(TOP)          (戻る)

四代目鶴屋南北と現代

*本稿は、令和3年歌舞伎座の「桜姫東文章」・4月上の巻6月下の巻の観劇随想の関連記事です。


1)令和の「桜姫」のこと

先日・4月と6月に上下に分けて上演された南北の「桜姫東文章」は、玉三郎(桜姫)と仁左衛門(清玄/権助二役)の組み合わせで、実に36年振りに昭和の伝説の舞台が再現されて、大いに話題となりました。舞台については観劇随想(上の巻下の巻)で書き尽くしたつもりですが、本稿ではちょっと別視点から今回の「桜姫」上演に絡み雑談風に綴ってみたいと思うわけです。結果として観劇随想の補足にもなると思います。

玉三郎による「桜姫」上演は、戦後昭和歌舞伎のエポック・メイキングな事件でした。吉之助が初めて「桜姫」を見たのは昭和53年(1978)10月新橋演舞場のことですが、この舞台はその後の吉之助が歌舞伎にのめり込むきっかけとなったものでした。だから玉三郎の「桜姫」は、吉之助にとっても思い出深く大事な演目です。(このことについては、本サイトでも何度か書いたので、これ以上は改めて書きません。)「桜姫」を初めて見る方々・昭和の上演を体験できなかった方々にとっても、今回(令和3年)の「桜姫」上演はホントに得難い機会となったと思います。

今回上演の意義を認めたうえで書きますが、今回上演で気になったことが、ひとつあります。4月(上の巻)上演の時(特に「桜谷草庵」の場面においてですが)には、客席にワクワク感が立ち込めていました。「私は今凄いものを見ている」という興奮というか・高揚感が劇場全体を覆っているようでした。もちろん現在はコロナ対策で声を出すのは禁止ですから静かなのだけれど、あれは不思議なものですねえ、みんなが息を呑んで舞台を見詰めている熱い緊張が伝わって来るのです。こういう雰囲気は、歌舞伎座でも久しく感じなかったものでした。ところが6月(下の巻)上演の時には、観客が「アレ?この展開は何なの?」と戸惑っていると云うか、筋の展開に付いて行けなくて「困惑している」もどかしさが漂っているようでした。この雰囲気が最後まで消えませんでした。ネットでも同様の感想をいくつか目にしましたから、これは吉之助だけが感じたことではなかったようです。

普通に考えれば、南北らしい筋の奇矯さとか猥雑さは、上の巻よりも下の巻の方によく出ていて、芝居はずっと面白いはずです。桜姫についても、綺麗綺麗で済むお姫様よりも、悪婆の風鈴お姫の、お姫言葉と女郎言葉のチャンポンの方が面白いので、玉三郎の芸の見せ場は、下の巻の方にあるのです。だから「上の巻も面白かったけど・下の巻はますます面白い」となるのが普通だと思うのです。けれども今回上演では、下の巻(6月)は何となくシラーッとした雰囲気が漂っていました。但し書き付けますが、これとは関係なく、舞台の出来は素晴らしいものでした。それだけに批評家としては、下の巻(6月)での、観客のとまどったような反応が余計に気になりました。これはどう云うところから来るものでしょうか。

「南北の芝居に、現代(令和)の観客には受け入れ難いところがあるのかも?」と云うことも一応考えておかねばなりませんが、吉之助には、あの衝撃的であった昭和の「桜姫」と・令和の「桜姫」との間に、何かが変化したと感じるのです。それは役者の問題と・観客サイドの問題と、ふたつあります。40年の歳月の間に、玉三郎や仁左衛門の芸も変わったし、観客の嗜好も変わったと思います。吉之助自身も変わったでしょう。もちろん変わったことが良いことか・悪いことか・そういう問題もありますが、歳月を経れば何かが変わるものです。いずれにせよ・そう云うことも含めて相互関係のなかで、今回(令和3年)「桜姫」上演では、上の巻は熱狂的に歓迎されたけれど・下の巻はいまいちそこまで受けず・或る種のもどかしさが残った(ようだ)。このことは、やはり結果として気に留めて置かねばならぬと思うのです。(この稿つづく)

(R3・7・3)


