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破滅のパラダイム
〜歌舞伎の女形の「実のなさ」について

*本稿は「吉之助の音楽ノート・マスネ:歌劇「マノン」としてもお読みいただけます。


)破滅への予感

本年(2007年)4月29日にダニエル・バレンボイムがベルリン国立歌劇場において、マスネの歌劇「マノン」を新演出で上演して・テレビ中継もされて大きな話題を呼びました。このところバレンボイムは社会性のあるテーマを意識して取り上げていますから、この「マノン」のヴィンセント・パターソンの演出もその線で 練られたものです。歌手もマノンにアンナ・ネトレプコ、騎士デ・グリューにローランド・ヴィラゾンという話題の組み合わせです。ネトレプコは出演する舞台の切符が争奪戦になってたちまち売り切れるという 今超人気の美人歌手です。第3幕での愛の二重唱もなかなか情熱的で素晴らしく・楽しめる上演となりました。

歌劇「マノン」:2007年ベルリン国立歌劇場、ヴィンセント・パターソン演出、アンナ・ネトレプコのマノン)

このオペラの原作はプレヴォーの小説「マノン・レスコー」ですが、文学・オペラの世界ではマノンはカルメンなどと並んで「ファム・ファタール( 男を破滅させる宿命の女)」の代表的なキャラクターとされています。小悪魔的な魅力を持っており ・その性格は享楽的・刹那的であり、その性的な魅力で男に寄生して・その男が破滅すると・次から次へと男を替えて渡り歩くという女です。 しかし、今回の上演ビデオを見ますと、序幕でのマノンはパリの都会に出てきたばかりの田舎娘で・清楚な女学生風であり、それが幕を重ねると都会の楽しみを知って・次第にケバくなって・娼婦のようになっていくように描かれています。パターソンの演出は 、時代設定を1950年代頃に置いて・こうしたマノンの変化をネトレプコの旬の魅力で視覚的に楽しませてくれました。マノンは自分の願望に素直なだけの世間知らずな娘であって、それが消費社会の享楽的な生活のなかで次第に心を侵されていく女性の悲劇として描かれています。プレヴォーの原作ですと「慎ましい生活と祈りの心を忘れて・自分の楽しみ だけを追い求める女はこうして破滅するのだ」という教訓的メッセージとして読めなくもないですが、マスネの歌劇「マノン」はヒロインに同情的で「彼女は多分ちょっと間違っただけなのだよ」という感じにも思えます。そこにマノンに道を踏み外させたものの存在(つまり贅沢と消費だけを追い求める実質のない社会)が意識されています。

ところでデュマ・フィスの小説「椿姫」には主人公マルグリットがプレヴォーの本を読んで思いにふける場面があって、マルグリットがマノンに自分の行く末を重ねていることが分かります。高級娼婦である自分は絶対に幸せにはなれないという予感がそこにあるのです。マルグリットが愛する男のもとを去るのは世間体を気にする彼の父親の懇願もあるのですが、実はそれ以上に娼婦である自分に「こんな幸せはふさわしくない」と言う破滅への予感が彼女のなかにあるからなのです。フィスの小説をオペラ化したヴェルディがそのオペラの題名を「椿姫」とせず に「ラ・トラヴィアータ(道を踏み外した女)」としたのは、そうした破滅型ヒロインの系譜が文学・オペラにあるわけです。

(H19・5・11)


2)19世紀の文学・オペラに描かれた女性

19世紀の文学・オペラには女性を主人公としたものが多く見られます。例えばモーパッサンの「女の一生」・ゾラの「ナナ」であるとか、イプセンの戯曲「人形の家」など もそうです。女性の生活・心理を正面から見据えたものですが、その多くが悲劇的な暗い色合いを帯びています。特にオペラの場合はそれが多いようです。ムラデン・ドラーは18世紀(つまりフランス革命以前)のオペラは基本的にハッピー・エンドが多いのに対して、19世紀のオペラは壮大な破滅のパラダイムであるとして次のように述べています。

『ディ-ヴァは火中に身を投じ(「ノルマ」・「神々の黄昏」・「ホヴァンシチナ」)、子供は火のなかに投げ込まれる(「トロヴァトーレ」)、また、ディーヴァは刺され(「リゴレット」・「カルメン」)、絞殺され(「オテロ」)、生き埋めにされ(「アイーダ」)、自殺し(「マダム・バタフライ」)、城から身を投げ(「トスカ」)、結核で身を落とし(「椿姫」・「ラ・ボエーム」)、愛で死ぬ(・・・・・)。(中略)破滅というルールは絶大な力を持っている。オペラを見に行くことは、むしろ、まやかしの喜びから涙や絶望へという行程を進むことなのである。そして良質の涙をもたらす力こそが、良質のオペラのトレード・マークとなるのだ。』(ムラデン・ドラー:「音楽が愛の糧であるならば」、スラヴォイ・ジジェクとの共著「オペラは二度死ぬ」に所収、青土社)

