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平幹二朗の「卒塔婆小町」

昭和51年7月国立小劇場:「近代能楽集〜卒塔婆小町」

平幹二朗(老婆)、寺泉憲(詩人)

(演出:蜷川幸雄)


1)平幹二朗・初の女役

本稿で紹介するのは、昭和51年(1976)7月国立小劇場で上演された、平幹二朗主演・蜷川幸雄演出による三島由紀夫作「近代能楽集〜卒塔婆小町」の音声録音です。(同日に、玉三郎主演による「班女」の上演もありました。そちらは別稿をご覧ください。)残念ながら舞台映像は残っていないようです。幸い吉之助はこの時の公演初日の舞台を見たので、当時の記憶を呼び起こしながら観劇随想とします。「蜷川氏の追悼文」でも触れましたが、吉之助はたまたま蜷川氏の隣りでこの舞台を見ました。吉之助は当日券で最後列の補助席だったのですが、芝居が始まる 直前に蜷川氏が「ここ空いてますか?」と言って来て吉之助の隣に座ったというわけです。それだけのことなんですけどね。吉之助が蜷川氏と顔見知りということではありません。

今でも強く印象に残っているのは、その時の蜷川氏が実に楽しそうに自分が演出した舞台を見ていたことでした。稽古中に怒鳴って灰皿を投げるという伝説がある方でしたから、「俺が指示した通りに演技が出来ているかチェックして、後でダメ出ししてやるぞ」という雰囲気でカリカリして舞台を見るのかと思っていたら、全然そうではなかったのです。「俺の仕事はもう終わったから、後は君達がこれをどう料理するか、サア楽しませてもらうよ」という感じでしたねえ。吉之助は、これもたまたまですが隆巴(宮崎恭子・演出家・仲代達矢夫人)の隣りで芝居を見たこともあります(昭和53年・1978・「オイディプス王」・無名塾旗上げ公演)が、彼女も実に楽しそうな表情で舞台を見ていました。全身全霊で仕事をやり切った人の心境は、そう云うものなのだろうなと思います。

そう云うわけで当日の舞台はよく覚えています。録音を聴くと、微かな響きですが、カシャッ・・・カシャ・・と乾いた音が断続的に聞こえます。舞台が進むと次第に気にならなくなりますが、始めはちょっと気になるかも知れません。これは芝居の間中、造花の真っ赤な椿の花弁が舞台が一面に上から始終落ちて来る仕掛けになっていて、最後は舞台一面が椿の花弁で真っ赤になるという、如何にも蜷川らしいアイデアでした。舞台面は確かにロマンティックで美しかった(見ようによっては俗悪かも・そちらが蜷川の意図か)けれども、造花なのでカシャッと乾いた音を立てるところはちょっとアイデア倒れで・改善の余地が多少あったかなとは思います。録音だけ聴くと何の音だか分からないと思いますが、吉之助には眼前にその時の舞台の光景が浮かんで来ます。

ところで、この時の公演(昭和51年7月国立小劇場)の「卒塔婆小町」の一番の興味は、平幹二朗が初めて女役に挑戦と云うところにありました。この件に関しては何度かサイトにも記しましたが、昭和51年2月日生劇場での「マクベス」公演(マクベス:平幹二朗、マクベス夫人:坂東玉三郎)が伏線にあります。この時の玉三郎のマクベス夫人は、主役の平幹を食っちゃったと思えるほど衝撃的なものでした。吉之助も「伝統芸能に裏打ちされた芸というのはこう云うものか、これが伝統の力・様式の力か」と驚いたものでした。しかし、平幹は相当口惜しかっただろうと思います。そこで「女役くらい俺にだって出来るぜ」という平幹の気概を示したのが、この「卒塔婆小町」であったわけです。この挑戦が後に平幹の(もしかしたら彼のキャリアのなかで最大の)当たり役になる王女メディアへと繋がって行きます。(平幹主演の「王女メディア」初演は、この2年後の昭和53年・1978・2月日生劇場、演出・蜷川幸雄) なお平幹はその後腰痛に悩まされ続けて、舞台休演に追い込まれたことも何度かありましたが、そのきっかけはこの「卒塔婆小町」舞台稽古で腰を曲げた演技をし過ぎたせいだと聞いたことがあります。

まず平幹初めての女役に触れねばなりませんが、身体の動きに関しては概ね新劇ベースで終始しています。この点は2年後の「王女メディア」での成果を待たねばなりませんが、三島由紀夫の現代劇ではギリシア悲劇のような様式を追求できないのだから、そこは仕方がない。大事なことは、台詞を野太い男声で押し通した点だと思います。女役だからと云って、声や台詞廻しに性差を求めることはしない。歌舞伎の女形の「女らしさ」の技法なんてクソ喰らえと云う気概でやっているというところが大事なところだと思います。もちろん「卒塔婆小町」の主人公は老婆ですから・艶っぽさを強調する必要はないので、女役初挑戦には良かったかも知れませんね。劇中で老婆が若き日の小町の気分を取り戻す場面では少し声を滑らかに響かせていましたが、声を若めの印象に仕立てたと云う程度のものです。