2)連関性の喪失

今回(令和3年)「桜姫」上演では、上の巻(4月)は熱狂的に歓迎されたけれど、下の巻(6月)の方はいまいちそこまで受けず、観客に一抹の割り切れなさが残ったようでした。吉之助の下の巻の観劇随想で、その考えられる幾つかの要因について触れました。まずひとつは上演形態の問題で、上の巻・下の巻という上演形態は玉三郎と仁左衛門の体力的問題と・コロナ事情があるから致し方ないことでしたが、やはり無理があったということです。つまり一つの尺として見た時、下の巻だけだと正しい芝居の間尺にならない。正しい始まりがなければ・正しい終わりはないと云うことです。まあこういうことは実際やってみて初めて分かるようなものですが、もうひとつは役者サイドの問題で、年季を経て芸が練れて来たと云うことでもあるのだが、役者に七五で割る「歌舞伎らしさ」の感覚が身に付いてしまっているから、どうしても芝居が重ったるく幕末歌舞伎めいた感触になってしまうと云うことです。

もちろん印象に強く残った場面もありました。岩淵庵室幕切れ・花道上での桜姫の「毒喰わば・・」の叫びは、強烈な生々しさでした。山の宿で酔っぱらった夫権助の酒の相手をしながら・権助が犯した悪事を聞き出す件りでの、桜姫のシリアスなタッチは、なかなかのものでした。これらはまさに現在71歳の玉三郎ならではの、濃厚な重さを持つ桜姫でした。しかし、これが「南北的」な感触であったかと云うことになると、そこは疑問です。いささか重きに過ぎるように思われます。吉之助が記憶する昭和の「桜姫」と比較して感触が重い。南北的と云うよりも、多分、これは「演劇的」な感触なのだろうと思います。演劇的と云う意味は、権助の悪事を聞き出した後、桜姫が我が子を殺し・我が夫を殺す、その結末へ向けて論理的必然を踏もうとしていると云う意味において演劇的なのです。

ただし、今回これで観客を納得させることが出来たかと云うと、十分ではなかったと思います。理屈で納得が出来ても、感情で納得させてもらえないからです。それは「桜姫」のこの場面に、理屈と感情との間に関連性が欠如しているからです。南北では、両者は乖離しているのではなく、最初から関連性がないのです。(この点が本稿の以後のところで重要なポイントになるので、気に留めておいてください。南北的であるとはそう云うことなのだとご理解を願いたい。)それなのに論理的必然を重くしようとするものだから具合が悪くなります。

桜姫が桜姫が我が子を殺し・我が夫(権助)を殺し・平然と元の吉田家のお姫様に戻るという結末について、「桜姫」を初めて見た人には、唖然とした方が少なくないと思います。この桜姫の決断は、非人間的で・女性として理解出来ないと憤る方もこれまた多いと思います。或いは、このような「重い決断」をするからには、桜姫の選択は深刻かつ厳粛な重いものでなければならぬと考える方も当然いらっしゃるでしょう。前世からの暗い輪廻の縛りと・現世の冷酷な社会制度の縛りにがんじからめにされて、社会的身分を捨てて自由な恋に生きようとした桜姫の願いは、これによって崩れ去ったという見方も出来るかも知れませんねえ。そのようなご感想も、直接的には、今回の玉三郎の桜姫がまさに「演劇的な重さ」を背負っているところから引き出されるものです。

しかし、そういう見方は南北的な感触とはちょっと異なるものではないでしょうかね。そこで南北の重さではなく、南北の「軽さ」のことを考えなければならなくなるのです。(この稿つづく)

(R3・7・4)


3)文化文政という時代

文化文政期が江戸町民文化が花開いた時期であることは、今更申すまでもありません。この時期は、江戸歌舞伎の方も名優が目白押しで、実際凄い時代でありました。役者は現代で云う「俳優」ということではなく、「職人」という意識が徹底していました。郡司正勝先生がこんなことを語っています。

