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「吉祥院」の面白さ

平成13年(2001)6月・渋谷シアター・コクーン・「三人吉三」

串田和美演出
五代目中村勘九郎
(十八代目中村勘三郎)(和尚吉三)、中村橋之助(八代目中村芝翫)(お坊吉三)、九代目中村福助(お嬢吉三)
 


1)真女形のお嬢吉三を想像する

「三人吉三」は安政7年(=万延元年・1860)1月市村座での初演。配役は三代目小団次の和尚吉三、九代目団十郎(当時は権十郎)のお坊吉三、八代目半四郎(当時は粂三郎)のお嬢吉三でありました。半四郎のお嬢 吉三は美しいが芸がおとなしくて・今ひとつ人気が出なかった半四郎の新しい魅力を引き出そうと考えられたものであったようです。しかし、これは半四郎のせいだけでもないでしょうが「三人吉三」初演はヒットというわけにはいきませんでした。 (安政の大獄での社会不安が原因とも言われています。)

黙阿弥・小団次は前年の安政6年1月市村座での「十六夜清心」でも半四郎をイガグリ頭にしています。しかし、前半の十六夜の方は清心役の小団次に「これなら寺を開いても惜しくはねえ(=破戒しても構わないとの意味)」と言わせるほどの出来でしたが、後半のおさよの方はやはり好評とはいかなかったようです。どうも黙阿弥や小団次の期待したような成果を半四郎のお嬢 吉三やおさよは十分に挙げることができなかったようです。開き直れなかったということでありましょうか。 (話がそれますが、黙阿弥が当初は「弁天小僧」に半四郎を想定していたのを五代目菊五郎に変更せざるを得なかったのは、この辺に原因があるのではないかと思っています。別稿「半四郎の幻の弁天小僧」をご参照ください。)

その後にお嬢吉三を当たり役にしたのが十五代目羽左衛門でありますので、お嬢吉三はその線で論議されることが多いと思います。それはつまり美しい娘がパッと 男の盗賊の正体を現して男の声で「月も朧に白魚の・・・」と朗々と詠うイメージの落差の面白さです。つまり男と女のチャンネルの切り替えの鮮やかさがその面白さになっています。したがって、お嬢 吉三という役は梅幸なども演じてはいますが、現代では真女形の役というイメージでは理解されていないわけです。

しかし、黙阿弥・小団次が半四郎で夢見た「真女形のお嬢吉三」のイメージ(それは完璧には実現できなかったわけですが)は想像してみる必要があると思っています。そのヒントは四代目源之助にあると思っていますが、それについては別稿「源之助の弁天小僧を想像する」をご参照ください。 尾上多賀之丞は源之助の舞台についてこう回想しています。

「(源之助の)『白浪五人男』の弁天なんかこりゃ飛び抜けてましたね。私はまあ、先輩に聞いたんですけれど、五代目(菊五郎)よりいいんじゃないかって話でしたよ。間合いなんかはね、これはとても五代目だって真似ができないって。・・・それからお嬢吉三もよかったね。寺の場のよさなんてものはねえ。欄間から降りて来て「お坊か」「お嬢か」「あ、久しぶり」でさっと尻をまくってね、「会いたかったねえ」なんてとこなんかはもう・・・。」 (尾上多賀之丞芸談:昭和46年季刊雑誌「歌舞伎」第11号)

吉之助の想像する真女形のお嬢吉三のイメージは、男の正体を現してもなおも「ホントにこいつは男なのか知らん」と疑いたくなる・したたるような色気・艶やかさです。そして、相手が男 だと分かっていても・思わずポーッと 引き込まれそうな魅惑・魔性です。その美しい娘が伝法な態度と言葉遣いをすることの面白さです。 根本の性根を娘の方に置かねばならないわけです。つまり、どこかなよなよとしてもらいたい。そうすることで半男女物としての倒錯的な味が出るという風に想像しています。お嬢吉三とお坊吉三との間にはそうはっきりした場面はないけれど、多分に倒錯的なところがある関係ではないかと思うわけです。

