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吉之助の歌舞伎の見方講座

第10講:「型」を楽しむ:その1


1)通り過ぎていった箒星

伽羅先代萩」に登場する仁木弾正の眉には黒子があります 。ほとんどの仁木役者さんは眉に黒子を描きます。これは「実悪の大名人」と言われて仁木を得意にしていた名人の五代目幸四郎の眉に黒子があったので、それにあやかった のが「型」になったものだと言われています。あまりに幸四郎の仁木が素晴らしかったので、後輩の役者たちは身も心も高麗屋に成りきろうと願ったのに違いありません。

また、「六段目」の勘平には「鼻の高いつもりで演じよ」との口伝が残っています。これは勘平を「鼻の高いいい男」のつもりで演じろということだと言う説もありますが実はそうでは ありません。これは現在の音羽屋型の勘平の原型を作り上げたのが「鼻高幸四郎」と も言われた・やはり五代目幸四郎でありまして、これは「五代目幸四郎になったつもりで演じろ」という意味と解すべきであります。

「型」とは何であるか、これは一言では言い表せない微妙な問題を含んでいます。「役の性根」であると言うと完全にはぴったり来ませんが、もちろん間違いというわけではありません。「作品の解釈」だと言っても、当たらずとも遠からずだと思います。そのような概念を包括的に取り込んだようなものが歌舞伎における「型」だと思います。

それなら歌舞伎の「型」は西洋演劇における「演出」とあまり変わらないのではないかという意見も出てきそうです。表面的にはそうかも知れません。 西洋演劇の演出と異なるのは、むしろその精神的な部分においてのように思います。それは眉に黒子を入れて五代目幸四郎にあやかろうとする・先人の芸に少しでも近づきたいと願う後輩たちの、その「憧れ」・その「気持ち」です。

「歌舞伎の見方講座:第1講」において、歌舞伎や文楽など伝統芸能を考える時に、「昔はもっと良かった・昔はもっと凄いものがあった」と信じることは非常に大切なことであると書きました。見たことのない昔の役者、話でしか知らないあの名優、あの伝説の役者の芸とはどんなものだったのか、その舞台はどれほどに素晴らしかったのか、それを想像し夢みて憧れる、あの役者の域に少しでも近づきたい、その芸の秘密を知りたい・・・こういう気持ちこそが伝統を考え・受け継ぐ者を純化するのです。その気持ちこそが、「型」の原点だと思います。郡司正勝先生がこんなことを仰っています。

「皮肉を言うと、天才だけだったら残らないんです。天才をなぞって、これが菊五郎の型でございますと。そうすると自分は何だか菊五郎と同じことをやっているような錯覚を起こす。六代目はこうやりましたと。これが金科玉条になる。だから伝承というものは高度な天才では伝承できない。それは通り過ぎていった箒星みたいなものだよね。」(郡司正勝インタビュー:「刪定集と郡司学」:「歌舞伎〜研究と批評・第11号」)

もちろん菊五郎と同じことをやっていれば菊五郎になれるというものではありません。しかし、どこかに取っ掛かりはあるのでしょう。演じているうちに「菊五郎はこう考えていたのか・こう感じていたのか」と気が付く時が来るのかも知れません。そうやって、先人の型をなぞっているうちに役者は何かをつかんでいくのでしょう。

もちろん郡司先生の仰るような皮肉な面も「歌舞伎の型」にはあります。それは観客にも多いに責任があることかも知れません。例えば、実悪の名人・五代目幸四郎が得意とする仁木弾正があまりにも素晴らしくて、他の誰が演じても仁木に見えなくなってしまう。それでも「やっぱり仁木は高麗屋が最高だね」などと言っているうちはまだいいのです。そのうち、他の役者たちに高麗屋通りに演じないと仁木だと言われない、という無言のプレッシャーがかかり始める。そういうことが実際にあるかも知れません。

あまりに強烈な個性が登場した時にはしばしばそういうことが起きます。クラシック音楽で言えば、カルーソーであるとか・ホロヴィッツ、カラスなどという偉大な芸術家たち。彼らはそれまでの演奏スタイルを一変させたと言ってもいいほどです。その強烈な個性で周囲の人々を魅了し、巻き込んでいきます。しかし、「ホロヴィッツの再来」・「カラスの後継者」などという宣伝文句によって、イメージを押し付けられて苦しみ・つぶれていった後進は数知れません。

観客というのはある意味で残酷なものです。しばしばパターン化した既成のイメージを押し付け、役者に「期待」します。そして、期待を裏切った時には観客というのは容赦がありません。そういう場合には「先代通りに演じております」というのが、ある種の「箔」にもなり観客にも安心感を与えるのかも知れません。

しかし 伝承芸能である歌舞伎の場合には、もちろん「型」というものの積極的な意味を知らなければなりません。通り過ぎて行った箒星の光跡が残像になって周囲の役者たちや観客の心のなかにいつまでも残ります。箒星の光の残像が、遠い過去の名優の記憶とその憧れを呼び起こすのです。


