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「引窓」と与兵衛の浄められた夜

*本稿は、吉之助の音楽ノート・シェーンベルク:「浄められた夜」としてもお読みいただけます。


1)「引窓」の与兵衛の選択

別稿「南与兵衛の義理と人情」で「双蝶々曲輪日記〜引窓」の義理と人情とは何かということを考えました。「引窓」での与兵衛の人情とは、濡髪を捕縛することで母お幸に悲しい思いをさせたくないということに尽きます。逆に濡髪を逃がせば、与兵衛は郷代官としての職務にもとることとなり・それは父から受け継いだ南方十次兵衛としてのアイデンティティを裏切ることになる。これが与兵衛の義理です。どちらも与兵衛の倫理感覚のなかから出ます。どちらを選択してもそれは人として正しい選択なのですが、互いに背反するものですから、安直な選択が出来ません。ところが、与兵衛は苦しんだであろうけれど、結果として与兵衛は濡髪を逃したわけです。これは与兵衛の心のなかで人情の方が勝ったということなのでしょうか。

そうではないということを言っておきます。上述した通り、濡髪を逃がせば、それは郷代官としての職務に反することであり・父から受け継いだ南方十次兵衛としてのアイデンティティを裏切ることです。それでも構わないと云う選択を与兵衛がすると云うことは、決して有り得ないのです。それならば何故与兵衛は濡髪を逃したのか説明が付かないと詰問する方がいらっしゃるかも知れませんが、答えは簡単。与兵衛は、上述の義理と人情の相克構図とは、まったく別の次元の選択をしたのです。与兵衛は「ただそれだけのことだ・・・」という軽い選択をした(ことにした)のです。「軽い」というのは、無責任な選択をしたということではありません。この軽い選択をしたことで、むしろ背後にあるものが、与兵衛のなかでずっと重くなるのです。与兵衛はこれからずっとそれを背負って行かねばならないのです。

純世話物での義理と人情の相克は、このような感じで意外な・まったく別の論理にすり替わることが多いのです。一番極端なのは「沼津」ですが、養子に出した息子との義理と人情の相克だったはずが、いつの間にか敵討ちの敵味方の葛藤にすり替わって終わります。しかし、彼らにとってホントに大事なことは、敵の行方ではなくて、離れ離れになった親子の思いなのです。「沼津」の結末は見ていてやり切れない思いがしますが、「引窓」の場合はそこまで至らなくて・話がハッピーエンドに終わったようにも見えますから、見ているこちらもホッとするところがあるでしょう。だから与兵衛は気楽な選択をしたように感じるかも知れませんが、そうではありません。彼はそのことをなるべく考えないようにしていますが、結果として郷代官としての職務を裏切ったわけですし、何よりも与兵衛には「殺し徳」の過去があるのです。(この件については別稿「与兵衛と長五郎・運の良いのと悪いのと」をご覧ください。)「殺し徳」の件は「引窓」だけの見取り上演ではどうでも良いことに見えますが、これがないと「同じ人を殺しても、運のよいのと悪いのと・・」という、与兵衛と濡髪の対称が効いて来ません。結局、与兵衛は今は警察官の立場ですが・ただ運のよかっただけの話で、濡髪と同じような罪を背負っていたわけです。与兵衛はそんなことを芝居のなかで何も語っていませんが、それは彼がそのことをなるべく考えないようにしているからです。しかし、ホントはこのことがずっと彼に付きまとっている。与兵衛はこのことをよく分かっています。だから与兵衛は、「ただそれだけのことだ・・・」と云う・まったく別次元の選択をしたのです。それが放生会(ほうじょうえ)の論理なのです。魚を川に放つ心で、濡髪を解き放ったのです。

放生会とは、仏教の五戒のひとつである・生き物を故意に殺してはならないという「殺生戒」(せっしょうかい)の思想に基づいて行われる宗教行事です。捕獲した魚や鳥獣を慈悲の心を以て再び野に放ち、殺生を戒めました。仏教の教えでは、一切の生命は平等である。他者の苦しみと同化し・自らもその苦しみを供にする時、他者に対する最も深い理解・慈悲の心が生じるとするのです。したがって与兵衛が濡髪の手を取り「さらばさらば」と言い合う時、濡髪だけが解き放たれているのではないのです。与兵衛も何かの苦しみから解き放たれたがっているのです。この時、ガラッと開いた引窓から差し込む光で、室内が朝日が差したように明るくなります。お月さまも与兵衛の選択を祝福しているのです。これが放生会の慈悲の心だ、有難いホントに有難いと与兵衛は心の底からそう感じているはずです。