『文化文政期は、職人芸というものが上昇した時代だったと思います。錦絵にしたって絵描きよりも彫師や摺師の方が腕が上がって来た。だからあれほど発行されたし、見事な版画技術が頂点に達した。絵描きだけであんなに錦絵は発達しない。役者絵がブロマイド化して、錦絵の影響を役者ばかりでなく、作者(南北)も強く受けたと思いますが、舞台も作風も絵画的になった時代です。それは技術が、職人芸として上昇した時代だったということが大きい。浮世絵師だって、国芳みたいなのは西洋の版画でも何でも取り込んで行くと云う広い精神があの職人芸で、ただ古い伝統技術を守って行くのが職人ではない。職人なら何でも出来なければならんと云う根性が、職人芸なのだと云う意味で。』(郡司正勝:広末保との対談:「近松と南北の意味するもの」・昭和46年7月)

ここで郡司先生は「職人芸」ということを言っています。例えば歌舞伎では「趣向」が大事だとよく言います(南北物においては特にそうです)けれど、趣向と云うと、これを小手先の・職人のその場の思い付きみたいに受け取る方が現代では少なくないと思います。しかし、趣向が極度に洗練されて、趣向それ自体が世界を表徴する様相を呈したのが、文化文政期の特質なのです。

また郡司先生が文化文政期の歌舞伎が「絵画的」だと言っているのも大事なことです。舞台面が絵面として綺麗だと言う意味ではありません。絵画というものは、平面に描くものです。つまり遠近法を用いて立体的に見せていたとしても所詮それは嘘です。つまり絵画的なものの本質とは、「立体性を欠く」ということです。翻って演劇的に立体性を失ったものと云うと、それは例えば或る役において・その人物の深みを欠くような場合、性格描写に境遇・生い立ちなどの裏付けを欠くような場合を指します。つまり連関性を欠くということです。同じ対談で郡司先生は、こんなことも言っています。

『南北の生世話では、時代と世話とが、すごくくっきりと出てくるのです。時代と世話が綯い交ぜになると云うのは、うやむやになったということではなくて、むしろどっちとも違った、ふたつの要素の違和感がはっきりして来る。』(郡司正勝:広末保との対談:「近松と南北の意味するもの」・昭和46年7月)

このことは「桜姫・山の宿」で風鈴お姫がお姫言葉(時代)と女郎言葉(世話)をチャンポンに使い分けるところに典型的に出ますが、この長台詞を一人の人物の一貫した性根から生じる言葉としてしまうと、どうにも居心地が良くありません。時代と世話は明確に仕分けられなければなりません。この長台詞についてはサイトで何度か取り上げたので別稿「四代目雀右衛門の桜姫」をご参照いただくとして、本稿では別の箇所・「桜谷草庵」で周囲に誰もいなくなると桜姫が態度を一変させて権助にしなだれかかる場面を見ることにします。

『イイヤ其方(そち)は去なされぬ。マア待ちや。・・・サア用がある程に、ちゃっとここへ。・・・苦しうない、ここへおじゃ。ハテ大事ないわいの。・・・何をマアその様に。サアどうぞ云うて聞かせてたも。・・・隠してたもんな。其方の身のうえ。・・・』

台詞の流れは姫言葉であって、ここにバラ描きの言葉は出て来ません。それではこの台詞は、姫の性根で発声すべきでしょうか。4月・上の巻の玉三郎は、桜姫が姫の建前(慎み)を捨てて本音(恋心)をさらけ出し、しかしそう言いつつも恥じらいが募るという感じで、さらに遅いテンポでねっとり濃厚に、この台詞をしゃべっておりましたね。姫の性根を基本にして重ったるい大時代の感触でした。まあそう云う解釈もあろうかと思います。姫の性根で一貫させようとすればこうなります。

しかし、この瞬間、桜姫(=白菊丸)の業(ごう)が桜姫の人格を乗っ取り・桜姫を操り始めたと考えるならば、まったく別のやり方が考えられます。つまり、口調自体をガラリと変えるのです。しゃべっている台詞は姫言葉だけれども、しゃべっているのは他者(桜姫ではない他のもの)であるからです。役の性根と、しゃべる言葉の間に連関性がないのです。このような状況の違和感・乖離感覚を際立たせる為の最もシンプルな手法は、姫言葉(普通は時代にゆっくりとしゃべるものです)を早いテンポでサラサラ世話口調でしゃべるやり方です。こうすれば「早く、少しでも早く、今すぐここで・・」と云う急いた気分も表出できます。これが南北的な様式だと云うことです。(この稿つづく)

(R3・7・7)


