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人格の不連続性

昭和54年(1979)10月・国立小劇場:「盟三五大切」

若山富三郎(源五兵衛)・西田敏行(三五郎)・木の実ナナ(小万)
演出脚本:石沢秀二、劇団青年座公演


1)70年代という時代

鶴屋南北が活躍したのは文化文政期のことですが、南北再評価が言われてその作品が盛んに上演された時期がこれまでに二度ありました。第1期は大正から昭和初期において二代目左団次らによって復活上演が試みられた時期、第2期は戦後の70年代(昭和45年〜55年頃)のことです。70年代においては南北作品は歌舞伎はもちろんですが、新劇・アングラ演劇などでも南北は取り上げられました。

どうしてこの時期(70年代)に南北作品が盛んに歌舞伎外のジャンルでも取り上げられたのでしょうか。この時期には作者・鶴屋南北は「怨念の作者」としてとらえられました。ご存知の通り、70年安保闘争あるいは大学紛争は、この時代の若者を巻き込む激しい渦のようでした。しかし、社会の不正・不公平を糾弾しこれを正そうとした若者たちの理想は、「体制」と呼ばれた社会構造のなかで押さえつけられてしまいます。さらにそうした学生運動も主義主張で内部分裂して互いに争いを繰り返し、自己崩壊していきます。こうして挫折を味わった若者たちが後に演劇に身を投じた時、南北作品の登場人物の生き様やドロドロとした怨念の渦巻く世界が非常なリアリティーを以って迫ってきたのであろうと思います。

吉之助はこの世代より若干遅れて生まれたのでこの時代の熱さを直接的に体験はしていないのですが、もちろんその時代の雰囲気をよく知ってはおります。そして、70年代の南北ブームにどうやら間に合った世代です。本稿で紹介する石沢秀二演出による劇団青年座の「盟三五大切」は、この時代の代表的な新劇の南北上演の舞台であったと記憶しています。

新劇の歌舞伎上演では、ここはたっぷり見たいなあと思うような場面をうまくふくらませられない拙い演技も確かに少なくはありません。しかし、不思議なことに歌舞伎を見ている人間にも新劇の南北はそれほど違和感なく見ていられます。南北の作品自体が「東海道四谷怪談」を除けば観客にさほど馴染みがないせいもあるでしょう。もうひとつは南北の生世話(空っ世話とも言う)というものがリアルでテンポがいいので、映画やテレビの時代劇感覚でもそれなりに対処できるということがあるようです。そう思って見ていれば新劇役者でも南北は十分見ていられます。

この舞台では芸達者の三人が主役に揃っていますから悪かろうはずはないのですが、ここでは役者の演技については触れません。本稿では石沢秀二の脚本演出について考えたいと思います。なぜならば、70年代の新劇・アングラ演劇での南北上演の意義は、何よりもその時代を踏まえた作品解釈にあると考えられるからです。観客とのライヴな結びつきを大事にする現代演劇では、観客と共有される時代感覚・そこから作品をどう捉えなおして現代にマッチするように再構築していくか、このことこそが問題になるからです。それがなければはるか昔の歌舞伎の旧作を掘り出してくる意味はないのです。


2)斬新な石沢秀二脚本

現代演劇による南北上演においてはそのメッセージ性・つまり脚本と演出が重要です。これは歌舞伎の公式に慣れきった目からすると、「こういう斬り口があったのか」という驚きがあって、なかなか刺激的です。これをひとたび知ってしまうと、残念ながら歌舞伎の南北上演が「 生ぬるい」と感じられることが多い。新劇でこれだけ面白いのだから、本家本元の歌舞伎ならさぞかしと思って見ると、問題意識なく・ただ漫然と筋を通しているだけのように感じられてしまうのです。

どうせ南北の脚本のオリジナル通りの上演は不可能なのは分かっているのですから、脚本のアレンジはある程度しなければならないことです。それならばただ筋のつじつまをあわせるだけの・考証重視の復元脚本改訂だけではなく、そこに現代に合わせてそれなりのメッセージを多少は込めてもいいのではないかと思うわけです。こういうことは学者先生にはとんでもないことかも知れませんが、歌舞伎が現代に生きる演劇であるならばやってみる必要があるように思います。(これは南北物に限らないかも知れません。)

