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十代目幸四郎の白塗りの源五兵衛

平成30年8月歌舞伎座:「盟三五大切」

十代目松本幸四郎(薩摩源五兵衛実は不破数右衛門)、二代目中村七之助(芸者妲己の小万実はお六)、二代目中村獅童(船頭笹野屋三五郎実は千太郎)、九代目市川中車(家主弥助)他


1)「盟」の世界構造について

「盟三五大切」は文政8年(1825)9月25日江戸中村座での初演。これより2か月前、中村座では「東海道四谷怪談」が初演されて二か月続きの大当たりでした。「盟」を同じく忠臣蔵の世界に取りさらに四谷怪談後日談としたのは、前作の大当たりの余勢を買おうということでした。しかし、「続歌舞伎年代記」に「四谷怪談より続きたる趣向近年になくおもしろき作なれども入りかひなく10月14日舞納なり」とある通り、興行は早めに打ち切られました。作品の評価は高かったのですが、お客の入りが非常に悪かったのです。これは前作でお岩を演じた人気役者・三代目菊五郎が大宰府参詣に出立というので退座して「盟」には出ていなかったとか、11月顔見世興行の前月なのでもともと条件が悪かったとか理由はいろいろ考えられるにしても、源五兵衛の殺しがあまりに凄惨に過ぎて観客にとっては気が悪過ぎたというのがやはり一番大きな要因であったと思わざるを得ません。

残忍な殺人を犯した源五兵衛・実は不破数右衛門が、仲間の迎えを受けて高家討ち入りに出立してしまう幕切れをどう見るかというところが、本作評価の分かれ目になると思います。源五兵衛は破滅するどころか、最後に塩治義士として讃えられる身になってしまいます。この点については別稿「世界とは何か」で詳しく論じたのでそちらをお読みいただきたいので、ここでは結論だけ繰り返しますが、要するに「仮名手本忠臣蔵」も「四谷怪談」も「盟」も、同じ「忠臣蔵」の世界の枠組みのなかで仕組まれているのですから、どちらも共通した視点で読まなければならないということです。江戸時代の人々にとって「忠孝」と云うのは、それが無くなってしまったらもはや「人」ではないと云うほど、封建倫理道徳の根本にあるものでした。忠義に対する疑いはそこに微塵もないのです。だから忠義を貫くために人はどう生きなければならないか、どう在らねばならないかということを問題にせねばなりません。忠義であり続けるために、言い換えれば人が「人」であり続けるために、人はどれほど無理をし苦労をし我慢をしなければならないかということです。時には忠義を貫くために心ならずも悪事に手を染めてしまうことだってあるかも知れません。忠義のためにとことん堕ちてしまうことだってあるのです。そこにそれぞれの生き様があるのです。良い悪いではなく、それがその人の有り様だと云うことのみです。戯作者南北が描いているものは、そういうものです。南北は、生の実相を冷酷なほど冷静に見つめています。ですから「四谷怪談」や「盟」で問われていることとは、「生とは何か、人が生きることとはどういうことか」ということなのです。そのように「四谷怪談」や「盟」を読んでみては如何でしょうか。

源五兵衛(数右衛門)の女狂いは、同じ時期の山科に在る由良助の放埓と同じく、計略から始まったものか・本心から始まったものか、どちらか分かりません。さらに源五兵衛の場合には、由良助の本心が読めないという事情が加わります。由良助が本当に仇討ちをする気があるのかないのか、周囲の誰もが疑っていました。或る者は由良助の放埓に怒って去って行き、或る者は貧苦にあえいだあげくやはり仇討ちの仲間から去って行きます。そこに人それぞれの生き様があります。(それぞれのレベルに於いてと云うことではあるが)みんな必死で生きようとしているのです。源五兵衛の心の闇も、いつまで仇討ちの決行を待っていれば良いか分からない、宙ぶらりん状態がいつまで続くのかと云う苛立ちから来るものです。源五兵衛がそのような苛立ちを忘れられるのは、ただ小万と一緒の時だけでした。源五兵衛が心底小万を愛していたことは疑いありません。そこに源五兵衛の真実があるわけですが、そのような心の闇を三五郎と小万の夫婦に付け込まれたのです。だからこそ源五兵衛の怒りは一層暗く救いようの無いものになります。この稿つづく)

(H30・8・29)