4)テレビ時代の南北

1932年にスイスの哲学者マックス・ピカートがドイツを旅行した時、「どうしてヒトラーがこんなに有名になり、多くの支持者を獲得することが出来たのだろう」と或る人がピカートに聞いたそうです。ピカートはたまたま机の上にあった新聞を手に取り、「どうぞ、これを見てください」と答えました。第1面にはほとんど全裸の踊り子の挿画、第2面には機関銃操作の訓練を受ける兵士の写真、その下には実験室にいる研究者の写真、第3面には19世紀末から今日に至る自転車の発達が挿画で示され、その下には中国の詩が印刷されている…第四面には工場で体操する行員たちの写真、そしてその横には避暑地でバカンスを愉しむ某衆議院議員の写真・・・。

『現代人が外界の事物を受け取るやり方は、こうなのです。現代人はあらゆるものを、何の連関もない錯乱状態のままで、手当たりしだいにかき集めて来るのですが、それは、現代人の心のなかも一種の支離滅裂な混乱状態を呈していることの証拠にほかなりません。現代人は外界の諸事物に対しても、もはや確乎たる事実としてのそれに向かい合っているわけではなく、従ってもろもろの事物も、もはや一個限りの独自のものとして人間の眼に映ずることもなくなっています。また現代人はもはや一つの特別な行為を通じて個々の事物に近づくこともしないのです。(中略)したがって、何が我が身に振りかかりつつあるかは一向に吟味されない。このような連関性のない錯乱状態のなかには、どんなことでも、またどんな人物でも容易に紛れ込むことができるのは言うまでもありません。どうしてヒトラーだけが紛れ込まないことがありましょうか。』(マックス・ピカート:「われわれ自身のなかのヒトラー」・1946年)

ピカートが語ったことは1932年の話ですが、現代の状況は1932年よりずっと深刻な状況になっています。1932年当時には、テレビもインターネットも存在しませんでした。

テレビの時代(とりあえず戦後昭和の1970年代を想定)を考えます。テレビはお茶の間に入り込んで、日常生活に、それがこちら受け手にとって大事か・関心があるか・そうでないかに関係なく、一方的に情報を脈路なく垂れ流し続けます。そこから浮かび上がる世界は、モザイク的な模様を呈します。1932年ピカートの時代と比べて、テレビの時代は情報が飛躍的に増大し混乱度合いはさらに酷くなっています。しかし、量的な変化はあるけれど、質的にさほどの変化はないと考えて良さそうです。

そこで1970年代の第二次南北再評価ブームのことを振り返ってみます。吉之助も最後の方にどうやら間に合いましたから、この時代はよく覚えています。テレビの時代に南北ブームが起こったことは、決して偶然ではありません。当時の我々は、「文化文政期の南北が戦後昭和の支離滅裂なモザイク感覚を先取りしていた」という新鮮な驚きを以て受け取ったのです。ここで前項で述べた南北の時代の芝居が「絵画的」であると云う郡司先生の指摘が深く関連して来ます。絵画的なものの本質とは、立体性を欠く・連関性を欠くということです。この南北の芝居は、まさにテレビの時代の世界の状況とよく似ています。

但し書きを付けますと、南北の芝居がどれもこれも凄いというわけでもないです。趣向それ自体が世界を表徴する様相を呈するような傑作はそう多くないかも知れません。しかし、少なくとも「盟三五大切」(文化8年9月江戸中村座)と「桜姫東文章」(文化13年3月江戸河原崎座)の2作に関しては、その域に達した傑作であると云えると思います。戯作者精神がバッチリ決まった作品だと云うことです。

昭和の玉三郎の「桜姫」については、サイトで何度も書いたので・詳しくはそちらをお読みいただきたいですが、「山の宿」の長台詞での、桜姫と風鈴お姫の人格は、一人の肉体に宿る二つの記号の交錯であると解釈できます。記号は交じり合うことはありません。入れ替わり・立ち替わり現れるだけで、そこに何の連関もないのです。「お姫様がこんな悲惨な境遇に陥って悲しくはないのか」、「どうして何食わぬ顔してお姫様に戻れるのか」などと考えて、そこに一貫した人格を描こうと考えると、面倒なことになります。局面々々の桜姫の心情は、すべてその時々の真実です。しかし、どの心情にも連関がないのです。ですから桜姫の場合には、技巧が技巧として浮き上がった方が良いのです。むしろ聖と俗の裂け目がはっきりと見えた方が宜しいのです。歌右衛門も雀右衛門も難儀したというこの役を、若き玉三郎は難なく演ってのけてしまいました。恐いもの知らずということもあったかも知れませんねえ。こういう役は考え過ぎると返って良くないのかも知れません。(この稿つづく)

