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五代目玉三郎新演出の「船弁慶」

平成17年12月・歌舞伎座・「船弁慶」

五代目坂東玉三郎(静御前・平知盛の霊)


新歌舞伎十八番の内「船弁慶」は明治18年(1885)東京・新富座において九代目団十郎によって初演されました。作曲は三代目杵屋正次郎の節付けが使われていますが、実はその15年ほど前に 作曲された二代目杵屋勝三郎の「船弁慶」があるのです。その経緯はよく分かりませんが、舞踊初演にあたり・作詞の黙阿弥あるいは九代目団十郎が新たに正次郎に作曲を依頼したということです。今回の玉三郎の新演出の「船弁慶」は先行の勝三郎の節付けの方を採用しています。だから今回の演出作品は九代目版「船弁慶」とは別作品ということです。畏れ多くも九代目演出を手直しするとあってはいろいろ言う方も出てきそうです。そこのところは注意して、勝三郎の節付けを使い・ 全然別の作品だということで「新歌舞伎十八番」を外したということだろうと思います。

玉三郎が「船弁慶」を演じると聞いて吃驚した方は多いと思います。前シテの静御前はもちろん玉三郎のものでしょうが、後シテの知盛の霊の方はどんなだか吉之助も想像つかなかったというのが正直なところです。そこまでして挑戦する「船弁慶」での玉三郎演出ですから、玉三郎の演劇観や今後の方向を考える点でも興味深いことと思います。

ところで能狂言から題材を取った松羽目物が明治期に盛んに創られたのはご存知の通りです。(別稿「時代にいきどおる役者〜九代目団十郎以後の歌舞伎」をご参照ください。)明治期に松羽目物が創られたのは歌舞伎を国劇として高尚なものにしようという意図でした。もう内容が低劣だなんて言わせないよ・何たって題材はお能だもんね・だからお能の真似をするというのがその本音であります。そこに江戸期には式楽として重んじられてきた能狂言に対して・河原乞食と蔑まれてきた歌舞伎役者の複雑な思いが交錯するのです。松羽目物には・能に憧れ・能に近づきたいという思いがあるのです。

もちろん歌舞伎の最高の人気作「勧進帳」にもその要素があります。(別稿「勧進帳のふたつの意識」をご参照ください。)しかし、「勧進帳」は天保11年(1840)3月・河原崎座・七代目団十郎による初演であり、それ以後頻繁に上演されて目に慣れているせいもありますが・作品が歌舞伎としてこなれています。原作の能「安宅」にはない山伏問答がその芝居の頂点に置かれていることでもそれは分かります。「勧進帳」は「安宅」を題材にしているけれど歌舞伎だとはっきり言えます。

しかし、明治になってからの九代目団十郎による「船弁慶」(明治18年新富座)・「紅葉狩」(明治20年新富座)、五代目菊五郎による「土蜘蛛」(明治14年新富座)・「茨木」(明治16年新富座)といった松羽目作品群は、能への憧れ・能に近づきたいという思いが生乾きで出ていると思います。荘重に重く演じて・いかにも能みたいな高尚な雰囲気を出そうということに腐心しています。しかし、ここが大事なことですが能を真似しようとして も・決して能そのものではあり得ないのです。つまり、何と言うか・どこかうさん臭いのです。吉之助はこれらの作品を見るといつも感じますが・明治ではない現代の人間からすれば、それならホンモノの能の舞台を見ればいいことなんだよと言いたくなるのです。

吉之助の勝手な思いからすれば、松羽目物を演じる役者は原作の能から離れようとする意識を持ってもらいたいと思うのです。特に台詞まわし に更なる工夫が必要だと思います。松羽目が歌舞伎を主張できるとすれば・そのポイントは台詞まわしにあると思います。ご注意願いたいですが「崩す」という意味ではありません。 本行の格調を保持しつつ、表現ベクトルとして歌舞伎の本質である写実の方に意識を引くということです。そういう表現ベクトルが必要です。今の歌舞伎役者の松羽目物での演技は能らしく荘重にを意識し過ぎで、結果として重く死んだような演技になっているものが多いと思います。 逆に「棒しばり」のような狂言ダネ舞踊はますますはしゃいで狂言から離れて崩れています。こちらも問題が多いですね。要するに本行に対するスタンスの取り方が中途半端なのです。

今回の玉三郎新演出の「船弁慶」ですが、舞台に能舞台を意識した破風を吊るし、松羽目を模した背景で能舞台の見立てが強くなっています。さらに登場人物の入退場に花道をフル活用することで、花道を橋掛かりに見立てていることもよく分かります。だから全体に能を強く意識し、九代目団十郎版の舞台より能返りを志向しているということです。本行(原作)志向は歌舞伎演出の再検討の方向性のひとつとしてよく分かります。ただし、そこに方法論が必要になると思います。いつでも本行返りがよろしいかと言うとそういうわけでもありますまい。

例えば本年10月歌舞伎座での「加賀見山旧錦絵・尾上部屋」において普通はお初が部屋に戻る場面で・自害を図った瀕死の尾上から岩藤が尊像を奪う設定になっていますが、これを玉三郎はお初が戻ると既に尾上が死んでいて・岩藤を出さない本行の形に戻しています。これは納得できますし、方法論としても理解できます。その本行返りのコンセプトは作品全体の読み直し(再検討)から来るものだからです。

しかし、今回の「船弁慶」の場合だと本行志向はちょっと様相が異なるのではないでしょうか。前述の通り、松羽目物というものが能に憧れ・能に近づきたい・真似したいというところから出発しているのは確かなことです。しかし、所詮は本行志向と言ったところで能っぽく見せているだけのことで、ホンモノの能を演じているわけではないからです。ホンモノが見たいのならそれこそ能の「船弁慶」を見れば良いのです。歌舞伎役者が能掛かりの真似をすればするほど、その演出コンセプトの矛盾が露呈をすると思います。松羽目物の能返りは先ほどの「加賀見山」の場合で言えば・この作品は人形浄瑠璃から発するのだから・ここで本行返りして全員芝居を人形振りで演ろうじゃないかと言うようなものです。

