(TOP)               (戻る)

「因果の律」を恩愛で断ち切る〜文里女房・おしづの恩愛の物語

〜「三人吉三廓初買」


1)「三人吉三」の二つの物語

「三人吉三廓初買」では伝吉の悪事を発端にした因果の糸に翻弄される人々を描き・盟約に結ばれた三人の吉三郎が活躍する「侠客伝吉因果譚」がもちろん主筋ですが、この芝居には、もうひとつ別の筋が仕組まれています。それは「通客文里恩愛噺」と呼ばれるものです。近年においては「三人吉三巴白浪」の外題で上演される改作本に拠る上演がほとんどで・三人の吉三郎を中心に芝居が展開しますから、この「通客文里恩愛噺」は現代に観客には忘れられたものになっています。

「通客文里恩愛噺」は、梅暮里谷峨(うめぼりこくが)の洒落本「傾城買二筋道」(寛政10年・1798)を下敷きにしたもので、原作は吉原の遊女一重(ひとえ)の元に通う文里という男の人情話です。これを黙阿弥は設定を変更して書き直し、これを「侠客伝吉因果譚」に絡ませて芝居を書き上げています。まず黙阿弥は、遊女一重を没落した安森家の長女おもと・すなわちお坊吉三の姉に設定しています。文里は一重がその昔に世話になった安森家の娘と知って、さらに同情心が増して、一重への想いが増していくということになります。さらに木屋文里は、安森家から伝吉が盗み出した名刀庚申丸を巡り巡って手に入れ、その刀を海老名軍蔵に百両で売ったことになっており、その代金である百両包みが劇中で行ったり来たりしてドラマを展開させるわけです。(この辺りの事情は別稿「お宝の権威喪失」をご覧ください。)

黙阿弥の「三人吉三」での「文里・一重」の件のあらましを書いておきます。木屋文里は、吉原の遊女一重に入れ揚げて、ついには家業を傾けてしまいます。その後、悔恨した文里は一重に逢わずにいますが、一重が文里の子を産み、しかも病気で余命いくばくもないことを知ります。文里女房おしづは、健気にも文里を一重の元に逢いに行かせます。一重は、おしづの心遣いを感謝し、生まれた赤子・梅吉を頼み、書置を託して死にます。その書置の内容は梅吉に宛てたもので、「自分は死んでいくけれども・養父母(文里・おしづ夫婦)に対する報恩と孝行を説き・長じても父・文里のように廓通いなどせぬように」との内容でありました。

「文里さまお内さま(おしづ)が、他人の手塩に掛け候より、我ら引取り世話いたし候と、(梅吉を)藁の上より御養育下され候。しかるにその頃は文里さまも以前に変わり、まづしくお暮らしなされ候。これみな、廓通いより起こりし事なれば、わが身(一重のこと)をお恨みあるべきはずを、実の兄弟も及びなきよう、御親切になし下され候。その御恩のほどは、海山にも尽くし難く、(中略)そもじは我が身になり代わり、文里さまは言うに及ばず、大恩のあるおしづさまへ、孝行尽くし申すべき候。」

ここに登場する文里女房おしづにしても、丁字屋主人長兵衛・遊女九重にしても、人情が厚い人々ばかりです。そして、一重は人々に感謝しながら死んでいきます。静かではあるが暖かい涙を感じさせる幕切れで「恩愛噺」が終ります。

「三人吉三廓初買」は、この「因果譚」と「恩愛噺」の二つの物語が交互に出てきて、時に絡み合い、時に並行しながら進行していく構造になっています。黙阿弥が二つの物語を対照させようとしていたことは明らかです。

「高麗寺前」の場では、お坊吉三が伝吉と百両をめぐって争いになり・ついにはお坊が伝吉をころしてしまうことになりますが、しかし、二人が百両を欲しがる・その理由というのは、実はどちらも同じ・文里のために百両を用立てしてようとしているのです。素直に訳を話せばよいのに、お互いがそれと知らずに意地を張り合って殺し合いにあるわけです。観客はそれを知っていますから、二人の争いを見てその「因果の律」の恐ろしさに観客は寒気を感じたに違いありません。別稿「三人吉三の三つ巴」に書きました通り、ここでお坊が伝吉を殺した時、まさに「因果の律」は「血の盟約」を押しつぶそうとしていたのですから、この時点が「三人吉三」の最大の危機であったはずなのです。また、同時に伝吉を発端とした「因果の糸」は、別筋のはずの「文里・一重」の境遇までも犯そうとしていることが分かります。

これが改作「三人吉三巴白浪」の場合ですと、伝吉内に和尚吉三が置いていった百両包みを伝吉が和尚と間違えて武兵衛に投げつける・それに気がついて伝吉は武兵衛を追うことになっているので、お坊が太兵衛から奪った百両を伝吉が欲しがる意味が違ってしまいます。これでは「侠客伝吉因果譚」の絡みついていく糸の恐ろしさが観客に見えてきません。

このように「三人吉三廓初買」を三人の吉三郎の線で読んでいくと、確かに「文里・一重」の件を知っている方が「三人の吉三郎」のドラマの背景が理解しやすくなることは間違いないようです。しかし、独立した主題として「通客文里恩愛噺(文里・一重の件)」を読み通しますと、最初は 吉之助にはそう魅力的な芝居のようには思えませんでした。あまり筋の起伏のない・テンポのゆっくりした芝居で、これでは「文里・一重の件」がカットされてしまうのも仕方ないなぁというのが正直な感想でした。