ここでドラーはディーヴァ(歌姫、オペラのヒロイン)に対する扱いのことを言っています。ディーヴァは散々な扱いをされたあげくに愛で死ぬ。(・・・・)となっているのは例を数え上げたら枚挙に暇がないから。このことは女性が基本的に社会的弱者であり・社会の歪みというのはそういう弱い部分に特徴的に現れるということに起因するのですが、女性を主人公にした題材が19世紀になって急に増えていく理由はもう少し歴史的背景を考えてみる必要があります。

(H19・6・15)


 )産業革命以後の経済構造・消費意識

経済史家のK.スネルはその著書「貧民労働階級の歴史」のなかで女性の徒弟制度は15世紀以降は文献で確認できるし・17世紀にはかなり一般的であったにも関わらず・たいていの歴史家はこのことを無視してきたと述べています。スネルはその理由を多分それは家庭における女性の役割についての現代の通念と矛盾するからだと推察しています。例えば15世紀英国では女性はほとんどすべての職業あるいはギルドに身を置くことが許されていました。17世紀初頭サザンプトンでの徒弟制度ではその48%は女性が占めていたそうです。ところが17世紀末頃には女性の数は著しく減少して9%くらいになっています。労働者が少なくて・女性労働力が必要とされた間はギルドは女性を受け入れていたのですが、時代環境が変化して男性労働力が増えてくると・次第に女性は排除されて縫製仕事のような手工業のなかに追い込まれていくのです。この傾向は産業革命後は 機械化によりさらに顕著になっていって、女性は家庭に押し込まれていきます。(日本においても江戸時代の日本人の大半は農民であり・農家にとって女性は大事な労働力でしたから、専業主婦の割合は武家や商家の女性などごくわずかなもので した。)

以上のことから推察されることは産業革命による経済構造・消費意識の急激な変化において特に大きく変化を受けたのは女性の社会的地位・生活・意識であったということです。19世紀の社会変化が岐路になっており、ここで女性のアイデンティティーが大きく揺らいだのです。このことが女性を主人公にした文学・オペラが19世紀に頻出することの背景にあることのひとつの理由ですが、実はそれだけ がすべてではありません。その背景はもっと複合的です。

プレヴォーの小説「マノン」は1731年刊行ですから時代は古いのですが、ふしだらな美女マノンは19世紀の芸術家たちの心を捉えます。モーパッサンは1885年に再刊された「マノン」の序文のなかで「騎士デ・グリューと彼の不実な愛人マノンの恥ずべき行為を前にして・読者は彼を許し、まさしく彼女が理由である から彼を許す。それはどんな芸術的創造も、この素晴らしくふしだらな女性以上に力強く人間の感性に訴えてくるものはなかったからだ」と記しています。 どうしてマノンはあれほど贅沢を好む女性であったのか。読者はなぜそんなふしだらな女性に魅力を感じて許すのか。その理由としてモーパッサンはデ・グリューの印象的な告白を挙げています。

「どんな若い女性も彼女より金銭に無関心な者はいませんでした。しかし、お金に不自由するのではないかという不安を抱えたままでは、彼女は一時も落ち着いていられなかったのです。費用をかけずに楽しむことができるなら、決して1スーにも触れようとはしませんでした。我々の財産が何によっているのかさえ知ろうとしなかったのです・・・。けれどもそういう風に快楽に耽っているのが彼女にはとても重要だったので、それがなければ彼女の名誉や愛情についてどんな保証もなかったのです。」

「お金に関心はない・・されどお金」というわけです。マノンの感じている不安とは、消費社会が大衆に常に投げかけている不安です。「常に楽しんでいなければ自分は生きていないような・常に消費していなければ自分は生きていないような」、そのような漠然たる不安を大衆に四六時中 撒き散らしているのが消費社会なのです。(現代でもこの状況は強まりこそすれ変わって いません。)これは女性だけが感じる不安ではありません。もちろん男性も同じような不安を感じています。だからマノンはひとつには生産から引き離されたところにある(ある意味で実体性を喪失したところの)女性を象徴していると同時に、男たちから見た時にはまさに消費社会が投げかけている不安を解消してくれる魅惑的な存在として立ち現れます。男たちはマノンと一緒にいて楽しみ・消費している時にはその不安を一時的に忘れることが出来る のです。ですから19世紀に女性を主人公にした文学・オペラは頻出することは社会的弱者としての女性がクローズアップされているということだけが理由なのではなく、実は19世紀の社会構造の持つ心理的風景と複雑に交錯しています。マノンの場合にはお金(消費社会)ということがキーポイントになります。その背景は作品(その主人公の女性)によって様々であり、このことは「歌舞伎素人講釈」でも時間をかけて考えていくつもりですが、本稿ではこの問題点を提起するに留めます。

