧めたのだそうです。新川の於岩稲荷の社地は、左団次からの寄進であるそうです。ちなみにすぐ近くの新富町に新富座が開場したのは、明治8年(1875)のことでした。木挽町に歌舞伎座が出来たのは、明治22年(1889)のこと。初代左団次が浜町の千歳座を買い取って座元となり、明治座と改称したのは明治26年(1893)ですが、これも新川から近い。そういうわけで当地には芝居関係者や花柳界の参詣者が多いそうです。

入り口に鳥居がなくて住宅の庭先みたいなので一瞬入るのを躊躇いましたが、「於岩稲荷田宮神社」との社号標があったので、安心して入ることにしました。なるほど田宮家邸内の稲荷社と云う雰囲気です。

境内にある石の鳥居は、明治30年(1897)に建立されたもの。鳥居に奥にあるお百度石は、民間信仰である「お百度参り」のための石塔です。大正3年(1918)8月に二代目市川右団次が大阪浪花座でお岩を演じた記念に奉納したものだそうです。

  

3)新宿区左門町の於岩稲荷

明治12年(1879)の火事で左門町の稲荷社が焼失して新川に移転した後、左門町の跡地は、その後も田宮家の住居として管理されていました。昭和6年(1931)に東京都の指定旧跡となりましたが、登録名が「田宮稲荷神社跡」となっているのはそのせいです。しかし、「四谷怪談」のお岩さまだから於岩稲荷は四谷にあると思う人はやはり多かったようで、この地を訪れる人はなお多く、ついに昭和27年(1952)左門町の跡地にも社殿が再建されて現在に至ります。だから現在の於岩稲荷は本社が新川の方で、左門町は分社と云うことです。

*写真は平成31年1月吉之助の撮影です。

江戸歌舞伎旧跡散策・その6:永代橋と「名月八幡祭」もご覧ください。

(R2・5・12)



  

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