初演以後は「文里・一重」の件は完全に上演されたことはなかったようで、部分的に「三人の吉三郎」の線に絡めて上演した例があったに過ぎません。その理由ですが、四代目小団次の後・木屋文里という難役をこなせるだけの腕の役者がいなかったからとも言われています。文里という役は、仕所が少ない・辛抱立役的な役であり・腹の持ちようが難しいと思いますが、特に最後の「一重の死(丁子屋別邸の場)」の件ではその存在がかすんでしまって、後世の役者がやりたがらないのは分かるような気もします。


2)女房おしづの「報恩の律」

それでは黙阿弥が「通客文里恩愛噺」は、この「三人吉三」の芝居のなかでどういう位置を占めるのでありましょうか。黙阿弥ほどの腕利き作者が、ただ「因果譚」に対照させるためだけに「恩愛噺」を書いたとも思われません。その意味を考えてみたいと思います。

まず「通客文里恩愛噺」ですが、ここで「恩愛」を与える人はじつは木屋文里ではなく、女房のおしづです。おしづは、文里が遊女一重の元に足繁く通っていることを実家から非難されても、文里が商売を傾けて貧しい生活を強いられても、愚痴ひとつ言わずに耐えています。(二人の子供たちも同様です。)それどころか、一重が瀕死の重病であることを知れば、夫・文里を一重の元に送り出します。また、生まれたばかりの梅吉を自分の手元に引き取って育てようと一重に申し出ます。

遊女一重は、我が子梅吉に書き置いた遺書にある通り、なによりもおしづの「恩愛」に対してひたすらに感謝し、その御恩に必ず報いるべきことを梅吉に対して説いています。ここでは、成長した梅吉がグレて・ならず者になるなんてことは絶対に有り得ません。梅吉は立派に成人して、母一重の言い付け通りに養父母(文里夫婦)への孝行を尽くすであろうことが観客の心に確信として残るでありましょう。

伝吉が起した悪事は「因果の律」となって、伝吉一家のみならず・周囲の人々を陰惨な不幸の渦に巻き込んでいきました。しかし、文里女房・おしづは、そのような憎しみの心を持たず、自分の身のまわりに起こる出来事をすべて「恩愛」の心で返していきます。これは「因果の律」とは全く反対のもので、何と呼んだらいいでしょうか、「報恩の律」とでも言うべきものがここにはあります。

もし、おしづが一重に対して嫉妬して、夫・文里に当り散らしたとすれば(普通ならそういう夫婦が多いでしょうなあ)、「因果の律」が文里一家を押し潰したかもしれません。その「因果の律」は夫・文里が引き起こしたものなのですが、おしづは「恩愛」の心で因果の糸を切ってしまったのです。但し書きしておきますと、伝吉の盗みのおかげで安森家は没落し・一重は苦界に墜ちたわけですから、「文里・一重」の一件さえも伝吉の因果に発していると言ってもいいのです。それを断ち切ったのは、おしずの「恩愛」なのです。

さらに言えば、おしづが梅吉を引き取り・自分の子供(養子)として育てるということは、これは人工的な・契約による「盟約」のようなものです。つまり、これは三人の吉三郎の庚申塚での「血の盟約」と対比されているということです。周知の通り、この芝居の結末において三人の吉三郎は互いに刺し違えて死ぬという形で、自らの悪事の清算を付けなければなりませんでした。対する梅吉が成長して・どのような大人になっていくのか、それはこの芝居では描かれない「未来」なのですが、しかし、それは間違いなく「明るい未来」であることが約束されています。

この陰惨な幕末の芝居「三人吉三廓初買」のなかで、梅吉の未来だけは祝福されている、そのように感じます。この点にこそ、黙阿弥が「通客文里恩愛噺」を「侠客伝吉因果譚」と対照させようとした意図があると思います。そのタイトルは「通客文里恩愛噺」となっていますが、それはネタが谷蛾の「傾城買二筋道」から来ているからなのでして、主人公は文里・一重ではなく、梅吉と女房・おしづであると言ってよろしいのです。

黙阿弥は「一種の超自然的な因果の律があって、それが人間の運命を支配している」という因果応報の理だけは固くこれを信じ、これを終生、処世の方便・信条としていたそうです。幕末の江戸庶民の「そこから抜け出したい・だけど変われない」という閉塞感・無力感、これについては何度か触れましたのでここでは繰り返しませんが、その「因果の律」に代る・「世を治める」もっとも有効な方法として、黙阿弥は「報恩の律」を挙げているように思われます。

「ここに小さいけれども・まだどうなるか分からないけれども・確かに明るい希望と未来がある」、そう黙阿弥は言っているのです。そう考えますと、「三人吉三廓初買」は確かに三人の吉三郎の物語だけでは完全なものではないのでありましょう。この作品が幕末の世に生まれたことの意味を改めて考えてみたいと思います。

(参考文献)

三人吉三廓初買 (新潮日本古典集成)・・この本は現行の舞台上演台本ではなく、黙阿弥のオリジナルの最も信頼できる形の台本に拠っており、行間に赤字で細かく現代語を付け、訳注も詳細でありますので非常に読みやすく、当時の上演形態を知るうえでも参考になるところの多い本だと思います

(追記)

「三人吉三」のシリーズは、1)「生は暗く死も暗い」、2)「お宝の権威喪失」、3)「三人吉三の三 すくみ」、4)「因果の律を恩愛で断ち切る」の4本から成っています。

(H14・6・9)





    (TOP)             (戻る)