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十五代目仁左衛門・一世一代の知盛

令和4年9月国立劇場:「義経千本桜〜渡海屋・大物浦」

十五代目片岡仁左衛門(渡海屋銀平実は平知盛)、初代片岡孝太郎(女房お柳実は典侍の局)、五代目中村時蔵(源義経)、初代中村隼人(入江丹蔵)、三代目中村又五郎(相模五郎)、四代目市川左団次(武蔵坊弁慶)他


2月歌舞伎座・渡海屋・大物浦」では、仁左衛門が渡海屋銀平実は平知盛を一世一代で演じるのが話題です。仁左衛門が登場すると客席は大喝采。拍手が暫し鳴り止みません。仁左衛門の知盛については別稿「爽やかな知盛」にて前回東京での所演(平成29年3月歌舞伎座)について触れました。前回とコンセプトは変わらず、恨みを残さず・爽やかな後味で「平家物語」の世界へ還っていく知盛です。仁左衛門は自らの型を作り上げていくなかで細部にこだわりをみせています。最も大きい相違は、渡海屋銀平が知盛の本性を現わす二度目の出で、「そもそもこれは桓武天皇九代の後胤(こういん)、平の知盛幽霊なり」という謡掛りの文句をカットしたことです。この件については別稿「爽やかな知盛」で詳しく述べましたから・そちらをご参照いただきたいですが、確かに「平家物語・巻11」を正しく読むならば知盛がこの世に恨みを残して怨霊となることはあり得ないと思います。だから知盛は爽やかに死んでいきたいとする仁左衛門の考えには吉之助も大賛成ではあるのですが、この場の白装束での知盛の登場は数ある時代物のなかでも最もカッコいいシーンであって、ここをカットするのは如何にももったいない気がします。逆を言えば、それでも敢えてそれを行なったところに役者仁左衛門の真骨頂を見るべきですが、本作が謡曲「船弁慶」の絵解きである以上そこまでこだわる必要もないように思います。どちらが良いかは悩むところですね。

今回(令和4年2月歌舞伎座)の舞台を見ると、銀平実は知盛を一貫して太いタッチに描きたい意図があったようで、知盛の最後を爽やかに見せる対比上、世話のパートである銀平を若干重めに仕立てた印象がします。仁左衛門は銀平の声質をやや低めに抑えたところに置いていたようです。「町人の家は武士の城郭・・」の台詞は、初演当時の大阪町人たちが快哉を叫んだ(受け狙いの)箇所に違いありません。もちろんそこは仁左衛門だから悪かろうはずはないですが、仁左衛門ならば高らかに張り上げたらばもっと良かろうにと思うのです。そこが若干抑え目で渋い印象がしたのは、ここが奥の間にいる義経一行に向けての「芝居」(つまりこれは嘘事)だと云うことを意識したからでしょうかね。そこまで意識する必要はないように思うのですがね。このことは周囲も仁左衛門に合わせたようで(あるいは仁左衛門の指導か)、この場では孝太郎のお柳(実は典侍の局)も若干重たい感じがしますし、又五郎・隼人の偽鎌倉の二人侍もそんな風が若干します。まあ全体としては時代物二段目には違いないので大した齟齬になっていませんが、渡海屋前半は世話の・軽めの感触に仕立てた方が本来はよろしかろうと吉之助には思われます。知盛が本性を顕わし・安徳帝が顕われる変化がそれで際立つものと考えます。本作が「ひらかな盛衰記・三段目・松右衛門内(逆櫓)」を下敷きにしていることがヒントになるかも知れませんね。つまり渡海屋前半を世話場と意識してもよろしかろうと云うことです。そう考えると今回の舞台前半は時代の方に若干寄り気味でしたね。

知盛が本性を顕わして以降からの芝居は、芝居もテンポ良く進んで良い出来に仕上がりました。孝太郎の典侍の局は安徳帝を抱いての「如何に八大竜王・・」の台詞が素晴らしく、見事にこの場を大舞台の風格にしました。時蔵の義経も素晴らしい。知盛の感情を真正面で受け止め、慈悲の心で返すことが出来る義経です。その他共演者にも恵まれて、仁左衛門の知盛は、「昨日の仇や今日の友・・」とニッコリ笑って去って行きます。爽やかな後味で・スケールが大きい知盛は、仁左衛門の数ある時代物の当たり役のなかでも特に大事な一役になったと思います。

(R4・2・3)



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