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「かぶき的心情」とバロック

〜「バロック」という概念・その1

*本稿は「歪んだ真珠〜バロック的なる歌舞伎・その1」の関連記事です。


1)バロックの概念

これまで「歌舞伎素人講釈」では「かぶき的心情」に絡めて表現の「写実と反写実」の問題をずっと追ってきました。かぶき的心情とは個人のアイデンティティーの発露であり、個人と状況との葛藤・相克によって噴出する心情です。自分の在るべき確かな位置を主張すると同時に、その位置の実現のために自分を消し去ることさえも厭わないという心情です。それは「意地」とか「一分(いちぶん)」という言葉でも表わされます。(別稿「かぶき的心情とは何か」をご参照ください。)この心情が例えば・精一杯に生きようとして死ぬ・死ぬことが真の意味で生きるということになるから死ぬという行為を生み出します。これがかぶき者の典型的な行動です。このようなかぶき的心情を表現するために・歌舞伎はどのように様式化していったのか。このことを考えるためには「写実と反写実」の問題は絶対に避けて通れません。

別稿「試論:歌舞伎の舞台はなぜ平面的なのか」ではこの「写実と反写実」の問題を取り上げました。ここで世界を日常感覚(身体感覚)で実感として把握できない・あるがままの姿で実感できない場合には「世界は歪む」ということを考えました。そのような歪みは個人と外界との係わり合いから・個人の内面に生じるものです。結果としてその芸術表現は反写実の様相を呈するのです。歌舞伎の平面的なこと・浮世絵が平面的なことも、江戸期における民衆の・このような精神環境から説明ができます。また、江戸の浮世絵がジャポニズムとして19世紀後半の西欧芸術家の心を強く捉えたこともここから説明が可能になります。それは江戸期の状況が西欧の世紀末の状況を「先取り」していたからです。

この問題のひとつの側面は、民衆の個の意識が目覚めて・外界(特に社会組織)とぶつかりながら発展していく一般的な歴史過程として捉えることができます。もうひとつの側面は、戦国から安土桃山時代にかけて盛り上がった民衆の意欲が・江戸時代の身分制度の固定と鎖国制度などで一気に冷却され・狭いところに押し込められたことから起きる精神的軋轢(ストレス)です。「歌舞伎素人講釈」ではこれを「精神の監獄状態」と呼んできました。 (別稿「かぶき者たちの心象風景」をご参照ください。)かぶき的心情はこの江戸時代の日本人の特殊な精神環境から発し、そこから歌舞伎という芸能が生まれたのです。そしてこれこそが現代の我々の精神状況 (現代もまたある意味で監獄状態なのです)を先取りしていると認識するところに、「歌舞伎素人講釈」は現代における歌舞伎の意味を見出しているわけです。

20世紀前半のスペインの美術史家エウヘーリー・ドールスはまったく別の観点から、芸術の表現意欲をふたつの座標から分析しました。その座標のひとつを「古典性:重く沈むフォルム」、もうひとつを「バロック性:飛翔するフォルム」とします。そしてドールスは「バロック性」は17・18世紀の西欧美術にだけ現れる特異な様式ではなく、実は歴史において繰り返し現れる歴史的常数であると指摘しています。たとえばアレクサンドリアで花開いたヘレニズム文化、あるいは19世紀に見られた・いわゆる「世紀末美術」にもバロック性が見えるとしました。その考察から引き出されたバロックのイメージを、ドールスは次のように表現しています。

『いくつかの相矛盾する糸があるひとつの動作に結集された場合、そこから生まれる様式は常にバロックのカテゴリーに属する。バロック精神とは、通俗的な表現で分かりやすく言えば、自分が何をしたいのか分からないのである。賛成と反対とを同時に望んでいるのだ。重力によって下降すると同時に飛翔したいと望んでいるのだ。バロック精神は、腕を挙げながら手をおろそうとする。私はサラマンカのある 教会のなかのひとつの礼拝堂の鉄格子を飾っている小さな天使像を思い出す。バロック精神は螺旋を描き遠ざかり近づく・・・バロック精神は、矛盾の原理の要求を嘲笑するのだ。』(エウヘーリー・ドールス:「女性の敗北と勝利」・「バロック論」に所収・美術出版社)

