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台詞の間(ま)のこと〜「巷談宵宮雨」

平成30年6月歌舞伎座:「巷談宵宮雨」

八代目中村芝翫(龍達)、四代目尾上松緑(虎鰒の太十)、五代目中村雀右衛門(女房おいち)


1)六代目菊五郎の龍達

「巷談宵宮雨」は昭和10年9月歌舞伎座での初演で、配役は六代目菊五郎の龍達、六代目友右衛門の太十、三代目多賀之丞のおいちでした。宇野信夫は次のように書いています。

『もともと私は、これを誰にはめて書いたというわけではない。しかし、太十の役は六代目のような人が演じれば・・くらいには思っていた。だから上演が決まり、坊主を六代目、友右衛門が太十と聞いた時、内心いささか驚いた。まだその頃私にとって六代目は、直次郎や新三役者であった。すっきりとしていなせで、それでいて心理描写のゆきとどいた役者であった。』(宇野信夫:「菊五郎夜話」より)

吉之助も本作舞台を見ていて、何となく菊五郎には太十の方がはまっていそうな気がしたものでした。菊五郎に龍達が合ってないと言うのではなく(見てないのにそんなことが言えるはずがない)、吉之助にとっては十七代目勘三郎の龍達の印象があまりに強烈であったせいもあります。確かに直次郎や新三の方から線を引くと、菊五郎の龍達のイメージはあまり浮かんで来ません。道玄ならばどんなものでしょうかねえ、歳老いた道玄ならば龍達になるかな。最初の取っ掛かりはそんなところだったかも知れませんが、しかし、同じワルでも龍達は道玄よりも助平で品性がもっと下劣に思われます。

昭和10年と云うと当時の菊五郎は五十歳で、芸の脂が乗り切った時期でした。新境地を開拓したい意欲に燃えていたでしょう。そこで定石ならば太十となるところを、敢えて「龍達をやってみよう」となったのかも知れません。宇野の回想では、舞台稽古中、台詞をさらいながら「どうも嫌な奴だ」、「下等な奴だね」と云うような事を盛んに言って周囲を笑わせたそうです。恐らくそこが菊五郎の役作りのポイントであったと思います。


2)芝翫の龍達

「宵宮雨」の龍達は、菊五郎の後は、十七代目勘三郎が得意として何度も演じました。幸い吉之助は、勘三郎が昭和56年(1981)9月歌舞伎座で最後に演じた舞台を見ることが出来ました。しかし、その後は平成3年8月歌舞伎座で五代目富十郎が龍達を演じたきりです。この時には太十を五代目勘九郎(後の十八代目勘三郎)が勤めましたから、恐らく勘九郎には将来的に龍達を演じるプランがあったと思います。これは結局果たせずに終わりましたが、これは見たかったですねえ。龍達というのが癖のある役だけに、 ニンの役者が見出されないと上演機会を失することになります。

と云うことで今回(平成30年6月歌舞伎座)は実に久し振りの上演ですが、芝翫演じる龍達はどんなものか期待半分不安半分で見ましたが、芝翫の龍達は台詞の細かいところで十七代目勘三郎の口調を思い出させるところがあって、何だか吉之助も懐かしい気分にさせられました。芝翫も若かりし頃、十七代目の生の舞台を夢中になって見たと思います。十七代目の口調の軽さ、何だか独り言のように、投げやりに台詞を言っているようだけれど(実は深く計算されているわけですが)、そこに龍達と云う生臭坊主の、自分本位の嫌なところをよく表していました。そんな十七代目の口調の巧いところを、芝翫はよく写しています。これが息子の十八代目ならば驚かないけれど、正直言って、芝翫からこれほど十七代目の雰囲気を強く感じるとは思いませんでした。期待以上の龍達が見られて嬉しくなりました。八代目を襲名して二年近く経って、だいぶ余裕が出てきたのかも知れません。

襲名以来、芝翫の本領と目される時代物の役どころを関心を以て見て来ました。根が真面目なところがあるのかも知れません。せっかく柄が良いものを持っているのに、演技が若干型臭く重ったるく感じられるところがあって、そこを何とか吹っ切ってもらいたいなあと思って見てました。要は時代と世話の活け殺しなのですけどね。しかし、今回(平成30年6月歌舞伎座)の龍達を見ると、この十七代目勘三郎の口調の軽さを時代物の役どころに応用できれば、芝翫にも突破口が見えて来る気がします。この龍達を飛躍のきっかけにしてもらいたいものです。


3)破綻した怪談劇

「宵宮雨」は、春錦亭柳桜の人情話「うれしの森」の脇筋 から発想を得て宇野が創作したものです。宇野は「昭和の黙阿弥」と云う異名を取った作家でした。吉之助も初めて「宵宮雨」を見た時は、これは役者の味で見せる芝居だなあと云う気がしたものでした。筋としては特に強い主張やイデオロギーを持つわけではなく、趣向本位で、舞台を見ている 分にはそれなりに楽しいけれど、見た後にあんまり残るものがない芝居という感想でした。実はこれに似たことを盛んに言われて、宇野は随分苦しんだようです。「宇野は役者に恵まれた作家だ、宇野の芝居は六代目が演じるから面白い」と云われたのです。あの芝居が受けたのは作者の功績じゃなくて、六代目のおかげだと云うわけです

だから本作も、南北や黙阿弥同様、古き江戸の人情話・草草紙の伝統を引き継いだ芝居と見なされていると思います。或る意味において古臭い戯作の感触だと思われたのです。これはそう云う面も決してないわけではないと思いますが、ただそう決め付けてしまうと新歌舞伎作家としての宇野の評価を見誤るかも知れないので、ちょっとこのことを考えてみたいのです。つまり「宵宮雨」はどこが新歌舞伎なのかということです。

