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初代壱太郎・初役の白拍子花子

令和6年1月歌舞伎座:「京鹿子娘道成寺」

初代中村壱太郎(白拍子花子)


1)「娘道成寺」のバランスについて

本稿は令和6年1月歌舞伎座・初春歌舞伎の「娘道成寺」の観劇随想です。今回の「娘道成寺」は、白拍子花子を月前半が壱太郎・後半を右近とダブルキャストで分ける形になっています。壱太郎と右近を対で売り出したいという松竹の思惑が伺われますが、それならば道行をカットしたりせずに、ちゃんとした形で「娘道成寺」を競演させて欲しいと思います。これに道行を付けたら上演時間がどれだけ伸びるんじゃい・経費が増えるんじゃい。売り出しの仕方が中途半端じゃないかと思いますがねえ。本気でふたりを売り出したいのならば松竹は売り出し方をもっとよく考えてもらいたいと思います。

まあそれは兎も角、道行をカットして・いきなり乱拍子から始まるのならば、「娘道成寺」のバランスは当然変化します。今回は関係がないことだけど、幕切れに押し戻しが付くか・付かないかでも当然バランスが変化します。バランスが変わるのに・いつもの踊りを同じように踊れば良いってものではないのです。七代目三津五郎は、「「娘道成寺」のなかで嫉妬物として芝居を見せる場面は道行にしかありません」と言っています。そのように重い意味を持つ道行を「娘道成寺」から省くのならば、省くことを良しとはしませんけれど・それがやむを得ぬとすれば、「娘道成寺」のバランスはどう変わって行くのだろう?そう云うことを考えなければなりません。多分、「娘道成寺」のなかの芝居の要素(鐘への執心)は奥へ引いて、代わりに次から次へと繰り出される踊りの変化の妙、その面白さが前面に出てくることになるでしょう。もちろんそのなかでも鐘への思いは全体を貫くものとして在るには違いないが、「道成寺」の主題による変奏曲のレビュー的な愉しさ、繰り出す踊り・ひとつひとつの趣の変化をくっきりと付ける、そこが何よりも大事なことになるのです。

壱太郎が白拍子花子を勤めるのはこれが初めてのことだと思います。「娘道成寺」のバランスなんてことをいきなり言われても困るかも知れませんが、繰り出す踊り・ひとつひとつの趣・色合いの変化をくっきり付ける、そこに「娘道成寺」中間部(乱拍子から鐘入りまで)の御見物の興味があるのだと云うことは分かってもらえると思います。初代富十郎が初めて「娘道成寺」を出した時、或る方がどんな難しい振りを付けるかと思いきや・案外そうでもなかったので・拍子抜けがして「平凡な踊りですね」と感想を述べたところ、富十郎は「こういう平凡な振りでなければ後世に残りません」と返したそうです。この逸話の意味をよく考えて欲しいと思います。

そこで壱太郎の「娘道成寺」の踊りのことですが、全体的な流れのなかでの起伏が若干乏しいと云う印象を持ちますねえ。踊りを終えて花子が袖に引っ込む、次はどんな踊りを見せてくれるかな?サア出てきたゾ・・と云うワクワク感がいまひとつ。何だか流れがのっぺり平板に感じられます。そこのところをレビュー的な愉しさ・華やかさへと持って行けるか、そこに壱太郎の「娘道成寺」の今後の改善の課題があろうかと思います。

しかし、最初に紅白幕が上がって烏帽子姿の白拍子花子が現れたところの壱太郎の第一印象はなかなか良いのです。ふっくらと春風駘蕩たる・いわゆる「ぼんじゃりとした」上方女形らしい花子が見られそうな期待がします。近頃は現代風のシャープな印象の花子が多いですから、壱太郎の・このふっくら柔らかな印象はどこか古風な趣がして、それが何とも貴重です。それだけにこの第一印象を全体を通じて生かし切れていないのは、とても惜しいことです。そんなことなど考えながら壱太郎の「娘道成寺」の舞台を見ていたのですがね。(この稿つづく)

(R6・1・10)


2)壱太郎の白拍子花子

今回の「娘道成寺」は、前幕がモノクロームで暗い内容の芝居(小山内薫の「息子」)であるせいもあって、観客からすると余計にその華やかさへの期待が募ることになります。巧い演目配置をしたものですね。「古(いにしえ)の鐘の説話のドロドロした情念なんかどうでもいいから、理屈抜きで馬鹿々々しいお愉しみに浸らせておくれ、気持ちよく芝居を打ち出しにしておくれ」というのが観客の正直な気持ちです。こうなると鐘への思いなんてことは二の次になりますが、道行がカットの版(ヴァージョン)でやると一旦決まった上からは、次から次へと繰り出す踊りの変化の妙で観客を魅惑せねばなりません。

前述の通り、烏帽子姿で登場した時の壱太郎の白拍子花子の第一印象はなかなか素敵なのです。このままふっくら柔らかな印象を維持しつつ、「娘道成寺」全体をホンワカした春風駘蕩たる気分に浸らせてもらいたい。吉之助はそのように夢想するのですが、実際の壱太郎の踊りはなかなかそうなって来ないようです。全体的な流れのなかでの起伏が乏しくて、のっぺり平板に感じられます。踊りが変われば着物の色も変わるわけですが、踊りの色合い(気分)もまた変わって行かなけれなりません。そう云うウキウキ感覚がちょっと足りないのだな。

ひとつには初役ゆえ振りがまだ十分手に入っていないので、踊りに余裕がないせいかも知れませんねえ。振りを大きく取ろうとしているせいか、身体の軸(体幹)が前後左右にブレる場面が多い。テンポが早めで躍動感ある踊りでは、振りにスキが見えて形がキレイに見えて来ません。もう少し動きをコンパクトに持って行った方が良いように思いますね。振りがコンパクトになれば、自然と動きにリズム感覚が出てくると思います。その証拠には、テンポがゆっくりめの「恋の手習い」では、振りがしっかり取れて情感がこもって見えました。今回の壱太郎の「娘道成寺」では、「恋の手習い」がしっとりして一番出来が良かったと思います。まあ回数重ねていくうちに、動きもこなれて来るのではないでしょうか。再演を期待したいと思います。

(追記)

今回の「娘道成寺」は、壱太郎(2日〜14日)と右近(15日〜27日)のダブルキャストでした。

(R6・1・11)


 


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