(TOP)         (戻る)

「空想の劇場」

*「空想の劇場」という概念は本サイト「歌舞伎素人講釈」の基本コンセプトです。小難しいようですが、簡単に言えば・頭のなかのバーチャル劇場での知的遊戯の場ということになりましょうか。


1)マルローの「空想の美術館」

アンドレ・マルローの「空想の美術館」という概念をご存知でしょうか。これはマルローの著書「東西美術論」(原題は「芸術の心理学」)の第1巻において提唱された概念です。マルローは「美術館」という存在が美術品と鑑賞する者との関係を一変させたことを指摘し、次のように書いています。

『美術館は芸術作品を他の一切(すべて)のものから引離し、それを対蹠的な或いは対立的な立場にある作品の傍近くに引寄せてみる。』(マルロー:『東西美術論1 空想の美術館』 小松清訳,新潮社,1957 )

美術館で時代別に並べられたさまざまな美術品を鑑賞する、画家別に並べた作品を鑑賞する、そうした作業によって美術品は単品では見出せなかった「様式」を見る者に意識させます。「様式」、それは言い換えれば「美の法則」あるいは「それを美たらしめる魔法を解明させる糸口」なのです。しかし、現実にはさまざまな制約があって・すべての美術品を一堂に集めることなど不可能なことです。この分類作業を自由自在に展開させてくれるのが写真複製による ・すなわち美術本による「空想の美術館」なのです。しかし、それは決して美術館の代用なのではなくて、従来の美術館がなし得なかった・もっと積極的な知的作業を可能にするのです。マルローは著書のカバーに印刷された写真を取り上げてこのように指摘しています。

『カバー裏のカット〈走る牡鹿〉(ステップ芸術の小銅板)は,カバー表のカット〈エヴァ〉(ロマネスクの大壁彫)と較べるとき、原物は100分の1の小さなものであるが、複製の上では同等の迫力を見せる。しかし、この空想の美術館の力は虚偽の力ではない。』 (同書)

「走る雄鹿」はほんのとるに足らない小品です。これを写真拡大して・教会の壁に彫られた大彫刻(こちらは逆に縮小する)の写真とを並べて同じサイズで比較すると、当然ながら美術品は現実にはあり得ないサイズに加工されて・その固有性を失うのですが、その写真は書物の上で同等の迫力を見せることになるのです。「それは虚偽の力ではない」とマルローは言うのです。複製された写真が、我々の想像力のなかで 同次元において比較できる美術品に変換されます。これが「空想の美術館」の力です。

『複製は、多くの作品を同時に見せてくれる故に、われわれに〈慎重な再発見〉の労を省いてくれる。そして、或る芸術家を抽き出してくるように、或る様式を全体的に抽き出してくる。』 (同書)

「空想の美術館」はそのロマンチックな響き故に、写真複製を実物の代替品としてではなく・美を論じる武器として積極的に利用しようとする・いわばその「方法論」 ・美術全集本の有用性だけがキャッチフレーズ的に喧伝されているのが現状です。しかし、マルローが本当に言いたかったことはそ こにとどまるものではありません。マルローにとっては写真も手段でしかないのです。マルローの「空想の美術館」は彼の頭のなかにだけ存在する・純粋に個人的な「美の解析の作業所」 です。

拡大・縮小だけが美の解析作業ではありません。頭のなかの「想像上の作業所」では、作品の部分を切り取り・それを局所拡大して分析する作業、それを別の作品と並べて比較対照させてみる・場合によっては置き換えるような作業、構図や色調を変化させる作業、全体の構成を図りながら設計図のようにそのバランスを分析する作業、あるいは作品の背景にある思想的なものを解析していく作業など、ありとあらゆることが可能なのです。そうした見る者の頭のなかで行われる想像上の解析作業により、ある作品が思いもよらない別次元の価値を有する独自の様式のうちにあることが明らかにされるかも知れません。(絵画の場合ならばコンピュータ・グラフィックスがこの可能性を広げるかも知れませんね。)そして、マルローはこう結論付けます。

『「芸術とは何か」という質問にたいして、我々はかく答えることになる。「フォルムを様式にするものが芸術である。」』(同書)

本サイト「歌舞伎素人講釈」もまた、この「想像上の美の解析の作業」をネット上で行おうとするものです。いわば「空想の劇場」であります。これを本サイトの重要な概念としていきたいと思っています。