(H19・6・17)


)歌舞伎における破滅のパラダイム

歌舞伎でも女性は破滅のパラダイムで描かれています。女形は子供を身替わりに殺され(千代・相模・政岡)、遊女に売られ(お軽・宮城野)、拷問され(雪姫・中将姫・浦里)、毒を盛られ(お岩)、親に殺され(玉手御前)、男に斬られ(八つ橋・小糸・小万)、自害し(錦祥女・阿古屋・尾上)、そして愛に死ぬ(・・・・)わけです。もちろん歌舞伎では女形は立役に対してつねに一歩下がるスタンスを保っており、「先代萩」などを例外とす れば・女形がドラマにおいて全面的な主題を担うことは少ないですが、しかし、女形の嘆きの声・泣き声は歌舞伎のドラマのなかでとても強いインパクトを持っています。このことは歌舞伎の本質に直接的に関わる重要な要素です。

歌舞伎の女形が「破滅のパラダイム」を持っていることは、まず第一に「実のなさ・実体性のなさ」が女形の本質であることを示しています。江戸幕府によって女優を禁止された歌舞伎はやむなく野郎の役者を女役者(実体のないところの女性)に仕立てることで「をんなをしてみんとてするなり」を女形の在り方としま した。これは紀貫之の「土佐日記」以来の「をんなもしてみんとて」という・日本伝統の控えの文化戦略なのです。(別稿「をむなもしてみんとて〜歌舞伎の女形を考えるヒント」をご参照ください。)

しかし、歌舞伎において・19世紀のオペラよりも200年近く早く「破滅のパラダイム」が成立したことは、これだけでは十分に説明できません。このことを考えるには、当時(一応ここでは元禄時代前後を想定します)の大坂・江戸という大都市の消費的性格を考慮に入れる必要があります。当時の日本において大坂・江戸という大都市のなかに非常に局地的かつ限定的な形で、極度に消費的・享楽的な空間が存在していました。そうした空間のひとつが悪所としての芝居小屋です。 もともと芸能というのは寺社の祭礼など人が集まる時期・場所を狙って各地を転々としながら行うものでした。一方、都市型芸能においては、それが芝居小屋という定点を以って・継続的にエンタテイメントを提供し・小屋に人々を呼び集める形になります。大坂・江戸は当時の世界から見ても 最大級の都市でした。こうした大都市の消費的な性格が都市型芸能のなかに反映しているのです。

心中は最も典型的な破滅のパラダイムです。このことは別稿「金がなければコレなんのいの〜歌舞伎におけるお金の役割を考える」でも触れました。慶長から寛永の間(1596〜1644)に金貨・銀貨・銅貨が鋳造されて初めて全国的に統一された貨幣経済がほぼ整ったのですが、貨幣によって民衆の生活が次第に変質していく・その歪( ひず)みはまず地方から出てきて大坂で商人の生活を始めた人間に現れます。 つまり、大坂商人の貨幣経済に根ざした消費感覚・倫理感覚が十分に身についていない「曽根崎心中」の徳兵衛や「冥土の飛脚」の忠兵衛なのです。彼らの相手が遊女(お初・梅川)であるのも、これを考えれば納得が行きます。実体のない生活をしている男が・実体のない女に惚れているということです。彼らは同じ本質を持っており・お互いに惹かれるべくして惹かれ合っているわけです。そして彼らは真実の恋に生きることを求めて・つまり実体のある生を目指して・心中するのです。

「心中」という言葉は、その字形から分かる通り・武士が武士たる最高徳目である「忠」の字を分解して上下転倒させたものだと言われています。武士(つまり体制側)にとっての「忠」に対して・町人(あるいは個人)にとっての「忠」が「心中」であると解されたからです。「心中」とは何に対する忠であるのかということが問題ですが、これはかぶき的心情に発するものですから基本的に「私の心情に対しての忠」であることは疑いありません。破滅のパラダイムはこうした形で「死してなおも激しく生きようとする心情」を描くのです。