このようにドールスの「バロック論」は様式論ではなくて、これはまさに心情論だと言えます。ここでは様式は解体され、すべての表現思想は古典とバロックの座標上に位置付けされます。このドールスの理論は、 吉之助がこれまで「かぶき的心情」の名において展開してきた「写実・反写実理論」と完全に一致します。まったく別経路から同じようなことを考えている人に出会ったのは、非常に感動的なことでした。このドールスのバロック理論に・さらに「歌舞伎素人講釈」なりの肉付けをしていけば、次のようなことが言えると思います。

「古典性:重く沈むフォルム」(すなわち写実)・・・世の有り様を人があるがままの姿で実感できる時には、表現は古典化します。それは世の有り様が実感(身体感覚)として捉えられている状態であり、その場合には写実はそれ自体でそのまま古典の様相を呈します。古典的なフォルムに人は安らぎを感じます。人はこの状態が永続することを望みます。すなわち、写実の最も理想的な・円満な在り方が「古典」であり、その表現は安定的かつ永続的となります。

「バロック性:飛翔するフォルム」(すなわち反写実)・・・世の有り様を引き裂かれた・相反する思いのなかで捉える時、世の有り様は歪み・表現は反写実に向かいます。その状態は常に動き・形を変えて人を刺激します。すなわち、写実が古典になり切れない時のすべての様相はその程度の如何にかかわらず「バロック」なのです。その表現は動的となり不安定となり永続性がありません。

すべての表現思想は古典(写実)とバロック(反写実)を両極にした座標上に位置付けられ、そこで様式化します。このような観点からすれば、完全なる古典様式・完全なるバロック様式は存在しません。すべての様式は古典とバロックを両極に置いたところの間(はざま)に位置付けされ、そこから固有のフォルムを固定化することになります。すべての様式は古典性がより強いか・あるいはバロック性がより強いかで測ることはできますが、様式自体には意味はないのです。つまり、マルローが「空想の美術館」において指摘した「フォルムを様式にするものこそが芸術である」という言が正しいのです。

ついでながら、古典性が強い芸術はバロックの方向に、バロック性の強い芸術は古典の方に・逆の方向に力が引かれるということも知っておく必要があります。


2)バロック精神の芸術における表れ

「バロック的」という形容詞は、一般的には17世紀から十八世紀にかけての西欧で建築・彫刻あるいは絵画において見られる現象であると理解されています。それはルネサンスの古典様式を破壊したような乱雑さ・猥雑さ、ある種の病的な怪異性と悪趣味の産物とも言われます。

しかし、本稿において紹介する「バロック」の概念はスペインの美術史家ドールスによって提唱されたもので、上記とは次元がまったく異なるものです。「バロック様式」は17世紀の西欧だけではなく、ヘレニズム期、あるいは十九世紀のいわゆる「世紀末」期など、歴史において繰り返し現れている現象なのです。また、それは西洋だけでなく東洋・もちろん日本においても顕著に見られるもので、単に建築・美術だけではなくて・もっと広範囲に文明全体にかかわる現象と認められます。「バロック」とはもっと広義に外界に対する人間の態度のあり方を示す概念です。

上は18世紀ポルトガル・アヴェイロのイエズス修道院教会の内部。典型的なバロック様式の教会です。その過剰ともいえる装飾をご覧下さい。 これが一般的なバロックのイメージでありましょう。

本稿においては、西欧の美術史における「バロック的精神」の現れを簡単に見てみます。下の絵画は、コレッジオの「我に触れることなかれ」(1525年頃・部分)です。ドールスは「バロック精神とは通俗的な表現で分かりやすく言えば、自分が何をしたいのか分からないのである。賛成と反対とを同時に望んでいるのだ」と書いています。相反する感情のなかで引き裂かれているのが「バロック」なのです。

『主よ、「我に触れることなかれ」という題の絵における貴方の動作はまさにバロックの数式です。この絵はもちろん、あの数多くの官能的なバロック意匠の父たるコレッジオの作品です。主よ、マグダラのマリアが貴方の足下にいます。貴方は、彼女を拒みつつ引き付けるのです。貴方は彼女に「私に触れるな」と言いながら、彼女に手を差し伸べているのです。貴方は、敗北し涙にくれる彼女を地上に残したまま天国への道を教えられるのです。そして、彼女もまた、すでに罪を悔いていながら、その悔悟のうちにも思いを寄せる女である彼女もまた、まさにバロックです。主よ、彼女は、貴方の後に従おうとしながら、かがみこんでしまうのです。』(エウヘーリー・ドールス:「女性の敗北と勝利」・「バロック論」に所収・美術出版社)