上記の議論でお分かりの通り、「空想の劇場」は時代を超えた理想的な台本・理想的な配役による上演をイメージするものでは ありません。例えば、五代目幸四郎の大膳に・十五代目羽左衛門の東吉・当代玉三郎の雪姫というような・時空を越えた夢の配役による「金閣寺」を想像するといったことだけを指しているのではありません。「空想の劇場」は、演劇の想像上の解体作業場なのです。

こうなると、現実の歌舞伎の舞台は「空想の劇場」の単なる素材に過ぎなくなります。吉之助は二代目松緑や十七代目勘三郎や七代目梅幸の舞台から・吉之助が見たことのない六代目菊五郎の芸の面影を汲み取ろうとして見てきました。もちろん彼らの舞台からもっと昔の九代目団十郎や・さらに昔の三代目菊五郎を想像することも十分に可能です。しかし、とりあえずの手掛かりは六代目菊五郎であり・初代吉右衛門です。そうやって目の前の舞台に先達の芸の面影を求める、その想像に何の根拠あると言われればそれまでのこと。しかし、先達の芸の面影を想像させる手掛かりが芸談や写真や当時の文献だけしかないと思うのは大間違いでして、そのことを考えるとっ掛かりを現実の舞台のなかに見出さねばなりません。その場合には芸談や文献はその印象を裏付ける・補強するものになるのです。またその逆の作業も大事です。芸談や文献から空想の舞台を作り上げていく。その場合には現実の舞台はそのイメージを検証してみるための場ということになります。その舞台を見てない人にしか六代目の芸は語れないだって?そんなことは絶対にありません。

大事なのは「現実の舞台」に向き合う時の姿勢ということになります。目の前の舞台の印象にとらわれ過ぎると、見えるものが見えてこない。いつだってファンは「自分の時代 の舞台が最高だ」と思っているものでしょうが、伝承芸能を見る場合にはそれだけでは駄目で、次のように舞台を見る必要があります。「目の前の舞台がこんなに素晴らしい、ならば昔の舞台はどんなに素晴らしかったのだろうか。もっともっと凄かったに違いない」、常にそう思いながら舞台を見なければなりません。そうすると、目に見えてくるものが違って見えてくるのです。

もちろんそのような過去の幻影を思い起こさせる芸が現実の舞台にどれだけ展開されているのかという問題はあります。そのことは常につきまとう問題です。この疑問に対処する方法はただひとつだと思っています。これは「昔の舞台の方がどうも今より凄かったらしい」とひたすらに思うしかありません。誤解してはいけませんが、今の舞台が駄目 だと言っているのではありません。「昔の舞台の方がもっと良かった」ということです。どこが・どうして?ということを考えるのが「空想の劇場」の作業です。

2)「空想の劇場」の解析作業

「空想の劇場」の解析作業は、例えば別稿「源之助の弁天小僧を想像する」において、弁天小僧という役柄を悪婆物の視点から解体してみた作業です。弁天小僧を「悪婆物」であると理解するのは、ちょっと難しいかも知れません。それは現実の舞台はこれらの役がほとんど十五代目羽左衛門以来のイメージでほぼ固定されてしまっていて、美しい若衆が女装して・啖呵を切って吃驚させるという系統の舞台しか現実には見られないから、これらの役はそういうものだと思い込んでいるから・そうとしか見えないからです。ちょっと視点を変えれば、これは美しい娘がバッとあられもない姿を見せて変身する「サプライズ」が芝居の発想の原点だということが分かるはずです。その「サプライズ」を見せるためだけに・前後の筋が付いている、それだけのことに過ぎないのです。そうした視点から悪婆物の役割を考え・そこから弁天小僧という固有の役を考えることができるわけです。

弁天小僧はもともと浜松屋主人幸兵衛の子供であったが、ふとしたことでさらわれて・いつしか岩本院でお稚児さんになって育ち・・・などという生い立ちからキャラクターを積み上げることは新劇的な手法でして・これで役に陰影が付く期待もないではないが、しかし、そうした理解はしょせん弁天小僧という役だけに適用されるものであって・歌舞伎のような類型(パターン)処理にはまらないこと が多いのです。

