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続・舞踊の身体学〜八代目染五郎と五代目団子の「三社祭」

令和3年8月歌舞伎座:「三社祭」

八代目市川染五郎(悪玉)、五代目市川団子(善玉)


1)続・舞踊の身体学

まずは別稿「舞踊の身体学」の続きみたいな話しになります。昔と比べて今の若者の体格はずっと良い。背は高いし・顔は小さい。手足が長い。けれどもそうなると、舞踊(西洋舞踊でも日本舞踊でもそうです)の身体バランスが変化して、随分と印象が変わって来るということを考えたわけです。多少のことならば、腰を意識して落とすことで対処は出来ます。しかし、これで背を盗めるのも、せいぜい数pです。ひとつの対処法は踊りの振りそのものを変えてしまうことです。しかし、古典的な演目であると、そうも行かない場合だってあります。舞踊を指導なさる先生方は多かれ少なかれそう云う場面に遭遇して悩むことが多かろうと思うのですが、吉之助の目に触れるところでは、西洋舞踊でも日本舞踊でも、踊り手の体格の変化に伴う舞踊の変化について実体験的なことを書いた文章をほとんど目にしません。そう云うものは踊り手のセンスによって対処すべきもので・正面切って論じるものでないと思われているのか、企業秘密であるのか、その辺は分かりませんが、吉之助にとっては摩訶不思議なことではあります。

例えば「三社祭」で云えば、吉之助にとっては、昭和の末頃の五代目富十郎の悪玉と五代目勘九郎(後の十八代目勘三郎)の善玉による舞台が懐かしく思い出されます。平成で言うならば、十代目三津五郎の悪玉と十八代目勘三郎の善玉による舞台、これも結構なものでした。三人共に言わずと知れた舞踊の名手でした。三人に共通するのは、「背が低い」と云うことでした。日本舞踊の場合は、背が低いだけで、踊りが低重心で、動きが安定したものになります。これと較べると、今の若者は長身で小顔、手足が長い。だから幕が開いて姿が見えると、何だかヒョロ〜リと安定感がなくて、印象が頼りない。まだ踊っていないうちから、つい「これで大丈夫かいな」と不安に感じてしまいます。富十郎以下背が低い三人が踊るならば、踊る前から20点か30点が加算されているようなものです。こりゃあ、色んな意味で、採点が不公平だなあと思うのです。しかし、芝居の分野ならば、あの三人は「俺の背があと10p高ければ・・」と人知れず悔し涙を流したことがあったに違いない。けれど、歴史にIF(もし)はないと云うけれど、もし三人の背が10p高かったとしたら、あの絶妙な踊りのバランスはなかったかも知れません。

吉之助は、踊りの舞台を見る時には、もちろん歴代の踊りの名手たちの記憶を大事にしています。思えば、どなたも背が低くて顔が大きかったのです。吉之助は、現代の、長身で小顔で手足が長い・若手役者たちの舞台を、これと同じ土俵に上げて論じるつもりはありません。それでは、若手役者の踊りを、見る前から20点減点して見るようなものです、そんな不公平な見方はありません。吉之助は、長身ならば長身なりの、手足が長いならば長いなりの、踊りを見出せないものかと思って見ています。どんな踊り方が良いかについては、吉之助にも分かりません。恐らく踊りを指導なさる先生方は、いろんな場面でそのような苦労をされておられるはずだと思います。(この稿つづく)

(R3・9・12)


2)長い手足を伸びやかに遣う

長身ならば長身なりの、手足が長いならば長いなりの、踊りとはどんなものか。そういうことは吉之助にも分かりませんが、体格の良い現代の役者が六代目菊五郎と同じように肩を動かさず・身体の軸がブレないように正しく踊っても、腰高の印象は多分なくならないと思います。そこは致し方ないことですが、腰高の硬い印象を和らげる為に、長い手足の遣い方を工夫する必要がある。踊りの振りを「流れ」で捉えるのではなく・形の「決め」であると心得て、振りのなかにリズム感を持たせること。そうすることで現代の役者の踊りは、時代に則した美学を体現したものになっていくであろうと一応の目算を付けてはいます。

そこでヒントになるかは分かりませんが、1930年代〜50年代のダンス界のトップスターであったフレッド・アステアが、当時新進のジーン・ケリーと共演した映画「ジークフェルド・フォーリーズ」(1946年公開)のシーンをご覧ください。アステア(1899年生まれ・175p)、ケリー(1912年生まれ・170p)です。実測では身長にあまり差がないようですが、見たところでは、ケリーは中肉中背で均整の取れた身体付き、これに対しアステアは身体が細身で・手足が長めですから、アステアのダンスの方がバランス的に重心が高めになってきます。このふたりが同じ振り付けでダンスを踊って、「俺のダンスの方がちょっと上手いぜ」というところをアピールし合います。