上記をお読みになればお分かりの通り、ドールスの「バロック論」は様式論ではなく、それはまさに「心情論」です。心情から発したものが様式(フォルム)として固まるだけのことなのです。したがってその現れ方は多種多様です。様式はその心情の強さによって測られなければならなくなります。

次にご覧に入れるのはゴーガンの彩色彫刻「愛せよ、さらば幸福ならん」(1901年)です。 ドールスは「失楽園」と言っていますが、個人のなかにある理想・決して実現はされないが・あくことなき憧れを以って人間を苛みつづけるその理想に対する態度が「バロック」です。

『われわれ一人一人の内部には、各人の挿話に由来する郷愁のほかに、もっと遠い源泉から流れ出る世襲的郷愁とも言うべき淡い郷愁があるだろう。われわれは、ゴーガンの母が幾人かのペルー副王を出したリマ市の家系の人であることを知る時、ゴーガンの中に海の彼方への郷愁を認めないわけにはいかない。この暗くかすんだ過去の魅力が、彼の全人生行路を決定することとなるのだ。ゴーガンには、すべての人間に共通の失楽園に対するあこがれに加えて、彼個人の楽園に対する思い出があったのであり、彼は人を驚かさずにはおかない矛盾に満ちたありとあらゆる行為を通じてその失楽園を探し求めていくのである。この楽園への予感が、彼を銀行から絵画へ、絵画から予言者へ、パリからポン=タヴェンへ、ポン・タヴェンからアルルへ・・・へと向かわせる。そして、その予感は太洋州の島々まで彼を導くまで、彼に安らぎを与えることはないのである。』(エウヘーリー・ドールス:「ロビンソンからゴーガンへ」・「バロック論」に所収・美術出版社)

左はベルニーニの「聖女テレサの法悦」(1644〜47年、ローマ・サンタ・マリア・デルラ・ヴットリオ教会)で、 天使の矢によって心臓を貫かれる聖女テレサの神秘体験を描いたものです。理性だけでは捉えきれない法悦をいかにリアルに眼前に現出するか、現実の様式のなかにいかに神秘的な聖性を付加するか、そうした矛盾を止揚して幻想的な美術を作り上げたのです。

「バロック」の特徴とされるのは「視点の多角化・相対化」です。求心的な一点透視法(いわゆる遠近法)では、教会の天井画のような広大な空間には不適切でした。 下の絵は ふつうの油絵ですが、ルーベンスの「サテュロスに驚くダイアナとニンフたち」(1936〜40年)です。ギリシア神話の古典的な題材であり・どこがバロック的なのかと思いますが、襲いかかるサテュロスと・驚きあわてふためくニンフたちの瞬間の動きが捉えられていて・構成が実にドラマティックです。さらにここには一定の視点がありません。右右に視点を移動して絵を見てもパノラマ的な面白さがあり、それぞれの部分にドラマがあるのです。それぞれの部分は対応した視点で描かれた別々の場面なのであって・複数の場面がひとつに組み合わさって成った絵が、この絵なのです。このことは浮世絵にも同じことが言えます。(別稿「試論:歌舞伎の舞台はなぜ平面的なのか」をご参照ください。)

「バロック」ではルネッサンス様式で理想とされたような均衡のある構成を意図的に崩して、動的でダイナミックな構成が試みられることがあります。 下の絵はスペインの宮廷画家であったベラスケスの「プレダの開城」(1634〜35年・部分)で、1625年のプレダ要塞におけるスペイン軍の戦勝を描いたものです。この種の戦勝画においては、敗軍の将は地面に膝を突き・勝者は馬上からこれを見下ろすという構図がこれまでのパターンでした。ベラスケスは・その伝統的構成を崩して、勝者スピノラは馬を下り、敗者ナッサウにまるで長年の友人に対するように 肩に手を掛け・対等の構図で接しています。この構図によりべラスケスは勝者側のスペインの寛大さを称えたのです。それは従来様式を崩した・実に斬新な構図なのです。

ルーベンスもベラスケスも代表的なバロック画家ですが、このようにひと言で「バロック」と言っても、ゴテゴテの装飾過多だけがバロックではないのです。その表現のあり方は実に多種多様であることが分かると思います。その多様な表現からバロックの本質を抽出すると、『いくつかの相矛盾する糸があるひとつの動作に結集された場合、そこから生まれる様式は常にバロックのカテゴリーに属する 』ということになります。これがバロックの本質なのです。

(H17・4・1)

(参考文献)

エウヘーリー・ドールス:「バロック論」・美術出版社
 



 

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