2)教わった通りに演じるということ

歌舞伎役者の約束事として「他人から型を教わった時には必ずその通りの型で演じること」というのがあるそうです。 自分の工夫を付けるのは二回目から。まず最初は教わった通りに演じよ、というのです。

違う個性が演じることですから、教えてもらってから「これは具合が良くないな」と感じることも実際にはあるかも知れません。しかし、そこで「ここはやりにくいから少しいじっちゃおう」とか「 納得できないからここはやっぱりヤメた」とかしてはならない、というわけです。これは教えてもらった人に対する礼儀・型を遺してくれた先人に対する礼儀ということもあるでしょうが、「まずは文句を言わずにお手本を通りになぞってみること」、これが大事だということを言っているようです。

これも「歌舞伎の見方講座:第1講」に書きましたが、型とか口伝というものは「この役はこういう風に演じなければならない・こういう声で演じないとこの役にならない」というものを示しています。そういうものを教わった時に、「どうしてそんなやり方でやらなきゃならないんだ、俺はもっと効果の上がるやり方ができるよ」 とか、「俺にはもっとふさわしいやり方があるはずだ」とか思っていると、ついに歌舞伎にならなくて終わってしまうのです。

不思議なことですが、歌舞伎というのはそういうものであるようです。なかなか出来なくて苦労しても、「ここはこうでなければならない」という言葉、型とか口伝といわれるものを信じてひたすらついて来る、その姿勢があれば必ず歌舞伎になるということなのです。

いつのことでしたか、八代目幸四郎(初代白鸚)が「歌舞伎役者が演じれば、それはみな歌舞伎です」と言ったそうです。この発言は世間には正しく受け取られていないようですが、子供の頃から役者の世界に育って歌舞伎の口伝・約束事が体に染み付いている幸四郎にしてみれば至極当然の発言だったのだろうと思います。こうすればその役に見える、 こうすれば歌舞伎になるという演技術を、ひとすらに信じて体のなかに浸透させていくのが、型を学んでいく課程なのです。そうやって一人前の歌舞伎役者が出来上がっていくので す。

なぜ「教わった通りに演じよ」というのでしょうか。偉大な天才が生み出した型をまったくその通りに演じたとしたら、個性も風貌も違う凡人が演じることですから、うまくはま る方がむしろ少ないのかも知れません。どこかに具合の悪いところが生じるかも知れません。しかし、それでもあきらめずに同じように型をなぞらなければなりません。

どうしてこんな型ができたのか、と疑問に感じることも出てくるかも知れません。しかし、それでも無心で型をなぞっているうちに、先人はこんなことを考えていたのかなあ、と何となく感じることもあるでしょう。 しかし大事なのは、「ひたすらに信じてついて行く」ことだと思います。

「型をなぞる」ということは、いわば自分の個性に箍(たが)をはめることだと思います。言い換えれば、表現の制約です。これは西洋的な考え方からすると信じられないことかも知れません。それぞれの個性を大事にして、そのなかで自分に合ったやり方を追求していくという考え方からすれば、まったく正反対の行き方だと思います。しかし、これこそが伝統芸能を守る道だと思います。

自分の表現意欲を「偉大な類型」のなかに押し込める、これは役者にとってつらいことだと思います。意欲のある役者なら誰だってその個性の違い・あるいは限界を感じて悩むことでしょう。しかし、そのなかで自分の表現意欲を目一杯はちきれるまで膨らませる、許されるまでイメージを広げる、そうすることで起こる内的緊張が、「型をなぞる」という行為を別の次元に引き上げるのだろうと思います。凡人が型通りにやって・型を超える瞬間があるのだろうと思います。

その瞬間に観客の目に偉大な先人の面影・こころが舞台にありありと蘇るのです。勘三郎・松緑の「鮓屋」の舞台を見ながらそこに見たことのない六代目菊五郎の面影を偲ぶばかりでなく、さらにはるか昔の三代目菊五郎やら五代目幸四郎の面影を偲ぶことも可能なのです。 六代目歌右衛門の「道成寺」の舞台を見ながら先代五代目歌右衛門の「こころ」を思うだけでなく、はすか昔の初代富十郎の「こころ」を思うことも可能なのです。これこそが伝統芸能である歌舞伎だけに許されるものだと思います。

伝統芸能はそういう過程を経て、まるで地面にホコリが降り積もってそれが地層になっていくように、偉大な個性・経験がゆっくりゆっくりと降り積もって蓄積されていくものなのでしょう。それが「型」というものだと思います。

伝統芸能である歌舞伎の役柄を演じるということは、そのキャラクターを演者がどう演じるかなどという現実的な問題を超えている行為なのです。先人の「こころ」の集積を演じるということ だと思います。

(H14・9・1)



 

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