(R3・7・10)


5)インターネット時代の南北

モザイクとは、欠片(ピース)がいっぱい集まることで、それらが全体でひとつの絵模様(世界)を創るものです。このモザイク模様からこの世界が乖離しているという感覚、連関性がなく支離滅裂だと云う感覚がどこから生じるかと云うと、それは欠片と欠片の境目・裂け目の感触から来ます。境目のザラザラした感触・違和感が、この世界はこのようなバラバラで連関のない状態に置かれていると云うリアルな実感を与えてくれました。だから境目はくっきりとして、裂け目がより鮮やかな方が良いわけです。このようなテレビの時代の欠片の質感は、「軽い」。あるいは「薄っぺらい」。前項で吉之助が、「桜姫の場合には、技巧が技巧として浮き上がった方が良い、むしろ聖と俗の裂け目がはっきりと見えた方が宜しい」と書いたのは、そこのところです。これが二十世紀初頭からここまで続いてきた現代世界の乖離感覚です。

一方、令和の現代(2020年代)はインターネットの時代が進行中ですが、状況はさらに複雑です。テレビ時代から見れば、量的な観点では連続しています(ただし情報量は急激に増加し続けています)が、むしろ質的な変化が著しい。欠片(ピース)があまりに細分化し過ぎて、もはや境目がはっきり見えて来ません。欠片の質感は、ますます軽く・薄っぺらになっています。このためテレビ時代のように境目のザラザラした感触で世界をリアルに実感することがもはや出来なくなってしまいました。世界は溶融の様相を呈して来ます。現実と非現実の区別が付きにくくなっているのです。これがインターネット時代の世界の乖離感覚です。

このようなインターネット時代の感覚であると、境目がくっきりと・裂け目が鮮やかなことが、むしろ嘘っぽく見えてくるのですねえ。つまりテレビ時代とは、見える様相が違って来るのです。昔はリアルに感じられたものが、何だか嘘っぽく・作り物っぽく見えて来るのです。だから昭和50年代の我々が「南北の状況は現代を先取りしていた」と共感したのとまったく同じドラマが、インターネットの時代には、何だか趣向を弄んだフェイクな芝居に見えて来るのです。ただしこれは見方が間違っているわけではなく・見る角度が違っているからそう見えるわけで、南北の別の一面を突いてはいるのです。しかし、それでドラマに共感できるかと云うと、多分、そうはならないでしょうねえ。

話しが変るようですが、吉之助は最近映画やテレビ・ドラマをほとんど見ませんが、チラと小耳に挟んだところでは、例えば主人公がタイムスリップして別の時代に放り込まれるとか、主人公と別の人物と心と身体が入れ替わってしまうとか、そう云う極端に非現実的な設定のドラマがこのところ増えているようです。そういう極端な設定をしないとドラマを動かせないのかねと脚本家の力量の低下を嘆くけれども、視点を変えると、これくらい極端でないと境目を感知出来ないということです。確かに現代は現実の確固たる手応え(リアリティ)を感じ取りにくい時代なのだろうと思います。

そう考えると、4月・桜姫・上の巻で高貴なお姫様と折助のミスマッチングな恋物語と云うところで観客が狂喜したのは、何となく分かる気がします。今風ドラマの感覚で見ているわけだな。一方、6月・桜姫・下の巻で、風鈴お姫がお姫言葉(時代)と女郎言葉(世話)をチャンポンに使い分けると場面で、拍子抜けするほど観客が反応しないのも、これも何となく分かる気がします。境目の感触が感じ取り難いのでしょうねえ。(これは令和の玉三郎が重ったるい感覚へ変化したことにも原因があります。ここを参照。)現代(インターネットの時代)は、南北にとっては、難しい時代になったようです。これからは、歌舞伎の他の場面においても、受け取りの微妙な変化が出てくるかも知れませんね。

(R3・7・13)





  (TOP)        
(戻る)