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十七代目勘三郎の樋口・七代目梅幸のお筆

昭和54年12月国立劇場:「ひらかな盛衰記」〜大津宿から笹引・逆櫓まで

十七代目中村勘三郎(船頭松右衛門実は樋口次郎兼光)、七代目尾上梅幸(腰元お筆)、三代目河原崎権十郎(権四郎)、初代尾上辰之助(畠山重忠)、二代目沢村藤十郎(およし)、八代目大谷友右衛門(山吹御前)他


1)「大津宿・笹引」からの通し上演の利点

本稿で紹介するのは、昭和54年12月国立劇場での「ひらかな盛衰記」の逆櫓の舞台映像ですが、前場として滅多に出ない「大津宿と笹引」の場が上演されていることが、ひとつのポイントです。もうひとつのポイントは、戦後昭和の樋口役者と云うと、まず八代目幸四郎(初代白鸚)か二代目松緑を思い出しますが、ここでは十七代目勘三郎が樋口を演じていることです。ただしこの公演では勘三郎は初日(2日)から16日までを病気休演しており、17日から樋口を勤めました。勘三郎休演の間は初代辰之助が初役で樋口を演じました。吉之助は初日の辰之助の舞台を見ましたが、若々しく動きがキビキビした立派な樋口であったと思います。いきなり初役でこれだけ出来るのだから、やはり辰之助は大した役者でしたね。(なお辰之助の樋口の舞台もNHKの映像で残っています。)復帰した勘三郎の舞台も吉之助は生で見ました。当時のことを思い出しながら懐かしく見ましたが、前場の「大津宿・笹引」が加わることで「逆櫓」の面白さが一層増すと思うので、この形での半通し上演が歌舞伎の定型になってくれれば良いなあと思います。

もっとも「大津宿・笹引」自体はそれほど面白い場ではないかも知れません。しかし、これを通しで見ておくと、「松右衛門内」冒頭で権四郎が、大津宿で思わぬ騒動が起きて孫の槌松と同宿の一行の子供を取り違えてしまった経緯を語りますが、その事情がよく理解できるのです。さらにお筆がやってきて、同様の経緯を今度はお筆の立場から語ります。お筆が言うことにもまったく嘘偽りがないことが、よく分かります。この点が大事なことなので、もうちょっと説明しますが、歌舞伎の身替わり物では、庶民が支配階級の犠牲になる(例えば松王の息子が主筋の身替わりとなって討たれる)わけですが、或る意味において「支配者は庶民から情け容赦なく奪う」、そのような様相を呈するのが普通です。これが「時代」の論理なのです。ところが、逆櫓で駒若丸と槌松が取り違えられた(結果として身替わりになってしまった)経緯は、支配者側からの要求ではなく、それは偶然起きてしまったことでした。当方の事情でそちら様を巻き込んでしまって申し訳ないことになってしまったと、お筆は心の底から嘆いています。(これについては別稿「申し訳ない顔をしている「時代」」をご参照ください。)ですから逆櫓の場には時代の側に謝罪の気分が強く、この場には嫌な奴が全然出て来ません。最後に派手な立ち回りが付くので忘れられそうですが、死んだ槌松への哀悼の気分が全体に漂っています。お筆は「いかほど歎きたとて槌松の帰るといふではなし。さっぱりと思召し諦めて、若君をお戻し下され・・」とツイ言ってしまって、そこを権四郎に咎められますが、お筆は心根の優しい女であって、決して身勝手な女に見えてはならぬわけです。

「大津宿・笹引」から通すことのもうひとつの利点は、逆櫓の場だけだとチョイ役に見えかねないお筆の役が、格段に良くなることです。お筆は歌舞伎の女武道の代表的な役とされています。それは笹引の場でお筆が若君を護ろうと大立ち回りを繰り広げることに拠るのですから、この場がなければお筆の女武道たる所以が分かりません。女武道についてちょっと説明しておきますが、初期の歌舞伎の、まだ女形芸が発達していなかった時代の女形の役は、鬱屈した・陰湿な気分を演じる者(役者)に強いるものばかりであったのです。だからスカッとしたものが求められるわけですが、歌舞伎にはそう云うものが見当たりませんでした。人形浄瑠璃からお筆や「毛谷村」のお園のような女武道を役どころを得て、歌舞伎はやがて悪婆など新たな女形のジャンルを開拓していくことになるわけです。(別稿「四代目源之助の弁天小僧を想像する」を参照ください。)(この稿つづく)

(R2・3・3)