玉三郎の「船弁慶」で見ると前半が特にそういう感じです。本行志向ンコンセプトだから当然ですが、能らしく荘重に・能らしく重々しくという雰囲気が濃厚に出ています。そのために歌舞伎の松羽目らしい感じがしません。冒頭の弁慶の台詞からして役者全員の意識が 荘重の方へ向いていて・台詞が重過ぎて死んでいます。舞台を見ていてつらい感じがします。言い換えれば、かえって九代目団十郎版「船弁慶」の方がまだしも歌舞伎らしい独自の要素を出そうと 努めている(それでもまだ十分ではないと思いますが)ということを逆説的に再認識させるということはあるようです。

勘三郎の船頭が登場すると、全体の台詞や演技のテンポが急に早くなります。勘三郎の船頭だけが本来の歌舞伎の松羽目の雰囲気を残しています。それでも普通よりは台詞を遅めに・神妙に抑えているようですが、それでも勘三郎が登場してやっと舞台に少し生気が出てくる感じがします。このことが玉三郎の演出のコンセプトから見るとどういうことなのかが分かりません。前半の登場人物の遅いテンポから すると勘三郎が玉三郎のコンセプトに合っていないように見えると言うことです。しかし、結果から見ればやはり勘三郎のテンポの方が正解であると言わざるを得ません。勘三郎の船頭がいちばん歌舞伎らしくて・またほどよい格調も感じさせます。つまりお行儀が良いのです。しかし、船頭が登場した途端に弁慶も義経も船頭に引っ張られて台詞が急に早くな ります。しかも前半と比べて突然写実にくだけた感じに見えるようでは・それじゃあ前半の重いテンポは何だったんだということになると思います。演出コンセプトが一貫しておらぬ のです。

興味津々であった玉三郎の後シテ知盛の霊ですが、風貌においては頭が小さくて・何と言うか貧弱な感じに見えるのが亡霊という感じではあります。富十郎だと壮絶な悪鬼という感じもしますが、玉三郎の場合は虚ろな影のような感じがして・実体がない感じがする・知盛が打ちかかってもそれはただの幻影であって恐ろしいけど斬られるわけでないとそんな感じがします。それはそれとしてなかなか面白いキャラクターだと思いますし、だから玉三郎は知盛が演りたかったのでしょうかね。ただし、振り付けが広い歌舞伎座の空間をまったく生かせていません。右手端に陣取った義経一行に対して、左の空間がぽっかりと空く感じになり・実に舞台がだだっ広く感じられます。このあたりも舞台を広く使った九代目団十郎版の巧さを改めて思います。

さらに驚いたのは知盛の登場退場に花道スッポンを使ったことです。スッポンを使うのは妖怪亡霊だけのことというのは歌舞伎の約束です。それなら後シテの知盛は亡霊なのだから・ここでスッポンを使うのは当然宜しいということになるでしょうか。しかし、今回の「船弁慶」は本行志向を標榜して・舞台を能舞台に・花道を橋掛かりに模すことをしておきながら、ここでスッポンを使用して歌舞伎を主張する意味が どこにあるのでしょうか。能の橋掛かりにはスッポンなどありません。こういうところに玉三郎の演出コンセプトの一貫性の無さが感じられます。

蛇足ながら昨年(平成16年)1月・歌舞伎座での「京鹿子娘二人道成寺」において・玉三郎がやはりスッポンを使用したことについて・別稿「あなたでもあり得る」において ちょっと苦言を呈しました。あそこで『こういう「道成寺」の演出を褒める方は「連獅子」の後シテがスッポンから登場してもおそらく褒めるのでしょう・こういうことを指摘しておかなければ・際限がなくなります』と書きましたが、まさか松羽目の舞台セットでこういうことはやるまいねという皮肉のつもりで 書いたのですが、まさか玉三郎がこういうことをやるとはね・・ホント嘆息であります。どうしてもスッポンが使いたいのなら松羽目の舞台にはせぬことです。それが先行のお能に対する敬意というものだと思います。

もうひとつ、気になるのは幕切れの本舞台での義経の居所のことです。今回の「船弁慶」では舞台中央を弁慶が取り・義経はその向かって右手に位置して幕となります。しかし、これは義経を中央に置き・弁慶は花道にいる知盛から義経を守る形で向かって左手に立つ方がよろしいのではないかと思えます。九代目団十郎版「船弁慶」ではそのようになっているかと思います。

題名は「船弁慶」ですが、この作品も義経物の系譜ですから・義経の神性を意識しなければなりません。弁慶が事実上の主人公であっても・弁慶が義経を差し置いて幕切れで中央に位置することなどあってはならぬことです。「船弁慶」では弁慶が数珠を揉んで知盛の霊を退散させて義経を守ると・舞台面だけ見れば表面的にはそう見えますが、実は菩薩義経が弁慶を遣わせて知盛の霊を鎮めるのです。そういう風に考える必要があります。あくまでシンは義経なのです。

ともあれ今回の玉三郎の「船弁慶」は松羽目物の能への憧れ・能に近づこうという潜在意識が明確に形を見せた点で非常に興味深く思われました。歌舞伎が世界無形文化遺産となり・「伝統」を否応なしに売りにせざるを得ない時に・本行への意識は当然なければならないことですが、はたして伝統への回帰の方法論はあるか。このことは玉三郎だけでなく、これからの歌舞伎全体の課題でありましょう。

(H18・1・8)



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