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様式とは・フォルムとは〜ショパン・コンクール2021


1)様式とは・フォルムとは    

現在ポーランド・ワルシャワ市で第18回・ショパン国際ピアノ・コンクールが開催中です。コンクールは今月2日から始まり、本日(11日)時点では第2次予選の真っ最中。第3次予選・本選を経て、本選結果発表は20日深夜の予定です。第18回は本来2020年開催のはずだったのですが、世界的なコロナ状況により・本年(2021)に順延となったものです。有難いことに・ITの進歩により選考会の模様をライヴ・ストリーミングで世界中どこでも視聴することができる(アーカイヴ映像も自由に見られます)ので、吉之助も先週からショパン漬けになっています。日本からの参加者は毎回多いのですが、特に今回は・もしかしたら日本から初の優勝者が出るかも・・と云う期待が下馬評では密かに言われてもいるので・そういう関心もあって見ているのですが、本稿では予想みたいなことは書きません。本サイトは「伝統芸能研究サイト」でありますから、吉之助の最大の関心事は、「ショパンの様式とは・フォルムとは」、そういうことを若いピアニストたちがどう考え・どのように迫るかと云うことです。

*第18回ショパン国際ピアノ・コンクールのポスター。

クラシック音楽は伝統芸能とは呼びませんが、ショパン・コンクールはショパンの作品のみを課題曲とする珍しいタイプのコンクールであるので、技術的に卓越していることだけが選考要件なのではありません。歌舞伎の「型」みたいな概念ではないにしても、「ショパンらしさとはどういうことか」ということが、単なる香り付けではないところで・非常に大事なことになって来るのです。もちろんアプローチの仕方はいろいろあるわけで・これが正解というものはありません。が、後から振り返ってみると、何となくそこに大きなショパン演奏の「伝統」みたいなものが朧げに見えて来ます。彼らはそういうものに(師のアドバイスを受けたりはしますが・基本的に)個人レベルで立ち向かっているので、クラシック音楽はこれを伝統芸能とは呼びませんけれども、その態度は何となく伝統芸能に似通ったところがあると思っています。

「個人レベル」と書きましたけど、これは言い方を変えると、コンクールに出場する若手ピアニストたちは、最後に助けてくれる人は誰もいない・自分一人で立ち向かって勝利を勝ち取らねばならないと云う事であるので、これは非常に厳しい苦しい戦いになるわけなのです。そういうところで若いピアニストたちがコンクールに立ち向かっているのを聴くと、この演奏には構成力がある・この弾き方は好きだなあ・この音色は素敵だなあとか・或いはそうではないとか、ご感想は勝手に浮かびますが、このピアニストを次のステージに通過させるか・それとも落とすか、あなたの判断は如何にということになると、一瞬たじろいでしまいます。実は、第1次選考で八十数名の参加者(それを吉之助が全員聴いたわけではないが)が約半分ごっこり落とされたのを見て、個々の結果がどうのではなく、ホント残酷な世界だなあということに改めて思いが至って、ちょっと暗い気分にさせられました。だけどこれはコンクールですから、最後は一人の優勝者を選び出さねばなりません。これが現実であるわけですから、だからなおさら「ショパンの様式とは・フォルムとは・・」ということをより一層深く考えなければならぬ。本来それは客観的な命題になり得ないものですが、評価・選別をより公正なものにしたいと思うならば、「ショパンの様式とは・フォルムとは・・」という命題により強くすがらざる得ない。そう云うことですねえ。

まあそういうことを考えるのは吉之助が歌舞伎で批評活動をやってるせい(元々クラシック音楽批評を志していたせいもある)でしょうが、現在第2次選考が進行中で・より一層レベルが高いところでの戦いになるので、吉之助も「ショパンの様式とは・フォルムとは・・」というところを自らにさらに強く問いかけながら、これから本選までの・若いピアニストたちの戦いを見届けていきたいと思います。本選結果が出た後、また何か書くことになるでしょう。(この稿つづく)

(R3・10・11)


2)場が芸術家をより高次元に導く

昨日20日深夜(日本時間で21日午前9時)に第18回ショパン・コンクール本選結果の発表がありまして、優勝はブルース・シャオリュー・リウ(カナダ)、日本からは反田恭平が2位、小林愛美が4位で入賞という結果となりました。期待された日本からの初優勝というのは成りませんでしたけど、これだけレベルの高い争いのなかでは誰が優勝してもおかしくないくらいのもので、審査員が変われば・或いは演奏順番が変わっただけでも結果は違っていたかも知れないし、まあ順位はどうでも良いことです。(ご本人にとって将来を左右する事項であることは、当然です。)イヤそれにしても大激戦でありました。今はただ「お疲れ様」とだけ言いたいです。