2)白塗りの源五兵衛

「五大力」の世界から発する源五兵衛は薩摩武士です。当時の江戸の人々から九州武士は田舎武士・野暮の典型と見なされていました。だから本来粋を解さないイメージの田舎武士が深川芸者に入れ込むミスマッチの面白さが源五兵衛という人物を考える時の第1のポイントです。一方、「忠臣蔵」の世界から発する数右衛門は、塩治義士四十七人のなかで無骨者・粗忽者とされている人物です。これが第2のポイントです。ですから南北が「五大力」の世界を「忠臣蔵」の世界に綯い交ぜした時、薩摩源五兵衛実は不破数右衛門としたのはまったく無理のない発想です。野暮な無骨者と云うのが「盟」の源五兵衛の性根になって来るわけです。ここからは白塗りの源五兵衛のイメージは浮かんできません。「盟」初演時の源五兵衛を演じたのは、実悪の名人と云われた五代目幸四郎でした。この時の五代目幸四郎は四谷鬼横町の場で家主弥助も兼ねましたから、源五兵衛の化粧は薄肉であったことが明らかです。

歌舞伎で昭和51年8月国立劇場で再演されて以降、「盟」の上演頻度は高くはありませんが、源五兵衛は白塗りで演じられることが多かったようです。例えば平成20年11月歌舞伎座での仁左衛門の時がそうであったし、今回(平成30年8月歌舞伎座)の幸四郎の源五兵衛も白塗りです。白塗りであると、源五兵衛は色男・モテ男になってしまいます。粋も洒落っ気も解する男になってしまいます。仁左衛門も幸四郎も弥助を兼ねてはいないし、吉之助は別に源五兵衛は薄肉であるべしと言い張るつもりはないですが、歌舞伎では顔の色を変えることは役の性根を変えることを意味するのですから、もし本来薄肉であるのを敢えて白塗りに変えるならば、源五兵衛の性根を色男としてどう捉え直し、それで「盟」の新たな意味を見出すことが出来たかどうかというところを問いたいと思います。仁左衛門の場合は源五兵衛がフニャとした柔い性格になり、さらに大詰めの「こりゃこうのうては叶うまい」という核心の台詞をカットしてしまった為、幕切れがまったく締まらない出来になってしまいました。人の良い男が女に狂って騙されて怒り狂ったあげくの「愛の悲劇」と云うところでしょうかね。これでは南北が最後を討ち入り出立の場面にして「忠臣蔵」の世界に返したことの意味がまったく見い出せないことになります。

幸四郎ならば白塗りが似合うのは当然として、源五兵衛が仁左衛門の時のような柔い出来になってしまうことを危惧しましたが、幸いこれは杞憂に終わりました。幸四郎の源五兵衛は、特に縁切りされた後の怒りの感情の表出がよく出来ました。熱くカッカと身体を震わせてストレートに怒るのではなく(薄肉の源五兵衛ならばそうなるでしょう)、底知れぬ虚無の闇に引きずり込むような、冷たく静かな怒りを感じさせます。ここで白塗りの幸四郎の横顔がよく映えました。低く抑えた凄みのある口調もなかなか宜しい。この後半の源五兵衛の演技を高く評価したいと思いますが、翻って前半を見ると、虚無の闇が前半後半を通じて源五兵衛の心を深く支配していることが分かって、これが非常に興味深いところです。恐らく幸四郎の源五兵衛については、前半の演技に於いて小万への思いを断ち難い執着の強さがいささか弱いという批判が出ることでしょう。これは源五兵衛を白塗りの色男にしてしまったから、そのように見えてしまうのも無理ないところかと思います。しかし、後半から翻って前半を見直せば、幸四郎の白塗りの源五兵衛はちょっと捻ったプロセスで源五兵衛の本質を鋭く突いていたことが分かってきます。

源五兵衛は小万という女を深く愛していることは明白ですが、その愛に完全に浸り切ることは決して出来ないのです。それは源五兵衛の心の片隅に討ち入りのことが常に在るからです。源五兵衛は決して討ち入りの使命を忘れてはいません。だから小万を愛していても、どこか虚ろな気分になってしまう。かと云って討ち入りの為に愛を諦めてしまうということも、決して出来ないのです。なお源五兵衛のなかに「今はこの愛に浸っていたい」という思いが強い。小万への愛があるからこそ、源五兵衛は由良助の決断(討ち入りの決行)を待ち続けることが出来るのです。源五兵衛の気分は、そのようなとても中途半端で、あやふやで、とても危険な状態にあります。それでも源五兵衛はかろうじて精神のバランスを保っていたのですが、一旦このバランスが崩れてしまうと源五兵衛はもう平静を保つことが出来ません。三五郎・小万夫婦の騙されてこの愛を失ったと知った時、この時点では討ち入りは依然決行されるかどうか全く分からない状況ですから、源五兵衛はもうとても当てのない討ち入りを待ち続けることが出来ません。源五兵衛はもはや二つとも失ってしまった気分なのです。そこから源五兵衛の凄惨な殺しが始まります。この稿つづく)