感心したことは、平幹演じる老婆(小町)が台詞を、過剰な感情を込めることなく・かと云って機械的ではなく、言葉のリズムをとても丁寧に均一に発していたことです。そこに様式感覚がごく自然に立ち現れました。まるで詩を語るようです。野太い男声で押し通していても、そこに性差を超えたものが表現できていました。だからまったく古(いにしえ)の能楽に通じる感覚が確かにあったと思います。能楽においても老婆(小町)は男優によって演じられるのです。

大変残念なことですが、同日の「班女」での玉三郎(花子)の台詞にはこのような様式的な感覚があまり感じられませんでした。それは演出の福田恒存の指図であったかも知れませんが、新劇的リアリズムに固執したために、女形を起用することの必然が揺らいでしまいました。

平幹の女役は、歌舞伎の女形の演技術がもしかしたら「フェイク」かも知れないということをチラリと考えさせました。「フェイク」というのは造り物(歌舞伎の女形は確かに造り物です)と云う意味もありますが、偽物と云う意味もあります。あの時、吉之助の脳裏をチラリとよぎったのは、女形の技巧はウソっぽいのかも知れないと云うことです。今回の「卒塔婆小町」は全員男優でキャスティングされており(もちろん蜷川に意図があってのことですが・老婆に平幹を起用した声質上のバランスも配慮したでしょう)、公園でいちゃつくカップル役で女言葉をしゃべる女役の男優が配役されていますが、こちらは喉を裏に使っているので、観客が盛んに笑いました。要するにキッチュ(奇矯)に安っぽく聞こえるからです。これは恐らく蜷川の計算の上での(歌舞伎の女形なんてそんな程度のもんなんだヨと云う)ことでしょうが、平幹の老婆は観客を笑わせません。平幹の体格が立派なものだから、舞台で老婆がズデーンとのさばり返っている印象がありましたが、それが全然キッチュに感じないのです。圧倒的な存在感でした。そこが舞台の不思議なところですが、何となくそんなものとして見えてしまうのです。平幹も2年後の「王女メディア」に向けて大きな自信を得たのではないでしょうか。

まあ蜷川が「卒塔婆小町」で歌舞伎の女形批判を試みたわけではないのですが、吉之助が元々玉三郎への興味から国立小劇場に芝居を見に来たので、何となく両者を比較をして見たくなったということです。「マクベス」では玉三郎が平幹を喰ったと書きましたが、「近代能楽集」の方は、平幹の完勝であったと思いますねえ。

平幹の老婆には、これを様式感覚と呼んで良いかは分かりませんが、どっしりと動かないものを感じました。吉之助は、様式というものはどっしりと動かない感覚であると思っています。平幹の老婆には、それがありました。一方、ここでは歌舞伎の女形芸の脆弱さを思い知らされたような気がしましたねえ。イヤ別に玉三郎が悪かったわけではないのですが、歌舞伎の芸というものは、或る種の「・・・らしさ」に寄りかかっているものなので、それが通用しないとなると意外と脆(もろ)いもんだなあと感じたのです。あの時の気付きは、後に吉之助が歌舞伎批評を書くようになってから大きなヒントを与えてくれました。あの頃の吉之助にはそのつもりはまだ全然なかったのですがね。(この稿つづく)

(R4・2・28)


2)我は卒都婆なり・卒都婆は我なり

ところで三島由紀夫の「近代能楽集」について、本行(能楽)の設定を現代の風俗や事象に置き変えて現代劇に翻案したかのように思っている方が巷間少なくないように思います。三島がそのような置き変えの考え方であったならば、例えば「班女」で本行に該当する人物がいない老嬢実子の発想などは決して出て来ないと思います。この「卒塔婆小町」でもそうです。三島が考えたことは、もし世阿弥など能楽作者が現代に生まれて芝居を書いたとすれば・どんな現代劇が生まれただろうかと云うことです。三島は本行からプロットを借りているのではなく、主題(観念)だけ借りているのです。

三島は「卒塔婆小町覚書」(昭和27年)のなかで、「(本行では小町が腰掛けて・これを僧がたしなめる)卒塔婆を公園のベンチにしたのは、苦しいところである」と書いています。このことも観客に余計な混乱を起させる原因になっています。確かに目に見える事象としては、三島は劇中から卒塔婆を取り去ってしまいました。三島は前半の芝居を公園のベンチに座るカップルが生きているだの・死んでいるだのと云う俗な会話に変えてしまいました。これは三島が本行の卒塔婆問答をパロディにしたということでしょうか?そう感じるとすれば、それは本行とのプロットの対比で三島の芝居の意図を読もうとするからです。

しかし、三島の芝居のなかに「卒塔婆」はちゃんと出て来ます。老婆が「卒塔婆」です。三島の芝居のなかに卒塔婆問答はないように見えるが、実は老婆自身が「卒塔婆」なのです。老婆が本行の主題を体現しています。だから上述のベンチ問答は、ただベンチに座るカップルを揶揄する会話に過ぎません。それは本行の卒塔婆問答と対比すべきものではありません。本行「卒都婆小町」(観阿弥作と伝えられる)から卒都婆問答のシテ(小町)の台詞を見てみます。シテを卒都婆に重ねながら読んでください。