2)十七代目勘三郎の樋口・七代目梅幸のお筆

大津宿・笹引での梅幸のお筆は、ちょっと恰幅が良過ぎるかも知れません。品が良い梅幸の芸質であると女武道で発散するという感じにならないし、もうちょっと細身の方が哀れが利くかも知れませんが、前場が付いたことで、松右衛門内のお筆はさすが存在感がある立派なものになりました。お筆と云う役は権四郎から怒りをぶつけられて「お怒りなのは御尤もです」と身の置き所なく・ひたすら畏まる役ですから、存在感があると云うと変な言い方かも知れませんが、言い方を変えれば、孫槌松の死を知って権四郎がやり場のない怒りをぶつけられる相手はお筆しかいないわけで、「申し訳ないことをしてしまった、取り返しの付かないことをしてしまった」という気持ちが梅幸のお筆に濃厚にるからこそ、この場は破綻することなく、権四郎役者(権十郎)は存分に怒れるわけなのです。そう云う意味で梅幸のお筆の存在感は抜群で、これでお筆が花道を引っ込んだ後の、松右衛門役者(勘三郎)の仕事がどれだけやりやすくなったことか。なぜならば、松右衛門内の流れを見れば、松右衛門はお筆に「後のことは俺に任せろ」と云ってお筆を返すわけですから、つまりお筆の仕事を受け継いで後半の松右衛門が仕事をすると云うことなのです。お筆に関しては、今でも吉之助は梅幸をベストに押したいですねえ。

歌舞伎の松右衛門(実は樋口)は「権四郎、頭が高い、いやさカシラが高い」と権力で権四郎を頭から抑え込んでグウの根も言わせない風があります(文楽では「権四郎、頭が高い」のみ)が、実は松右衛門は娘婿として義父権四郎の怒りを痛いほど理解しており、あくまで人情を踏まえつつも・身分を偽って廻船問屋に入婿した自らの事情を打ち明け・理を尽くして権四郎を説得するのです。だから押さえるべきところは、松右衛門の人情の深さなのです。戦後昭和の樋口役者と云えばまず八代目幸四郎(初代白鸚)か二代目松緑と云うことになります。時代物役者のスケール感から見れば勘三郎に譲るところがあるのは事実でしょうが、情の表出という点では互角かそれ以上かも知れません。勘三郎の松右衛門の良さは、多少世話っぽいところがありますが、それゆえ「武士である己の立場」を義父に理解してもらうと云うよりも、「武士である己と・入婿としての己との狭間に引き裂かれた自分の苦悩」を義父に分かってもらいたいと云う気持ちがよく出ていることです。そうでなければ権四郎から「オオそうじゃ、侍を子にもてば俺も侍。我が子の主人は俺がためにも御主人」という台詞は出て来ません。勘三郎の松右衛門を見ると、権四郎が急にそういうことを言い始める回路(ロジック)がよく分かるのです。多分、それは松右衛門と云う役が持つ世話っぽさに権四郎が反応しているのです。

例えば駒若を抱いて一間から姿を現した松右衛門が、「ヤレ待て女房、人を集むるまでもなし」では「ヤレ待て女房」を強く鋭く・しかし世話に、「人を集むるまでもなし」を低くやや時代に押し、「親父様スリャどうあっても槌松が敵・この子を存分になさるか」は声を高く・世話に言い、「・・・ハアヽぜひもなし。この上はわが名も語り仔細を明して上のこと」は声を低く低く時代に言う。この場の松右衛門には、樋口の正体を明かして良いものかと云う逡巡がまだ強くあるわけですが、それは同時に「武士である樋口と・入婿(槌松の父)としての松右衛門との狭間」に引き裂かれる状況を表しています。それが松右衛門の台詞の時代と世話の揺れ動きとなって現れるものですが、勘三郎の松右衛門は、この世話と時代の使い分けがとても上手くて感心させられます。

権十郎の権四郎も素晴らしいですねえ。権四郎は老人ですが・哀れさが先立つようでは駄目で、樋口が見込んで婿入りするほど腕の立つ船頭であったのですから、その気骨振りは尋常でないものであるはずです。権十郎の権四郎には、そう云う感じがあります。権四郎は「侍(樋口)を子(婿)にもてば俺も侍。我が子の主人は俺がためにも御主人」と云いますが、幕切れを見れば権四郎が「汝(樋口)が子でもない、主君でもない、若君でもない、大事の・大事のおれが孫を一所に殺して侍が立つか」と云って駒若丸を守るところに権四郎の「男」を見ると同時に、名もない庶民が婿の武士道を立たせてやろうと必死になっています。権四郎は必死に「侍」になろうとしているのです。それは「ヤレヤレ庶民が政治に巻き込まれてトンんだ災難だ」と云うことではなくて、権四郎は武士道を守ることにら崇高な使命を感じているのでしょう。そして名もない庶民であっても歴史の流れに何かしら棹さすことだって出来るんだという気概ですねえ。これは、いがみの権太(「義経千本桜・鮓屋」)でも、同じことだろうと思います。

(R2・3・6)



 

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