ケリーのダンスは身体付きから来る安定感が素晴らしく・オーソドックスで手堅い印象さえしますが、華麗さと云う点では、もしかしたらアステアの方がちょっと上かも知れませんねえ。アステアの手と足の遣い方をご覧ください。時に腕を高く差し出したり・足を高く跳ね上げたりして、これでアクセントを付けています。手足を伸びやかに使えていて、長い手足を持て余す感じが全くしません。しかもリズム感と身体のキレは申し分ありません。

日本舞踊とは全然動きが異なりますが、このアステアの手足の遣い方が、長身で手足の長い若手の歌舞伎役者にも、参考になるところが多いだろうと思っています。西洋・日本を問わず、舞踊においては、頭が動かない・肩が動かない・身体の軸がブレないことが、必須の要件です。長身であれば、踊りの重心が上に行くことは避けられない、だからそこは仕方がないのです。この不利を補うために、手足を伸びやかに・大きく遣うことが大事なことで、とにかく動きが小さく見えてはいけない。この点が、背が低くて・手足が短い踊り手よりも、或る意味でずっと大変なことになると、吉之助は考えています。

腰を落とすことは日本舞踊ではもちろん大事なことだけれど、吉之助が苦手なのは、長身で手足の長い踊り手が踊りの振りを決める勘所で思い切り腰を落とす(膝を大きく折る)、多分そこで腰を落として形を正しく決めろと煩く注意されるのでしょうが、そうでない場面では膝を伸ばして気楽に踊る、結果として身長が伸び縮みして・頭が大きく上下動して見える踊りです。こういう踊りは、吉之助は見ていて落ち着かなくて、どうもいけません。(この稿つづく)

(R3・9・14)


3)染五郎の悪玉・団子の善玉

まあそんなことなど考えながら、今回(令和3年8月歌舞伎座)の「三社祭」を見たわけです。染五郎(16歳)の悪玉・団子(17歳)の善玉と云う組み合わせですが、ふたりとも長身で小顔、手足が長い。いつの間にやら随分と背が伸びたものですね。果たして、幕が開いて後姿が見えると、何だかヒョロ〜リと安定感がなくて、印象が頼りない。まだ踊っていないのに、ツイ「これで踊れるのかいな」と不安に感じてしまう、そういうハンデは確かにあると思います。しかし、前述した通り、腰を落して踊るのは大事なことですが、それで背を盗めてもせいぜい数pのことです。だから長身腰高の踊りの印象が解消されることは決してありません。踊りの重心が上に行くことは避けられません。と云うことは、踊る以前から20点くらいのビハインドを背負うことになるわけだが、この不利を補うために、手足を伸びやかに・大きく遣うことが大事なことになるのです。とにかく動きが小さく見えてはいけません。

そのような観点からふたりの踊りを見ると、ふたりとも背をスッと伸ばして、頭の位置は確かに高いけれども、頭がフラフラと揺れることはない。手足を伸びやかに・大きく遣えており、素直で良い踊りだと思いますねえ。「手足を大きく遣え」とアドバイスすると、長身で手足が長いと脇が空いて見えてしまうため、そのことに気が行く余り身体の軸がブレてしまうことが少なくないのです。しかし、染五郎にも団子にも、身体の軸がブレた感じは見られません。頭も変に上下動することもありません。これは正しいご指導がなされていると感じますねえ。今の段階ではふたりの踊りに体操みたいなギコチなさを感じる方がいらっしゃるでしょうが、これは踊りのための身体がまだ出来上がっていない10代の彼らの場合には仕方のないことです。年季を経て身体が出来上がってくれば自然に改善していくことです。今の段階では、とにかく身体の軸がブレない・頭が動かない、手足を伸びやかに・大きく遣うことを心掛けていれば、それで十分です。将来に向けての道程がはっきり見える踊りであったので、安心しました。これから踊り込んでいくうちに印象は必ず変わって来ます。

そういうわけで吉之助も最初のうちは不安半分でふたりの踊りの身体の軸をチェックするみたいに舞台を見ていましたが、ホッと安心してからの、後半の面を付けた踊りは、愉しく見させてもらいました。ふたりともリズム感が良くて、扇子の踊りでは長い手足を大きく使って、なかなかダイナミックに見せたと思います。おかげで気分良く劇場を後にすることが出来ました。これから、長身で手足が長い踊り手の、新しい時代が来ることを期待したいものです。それにしても染五郎と団子は、これからも良きライバルとして、互いに切磋琢磨しながら伸びてもらいたいと思いますねえ。

(R3・9・16)


 


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