吉之助はもしかしたら日本から初の優勝者が出るかも・・と云う淡い期待から中継映像を見始めたので・聴いたのは日本人ピアニストが中心で、外国人ピアニストもめぼしい方は聴きましたが、すべてを聴いたわけではありませんけど、一次選考から順に・勝ち上がって行く様を追っていくと、それぞれのピアニストが「ショパンの様式とは・フォルムとは」という課題に真摯に立ち向かって、選考の段階が上がって行くに連れて・見えて来るものが段階的に変わっていく、それが一層研ぎ澄まされた熱い思いに変わっていく様がどのピアニストにもはっきりと確認出来て、その様を実に興味深く聴きました。そうなってくると、どのピアニストが良いとか・この解釈が好きとか、あの人よりもこの人の方が上だとか・下だとか、そういうことはどうでも良くなってくるのです。ただしこれはコンクールですから・順位を付けねば終わらないわけで、そういう現実を傍らに置いて聴いていると、なおさら「(私が感じている)ショパンの様式とは・フォルムとは(こういうものだ)」という命題に対し、審査員でないはずの聴衆の方も自ずから正対せざるを得ないというところがあると思います。クラシック音楽は伝統芸能とは呼びませんけれど、そこに見えるものはまさに伝統芸能的な姿勢であったと思います。これは音楽を聴きながら、ちょっと息が詰まるような・苦しいような感覚です。けれども歌舞伎批評をやっている吉之助にとっては、それが心地良いと云うか、普段見ている歌舞伎の舞台でもこのような感覚が欲しいものだとつくづく思います。

このような感覚はショパン・コンクールがショパンの作品のみを課題曲とすると云う珍しいタイプのコンクールであったからかも知れません。他のコンクール(例えばチャイコフスキー・コンクールやエリザベート王妃国際音楽コンクール)でも同じかどうかは、分かりません。もっと自由な創意・感性的側面が重視されるかも知れません。ショパン・コンクールが若干特殊かも知れませんが、ショパン・コンクールを経て・世界へ羽ばたいていく若いピアニストたちにとって、このような形で「ショパンの様式とは・フォルムとは」という課題に、長期間に渡って徹底的に責め付けられることは、もしかしたらもうこれっきりの体験かも知れませんが、この苦しい体験は将来きっと何かの役に立つはずです。クラシック音楽は伝統芸能とは呼びませんけれど、だからその音楽を「クラシック(古典的)」と呼ぶのだと思います。

今回・第2位入賞となった反田恭平のことですが、彼は既にピアニストとして名を成しており、「日本で現在チケットが一番取りにくいピアニスト」とも言われています。吉之助は彼のリサイタルを聴いたこともあり・これまでの録音も耳にしていますが、正直申し上げると、リストに関しては実に見事だと感心しましたが、反田のショパンに関してはどうもフォルムがしっくり来ない感じで、感動したことはこれまでなかったのです。第1次・第2次選考の演奏も技術的なところは卓越して、切れも良かったし・造形もシャープに決まって、さすがポーランドに留学しただけあって練り上げて来たなと思いましたが、まだ何か足りないものがあって、感動に至りませんでした。それでチラと悪い予感が頭をよぎりましたが、しかし、第3次予選(第2ソナタを含む演目)はホントに素晴らしいと思いました。これまでよりも音楽がぐっと太い造りに変わったように感じられて、低音の響きが強くなり・一瞬反田はピアノを替えたのかと思ったほどでした。(ピアノはスタインウェイ479で替えていませんでした。)熱い魂を感じさせた演奏に仕上がって、この段階で反田のショパンは遂にひと皮剥けたと思いましたねえ。音楽が太い造りに変わった代わりに、反田の売りである切れの良さが抑えられたかと思いましたが、そこがこの段階に於ける彼の決断(賭け)であったと思います。本選のコンチェルトは、さすがに指揮者やオケとの感情交流では場慣れしたところを見せて見事なものでした。第2楽章のロマンツェは旋律を深く歌って感動的なもので、そこから一転して華やかな第3楽章ロンドでは聴衆を興奮の渦に巻き込んで喝采を浴びました。ホントに場(シチュエーション)が芸術家をより高次元の段階に導くことがあるという光景を目の当たりにして・心にグッと来るものがありましたねえ。(この稿つづく)

(R3・10・22)


3)聴衆を味方に付けるということ

ショパンの音楽がポーランド国民のなかでどのような位置付けがされているか・今更云うまでもないことですが、それは多分イギリス国民にとってのシェークスピア・ドイツ国民にとってのゲーテよりも重い・と云うよりも「熱い」と云うべきかも知れません。それは建国理念にも直結するもので、何しろ1918年にポーランドが独立した時の初代首相イグナツィ・ヤン・パデレフスキは何とピアニストで、20世紀初頭の重要なショパン弾きの大家なのです。まあそれは兎も角、そういうお国柄であるから、ワルシャワの聴衆にとっても、「ショパンの様式とは・フォルムとは」という命題が、とても大事なことになるのです。