歌舞伎の南北物での演出の細部にもこれは言えます。例えば「盟三五大切」で言えば大詰の庵室の場において源五兵衛が殺した小万の生首を持ち帰り、これを前にして食事をする場面 などがそうです。原作には源五兵衛が癇癪を起こして小万の生首に茶をぶっかける箇所があるのですが、歌舞伎ではこれをやりません。なぜならばここでの生首は仕掛けで机から小万役者が首を出して見せてるからです。人気役者の顔にお茶をぶっかけるわけにはいきません。その代わりに源五兵衛がご飯を箸で小万の首の口元へ持っていくと生首が口を開けて見せる場面があります。観客は沸きますが、これはもう噴飯物で何の意味もない。「南北物はお化け物だ」という先入観から来る・下らない座興的演出に過ぎません。昔から伝わっていた型だとしても止めるべきでしょう。こういう型がそのままなのですから、歌舞伎の南北物はメッセージ云々を言う以前のように思います。(この青年座の舞台では、小万の首は作り物ですから、源五兵衛は遠慮なくお茶をぶっ掛けています。)

石沢秀二脚本では、特に大詰の庵室の場面にかなり手を加えています。

大詰において三五郎の謀った源五兵衛が、実は三五郎には主筋に当たる塩冶浪士・不破数右衛門の変名であったことが知れます。三五郎は幼い時に勘当されて主人の顔を知らないままに育ち、主人のための資金を用立てようとして女房小万と共謀して源五兵衛を騙して金を奪ったのです。しかし、そのために源五兵衛は五人斬りの罪を犯し、さらに小万と赤ん坊まで手に掛けてしまいます。そのことを知って三五郎は自らの腹を切るのです。

「親仁がお主(しゅ)の旦那様、知らぬ事とてあのしだら、申し訳には・・・」と言って三五郎は腹を切ります。これを見て源五兵衛は思わず「こりゃかうなうては叶うまい」と言います。さらに三五郎の述懐が続きます。「・・・(前略)あなた様に、多くの人を殺させた、元の起こりも私ゆえ、その言い訳に切つたる腹、くたばりまするをまだしもの、お命代わりと思し召し、あなたの伯父御のその百両、御用に立てて敵討ち、お供にたって実名も、塩冶浪人多きうち、不破数右衛門重種と、義士に加わり亡君の、存念晴らさせ、あなたにも、忠義の武士と末代まで、その名を挙げてくださりませ。」源五兵衛はこれを聞き、「その志あるなれば、死ぬに及ばぬものなるを、あつたら若者見殺しに・・・」とつぶやくのでした。これが、鶴屋南北全集 (三ー書房・第4巻)による台本です。

石沢脚本では、三五郎は「いかに主筋の旦那とて、そればっかりは許せませぬぞ」と言って源五兵衛に斬りかかろうとして、源五兵衛も怒って三五郎を斬り捨てようとします。(この件は原作にはない。)しかし、三五郎にとって も主人を殺してしまえばさらに罪に罪を重ねることになる。それで三五郎は覚悟を決めて出刃包丁を腹に突きたてます。この後の三五郎の述懐は原作にはありませんが、なかなかよく書けていると思います。

「親の勘当詫びのために、女房をたてに道ならぬ、客を騙して集めた金、そのあげくが・・・お主のためにお主を偽り、お主のために兄貴を殺し、お主のために女房子も殺されて、その上、親殺し主殺しを思う我が身が恐ろしい・・・所詮生きては甲斐ない我が身・・・もう何も見た くも聞きたくもねえや・・」

この三五郎の述懐には、主人のためと思って散々苦労してきたことがすべて裏目に出てしまって、女房を奉公に出す苦労をさせ、騙って取ったと思った百両はじつは主人の金、最後に女房も子供も殺されて自暴自棄のなかで死ぬことが明確にされています。ここにはこの世に対する 失望と・懸命に生きたことの挫折感がありありと出ています。その代わりに源五兵衛に敵討ちに行ってくれと頼むのは 論理的にちょっと無理な感じがしないでもないけれど、せめて自分の死が多少は世に役立つものにしたいと言うならばそれも分からないこともないでしょう。