これは当時の文壇の風潮としてあったものですが、大正昭和の新歌舞伎と云うと、主義主張、イデオロギーを持たない芝居は無価値と決めつけるようなところがあったもので した。若き日の吉之助もそんな感覚がありましたから、吉之助にとって新歌舞伎らしい作家と云うと、それは真山青果ということになります。まあこれは好みの問題かも知れませんが、だから吉之助も新歌舞伎作家としての宇野の評価を低く 見過ぎていたところがあったかも知れません。多分、宇野は、そのような戯曲のイデオロギー先行の風潮に異を唱えたかったのです。

そこで思い直して「宵宮雨」を改めて読んでみると、その筋は、欲の皮の突っ張った叔父と甥の葛藤の果ての殺しと、幽霊になった龍達の復讐ということです。つまり骨格は怪談劇です。しかし、単純な怪談劇として見ると、本作はその構造が破綻するところがあると思います。殺された者が幽霊となって殺した者に祟って恨みを晴らすというのは怪談劇のお決まりの筋ですが、龍達が太十に殺されて幽霊になる必然性が、すんなり納得が行きません。欲の皮の突っ張った同士でどっちもどっちと云うところだからです。殺された龍達にそう同情するわけに行きません。それならばどうして龍達は幽霊になって出るのかというのが、疑問として残ります。

龍達は若い頃の女犯の結果として生まれた娘おとらに会いたいと云うことを盛んに言っています。その思いが未練として残ったから幽霊になって祟ったということも理屈としては考えられる。しかし、龍達は娘の顔も知らず娘に対して親らしいことは何もしたことがなく、今更会いたいと言っても龍達に親の資格があるとは到底言えません。これもワルの心のなかにちょっぴり残った娘に対する父親の愛かも知れませんが、所詮これも龍達の身勝手な思いから出ているものです。隠していた百両の金に対する執着と異なるものとは思われません。しかし、最後の場面で龍達の幽霊が丸太橋のたもとに横たわる娘おとらの死骸に黙って手を合わせるシーンは何だか哀しい気分にさせられます。(この場面は舞台が暗く過ぎて龍達が何をしているか判別しにくいのが、残念ではありますが。この場面はもう少し照明を明るくしても良いのではないでしょうかねえ。)ここでどうして龍達は幽霊になって出るのかというのが、疑問として再び浮かんで来ます。そんなこんなで「宵宮雨」の最終場面は、吉之助にとって不条理劇の感触を呈して来ます。

龍達を殺してその死骸を丸太橋から川へ放りこんできたはずが、どうやら女房おいちは龍達に殺されたらしい。そうすると殺したはずの龍達は生きているのか。混乱している太十に、今度はおとらが丸太橋から身投げしたと云う知らせが届きます。太十には、このふたつの出来事が関連なく起こったこととは考えません。どういう理由だか分からないが、ふたつの出来事が結びついていることが、太十にははっきり見えているのです。だから太十は恐怖するのです。すると龍達はやっぱり生きているのか。自分が殺したと思ったのは誰なのか。太十の恐怖も、やはり不条理劇の様相を呈して来ます。

恐らく本作の新歌舞伎としての新しさはそこにあると、吉之助は思います。ですから吉之助の「宵宮雨」の見解は、破綻した怪談劇ということになります。そう云うことが、吉之助にもやっと分かってきました。


4)台詞の間(ま)のこと

ということで今回(平成30年6月歌舞伎座)の芝翫の龍達は、吉之助にとって十七代目を思い出させる嬉しい出来でしたが、いつか再演する時のために若干注文を付けておきたいと思います。芝翫の龍達は台詞に軽みが出て、テンポが軽快です。これは良いことです。だから人物が生き生きしています。(この点については共演の松緑、雀右衛門ともになかなか良かったと思います。この軽さを南北でも黙阿弥でもお願いしたいものです。)しかし、もう少し台詞の行間に間(ま)をしっかり取ってもらいたいと思います。軽妙な言葉のキャッチボールが続いてスピーディに芝居が進みますが、この芝居は不条理劇なのですから(怪談劇と理解しても結構ですが)、台詞の背後に漆黒の暗闇を感じさせて欲しいのです。

龍達の軽妙な会話に観客は反応してよく笑っています。しかし、そのために前半の芝居は喜劇っぽい印象が強くなってしまいました。これではちょっと違います。 これでは本作の不条理感覚から目をそらして、お笑いに逃げていることになってしまいます。確かに十七代目の龍達の時でも観客はよく笑っていました。それはその通りですが、「面白うてやがて哀しき」という風にならなければ、「宵宮雨」の不条理感覚は巧く効いて来ないのです。前半の会話の間の背後にある気だるさ、倦怠感が、後半の殺しになって明確な正体を顕わすと考えて欲しいと思います。季節が6月15日の深川八幡のお祭りの前夜ということも考えて欲しいと思います。つまり蒸し暑い気分なのです。暑苦しさが気だるさに通じます。十七代目の龍達は、台詞の間合い(つまり空虚な空間)のなかにそのようなものを自然に描出させていました。間合いの取り方は、昭和56年9月歌舞伎座の十七代目の舞台映像が残されていますから、比べて見れば参考になると思います。この点を改良すれば、太十が龍達を殺してから以降の怪談仕立ての虚無感が浮かび上がって来るでしょう。これから龍達を芝翫の持ち役として大事に育ててもらいたいと思います。

(H30・6・16)



 

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