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散る花にも風情がある

〜「番町皿屋敷」をかぶき的心情で読む

昭和38年12月・京都・南座・「番町皿屋敷」

三代目市川寿海(青山播磨)・六代目中村歌右衛門(お菊)


1)二代目左団次を聞く

「番町皿屋敷」は大正5年2月本郷座において、二代目左団次の播磨・二代目松蔦のお菊で初演されました。このビデオにおいて播磨を演じている三代目寿海は左団次劇団の側近で、初演時には寿海(当時は六代目寿美蔵)は放駒四郎兵衛を演じています。寿海は左団次の新歌舞伎運動のまっただなかで修行をして、その芸を吸収した人でした。左団次死後は、その作品群のほとんどを寿海が継承しました。若々しく透明清潔な芸風を最後まで感じさせた役者でした。

寿海は台詞に定評のある役者でしたが、 この「番町皿屋敷」の映像を見ても、その凛とした響きというか・言葉のひとつひとつがしっかりと意味を以って発声されていて力感があってさすがと思わせます。舞台に一緒に出ている役者のなかでも存在感がひときわ抜きん出ています。いい意味でも悪い意味でも役を自分のスタイルに引き寄せて演じてしまっている歌右衛門のお菊を例外にすれば、他の役者はあまり新歌舞伎の台詞のスタイルを掴んでいるとは言い難いようです。特に第一場・麹町山王下の喧嘩の場面はまるで「御所五郎蔵」みたいな感じで寿海以外はみんな黙阿弥調です。それにしても寿海はじつにいい。

この寿海の台詞まわしはもちろん本人独自の工夫もあるでしょうから左団次そのままというわけではないでしょう。しかし、何と言いますか「大正ロマン」の雰囲気が漂ってくる感じで、実にさわやかな気分がします。これはやはり左団次の芸の香りであるなと思うのです。我々は寿海の芸を通して左団次の芸をそこに見るのです。

「おお、散る花にも風情があるのう。どれ、そろそろ帰ろうか」というのは、第一場幕切れの播磨の有名な台詞です。しかし、ここが芝居のスパイスの効かせ所だということは脚本だけ眺めているとよく分かりません。結局、こういう台詞を魅力的に聞かせるのは役者の工夫です。だから、この台詞まわしは綺堂劇の魅力であると同時に左団次劇の魅力でもあるのです。

この台詞はちょっと気障(きざ)な・美文調の台詞で、うまく言わないとわざとらしく聞こえます。こういう言い方をする役者がいるかは知りませんが、例えば「散る花にも(ここでちょっと間を空けて テンポを落として)風情があァるのォォ。(ここで間・大向うから掛け声がかかる)どれ(間)そろそろ帰ろうか」と七五調で言ったとすると、大歌舞伎にはなるかも知れませんが、かなり臭くなります。

寿海のこの部分の台詞まわしを聞きますと、ここはじつに拍子抜けするほどアッサリとしています。ここは聞かせどころの台詞だよという感じがまったく しません。「あるのお」と詠嘆調に引き伸ばさず、「あるのうドレそろそろ」と間を置かずに言っています。この「ドレ」の気の変えようがさりげなくて実に素敵です。芝居ッ気がなくて写実なのです。これはノイエ・ザッハリッヒカイト(新即物主義)の台詞回しです。これが新歌舞伎の台詞まわしです。そこから大正ロマンの香りがプンプンと漂ってくるのです。


2)お菊の行為

ところでこの歌右衛門のお菊ですが、独特の存在感があって・歌右衛門の個性のなかでしっかりと処理されていて・それなりに説得力のあるお菊です。しかし、作品がお菊に本来求めたものとはかなり相違がある ように思います。お菊を二代目松蔦がどう表現したかは分かりません。しかし、歌右衛門のお菊は松蔦のお菊とはかなり違うような気がしています。

まずお菊が青山家の家宝のお皿を割ってしまう背景を考えたいと思います。皿を割ってしまえばただ事では済まないことは、お菊は知っています。それでも恋人播磨が自分のことを本当に大切に思っているのか、それを知りたいためにお菊は皿を自分の意思で割るわけです。

歌右衛門のお菊を見ていると、恋人の心中が分からなくなって・不安か嫉妬で心乱れて「女の浅い心から」播磨の心を試そうとする、そんな感じに見えます。それもひとつの解釈であります。それならば播磨がお菊を殺してしまうのは、自分の心を疑われたことへの怒り・播磨の潔癖症のせいということにもなりましょうか。いずれにせよ男と女の痴話喧嘩のようなものになります。

しかし、作品本来のお菊はそうではないのです。ここでのお菊ははっきり怒っているのです。「私のことを何だと思ってるの。私に内緒でお見合い話を進めたりして。アンタも男ならどうするのかはっきりしてよ。別れるというなら死んでやるから。」というのがお菊の気分なのです。台詞にはそうは書いていないけれども、心情としてはそうである。その心情が家宝の皿を割るという危険な行動になって表れるのです。つまり、これは「かぶき的心情」なのです。こうなればもちろんお菊の問いに対する播磨の答えが「お菊と別れる」でも「別れない」であっても、その答えを聞いたらお菊は死ななければなりません。これは、「伊賀越・沼津」において平作が腹に刀を突いて 息子・十兵衛に敵の行き先と聞くのとまったく同質の行為なのです。

少なくとも「かぶき者・旗本奴・男のなかの男」である播磨はそう受け取ったのです。だからお菊の命を賭けた問いに対して、播磨もかぶき的心情で答えなければならなくなるのです。「俺の心が分かったか。それならばよい。では、覚悟して死ね。」ということになるのです。もちろん、その後で播磨も死ぬ覚悟なのです。

「おお、散る花にも風情があるのう。」という第一場のさりげない科白がこの幕切れにおいて生きて来るのです。そこに播磨の男の美学があるわけです。こう考えて見ますと「番町皿屋敷」というのは、江戸のかぶき者の心情を大正時代のセンスで読み直した作品なのだということが改めて分かると思います。

また そう考えますと、この男の中の男である旗本奴・左団次の播磨に対する松蔦のお菊は、それにふさわしい鉄火肌の女性・はっきりと自分の感情を表すストレートな女性でなければならないはずです。ある意味で現代的な自意識を持った女性だったのではないかという気がしてくるわけです。 当時の学生さんの熱い思いをかきたてた松蔦のお菊は、そのまま大正の時代の生き生きした女学生だったのではないかと思えるのです。

「はい、よう合点がまいりました。このうえはどのような御仕置を受けましょうとも、思い残すことはございませんぬ。女が一生に一度の男。(播磨の顔を見る)恋にいつわりの無かったことを、確かにそれと見極めましたら、死んでも本望でござりまする。」

このお菊の科白は、お菊が喜んで死んでいったことを示しています。だとすれば、庭に下りて・覚悟して目を閉じて手を合わせるお菊の姿に喜びの表現が欲しいと私は思います。その死顔は微笑みさえ浮かべていたであろうとさえ思うのです。

(H15・10・12)

(追記)

別稿「新歌舞伎のなかのかぶき的心情」「歌舞伎の雑談・二代目左団次の旋廻走法」もご参考にしてください。


 

 

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