三五郎の告白を聞いた源五兵衛は自分のしてきたことを悔やみ自害しようとしますが了心(三五郎の父親・数右衛門の家来である)に留められます。(この件は原作にはない。)そこへ義士たちが討ち入りの迎えにやって来ます。突然の来訪に源五兵衛はうろたえます。そして「いや身共は(敵討ちに参加する資格などない)・・・」などと言いよどむのです。(この件も原作にはない。)しかし義士たちの呼びかけに源五兵衛はついに立ち上がります。そして最後にこう呟きます。「血の海だ、この世は忠義に染まって真っ赤に沈む・・」(この件も原作にはない。)

まず石沢脚本では源五兵衛(変名)と数右衛門(本名)とは連続した同一の人格であって、数右衛門は血塗られた過去を引きずったままに討ち入りに参加する・いや参加すると言うよりは引きずり込まれるのです。ここでは忠義の美名を背負う討ち入り行為も、もはや美しく見えることはあり得ません。数々の犠牲のもとでなされた行為であることが明白だからです。

本当は数右衛門はその場で死んでしまいたいほど打ちひしがれているのですが、そのおぞましさと罪の意識を引きずったまま数右衛門は討ち入りに無理矢理に参加させられるのです。数右衛門を迎えに来る義士の仲間たちは、その場で起きている惨劇のことなどに何の関心も示しません。そこに非情な社会(「体制」)の論理が象徴されているようです。

この青年座の舞台は、70年代の新劇の南北上演の斬り口が明確に示されていて、これは今見直しても斬新な舞台でした。ビデオを見ていてあの時代の空気を久しぶりで思い出しました。


3)人格の不連続性

じつは南北の原作においては「こりやかうなうては叶うまい」という台詞は、この芝居の「世界」を転換させる重要なきっかけになっています。この台詞によって、舞台は「五大力の世界」から「忠臣蔵の世界」に一気に転換します。同時に源五兵衛は数右衛門 という本来の人格に切り換わるのです。(このことは別稿「こりやかうなうては叶うまい」をご参照ください。)

前述の通り 石沢脚本ではこの台詞をカットしているのですが、新劇でやるのならばこのカットをしなければ源五兵衛が演れないと言うのは分かる気がします。「こりやかうなうては叶うまい」という台詞は現代人にはとても許せない台詞でしょう。源五兵衛と数右衛門の人格が連続していることが新劇では大事なことですから、この視点がなければ石沢脚本が成立しないのです。石沢脚本では三五郎だけでなく・仇討ちに引きずり込まれる源五兵衛もまた体制の論理に押さえつけられた犠牲者だと見ることができるでしょう。

しかし、オリジナルの歌舞伎でやるならば、やはり「こりやかうなうては叶うまい」という台詞にこの芝居のすべてを掛けねばならないと思います。歌舞伎ならばこの台詞でこの世の非情・この世の不条理を十二分に観客に印象付けられるはずだと思います。歌舞伎では源五右衛門と数右衛門との人格は断層のように切れていなければなりません。そうでなければ歌舞伎にならないのです。本来の人格に戻った数右衛門は、三五郎の死を横目で見て、主人に対してあるまじき振る舞いをした家来の当然の報いであると、平然としてその死を受け取らねばなりません。そして、ちょっぴりその気持ちを思いやって「我もそのことを知るならば、この苦しみはさすまいに・・・」という感情をサラリと表せばそれでいいのです。これが歌舞伎の時代物の論理です。

この芝居では源五兵衛の人格の不連続性が問題になってくるでしょう。しかし、こういう人格の不連続は他の歌舞伎作品にも実に多くあるものです。いがみの権太(義経千本桜)や玉手御前(摂州合邦辻)のような「モドリ」などもそのひとつです。歌舞伎はこの「人格の不連続」という手法が、どれほどに独自性があり・衝撃的で・インパクトのある演劇手法であるのか自己認識しているのでしょうか。時代遅れの・辻褄合わせの下らない作劇手法だと卑下していないでしょうか。この自信の無さに現代歌舞伎の問題がひそんでいないであろうかなどと思いました。このことは別の機会に考えてみたいと思います。

(H15・7・20)





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