吉之助が聴いた或る有望なピアニストですが、彼は3次予選に進めなかったのですが、2次予選の演奏などは、吉之助の耳にはなかなか感性豊かな音楽的な流れがあって・タッチもニュアンス豊かで、なかなかいいじゃないか・彼は文句なく次の段階に進めるだろうと思えたのです。しかし、演奏後の聴衆の拍手は儀礼的なもので、冷ややかな感じさえしました。吉之助は意外で・アレッと驚いて、何となく嫌な予感がしたのですが、結果として、3次予選に進むことが出来ませんでした。

ここで大事なことですが、上の段階に進めなかったのは確かに残念なことですが、それは「彼の演奏が芸術的に見て出来が悪かった」ということでは全然ないのです。これはコンクールですから・順位を付けねば終わらないので・結果としてはそういう形になりましたが、このピアニストの方が芸術的に上だとか・下だとか、そんなことは神でもない者が決められるものではないわけで、好きとか嫌いとかの要素も入り込んで、時と場合に拠っては違う結果にもなり得るものです。ただし、これは結果として云えることですが、上位に来るピアニストには、やはり「何かいいものがある、何か魅力的な・訴えるものがある」こともまた事実なのです。

そこで3次予選に進めなかったコンテスタント数人の演奏をもう一度聴き直してみることにしました。そういう時に大事なことは、「この演奏のどこに欠点があったのか」というネガティヴな観点で聴くのではなく、「この演奏をもっと魅力的な・訴えるところがあるものにするには、どこをどう変えれば良いのか」と云うポジティヴな観点で聴くことです。そうやって聴き直してみると、色々感じる改善点は、結局、すべて「ショパンの様式とは・フォルムとは」というところに帰せられるのです。そこを研ぎ澄ませれば、確実に彼の演奏はもっと・もっと良くなるということです。いやワルシャワの聴衆は好い加減に聴いていないことを思い知らされましたね。

それは自分の思うところ(個性・解釈)を曲げて・審査員の好みに合わせる・聴衆の受けを狙うということでは決してありません。そうではなくて、「ショパンの様式とは何か・正しいフォルムとは何か」という命題と、自らの思うところを自分のなかで徹底的に擦り合わせて、フォルムの守るべきところはしっかり守る、しかし自分の信じるところは絶対に曲げないというところの、そのギリギリの境を目指すということで、これによってその演奏家の解釈は、自分勝手な・ひとりよがりのものではない、真に音楽的で・芸術的に高次元の解釈に昇華していくと云うことなのです。前章で書いた通り、1次・2次・3次・本選とステップアップしていくに連れて、コンテスタントがはっきり目に見えてグレードアップしていく様は、それは単に気合いと熱気が入っているという以上のものなのです。これが「ショパンの様式とは何か・正しいフォルムとは何か」という命題が引き起こす魔術です。

本サイトは「伝統芸能研究サイト」ですから・こういう展開になるわけですが、「ショパンの様式とは何か・正しいフォルムとは何か」という命題は、結局、歌舞伎での「伝統とは何か・型とは何か」という命題とまったく同じことなのです。ショパン演奏の伝統には、その他に、江戸型と上方型みたいなものになりますが、ロシア・ピアニズムあるいはフランス・ピアニズムなんてのもあって、決して一筋縄では行きません。クラシック音楽はこれを伝統芸能とは呼びませんけれども、しかし、吉之助が思うには、クラシック音楽での伝統論議には「これはこう」と云う・一定の理論があるわけではなく、個人はひたすら自己対話を繰り返すなかで、これを獲得していくしかないので、これは非常に辛く厳しい戦いになるわけなのです。コンクール以後もこの戦いは、果てしなく続きます。まあこれに較べれば、歌舞伎の伝統論議は、半分「・・らしさ」の上に乗っかっているようなものなので、甘っちょろいところがあるかも知れませんねえ。

話しを聴衆のことに戻しますが、審査結果とはやや別のところで、コンクールで大事なことは、聴衆を味方に付けることだと、つくづく思いましたねえ。聴衆から教えられることも多々あるものなのです。上述の・3次予選に進めなかった彼は、残念ながら、ワルシャワの聴衆を味方に付けることが出来なかったとも云えると思います。その逆のケースは、今回のコンクールで第4位に輝いた小林愛美で、彼女は6年前の・第17回コンクールで本選にまで残ったピアニストで・今回が再挑戦であったので、或いはワルシャワの聴衆はそのことをよく知っていたということもあったでしょうが、演奏後の聴衆の拍手が凄かったですねえ。特に第3次予選で24の前奏曲の最終音を弾き終えた時の歓声は熱いもので、第3次予選終了時で聴衆賞を決めるならば、受賞は彼女だったかなと思えるくらいでした。今回の彼女の入選は、当然の結果だと思います。聴衆を味方に付けることは、ホント大事なことなのです。

(R3・10・24)




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