シテ:「仏体色相(ぶったいしきしょう)のかたじけなきとはのたまえども、これほどに文字も見えず、刻める像(かたち)もなし、ただ朽木(くちき)とこそ見えたれ」
(現代語訳)
「(卒都婆は)仏の姿を顕わした有難いものだと仰るけれども、このように文字も見えず、仏の形が刻んであるものでもない、ただの朽ち木にしか見えないが如何。」

シテ:「われも賤(いや)しき埋木(うもれぎ)なれども、心の花のまだあれば、手向(たむけ)になどかならざらん。」
(現代語訳)
「私も賤しい埋れ木のような身であるが、まだ心のなかに花があり、風雅を愛する心があるからには、それが仏への手向けにならないはずがあろうか。」

これは禅問答に近いようですが、我が身のことを言っているのです。つまり「我は卒都婆なり・卒都婆は我なり」と云うことなのです。シテは小野小町ですから、そうすると誰でも知っている・あの有名な和歌が思い出されます。それはもちろん、

花の色は映りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に  「古今集」

です。これを上掲のシテの台詞に重ねて読むと、「かつては美しかった私も、今は老いさらばえて昔の面影はなく、誰も私を振り返ることもない、卒塔婆みたいなものだけれど、それでも私のなかには若々しい心がまだ残っている、それが殿方の心をときめかせることもあるかも知れないわね」と云うことになります。現代風に言い変えれば、これが本行「卒都婆小町」の主題であろうと思います。

プロットの改変と云うことになれば、本行が後半で深草少将の霊が小町に憑依して狂いとなるのに対し、三島の芝居では、これを老婆と詩人に分けたところが、際立った相違です。しかし、この点がとても大事なことですが、三島の芝居では、深草少将の霊が詩人に憑依したのでしょうか、或いは詩人が99年前の深草少将の生まれ変わりであったのでしょうか。

これはそのようにも読めるかも知れないし、そうでないかも知れません。ご自身の想像力でご自由に読めばよろしいことです。しかし、吉之助は、そのどちらでもないと読みたいですねえ。あれは遊び・「ごっこ」であったのです。最初は「ごっこ」に過ぎなかったのだが、だんだん詩人がそんな気分になってきて、最後は本気になってしまったのです。

老婆:「私を美しいと云った男はみんな死んじまった。だから、今じゃ私はこう考える、私を美しいと云う男は、みんなきっと死ぬんだと。」
詩人:「(笑う)それじゃあ僕は安心だ。九十九歳の君に会ったんだからな。」
老婆:「そうだよ、あんたは仕合せ者だ。・・しかしあんたみたいなとんちきは、どんな美人も年をとると醜女(しこめ)になるとお思いだろう。ふふふ、大まちがいだ。美人はいつまでも美人だよ。今の私が醜く見えたら、そりゃあ醜い美人というだけだ。」

この老婆の台詞は高尚な仏教問答などではなく、下世話な会話に仕立てられたかに見えますが、実はこれこそ、先に引用した本行の卒塔婆問答の台詞に照応出来るものです。

しかし、この時点では詩人は、まだ老婆をからかっている気分です。そこで詩人は遊び心から深草少将の役を買って出て、「ごっこ」を始めます。

詩人:「よし、それじゃあ僕が、その何とか少将になろうじゃないか。」
老婆:「莫迦をお言いな。あんたの百倍も好い男だ。・・そうだ、百ぺん通ったら、思いを叶えてあげましょう、そう私が言った。百日前の晩のこった。鹿鳴館で踊りがあった。私はあまりのさわぎに暑くなって、庭のベンチで休んでいたんだ。・・・」

こうして老婆と詩人の、百夜通いの「ごっこ」が始まります。すると眼前に鹿鳴館が現れます。詩人はだんだん深草少将の気分になって来て、ついに「君は美しい」と叫んで、そして死んでしまいます。

・・・老婆はホントに99年前の小町であったのでしょうか?そうかも知れませんが、そうでないかも知れません。ご自身の想像力でご自由に読めばよろしいことです。しかし、多分蜷川ならば「深草少将の霊が詩人に憑依したとか、詩人が99年前の深草少将の生まれ変わりだとか、そんな甘ったるいロマンティックな感傷にオレは溺れたくないネ」と言っただろうと思います。だから蜷川は「卒塔婆小町」を全員男優の芝居に仕立てたのではないでしょうかね。詩人が「君は美しい」と叫んだ相手は実は男(平幹二朗)だったのだヨ、可笑しいねえ、これって卒塔婆を仏だと言うのとあまり変わりがないようだ。つまり「我は卒都婆なり・卒都婆は我なり」と云うことなのだな。吉之助はあの時圧倒的な存在感で舞台に開き直っている平幹二朗の老婆を懐かしく思い出します。

(R4・3・2)


 


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