(TOP)         (戻る)

十一代目海老蔵復帰の本田小六

平成23年7月・新橋演舞場:「江戸の夕映」

十一代目市川海老蔵(十三代目市川団十郎)(本田小六)、十二代目市川団十郎(堂前大吉)


大仏次郎の筆による新歌舞伎・「江戸の夕映」は昭和28年(1953)3月歌舞伎座初演。その時の配役は十一代目団十郎(当時は海老蔵)の小六、二代目松緑の大吉でありました。舞台を見ればすぐ分かることですが、この作品は太平洋戦争敗戦の日本民衆の深い心の傷を踏まえて書かれているのです。昭和26年9月にサンフランシスコ講和会議で締結された平和条約がその翌年に発効し、4月28日にGHQ(連合軍総司令部)による占領が終結しました。日本の主権回復を待って大仏次郎はそれまで書きたくても書けなかった敗戦後の民衆の思いを「江戸の夕映」に託したに違いありません。これは検閲が厳しかった占領時代には決して書けなかった題材でした。

しかし、吉之助はここで薩長出身の役人の横暴な振る舞いを当時のアメリカの兵隊に、やたらに禁令・規制を発布して民衆を混乱させる新政府をGHQに置き換えてこの芝居を見るべしなどと言っているのではありません。もちろんそのような見方もひとつの解釈としてはあり得ることですが、吉之助は全然別のことを考えています。大仏次郎が言いたいことは、「逆境のなかに放り込まれた時に個人はどのように状況に対処すべきか、悔しいこともあるだろうし・悲しいこともあるだろうが、自暴自棄になってしまったらお終いよ、それは本当の負けなのだよ」ということなのだろうと思います。そのような民衆の強い思いから日本再生が始まるということだと思います。

平成23年7月新橋演舞場での海老蔵の小六・団十郎の大吉による「江戸の夕映」の舞台は悪くないものです。芝居としてよくまとまっており、幕末〜明治の変革期における小恋愛譚とすればそれなりのものだと思います。強いて言えば海老蔵の小六はちょっと憂いの印象が強過ぎるようです。団十郎の大吉は独特の大きさはありますけれど、何となく大人の考えのなかで達観しているような印象があります。これはまあ両人のキャラクターからしてもそれなりであるし、そう大きな欠点には見えないかも知れませんが、この佳作を今後の歌舞伎のレパートリーに定着させていくならば、そこのところちょっと工夫をいただきたいと思います。

まず幕藩体制が崩壊し・江戸が薩長に占領され・新政府が発足したこと対して本田小六が感じている憤(いきどお)り・どうにもならない怒りというものは、「江戸の夕映」初演当時・昭和28年の男性観客が舞台を見るならば、「俺には小六の気持ちが分かるよ、俺だってなあ、あの8月15日に玉音放送を聞いた時はなあ・・・俺は軍国少年だったんだよ・・ ゼロ戦で敵艦に突っ込んでやると思ってたんだよ・・・」という気持ちを呼び起こさせたに違いないものです。平成の若い観客がこの気持ちを理解し難いところがあるのは当然です。しかし、明治維新とか敗戦などというシチュエーションをすっと飛ばして考えていただきたいのです。そうすると、その理由がどんなことであれ、自分がこうありたいと信じていたことがそうならない・自分が絶対やりたいと願っていたことが出来ないという逆転した状況においては、個人は自分が全否定され・自分が失われてしまったようなイライラした気分に襲われるものなのです。この個人のイライラを何とかしようとするところからドラマが生じるのです。「歌舞伎素人講釈」ではこのような感情を「かぶき的心情」というキーワードで分析しています。「江戸の夕映」も、このような心情が盛り込まれているからこそ歌舞伎なのです。

吉之助は十一代目団十郎の生(なま)の舞台を見ていませんが、いくつかの録画・録音あるいは文献において、十一代目はそのような憤りの心情の表出において抜群に優れた役者だったと吉之助は想像しています。何よりそれは目力(めじから)・鋭い眼光に出ていたと思います。カッカッと歯切れの良い口調もそうですが、美男役者・花の海老さまという甘いイメージばかりであるとちょっと間違えてしまうと思います。切られ与三郎でも、十一代目の与三郎にはどこかに自分を翻弄する運命に対する憤りが感じられたものでした。決して甘ったるい若旦那の与三郎ではなかったのです。そこのところを当代海老蔵には考えてもらいたいと思います。全身から小六の憤り・無念さの微振動が観客にジリジリと伝わってくるようであってもらいたいと思います。そのためには目付きにもっと工夫が必要です。海老蔵はカッと目を見開いた瞬間は確かにお祖父ちゃんを思わせますが、表情にまだまだ甘ったるさが勝ります。

当代団十郎が演じる堂前大吉は、実の父親が演じているのだから・そうなって当然ですが、小六よりもかなり年輩で・人生の酸いも甘いも噛み分けて・ある程度の達観に達している感じに見えます。これは茫洋とした芸風の団十郎のキャラクターでもあり、配役の年齢バランスから来るものでもありますから・そう見えたとしても決して間違いだということではないのですが、初演時は十一代目団十郎の小六に対して実弟の二代目松緑が演じたくらいですから、大吉は小六の兄貴分ではあるようだけれど・年齢としてはそう変わらないというところが作品本来の位置付けであるでしょう。吉之助の考えるところでは、「そんな無茶なことはしないでも命あってのめっけもの、しっかり地に足をつけて歩んでいけばいつかは明るい未来が来るさ」ということを現実的に見据えて、大吉が小六のことを心配しているということではないのです。そうではなくて、大吉は小六の気持ちが痛いほどよく分かっているのです。本当は大吉自身が「お前(小六)が函館に行って新政府と戦うというのならば、この俺も一緒に行くぜ」と言い出しかねないくらいに、同じように大吉も強く憤っているのです。しかし、ここでハタッと踏みとどまるところが、大吉と小六の大きな違いです。大吉は「ここで自暴自棄の破壊願望に陥ってしまえば、それこそ本当の負けだ、だから俺は決して負けることはしないのだ」と考えて、自分のなかの憤りの感情をグッと腹に押し込めて必死に堪えているのです。だからこそ余計に大吉は小六の行く末が気になるのです。それが大吉という男だろうと思います。その憂さを酒や遊びに紛らせているところはまあ人間だから仕方ないところですが、大吉は決して気楽に世渡りしている人物というわけではないのです。

もう一度繰り返しますと、「自分がこうありたいと信じていたことがそうならない・自分が絶対やりたいと願っていたことが出来ないというような逆境においては、個人は自分が全否定され・自分が失われてしまったようなイライラした気分に襲われることがあるかも知れない。そういう時に自暴自棄になって軽はずみに破壊行動を取ってしまえば、それこそ本当の負けだ、だから俺は決して負けることはしないのだ、我慢していればいつかは明るい日が必ず来る、お前を待っている人がいる」ということなのです。それが大仏次郎が「江戸の夕映」で書いた戦後日本人へのメッセージです。海老蔵復帰にこの作品を選択なさった方は一体どなたなのでしょうね。よく分かっていらっしゃいます。ちなみに9月の大阪松竹座で海老蔵は同じく大仏次郎の「若き日の信長」(初演は昭和27年)の主役を演じる予定になっていますが、これもまったく同じ主題です。

(H23・7・30)


  (TOP)         (戻る)