男の役者が女を演じるという嘘・その演じられた嘘の女が本性の男を現す二重の逆転が面白いということもよく言われますが、これも性の境界が明確に引かれていた江戸の歌舞伎においては正しい見方とは言えません。女形がなければ芝居ができなかった時代においては、娘の格好をした役者はもちろん「正真正銘の女」として見るのが芝居のお約束です。だから「男の役者が女を演じる」という第一の虚構が成り立つはずがないのです。つまり、浜松屋に登場した娘はもちろん正真正銘の女であるべき なので・それが実は男であったというのは黙阿弥の意識的なルール違反なのです。それがこの芝居の「サプライズ」なのです。そういうルール違反を「売り」にしているのです。そこまで幕末の歌舞伎は行き着いていたということが理解されなければ、弁天小僧が理解されたことになりません。

だからこそ弁天小僧を女形の役柄の系譜に入れて・その流れから悪婆物の役柄の延長線上に見ていくことが必要になるのです。これからも吉之助の想像するような弁天小僧が現実の舞台に見られることはないでしょうが、それは別に構わないのです。これは吉之助だけの「空想の劇場」のお楽しみなのですから。

あるいは「熊谷陣屋」を聖書の創世記のアブラハムの物語の視点で読んでいくような作業です。(メルマガ第140号「武士道における義を考える」をご参照ください。) 聖書における神の存在は絶対です。アブラハムが神に服従を強制されていると感じるのは近代人の感性でして、聖書が描いている神の絶対はアブラハムに「行くべき道を指し示して」おり、そのことに疑問の余地などないのです。その指し示された道を行くことに・ある時は決然と歩み・ある時は逡巡し・ある時は恐れ・ある時は逃げる、そういう葛藤が人間のドラマです。それが分かれば、洋の東西を問わず・人間の真実はそんなに変わるものではないことが分かるでしょう。聖書の挿話と対照させることで「熊谷陣屋」の最も重要な要素があぶりだされてくることになります。

「熊谷陣屋」において・直実は我が子を殺さざるを得なくなり・そのことで苦しみ・出家することはお芝居を見れば・その通りです。もし直実が・我が子を殺すことに本当に疑問を感じているのならば、直実は我が子を逃がしてやればよいのです。しかし、お芝居の直実は息子を殺したのですよね。まずその直実の行為の是非が問われなければなりません。併せて考えるべきは直実に身替わりを指示した義経のことです。直実にとって義経とは何者なのか、これを考えないで直実の行為を論じても仕方がないことです。つまり「熊谷陣屋」の問題は「一枝を折らば一指を切るべし」という義経の命令の「絶対性」を考えることに帰せられます。義経の命令 が「非人間的であり認められない」とするならば、「熊谷陣屋」のドラマ自体が認められないことになります。

しかし、吉之助が「熊谷陣屋」のドラマに間違いなく感動したという事実があります。もし義経の命令が「人間的に認められない」ようなものであるならば・もしそうならこのドラマは 吉之助は許しがたいと思います。もしそうならば吉之助の感動自体が汚されてしまったように吉之助には思われます。吉之助がこのドラマに感動したからには、義経の命令は「正しいものであった」に違いないと 吉之助は思います。そこのところに吉之助はこだわるべきだと思います。

このことを考えるためには「平家物語」の敦盛挿話を素材とした作品群において熊谷は常に敦盛と対に語られてきたという歴史的事実、これに「義経信仰」の存在と・日本人が義経のなかに見出してきた精神的意味を考えなければなりません。こうした認識を積み重ねて「熊谷陣屋」を読み込んでいく手法以外に正しい方法はあり得ません。「熊谷陣屋」を読むのに「熊谷陣屋」だけを見ていたのでは駄目なのです。こうして「熊谷陣屋」を読んでいけば、義経の命令の「絶対性」は疑いようがありません。

このように「絶対性」の持つ意味は、宗教に近い響きがあります。聖書を引き合いに出すことは抵抗あるかも知れませんが、「絶対性」を考える時には聖書の「創世記」のアブラハムの挿話・あるいは「ヨブ記」でのヨブの挿話が最もシンプルかつ直接的にその意味を教えるものなのです。「空想の劇場」では利用できるものは古今東西なんでも利用しちゃうのです。

「空想の劇場」の解析作業を、「弁天小僧」と「熊谷陣屋」の場合を挙げて説明してみました。 こうした作業を通じて、今まで見えなかった歌舞伎の本質・作品の本質が見えてくるかも知れません。本サイトでは現実の舞台と空想の舞台がごちゃまぜになっています。そのどちらもが真実なのです。それをいじくりまわしてみるのは、まあ、芝居見物から離れた知的お楽しみといったところです。これを本サイト「歌舞伎素人講釈」の基本コンセプトとしたいと思います。

(H17・1・1)



      (TOP)     (戻る)