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十代目幸四郎の守山辰次〜「研辰の討たれ」

令和元年11月歌舞伎座:「研辰の討たれ」

十代目松本幸四郎(守山辰次)、九代目坂東彦三郎(平井九市郎)、三代目坂東亀蔵(平井才次郎)、四代目中村鴈治郎(僧良観)他


1)「研辰」初演本の幕切れ

令和元年11月歌舞伎座での、幸四郎主演による「研辰の討たれ」を見てきました。ひと頃は「研辰」と云うと十八代目勘三郎による「野田版・研辰の討たれ」(以下「野田版」と云う)の印象がひときわ強烈で、原作である木村錦花作・平田兼三郎脚色の「研辰の討たれ」(以下「研辰」と云う場合はこちらを指す)の方はもしかすると忘れ去られてしまうのかなあと云う雰囲気さえありましたけど、歌舞伎座での久しぶりの「研辰」上演は嬉しいことです。

ところで「研辰」は、見物人に取り囲まれて辰次を討つのに手こずった平井兄弟が一旦辰次を許したように見せかけて見物人を立ち去らせる、助かったと思った辰次が立ち上がったところに兄弟が近づいて斬ったところで幕になるのが通例の歌舞伎のやり方で、今回の上演もその形に習っています。しかし、実は「研辰」原作にはこれに続く場面がまだあるのです。辰次を討ち果たした後の平井兄弟が、「辰次の言った通り人殺しをした気がしている」、「故郷に帰って人々に褒められるのが苦しい」などと語り合って、故郷に帰ることを一瞬逡巡するのです。結局は家名や出世のことを考えて二人は帰国することになって幕となります。この幕切れに仇討ちの無意味さ・罪の深さがちょっぴり意識されています。野田秀樹は「野田版」を執筆する際に原作を調べて・このことを知ったそうで、「あそこ(平井兄弟の最後の述懐)はそれまで歌舞伎で上演されていた時いつもカットされていたんです。それでこの脚本の面白いところはそこなのに・・と思って復活させました」と語っています。(「野田秀樹 赤鬼の挑戦」を参照のこと)「野田版」は勘三郎の辰次の大活躍のためにコミカルな印象が強いですけれど、最終場面にこの平井兄弟の述懐を置いたことで、芝居はいくらか鎮静化されて観客の意識は理性的な方向に引き戻されています。このことは「研辰」を考える時に大事なポイントだと思うので、後に再び取り上げます。

野田秀樹:「野田秀樹 赤鬼の挑戦」(青土社)

「研辰の討たれ」は、もともと大正14年(1925)9月に雑誌「歌舞伎」に掲載された木村錦花の短編小説でした。この時の「歌舞伎」は他にも長谷川伸や直木三十五などの仇討読物を特集した号で、同時にそれらの読物の脚色を一般公募したそうです。189編もの応募のなかから第1席に選ばれたのが、平田兼三郎の「研辰の討たれ」だったのです。脚色された「研辰」は、さっそく同年12月歌舞伎座で二代目市川猿之助(後の初代猿翁)の辰次、六代目大谷友右衛門の平井九市郎、三代目市村亀蔵の才次郎と云う顔触れで舞台に掛けられて、仇討ち批判と云う斬新な視点を備えた喜劇として大評判となりました。ただし初演時の「研辰」は、「第1場・丸亀在」、「第2場・大師堂百万遍の場」、「第3場・大師堂裏手の場」から成る一幕三場の構成で、これは現行本の「研辰」の三幕五場構成と比べると、「大師堂裏手の場」だけが同じで、その他の場割りがまったく異なっています。現在の「研辰」は、初演本にはなかった仇討ちの発端となる・辰次が家老平井市郎右衛門を騙し討ちにする経緯、さらに平井兄弟が敵辰次を追い求める途中の信州俱利伽羅峠の場、吾妻屋の場などが新たに書き加えられた増補改訂版なのです。こうなったのは、初演の大評判の勢いを借りて何種類もの続編「研辰」ものが作られて上演されて来たせいです。さらに「研辰」は映画・レビュー・大衆喜劇でも取り上げられて、初演から十年くらいは「研辰ブーム」とでも云うべき状況を呈しました。現行の上演本は恐らく戦後になってから固まったものと思われます。その経緯については、出口逸平著「研辰の系譜〜道化と悪党の間」に詳しく書かれています。(この稿つづく)

出口逸平:研辰の系譜―道化と悪党のあいだ(作品社)

(R1・11・18)


2)十代目幸四郎の守山辰次

このように「研辰」初演本では仇討ちの仔細(なぜ辰次が敵として追われるのか)が描かれないので、平井兄弟に追われて必死に逃げ回る辰次が被害者に見えて来ます。だから「これは仇討ちではなく、人殺しだ」という辰次の主張がもっともらしく聞こえます。生に執着する辰次の有様はみっともないですが、それがだんだん笑えなくなって来るのです。しかし、増補改訂本であると、機転と口先でその場をくぐり抜け要領良く逃げまわる辰次のコミカルさが、歌舞伎の既存の仇討ち物の「半道敵」の定型パターンに落ちて行きます。まあ芝居でも映画でもそうですが、成功作の二番煎じ・三番煎じは、大抵通俗に落ちて行くものです。現行「研辰」もご多聞に漏れません。辰次は罪を悔いておらず、その場その場をただ無責任に生きているだけ。辰次は人の気に障ることをペラペラ云う厭な奴で・これじゃあ彼が周囲から嫌われるのも仕方ないなあと思えて来ます。このため辰次の主張が、仇討ち=人殺しと云う二面性を利用して不義を正義に塗り替えようとしているが如き印象に見えてきます。これでは近代的視点からの仇討ち批判という矛先が鈍ってしいます。

