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四代目猿之助のおとわ〜悪婆についての考察

令和3年10月歌舞伎座:「天竺徳兵衛新噺〜小平次外伝」

四代目市川猿之助(小幡平次・女房おとわ)、二代目坂東巳之助(馬士多九郎)、二代目尾上松也(尾形十郎)、五代目中村米吉(妹おまき)、六代目嵐橘三郎(父親正作)他


1)小幡小平次の件のこと

三代目猿之助四十八撰の内「天竺徳兵衛新噺(てんじくとくべいいまようばなし)」(初演は昭和57年7月歌舞伎座のことで、吉之助はもちろん見ました)から、今回はコロナ仕様の時間制限のせいで、中幕の小幡小平次(こはだこへいじ)の件を抜き出して「小平次外伝」と銘打って上演したものです。ただし鶴屋南北の「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべいいこくばなし)」には小平次の件は本来ないもので、これは同じく南北の「彩入御伽艸(いろえいりおとぎぞうし)」の小平次の件を挿入したものです。脚本が伝わっていませんが、「彩入」発端でどうやら小平次の筋が天竺徳兵衛の世界と絡んでいたらしく、小平次の件を「天竺」へ挿入した根拠がそこにあるようです。実は原典主義者の吉之助はこう云う素性のよく分からぬ脚本のいじくり廻し(もちろん三代目猿之助は良かれと思ってやっているわけだが)が昔から好きではなく、当時の若き吉之助はかなり熱心な三代目猿之助ファンでしたが、吉之助が猿之助歌舞伎の復活狂言から次第に離れていくことになった遠因のひとつが、これでありました。まあ小平次の件だけ抜き出してやる分には余り気になりませんが、今回のチラシでは「「彩入御伽艸」より」とのクレジットがされたことは良心的であったと思います。しかし、この芝居の外題が「天竺徳兵衛新噺」である経緯が今の若い観客には分からないでしょうから、多分混乱するでしょうね。

まあそれは兎も角として、今回(令和3年10月歌舞伎座)の「小平次外伝」は小平次の幽霊譚を手際よく見せてくれました。芝居のコクが乏しいのは脚本のせいで仕方ないところですが、南北の生世話の乾いた感触が出せていればそれで良しとします。ところで、いつぞや吉之助は「南北ものは、ベテランよりも若手で見る方が面白い」という仮説を提出しました。つまり幕末歌舞伎の・重くねっとりした「らしい」感触に染まってしまったベテラン役者よりも、まだそういうものに染まり切っていない(まだ出来上がっていない)若手の南北の方が、本来の南北の生世話の感触にいくらか近くなるだろうということです。今回の「小平次外伝」では、巳之助の馬士多九郎・米吉の小平次妹おまき・松也の尾形十郎ともに、そんな感触にいくらか近いものを感じて、ちょっと嬉しい気分になりました。もっとも彼らも役者として練れて行くなかで・こう云う芝居がだんだん似合わなくなって行くでしょうが、まあそれはそれです。

吉之助は今回の舞台を見ていて、昭和57年7月歌舞伎座の「天竺徳兵衛新噺」初演の雰囲気をフト思い出しました。ちなみに当時の配役では多九郎を段四郎・おまきを東蔵・十郎を九代目宗十郎が演じたのでした。吉之助も若かったが、みんな若かったねえ。どこがどう似ていると云うのでもないけれど、何と云うか、当時の若手のひたむきさが似ているのでしょうかね。芝居がまっすぐであることは、良いことです。(この稿つづく)

(R3・11・30)


2)猿之助のおとわ〜悪婆についての考察

猿之助が勤めるのは小平次と女房おとわの二役ですが、小平次はさしたることもない(これくらい出来て当たり前)ですが、悪女役のおとわの方を猿之助がどう処理するかは、興味あるところです。猿之助が演ればやはりそうなるだろうと云うような・濃厚な感触の悪女に仕上がっています。ただし幕末歌舞伎の重ったるい絵草紙の感覚であって、もう少し感触が軽めの方が南北の味ではないかと云う気がしますね。

ところで以下は猿之助のおとわと直接関連しませんが、このおとわという役についてちょっと考えてみたいのです。南北の脚本には、おまきに「とんだ悪婆だ」と罵られて、おとわが「何だ、悪婆とはオレがことか」と言い返す場面があり、これは文献で「悪婆」という用語が出て来る比較的早い例ではあるようです。しかし、南北の・この「悪婆」の使い方は、悪女・或いはふてぶてしい女・毒婦というニュアンスであって、いわゆる役柄としての「悪婆」の定義とは意味合いが異なるようです。ですから短刀を振り回す女というだけでおとわを悪婆の役として規定すると間違いで、これは岩藤や八汐と同じ悪女の範疇に入れて考えるべきであろうと思います。まず役柄としての「悪婆」の定義について触れておきます。「お染の七役」(於染久松色読販)を国太郎に習った玉三郎が、次のように語っています。

「悪婆(土手のお六)は可愛さがなければいけないと言われました。抜けたところがなくてはいけない、可笑しみがないといけないということです。お六にしても旧主の竹川のためにやっているので、根っからの悪ではいけないわけです。」(坂東玉三郎インタビュー:歌舞伎美人・平成30年3月歌舞伎座)

これが役柄としての「悪婆」の正しい感覚で、「女形としてあるまじき事(女武道)をするのも忠義のためだから仕方ないと断りをすることで、女形本来の性質である善人に立ち返る」のが、悪婆なのです。如何にも女形が考えそうな発想です。「こんなはしたないことはホントはしたくないんですよ、でもお主(あるいは愛する亭主)のためだから、仕方がないのヨ」というところに、悪婆の可愛さ・愛嬌があるわけです。(別稿「源之助の弁天小僧を想像する」をご参照ください。)

しかし、このおとわという役には、女形本来の性質である善人に立ち返るための名目が見当たりません。おとわは根っからの悪女です。「彩入御伽艸」初演(文化五年・1808)時点でおとわを演じた初代尾上松助(後の初代松緑)は64歳であり、また立役(小平次)とおとわを兼ねたところから考えても、被害者としての小平次との対照上からも・おとわは悪女でなければなりません。やはりおとわは立役が勤めることが多い岩藤と同じ範疇であると考えて良いでしょう。つまり役が立役からの発想だということです。ですからおとわという役を、悪婆と見なすことは出来ません。

一方、「於染久松色読販」初演(文化10年・1813)で土手のお六を演じた五代目半四郎は、この時37歳でした。このお六が「悪婆」の端緒だとまで言い切れないかも知れませんが、これ以後、半四郎は悪婆の領域をどんどん開拓していきます。そう考えると、「彩入」のおとわは、南北の生世話のバラガキの悪女として興味深いキャラクターではあるけれども、「悪婆」の役柄が成立する以前の・前段階(プロトタイプ)と見るべきだろうと思いますね。

そう考えると猿之助のおとわは、まだ工夫の余地があるかも知れませんねえ。前節で触れた通り今回の舞台では巳之助ら若手が南北の生世話に近い感触でやっているなかで、猿之助だけが幕末の絵草紙感覚と云うのでは、ちょっと困るのではないかな。猿之助は主役であるから・そうであってもさほど違和感がないと言ってしまえばそれまでですが、「生世話の岩藤」とでも云うような、性悪女のバラガキの感覚、その辺をおとわで目指してみれば如何かなと思うのですが。

(R3・12・3)



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