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ポゴレリッチの新録音:ラフマノノフ・ピアノ・ソナタ第2番〜その平面性


イーヴォ・ポゴレリッチが、1998年のショパンのバラード集(独グラモフォン)以来、実に21年振りにスタジオ録音(ソニー・クラシカル)を行い、それがロマン派の超絶技巧の難曲であるラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番だと云うことで、期待してCDを聴きました。ポゴレリッチは2000年頃に相次ぐ身内の死(妻と父親)が引き金になって(それと恐らく1999年3月・旧ユーゴスラビアでの内戦・いわゆるコソボ紛争も大きく影響したと思いますが)、神経的におかしくなって2年ほど演奏活動から退いた時期がありました。それまでもポゴレリッチは十分過ぎるほど個性的な演奏を聞かせて超ユニークな存在でしたが、復帰後は表現のデフォルメがますます強くなりました。全体のテンポが異様に遅くなって、かと思うと或る部分では遅れを取り戻そうとするの如く異様に速くなると云う具合で、楽譜の緩急・強弱の指定をまるで無視。当時の世評では「音楽的に壊れた」という言われ方さえされていました。(もっとも2016年辺りからは演奏スタイルが少しづつノーマルな方向に戻って来たように感じます。)ただし、吉之助はポゴレリッチの演奏は音楽が分解してバラバラになったと感じたことは一度もなく、逆にポゴレリッチの演奏に響きが凝集して旋律になろうとする強い意志(あるいは祈り)を感じるので、ポゴレリッチの演奏には教えられることが多くて、このところの来日公演は欠かさず聴いています。

ポゴレリッチの演奏は、聴きなれた曲でも「アレッこんな場面があったっけ」と驚くことが多く、吉之助はライヴ録音を聴く時に、引っかかった箇所で曲を止めて、他のピア二ストの普通の演奏(何を以て普通というのかは兎も角)で同じ箇所を確認することがよくあります。そうやってポゴレリッチがどこをどう変えたか確認してみると、改めてポゴレリッチが「変人ピアニスト」であることがよく分かります。しかし、その変えたところの説得力が凄いのです。と云うのは、その変えた箇所があまりに美しく、ずっと心に残るからです。なるほどポゴレリッチはそれでこの箇所を変えたのだと、えらく納得してしまいます。

それにしても吉之助は、クラシック音楽でも歌舞伎でも、ノイエ・ザッハリッヒカイト(新即物主義)が好みの人間であって・つまり原典主義が基本の考え方であるので、この立場からするとポゴレリッチは大嫌いなピアニストのはずなのだけれど、どうして吉之助はポゴレリッチが贔屓であるのか、時々自分でも不思議に思うことがありますが、恐らくそれはポゴレリッチが曲を感性で行き当たりばったりにいじくっているのではなく、彼がそれを論理的に行っていることと思うからです。つまりポゴレリッチのなかに完全な「必然」があることを認めるからです。

ポゴレリッチの「論理性」と云うことを、今回のラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番の新録音でも、とても強く感じます。吉之助は演奏会でポゴレリッチの同曲を聴いたことがあります(2016年来日時)が、この時は何だか彼はまだ曲を掴み切れていないような印象を受けました。もっとも2016年の時点では吉之助もこの曲の魅力がいまひとつ分かっていなかったと思います。今回のスタジオ録音では冒頭から響きが迫って来て、ポゴレリッチが確信を以て弾いていることがよく分かりました。ポゴレリッチが弾く今回の録音はまったく違う曲を聴くようで、目が覚めるような衝撃を受けました。吉之助が感じたのは、何だかGoogleマップを見ているような奇妙に視覚的な印象でした。

これについては十分説明しないとご理解をいただけないと思います。例えば吉之助は旅行で新幹線に乗って車窓から見える高い山や川や目立つ建物を見た時に、「あれは何かな?」と思ってスマホのGoogleマップでこれを確認することが良くあるのです。そうすると現在位置を示す青丸は、新幹線が高速移動中なので、ゆっくり地図上を移動していきます。これを起点にして地図を見ると、あれは〇〇山・〇〇川、或いは学校とか工場とか何かの建物だとすぐ分かるので、これをとても重宝しています。ところで新幹線は高速で移動していますから、車窓から見る景色は刻々変わって行くわけです。右手に見える〇〇山もどんどん景色が移動していきます。建物もどんどんアングルが変化します。手前にある木々や建物などで対象物が隠されたり、また見えたりもします。そしてやがて視界から消え去って行きます。しかし、Googleマップで対象物を追うと、意識上は距離の近い遠いが喪失してしまいます。それは消えたり・現れたりしません。現在位置を示す青丸との相対的な位置関係は変化しても、ずっと存在が見えているのです。意識上は形も変化しません。意識のなかでは、それは正面を向いた最も良い形で、ずっとそこに在るのです。Googleマップを見ていると、そんな歪(いびつ)な空間感覚に襲われることがあります。(この感覚は現実世界を見る時に良くも悪くも大きな影響を及ぼすと思います。)

ポゴレリッチが弾くラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番の録音を聴くと、意識がそれと似た状態に置かれるようです。実際場面では楽譜の指定通りに弾いても、楽器の特性やホールの反響の具合やいろいろな制約から、或る音が小さくなってしまったり・他の音にかき消されたりして、埋もれて聞こえなくなることがあるものです。一方、ポゴレリッチはともすれば埋もれてしまう音符を楽譜の指定を無視して意識的に強調して弾いたりします。あるいは楽譜の指定を無視して極端な緩急・休止によって、旋律のラインの様相をまるで変えてしまいます。すると響きの中から異様なものが浮かび上がります。ポゴレリッチのタッチは粒が揃って響きが明確で、そこに曖昧な感覚がまったくありません。現れた曲想は、楽譜にある音符がすべて自らの役割を主張するかのようにシャープなイメージで聞こえます。このため響きの空間感覚がまったく変わって、音の遠近感覚が喪失し、吉之助はGoogleマップを見ながら曲を視覚的に見るかのような歪な感覚に襲われます。もっともこれはスタジオ録音ですから、或る程度ミキシングに拠る効果もあると思います。演奏会場での生演奏で、ここまでの効果を出すことは難しいかも知れません。

この感覚を「平面性」と呼んでしまうと、ポゴレリッチの演奏が何だかのっぺりと起伏がないと受け取られる嫌いがあると思いますが、もちろんそういう意味ではありません。しかし、この歪(いびつ)な空間感覚は、楽譜をGoogleマップで読むかのような感覚に似て、吉之助はこれを「平面性」と呼びたいのです。何でもかんでも歌舞伎にこじつけるつもりはありませんが、これは吉之助が歌舞伎の批評家だからそうなるわけだけれど、これは別稿「歌舞伎の舞台はなぜ平面的なのか」に通じる感覚かも知れません。吉之助がポゴレリッチを贔屓にするのは、多分そのせいなのですね。

ポゴレリッチ:ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ第2番(ソニー・クラシカル)
録音時期と場所:2018年6月、オーストリア、ライディング、リスト・ホール

(R2・1・21)





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