(TOP)               (戻る)

吉之助の音楽ノート

ヴェルディ:歌劇「ファルスタッフ」


『どう?やってますか?ありそうもないことですが、私も始めてます。楽しくフーガを書いていますよ。そう、フーガ。つまり「ファルスタッフ」にぴったりのブッフォ・フーガをね。ブッフォフーガ?何でブッフォが付くかって?それは私にも分かりません。 とにかくブッフォ・フーガなんです!なぜこれを思いついたかは、今後の手紙でそっと教えてあげましょう。』(ジュゼッペ・ヴェルディからアリゴ・ボイートへの手紙:1889年8月18日付)

歌劇「ファルスタッフ」(初演は1893年2月・ミラノ)作曲中のヴェルディ(89年当時76歳)が歌詞作家ボイートに書き送った手紙の一部です。老ヴェルディが浮き浮きしながら作曲のペンを取っている様子が伺われます。歌劇「ファルスタッフ」第3幕フィナーレをブッフォ・フーガ「 すべてこの世は冗談」の全員の合唱で締めるアイデアはヴェルディが案出したもので、ヴェルディは自分のアイデアがとても気に入っていたようです。

*上は最晩年のヴェルディが書き残したメモ:フーガ・すべてこの世は冗談・ヴェルディ

『すべてこの世は冗談。人は道化の生まれつき、いつだって頭のなかでは理屈をこねる。誰もかれもが道化なんだ!そしておたがい、あざけり笑いあう。でも、最後に笑う者こそ、本当に笑っているんだ。』(歌劇「ファルスタッフ」の幕切れの合唱)

「ファルスタッフ」の舞台では・舞台上のドタバタと筋のほぐれを一気に収束つけるのに・このブッフォ・フーガがとても見事な効果を挙げています。普通の芝居であれば登場人物の誰かが怒り出したり・悲嘆にくれそうで・観客が登場人物に同情したりして・それらが余韻になって残ってしまうものですが、ブッフォ・フーガはそうしたものすべてを「さあて・一体それがどうしました?」という感じで一気にひっくり返してしまうのです。芝居ではなかなかこうは行きません。これは音楽ならではの効果なのです。

「ファルスタッフ」の歌詞原稿を読んだエレオノーラ・ドゥーゼは「何て悲しい喜劇なんでしょう」と感想を漏らしたそうです。サラ・ベルナールと並ぶ当時最高の女優がそう感じたということはとても大事なことですが、しかし、ドゥーゼの感想はヴェルデイの音楽を聴いてのものではないことに注意をしたいと思います。喜劇を見ながら「みんなは笑っているけれど・私達は泣くべきなのです」と感じるのは とても浪漫的な感性です。 確かに第2幕第1場の「行け、老練なジョン、行け、汝の道を行け、このお前の年経た肉はまだお前に甘き夢を与えてくれる」というファルスタッフの歌にはそこはかとなく哀愁が漂っていま すし、最後の幕でも怒り出したり・恥で身を震わせそうな人物がいないわけではないようです(浪漫的な感性からするとそう見えるのです)が、そういうのが舞台では全て最後のブッフォ・フーガでチャラにされていると思います。それがヴェルディの狙いであったのです。実際「ファルスタッフ」の舞台を見終わると「すべての柵から開放されて・老巨匠の精神は何と自由なのであろうか」と心底感動してしまいます。

ヴェルデイはそれまで悲劇は書けても・喜劇が書けない作曲家だとずっと言われていました。ヴェルディはこの評判をとても気にしていましたが、依頼主や劇場との関係もあって・なかなか喜劇に着手する機会に恵まれませんでした。またその間のヴェルデイの人生には人に言えない悩み・苦しみもあったようです。老ヴェルデイが世間の柵を振り捨てて・自分の心底書きたい題材に取り組んだのが最後の作品である「ファルフタッフ」でした。

『あなた(ヴェルデイ)は生涯にわたって、オペラ・コミカのための魅力あふれるテーマを捜し求めてきました、あなたの頭に芸術的で高度なユーモアの才能が生き続けていたことが、その何よりの証拠でしょう。本能は良き助言者です。「オテロ」以上の出来で終えるためには、方法はただひとつ。「ファルスタッフ」による栄光に満ちた幕切れ以外にありません。人間の心にある叫びと嘆きを描き出してきたあなたが、あなたの舞台人生をとてつもない笑いの爆発で終えるのです。すべてがひっくり返されることでしょう。』(ボイートからヴェルデイへの手紙・1889年7月9日)

ところで別稿「道化としての鶴屋南北」の冒頭において・吉之助は「ファルスタッフ」のブッフォ・フーガの歌詞を掲げました。南北が立作者になったのは48歳の時で・これは 狂言作者の経歴からすると異例に遅いことでした。四代目南北を襲名したのは文化8年(1811)57歳の時で・さらに9年が経っています。芝居の世界で人に言えない苦労を南北はしてきたようです。南北の葬式の時に配られた戯文「寂光門松後万歳(しでのかどまつごまんざい)」を見ますと、ここにヴェルディと同じような気分があると思います。


(吉之助の好きな演奏)

歌劇「ファルスタッフ」に優れた演奏はいくつもありますが、ここではふたつの録音を挙げておきます。ひとつは・1893年のミラノ・スカラ座の初演にも楽団員のひとりとして参加したトスカニーニの録音(1950年RCA録音・NBC交響楽団、ファルスタッフは名歌手ジュゼッペ・ヴァルデンゴ)と、これも名歌手ジュゼッペ・タデイを起用したカラヤンの1980年フィリップス録音(ウィーン・フィル)を 挙げておきます。カラヤンの方はほぼ同じキャストの1982年ザルツブルク音楽祭の素敵な映像がDVDでも見られます。こちらは特にお奨めです。

*ヴェルディ:歌劇「ファルスタッフ」全曲 (1980年録音)
ジュゼッペ・タデイ(ファルスタッフ)、ライナ・カヴァイヴァンスカ(フォード夫人)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 


 

 

(TOP)              (戻る)