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七代目梅幸の墨染

昭和53年1月国立劇場:「積恋雪関扉」

二代目尾上松緑(関守関兵衛実は大伴黒主)、七代目尾上梅幸(傾城墨染実は小町桜の精)、七代目尾上菊五郎(小野小町姫)、初代尾上辰之助(良峰少将宗貞)


本稿で紹介するのは、昭和53年(1978)1月国立劇場での、二代目松緑による関兵衛・七代目梅幸の墨染による「積恋雪関扉」の舞台映像です。前半・上の巻では、若き菊五郎の小町と辰之助の宗貞が付き合います。

今回の吉之助の注目は、七代目梅幸の墨染でした。それは「関の扉」と云うと、昭和54年(1979)5月歌舞伎座で見た「関の扉」の印象が吉之助のなかで強烈であるせいでした。この舞台は、八代目幸四郎の関兵衛、六代目歌右衛門の小町と墨染、七代目梅幸の宗貞という配役で、恐らく戦後昭和の数ある「関の扉」でも最高の舞台のひとつであったと思います。感触が重めの幸四郎と歌右衛門の間に、感触が軽めの梅幸が挟まることで・全体が重ったるくならず、絶妙のバランスを形成していました。おかげで吉之助のなかで、宗貞ならば梅幸だと云うイメージが強いのです。ところが上演記録を改めて調べてみると、梅幸が宗貞を務めたのは昭和53年の1回だけのことでした。他方、小町や墨染の方は数回踊っています。だから梅幸にとっては墨染の方が本役だったというわけです。これは失礼を致しました。そうなると俄然梅幸の墨染の映像が見たくなって来ます。梅幸の墨染には、歌右衛門とはまた異なる味わいの墨染が期待出来そうです。

ちなみに歌右衛門の小町・墨染のことですが、疑いもなく歌右衛門のベスト10に挙がる役だったと思います。しかし、歌右衛門の芸はどちらかと言えば粘った感触でしたから、「関の扉」もやや重めの時代の感覚に傾斜したところがあったかも知れませんねえ。その重々しさが天明歌舞伎の古風なイメージに重なって、如何にもそれらしく感じたものでした。

ここで「天明歌舞伎の古風なイメージ」と書きましたが、天明というのは鶴屋南北が活躍した文化文政期よりもさらに昔のことですから、天明歌舞伎と云うと、どうしても大時代な雰囲気を想像してしまうところがあると思います。関兵衛は最後に「実は天下を狙う大悪人・大伴黒主」の正体を顕しますから、関兵衛も重々しくスケール大きく仕立てたい。こうして何となく「古風な」が重々しい大時代のイメージと結び付いて行く、「関の扉」にはそんなところがあるかも知れませんねえ。もちろんそう云うスケールが大きい「関の扉」もいいものですが、本稿ではそれとはちょっと異なる「関の扉」の別の側面を想像してみたいのです。

四代目芝翫は「関兵衛は丸くやれ」と七代目三津五郎に伝授したそうです。つまり世話に砕いて踊れと云うことです。これは「関の扉」の関兵衛を初演したのが初代仲蔵であることを考えればすぐ分かることです。仲蔵は後の五代目幸四郎や三代目菊五郎に先立つ歌舞伎の現代化・写実化の先駆者でした。だから仲蔵の踊りにもそのような下世話で写実な軽い要素が入り込んでいるに違いありません。例えば「関の扉」で六歌仙の世界に江戸の廓噺が入り込むミスマッチングがそうです。そういうキテレツな取り合わせが同居するのが、天明歌舞伎の面白いところなのです。だから軽めの感触の「関の扉」もあり得ると思うのです。

ご存じの通り、墨染は人間ではなく・桜の精です。関所の桜の古木は墨染桜・または小町桜とも呼びます。原作である「重重人重小町桜」(じゅうにひとえこまちざくら、天明4年・1784・11月江戸桐座)は初演台本が残っていません。詳しい筋は分かりませんが、「関の扉」に至るまでのあらましは、良峰少将宗貞の弟・安貞は傾城墨染と二世の契りを交わしますが、実は墨染は人間ではなく・(小町桜の精とあるように)小町姫を守らねばならぬ使命を負っているようです。安貞は兄の身替りとなって切り死にし、この時に二子乗舟(じしじょうしゅう)の片袖を鷹の足に結んで放ちます。墨染は桜の精を現わして、亡き夫の敵関兵衛(実は大伴黒主)に迫ります。

「〽行くも返るも忍ぶの乱れ、限り知られぬ我が思い、月夜も闇もこの里へ、忍び頭巾で格子先、行きつ戻りつ立ちつくす、向こうへ照らす提灯の、紋は菊蝶ちょうどよい首尾と思えど遣り手が見る目、待つたぞや、オオよう来なんした、逢いたかったも目で知らせ、暖簾くぐりて入る跡を、残り惜しげに差覗きアアさて、待たせるぞ待たせるぞと、独り呟く程もなく・・」

下の巻の墨染と関兵衛の廓噺は、もちろん関兵衛とのことは「ごっこ」ですが、ここで墨染は無意識のうちに廓での安貞との馴れ初めをリフレインしているに違いありません。だからここは愉しい場面でなくてはならないでしょう。ここの箇所では、今回(昭和53年1月国立劇場)の梅幸の墨染・松緑の関兵衛を見ると、余計な重さが纏わり付かず、アッサリ軽めの感触がとても心地良い。

別稿「七代目梅幸の娘道成寺」で梅幸と歌右衛門の踊りの感触の違いについて書きました。これはどちらが良いとか悪いとかではなく、二人の持ち味の違いが、墨染の踊りにもはっきり現れています。歌右衛門であると、最後に桜の精の正体を顕し黒主と対決する幕切れに向けての一貫した流れを重視するようです。こちらの方が芸の在り方としては近代的なのです。これに対して梅幸の墨染は、曲(歌詞)の局面局面の変化に素直に反応するようです。廓噺では軽やかな感触に仕立てて、亡き夫の片袖を見て思わず感情を乱し、遂に桜の精の正体を顕す、それぞれの局面の踊りの色合いの切り替えがはっきりしており、しかもそれが決してバラバラに見えないのです。難しい理屈抜きのところがどこか「古風な」感覚に通じるのが、とても興味深いと思います。それにしても梅幸の墨染を見ると、廓噺がとても愉しいですねえ。天明歌舞伎の面白さ・軽やかさと云うのは、こういう感触ではないでしょうか。もちろんこれは相手役の松緑の巧さもあってのことです。これは良い映像を見た気がしました。

(R5・4・16)


 

 


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