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二代目白鸚の甚五郎・八代目染五郎の京人形の精

令和3年6月歌舞伎座:「銘作左小刀〜京人形」

二代目松本白鸚(左甚五郎)、十一代目市川高麗蔵(女房おとく)、八代目市川染五郎(京人形の精)


「京人形」は、廓で見染めた小車太夫のことが忘れられない甚五郎が、太夫に生き写しの人形を作りますが、その人形に魂が入って突然動き出す・・・と云うことで・どこかメルヒェンチックな趣がしますね。終わりの方で甚五郎の右腕が切り落とされても、アハハ・・それで「左」甚五郎になったと云うオチね・・と云うことで愉しく見てしまいます。まあ「京人形」は、そう云う感じで見れば十分なのです。しかし、よくよく考えて見ると、名工の右腕を切り落とすなんて由々しき事ではある。そう云うところを、後で奴照平に「誤解でした、申し訳けない」と謝られたって簡単に許せないじゃないの、などと臍曲がりな吉之助は思ったりします。

「京人形」が御家騒動物の仕立てであることは、詳しい事情は知らずとも、現行舞台でも明らかですが、原作ではこうなっているようです。甚五郎が匿っている主筋の井筒姫を奪いに役人が捕り手をつれて押しかけて来ます。そこで甚五郎は、さっきまで一緒に愉しんでいた太夫の人形の首を切って首桶に入れて、これを井筒姫の首だと言って役人に渡すのです。人間に生き写しの人形の首ですから、役人は納得して帰って行きます。しかし、奴照平はホントに甚五郎が井筒姫の首を斬ったと思い込んで、怒って甚五郎の右腕を切り落としてしまうのです。

人形というのは、神霊が依り憑く形代(かたしろ)です。まして太夫の魂が入り込むほどの名作です。御家騒動の事情があったとは云え、人形の首を身替わりに斬ってしまったことで、甚五郎は何らかのタブーを犯したに違いないのです。「寺子屋」や「熊谷陣屋」のように生身の人間を身替わりに立てた訳ではない。しかし、人形なんだから首切ったっていいじゃないかと云うことにはならなかった。甚五郎は何か償いをせねばならなかったと云うことです。まあこれならば甚五郎が右腕を失う経緯としていくらか納得できる気がします。「京人形」をこう見なさいと誰にでも言うつもりはありませんが、吉之助はこう見ないとどうも落ち着かない性分なのでね。

ところで今回(令和3年6月歌舞伎座)の「京人形」は、白鸚の甚五郎がほどよく力が抜けた洒脱なところを見せてくれました。高麗蔵の女房おとくも良くて、粋(すい)な夫婦になりました。しかし、今回の立役者は染五郎の京人形の精ですね。これはまことに面白い京人形の精でした。

実は見る前は染五郎はだいぶ背が伸びたようなので、どんなものかなと不安に思っていました。箱を開けると、果たしてこれが西洋人形のようなメーキャップで・まあ確かに綺麗なのだが、まるで着物を着せたリカちゃん人形のようで、アレアレ・・と思いました。眉と目元の化粧に工夫が必要かも。魂が入っていない時は長身腰高の踊りでまあそんなものかと思って見ました。ところが鏡を懐に入れてもらって太夫の魂が入ると、一転、腰をしっかり落とした踊りになって、これが身体の軸が決まって肩が揺れないキチンとした踊りで、近頃の若手女形のなかでもこれだけ踊れるのはいないと感心してしまうほどに良い。それが鏡を懐から抜いて魂が抜けると、ニュッと背が伸びて途端に長身腰高の振りに変わる。こうなると手足の長い機械的な踊りの方も面白く見えて来て、その印象の落差がとても大きいところが、妙に吉之助の気に入りました。吉之助流に云うならば、この世の有り様が乖離して・その境目がはっきりモザイク状に見えて来たということです。染五郎は恐らくそう遠くない時期に「鏡獅子」に挑戦することになるでしょう。この腰をしっかり落とした踊りならば、前シテの小姓弥生は大いに期待できると思いますね。

(R3・7・28)


 


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