(H19・7・2)


5)歌舞伎の女形の非生産的性格

歌舞伎の女形の消費的(非生産的)な性格は、例えば内輪歩きに現れています。 内輪歩きは女性が着物を着た時に歩き方を美しく見せる技術ですが、もともと初代中村富十郎が編み出したものでした。当時の女性は男性と同じように外股で歩いていたのです。それ以前に歩き方に性別はありませんでした。富十郎の女形の内輪歩きを見て「美しい」と感じた女性たちがこぞって富十郎の身こなしを真似して内輪歩きが女性のなかに浸透していったのです。内輪歩きは膝をクッションに使うことで・生産的なナンバの動きにシナを入れることで・消費的な動きに還元しようとする技術です。その後の女形の動きにはさらにそれが行き過ぎて全身をクネクネさせることで・女らしさを出そうとする傾向が出てきますが、まあ、富十郎の内輪歩きがその契機だと言えます。これは技術により「女らしさ」をイメージとして形象化しようとする試みなのです。(別稿「内輪歩きを考える」をご参照ください。)

富十郎は名女形・初代芳沢あやめの三男ですが、これはなかなか象徴的なことです。父あやめはその芸談「あやめ草」にもある通り・身も心も女になり切ろうした女形でした。その芸談はいわば精神論・根性論であり、誰にでも真似できるようなものでは なかったのです。そのため女形の芸は一時的に行き詰まり状態に追い込まれます。富十郎が幼い時にあやめは亡くなっていますが、富十郎は父を傍目に見ながら「親父は無駄な努力をしている」と・これをシニカルに見ていたのではないかと吉之助は想像をします。その開き直りから富十郎の内輪歩きが生まれるのです。「女を表現すること」を技術論に還元してしまうこと・つまり女形が開き直って ・逆にその「実のなさ」を売りにしてしまうこと、それが内輪歩きなのです。

女形の袂(たもと)の独特な扱い方も消費的(非生産的)な性格を象徴するものです。もともと体温発散と言う実用的な意味を持っていた振袖は、江戸時代に非実用的・装飾的なものになって・次第に長くなっていきます。 その振袖を特徴的に扱うことによって姫役・娘役の性格表現は様式的なものとして完成されるのですが、そこに見えてくる女形の芸の本質は消費的・つまり「実がない」のです。(別稿「振袖について考える」をご参照ください。)

プルーストの「失われた時を求めて〜逃げ去る女」では、「私(マルセル)」は恋人アルベルチーヌを籠の鳥のように扱っていましたが、「私」の元から・アルベルチーヌが突然去ってしまって呆然としている時に、階上からマスネの「マノン」の旋律が聞こえてくる場面が描かれています。

『上の階の女の人が「マノン」のアリアを弾いているのが聞こえた。私は自分の知っているその歌詞を、アルベルチーヌと私の身に当てはめた。そしてたいそうしみじみとした感情に満たされたので、つい涙をこぼしはじめた。それはこういう歌詞である。「ああ、わが身を奴隷と思った小鳥は/何度となくそれを逃れようと/必死の羽ばたきで夜のガラス窓に突き当たる」・・そして、マノンの死である。「マノンよ、さあ、答えておくれ。わが魂のたったひとりの恋人よ/君の心の優しさを、私は今日はじめて知ったのだ」(中略)私はどうかと言えば、アルベルチーヌに「わが魂のたったひとりの恋人」と呼ばれたり、「わが身を奴隷と思った」のは間違いでしたと彼女が認めたりすることを想像して、甘い気分にひたるような勇気はとてもなかった。私には分かっていたが、人は小説を読む時に、自分の愛している女の顔立ちをヒロインに与えずにはいられないものである。だが、たとえ本の結末は幸福なものであっても、私たちの愛が一歩も前進したわけではない。そして本を閉じ、愛する女がついに小説のなか では私たちのところにやって来たとしても、彼女が実人生のなかで私たちを愛するようになるわけではないのだ。』(プルースト:「失われた時を求めて」〜「逃げ去る女」)

アルベルチーヌはマスネの音楽を好んでいました。「マノン」の旋律に聞こえてくるのは「恋人の実のなさ」です。そして、「私」は実体を求めようとして必死にはばたこうとするアルベルチーヌのことも理解はしているのですが、しかし、決して彼女の愛に満たされることはないことも承知しているのです。

(H19・7・11)


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写真・岡本隆史c、協力・松竹、2013年5月、歌舞伎座、京鹿子娘二人道成寺

 

 

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