「源之助の弁天小僧を想像する」でも書きましたが、有名な「大川端」でのお嬢吉三の長台詞(「月も朧に白魚の・・」)というのは、ともすれば鬱屈しがちな・ジメジメした女形の気分を振り払おうとするものなのです。こうした正面切って台詞を言うこと自体が女形に本来あるまじき行為なのであって、だからこそ真女形のあの長台詞がカタルシスになるのです。つまり、黙阿弥は半四郎のお嬢吉三の変化に内面的なイメージの変化を こそ期待していたのであって、外見的な(つまり見掛けの)変化の効果は二の次だったのだと思っています。


2)「吉祥院」の面白さ

じつは今回の福助のお嬢吉三に密かに期待していたのは、そうした本来の真女形のお嬢吉三が見られるのではないかということでした。 しかし、予想に反して福助のお嬢は骨太いボーイッシュな作りでありました。いや、むしろいつものお嬢吉三より ももっとサッパリして男性的に見えました。 外見的な変化にちょっとこだわりすぎのようにように思いました。これでないと福助は気分を発散できないと思ったのかも知れませんし(福助の気性はサッパリしていて、もしかしたらこの人は女形をやるのが嫌いなのじゃないかと思うことがある)、演出の串田和美氏の考えでもあ ったのかも知れませんが、せっかく真女形を起用しておいてもったいないことです。

それはそれとして福助のお嬢吉三が面白いと思ったのは、「吉祥院の場」において、お嬢吉三と橋之助のお坊吉三が和尚吉三への申し訳に死のうかという場面です。

「(お嬢)人も死ぬ時死ななけりゃ、余計な恥をかかにゃあならねえ。生き永らえていろと言う、なぜその口で道連れに、一緒に死ねと言ってくれねえ。」
「(お坊)なるほど言やあそんなもの。そう心が据わったからにゃあ、くどくは言わねえ。そんならここで、手前も一緒に死ね。」
「(お嬢)それでこそ兄弟の誼(よしみ)。止められるよりオラァうれしい。」

なんだかいかにもその辺(渋谷の街)にころがっていそうな若者の科白らしくて不思議なリアリティーがありました。どういうことかと言えば、この二人は生に対する執着があまりないのです。 虚無的であるとも言えましょうか。だからアッケラカンとしていて、死ぬことを何とも思っていないわけです。

例えば酒場で二人連れが酒を飲んでいて、女が急にこんなことを言い出します。「ああワタシ死にたい。花瓶に挿した花が萎れてるの見たら急に死にたくなっちゃった。」 若い女はこういうことを時々言ったりするものです。それを聞いた男がボソッと言う。「 ・・俺、一緒に死んでもいいよ。これ以上生きていても何にも楽しいことないから。」 すると女は目を輝かして言います。「死のうよ、一緒に死のうよ。」 別に深い関係でもなかったふたりが急に連帯感を持ってしまう。最近巷で話題のメル友心中なんてのは多分にこういう感じかなと思います。

福助と橋之助の会話はこれに似た感じなのです。死のリアリティーが希薄であるところが妙にリアルで現代的なのです。 気の合う仲間同士が遊びみたいな感じで一緒に死のうかと言っているようにも見えます。こういう「三人吉三」もあるんだなあと思いました。 幕末の若者も似たような虚無的な精神状況であったのかも知れない・・などと考えてしまいました。

対照的に勘九郎の和尚吉三が芝居っ気たっぷりで、生に対する執着が深く・因果の律に対する慄きを濃厚に背負っているというのも非常に面白く思いました。「本堂裏手」で和尚吉三がおとせ・十三郎を殺す場面を出さなかったのは芝居の筋の上からは問題 があるかも知れませんが、 現代人にはおぞましい場面でもあるし(実は吉之助もあまり好きではない)、説明で済ましてしまった方がテンポアップの上でも賢明であったかも知れません。勘九郎の和尚吉三はなかなか迫ってくるものがありました。お嬢吉三とお坊吉三がサッパリしているから、和尚吉三の因果の律に対する懊悩の深さが 逆に際立ったのかも知れません。この辺の対照は意図したものなのかは分かりませんが、非常に面白く思いました。

ただし、和尚吉三が完全に兄貴分になっている感じではある。「三つ巴」の関係ではなくて、お嬢吉三とお坊吉三の上置きに和尚が乗っているような位置関係に見えます。そこのところは練り上げる余地があるかも知れませんが、「三人吉三」の現代的な解釈の可能性のある舞台であると思いました。

(H15・9・31)

(後記)

同じコクーンでの「三人吉三」の舞台を取り上げた別稿「空間の破壊」もご覧下さい。

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