以下の文章は、実は別稿「南与兵衛の義理と人情」を書いた時に挿入するつもりだったのですが、論旨が錯綜するし、吉之助のクラシック音楽の与太話がまた始まったと引く方もいらっしゃるかなと思って、独立した文章に仕立ててみたのです。(と言いながらここまで「引窓」を随分長い前置きにしてしまいました。)実は吉之助は、「引窓」の舞台を見る度に、最終場面で頭のなかで必ず響く旋律があるのですよ。それはアーノルド・シェーンベルクの「浄められた夜」の最終部の旋律です。


2)シェーンベルクの「浄められた夜」

シェーンベルクの「浄められた夜」作品4は、弦楽六重奏版としては1902年3月に初演、その後に弦楽合奏版も作られました。シェーンベルクと云えば無調音楽・十二音音楽と云うイメージですが、この頃は後期ロマン主義の作風で、時折調性の揺らぎがこの曲にも聞こえますが、十二音音楽の方向はまだ定まっていません。ただしそれはもうすぐそこまで来ているということは、はっきりと感じられます。

「浄められた夜」は、同時代の詩人リヒャルト・デーメルの作品に基づくもので、月下での男女の語らいを曲にした音詩(音楽による詩、tone poem)です。愛し合う男女が、月下の夜道を歩いています。女は、自分のお腹のなかには子がいるが、それはあなたの子供ではないとショッキングな告白をします。しかし、男は女を許し、お腹の子を自分たちの子として育てて行こうと言います。二人はキスを交わし、澄み切った月明かりのなかを歩いていきます。

*カラヤン指揮ベルリン・フィルでお聞きください。
1988年10月5日ロンドン公演ライヴ

西欧では、狂人のことをlunaticというように、月のイメージがどこか狂気と結びつくところがあるようです。シェーンベルクにも、後年、「月に憑かれたピエロ」(1912年)と云う作品が生まれます。「浄められた夜」の冒頭部での月の光は、青白く感じられます。ここでの「月」は、これから女が告白しようとしていることの不安、これから起こるかも知れない破局を予感しているのかも知れません。シェーンベルクの音楽(上記タイミング2分0秒)でも、ここでは調性が軋み、揺らぎます。女の告白を聞いて、男は驚き・怒り・葛藤したはずです。男の葛藤はデーメルの詩では直截的に描かれていませんが、シェーンベルクの音楽(12分45秒)にはそれははっきり描かれています。破局は寸前のことに思われます。ところが、そこから一転して男は女を許します。「浄められた夜」の最終場面(28分45秒)の月の光は、まるで放生会の夜・旧暦八月十五日の中秋の名月の光を見るような心地がしますねえ。これはまるで仏の慈悲の心のように聞こえます。ここでの月の光は、青白く痩せて聴こえません。吉之助には、透き通った白い光に聴こえます。

デーメルのインスピレーションは、これは西欧のキリスト教の寛容の精神というよりも、いくらか東洋思想が入り込んでいるように感じます。同時代の西欧世紀末のルドルフ・シュタイナーの神智学思想との関連が深いのではないかという気がするのですが、吉之助がちょこっと調べたくらいでは、残念ながらデーメルとシュタイナーとの繋がりが見出せませんでした。ところで、この男女のカップルもこれでハッピーエンドで終わったわけではなくて、多分これからも山あり谷ありでしょう。そのことも含めて月の光は「ふたりの未来に幸あれ」と祝福しているのです。

十二音音楽はまるで苦手な吉之助ですが、この「浄められた夜」は昔から吉之助のお気に入りです。好きな演奏をひとつ挙げるなら、吉之助にはやはりカラヤン指揮ベルリン・フィル以外考えられませんねえ。ベルリン・フィルの弦が、ホントに艶やかです。後期ロマン主義の香り濃厚ながら、どこかに未来への予兆が感じられる。それがいい未来か・どうかは分かりませんが、とにかくそれは我々が進んでいかねばならない「未来」なのです。

(R2・10・16)





  
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