(H30・8・31)


3)「盟」の幕切れについて

今回(平成30年8月歌舞伎座)の「盟」が良かったのは、「五大力」の世界の小万の縁切りを発端とした源五兵衛の凄惨な殺しが幕切れに至って「忠臣蔵」の世界へ収斂(しゅうれん)されていく劇的構造をしっかりと示すことが出来たことです。これは前述した通り、縁切りされた後の源五兵衛の虚無の心情を幸四郎がよく表現できているからですが、もうひとつは「こりゃこうのうては叶うまい」という台詞をカットしてしまわずに、実感を以て言えたという点にあります。

真相を知って自ら腹を切る三五郎に対して「こりゃこうのうては叶うまい」と言う源五兵衛の台詞について、源五兵衛が「主人を騙した不忠の家来など腹を切って当然だ」と切り捨てている、実に許し難い台詞であるということを言う方が結構いらっしゃいますねえ。しかし、その前後の源五兵衛の台詞をよくお読みいただきたいと思います。順番に抜き出してみるとこうなります。

『(小万の首を抱きかかえて)堪えてくれよ、誤った。其方ばかりか水子まで、其方が見る前あのしだら。殊に連れ添う三五郎、身どもへ忠義を却って恨み、今更思えば恥ずかしい。いかなる過去の悪縁にて、実義(じつぎ)の夫婦、幼な子まで、あの有り様は何事ぞ。これみな武士のあるまじき、女に迷いし白痴(たわけ)ゆえ。その言い訳には腹切るぞ』

源五兵衛は腹切ろうとするも了心に止められ、両者揉み合ううち、桶のなかから出刃にて腹を切った三五郎が転げ出る。

『(腹を切った三五郎を見て)こりゃこうのうては叶うまい

『(腹切った三五郎の懺悔の述懐を聞き)その志しあるならば、死ぬに及ばぬものなるを、あったら若者見殺しに・・』

この流れを見れば、源五兵衛が「主人を騙した三五郎など腹を切って当然だ」と切り捨てているのでないことは一目瞭然ではないでしょうか。それでは源五兵衛はどういうつもりでこの台詞を云ったのでしょうか。源五兵衛は、三五郎を忠義の家来だと認めています。忠義の家来が知らぬこととは云いながら主人を騙してしまったと知ったならば、もはや生きてはいられまい。すぐさま彼は腹を切るであろう。三五郎が腹を切るのも彼が忠義であればこそ。真相を知った三五郎がそうせざるを得なかったことを俺は心底理解するぞ、忠義の家来とはそういうものだと、源五兵衛は心に深く感じ入っているのです。ここでは源五兵衛は完全に元の数右衛門の人格に却っています。逆に云えばこのことは、三五郎が腹を切った今、主人たる源五兵衛(=数右衛門)にとっても、家来の忠義にどう応えるか、「こりゃこうのうては叶うまい」と云える行動が 求められるのです。もちろん源五兵衛は、そのことを心底分かっています。だから「こりゃこうのうては叶うまい」と云う台詞は、封建論理に生きる男たちに突き付けられた非常に厳しい呻きのようなものです。歌舞伎のドラマは、みんな「武士たる者こうあるべし」、「男たる者こうあるべし」と云うドラマなのではありませんか。

源五兵衛は残忍非道な殺しを犯して塩治浪士の名を汚したわけですから、源五兵衛も一緒に腹切って死んでしまうという選択肢もあると思います。しかし、これについてはこの後、三五郎が「あなたの多くの人殺し、それもこの身に引き受けて、旦那は永らえ敵討ち・・』と頼んでいます。三五郎にこう言われてしまえば 、源五兵衛はもう死ぬわけに行きません。三五郎夫婦は主人数右衛門に忠義を行うつもりであった(実際には惨劇を呼ぶ結果となってしまいましたが)のだから、三五郎・小万夫婦の気持ちを無にしない為に、源五兵衛は大星由良助と共に高師直館へ討ち入りして立派にその名を挙げねばなりません。それが夫婦への供養にもなるのです。こうして「五大力」の世界が「忠臣蔵」の世界へ一気に転換してしまいます。このような見事なドンデン返しがあったかと驚いてしまいます。後から振り返ってみれば、「忠臣蔵」のなかで数右衛門は四十七士の一人に数えられるべき人物ですから、この幕切れによって源五兵衛は「かく在るべしと云う位置に収まるわけです。「五大力」の世界で彷徨っていた「忠臣蔵」の登場人物が再び元の世界へ戻ったのです。