一方、改作の「野田版・研辰の討たれ」であると、辰次の主張の二面性・ご都合主義は、主演の十八代目勘三郎のニンで許せてしまいます。これはまあ勘三郎のキャラが勝ち過ぎたところがあるので・どこまで観客に仇討ち批判の意図が正しく伝わったかと云うところはありますが、仇討ちに対して軽薄かつ無責任に浮かれ騒ぐ大衆(世間)と・これに振り回される平井兄弟という構図のなかでトリックスターの辰次が生きて、「研辰」本来の仇討ち批判のテーマが再び浮かび上がって来ます。「人殺しをした気がしている」、「故郷に帰って人々に褒められるのが苦しい」という・「研辰」初演本にあった平井兄弟の述懐を、野田秀樹が復活した意図がそこにあるわけです。「野田版」の舞台(初演は平成13年8月歌舞伎座)を思い出しますが、あの舞台で平井九市郎を演じたのは幸四郎(当時は七代目染五郎)でしたねえ。九市郎が「人殺しをした気がしている」と云う台詞を言うのです。幸四郎が原作の「研辰」を主演するのは、今回(令和元年11月歌舞伎座)が二度目だそうです。今回の「研辰」もいつも通り兄弟が辰次を斬ったところで幕になりますが、実は吉之助は、幸四郎にそこを直してもらいたかったのです。ここで「野田版」の経験から幸四郎は何を学んだのか云うことが問題になると思います。

今回(令和元年11月歌舞伎座)の幸四郎が演じる守山辰次を見ると、いろんな場面の辰次の仕草・目線の置き方から、幸四郎がイメージしているのは「野田版」の勘三郎の辰次だなとすぐ分かります。確かに動きは軽妙で笑える辰次に仕上がってはいます。その意味では上手いのですが、明らかに観客の笑いを取ろうとしている。これがよろしくありません。これじゃあ周囲に嫌われて当然だ・ホントに嫌な奴だと云うことになってしまいます。確かに「野田版」の勘三郎の辰次にも笑いを取ろうと云うあざとさはありました。しかし、そこは勘三郎の天性のニンで決してネガティヴに見えなかったのです。幸四郎だと同じことをしてそうならないのは、これは役者としての技量の問題ではなく、これはニンの問題であるとしか言いようがありません。普段の生活でも冗談が冗談で通っちゃう人と、同じことを言っても冗談が大問題になっちゃう人がいたりしますが、それはその人の人間性の高い低いに拠るのではなく、時と場合とキャラに拠るとしか言いようがありません。幸四郎とても同じこと。ニンが異なるならば、このニンに相応しい辰次像を構築せねばなりません。「研辰」の辰次と「野田版」の辰次が同じであってはいけません。役のニンが全然異なるからです。残念ながら、そこの仕分けがちゃんと出来ておらず、混同されていると思います。そこのところを幸四郎はもっとしっかり考えて欲しいのです。別稿「十代目幸四郎が進む道」でも触れた通り、幸四郎ならばもう少し骨太くシリアスな実事の方向に軸足を持っていく必要があると思います。襲名以降の幸四郎の舞台を見るとどれも方向性が散漫で、このところちょっと停滞気味に感じるのは、吉之助の気のせいでしょうかね。

それでは守山辰次をシリアスな方向に持っていくにはどうしたら良いかということですが、辰次が町人上がりの・成り上がり武士だと云うところが鍵になります。町人上がりの・成り上がりであるからこそ見えて来る武士社会の矛盾・あるいは武家の慣習の馬鹿馬鹿しさがあるはずです。「野田版」の辰次は云うこと為すこと周囲を引っ掻き回すトリックスターの役割であるから少々のあざとさがあっても良いですが、原作の「研辰」であると、そこは成り上がりの悲哀・卑屈となって現れねばなりません。例えば序幕「栗津城中侍溜りの場」での辰次の会話は、勘三郎ならば心のなかにあることを天然自然にズケズケ言っちゃうところでしょう。しかし、幸四郎のニンならば、「イヤ町人上がりの私がこんなことを言ってはいけないんですがね・・でもちょっと笑えちゃうんですよね、イヤイヤ滅相もない、私にはそんなつもりは全然ないんですよ、私如きが言えることじゃないんです・・・でもねえ・・」みたいな卑屈でひねった態度に持って行った方が、辰次の悲哀が見えて来るのです。「これは仇討ちではなく、人殺しだ」という主張に持っていく為には、辰次は態度を卑屈に・ひたすら下手(したて)に持っていくことしか手はありません。そうでなければ野次馬から「可哀そうだから、助けてやったらいいじゃないか」という声を引き出すことは出来ません。そこを変えれば幸四郎の辰次はずいぶん印象が変わると思いますが。

ところで平田兼三郎脚色の「研辰」初演本では平井兄弟は故郷に帰ることを一瞬逡巡するが・結局思い直して二人は帰国する幕切れになっていますが、実はその原作である雑誌「歌舞伎」に掲載された木村錦花の短編小説は結末がもっと凄いのです。辰次を討ち果たした平井兄弟は「何という張り合いのない、馬鹿馬鹿しい敵討ちであろう、ああ詰まらなかった」と嘆息して国に帰ることを中止してしまうのです。何とも飛んだシュールな落ちではありませんか。国に帰ることを中止してしまったと云うのは、その後の平井兄弟は武士であることを辞めてしまったということです。平田脚色はそこを変えてしまったわけですが、錦花原作の落ちは大正期の空気からすればなるほどと思いますし、現代ならばこちらの方が観客に「研辰」の仇討ち批判の主題をより強くアピール出来るかも知れませんね。

(R1・11・20)



 

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