今回の幸四郎の源五兵衛が良かったのは、このような「忠臣蔵」への世界転換を 正しく描き出すことができたからです。これならば源五兵衛を白塗りにしたことの意義は十分にあったと云うべきです。この稿つづく)

(H30・9・2)


4)南北劇の感触

凄惨な大量殺人を犯した源五兵衛が結局仇討ちの仲間に迎え入れられるのは、源五兵衛(=数右衛門)が仇討ちに参加する気持ち(つまり忠義の気持ち)を最後まで捨てなかったことを由良助が認めたと云うことだろうと思います。幸四郎の白塗りの源五兵衛は、女狂いの放埓の時もどこかに仇討ちのことが頭の片隅にあって決して楽しめないと云う風に見えました。「今の自分は決して本来の自分ではない」という気分がそこにあるわけです。つまり源五兵衛のなか の忠義の心を認めたからこそ、由良助は最後に数右衛門を迎え入れたのです。このロジックを素直に認めたくない方は少なくないと思いますが、大量殺人の件は死んでいく三五郎が引き受けたことで、もはや源五兵衛の罪ではなくなっています。「五大力」の世界の惨劇は降りしきる雪に浄められて、この後に忠義の御旗が高く掲げられます。「武士たる者こうあるべし」、「忠義たる者こうあるべし」と云うのは、確かに建前のことかも知れません。しかし、これらは否定されるべきものとは吉之助は思いませんねえ。昔も今も程度はともあれ、人間誰でも社会に生きるなかでは何らかの建前を背負いつつ苦しみながら生きているのです。その時に「生とは何か、人が生きることとはどういうことか」ということが香辛料のように胸にツーンと来ます。この俺もそんな世界に生きているのだと、「盟」の幕切れは、そのようでありたいですね。

幸四郎の源五衛門以外の役にも触れておきます。獅童の三五郎は仁の役であるし、なかなか好演していますが、時に様式っぽく・つまり時代っぽく見える場面があります。これはもっとバラ描きに持って行った方がよろしいでしょう。三五郎は数右衛門を世話の方に・つまり「五大力」の世界の方へ強く引っ張る役なのですから、演技はもっと生世話を意識した方が良いのです。しかし、幕切れの出刃を腹に突きた懺悔の述懐はよく出来ました。

七之助の小万は、夫の忠義の為に身を捧げる健気な女房だとすればそんなものかも知れません。これは昭和51年国立小劇場での玉三郎もそんな感じがしましたが、色仕掛けで数右衛門を騙すのが申し訳ない気持ちがどこかにあるように見えました。しかし、貞女のイメージばかりでは、「盟」のドラマに小万が積極的に関与しない印象になります。小万は周囲から「妲己の小万」(妲己とは男をたらし込む毒婦という意味です)と呼ばれる女なのですから、小万はそれが夫の為とか忠義とか云うことは別にしても、色に掛けて金づるになる男からいくらかでも金を巻き上げようというしたたかさ・図太さがもっと欲しいところです。それがないと数右衛門が色に迷わないでしょう。しかし、大詰め・四谷鬼横町での、赤子と共に殺される哀切さはよく出来ました。

家主弥助は初演では五代目幸四郎が兼ねた役で、本来は数右衛門役者が兼ねるところに安手な面白さが出るわけです。弥助一役だけだと、これだけで滑稽で笑わせようと云うことになるので難しくなるでしょう。中車の弥助は頑張っているけれども、生世話の軽妙さを出すというところにまでは行っていないようでした。

別稿「南北の感触を探して」のなかで、吉之助 の「南北ものは、ベテランが演じるよりも、歌舞伎らしさにべったり染まっていない若手が演じる方が面白い」という仮説を紹介しました。平成26年2月歌舞伎座での「心謎解色糸」の時は、若手が演じていながら、何だか感触が黙阿弥っぽく伸びた感じで、最近の若手は妙に老成してるなあ・・と嘆息してしまう出来でした。しかし、今回の「盟」は素直な出来でなかなか面白く、どうやら仮説通りの出来となったようです。ひとつには「盟」は二番目狂言で脚本が程よい長さで密度が高く、場面をさほど刈り込まなくてもほぼそのまま上演できたせいだろうと思います。だから南北の意図があまり歪められていないのです。幸四郎以下全員台詞を七五に割る風もそれほど強くなく、南北の台詞がテンポ良く素直に流れる感じがしました。いわゆる歌舞伎らしさにべったり染まっていないことが、良い方向に作用しています。テンポが早ければ台詞がそれで生世話になるわけではないですが、ちょっと棒にしゃべった方がいくらかバラ描きの感触に近くなると云うことなのです。

(H30・9・6)



 

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