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散切物の面白さ

平成30年5月国立劇場:前進座公演「人間万事金世中」

六代目河原崎国太郎(恵府林太郎)、藤川矢之輔(辺見勢左衛門)、武井茂(毛織五郎右衛門)、山崎辰三郎(辺見の妻おらん)、玉浦有之祐(辺見の娘おしな)他


1)散切物の面白さ

久し振りの黙阿弥の散切物「人間万事金世中」をとても面白く見ました。本作は、明治12年(1879)2月東京新富座の初演です。これはイギリスの人気劇作家エドワード・ブルワー=リットンの戯曲「マネー(金)」(1840年ロンドン初演)を、黙阿弥が横浜を舞台とする散切 物に翻案脚色したもので した。どうして黙阿弥がリットンの「マネー」を知ったのかと云うと、当時・東京日日新聞社長で欧米演劇通であり、日本の演劇改良の流れをリードした福地源一郎が、この戯曲の 詳細を黙阿弥に提供したからだそうです。演劇改良運動提唱者としてなかなか煩い存在でしたが、その後、劇作家・福地桜痴として、「大森彦七」などの活歴物、新舞踊「鏡獅子」など書いてもいますから、大変な才人でしたね。

ところで、ここで時系列を整理しておくと、いわゆる大政奉還があって明治の世になったのが、明治元年(=慶応4年・1868)のこと。明治政府が斬髪脱刀令を発したのが、明治4年(1871) のこと。ガス灯など近代設備を備えた新富座が開場したのが、明治11年(1878)のことでした。文明開化の世の中で、西洋の風俗や考え方が日本にドッと流入してきて、「西洋のものならば何でも良い、江戸の昔のままを守るのは悪い」という風潮さえありました。当時の気風について長谷川如是閑はこんなことを回想しています。

『あの時代は天保人という言葉がありましたね。旧弊だということですが、そう言われることを極端に嫌った。今ではそういう考え方をすべて「反動」で片付けていますが、(中略)すべて生活者の意識、つまり一般人の革新の意識、というよりは実践の気組みが強かった。』(折口信夫との座談会:「日本文化の流れ」・昭和24年2月)

歌舞伎もかぶき踊りに発し元々新奇な趣向を好んだ演劇ですから、文明開化の風俗を取り入れた芝居も沢山試みられました。散切物も、こうして出来たわけです。しかし、現在歌舞伎でレパートリーに残っている散切物は「水天宮利生深川(筆売幸兵衛)」くらいのものです。今見る散切物は、歌舞伎が時勢から取り残されまいとして生まれた時代の仇花みたいな哀しい感じに見えなくもないけれど、実際は、生活者の意識、実践の気風に根ざしたものであると云うことを、頭のなかにちょっと置いて散切物を見ると、その面白さが分かって来ると思います。

例えば「人間万事金世中」では、主人公林太郎(五代目菊五郎)の叔父の遺産分与の遺言状を、毛織五郎右衛門が親戚一同の面前で高らかに読み上げるという場面があります。初演の五郎右衛門を演じたのは九代目団十郎で、実は明治12年2月東京新富座の演し物の中幕が「勧進帳」でした。ですからこの場面は、勧進帳読み上げの弁慶を当て込んだ趣向と云うことですが、興味深い事実がまだあります。九代目団十郎は生涯に20回弁慶を演じており、演じる度にどこかを変えて演じたそうです。明治12年2月新富座の上演は、九代目団十郎の11回目の弁慶に当たりますが、この時の弁慶は、

『弁慶は素顔に地天窓(じあたま)にて眉毛も格別太くせず白粉も少しも施すことなく例の睨(にら)みの時も例と違いツケなしにて、すべて能がかりなり』(「団洲百話」)

というものでした。このことは斬髪脱刀令発令が明治4年であったことを考えれば分かりますが、明治12年当時の能役者はすでに現在と同じように散切頭で能を演じたのであって、チョンマゲ頭ではなかったのです。「すべて能がかり」ということは、散切頭の「勧進帳」ということです。当時はそのような実験が盛んに試みられた時代でした。そういう実験をしないでは旧弊と蔑まれかねない雰囲気でした。そういうなかで歌舞伎の近代化の先頭に立ったのが九代目団十郎でした。

もうひとつ大事な事実は、この時の散切頭の「勧進帳」の観客の評判が甚だしく悪かったということです。そのために九代目団十郎は、その後の「勧進帳」を元のコンセプトへ戻さざるを得なかったのです。ですから、もしこの時の散切頭の「勧進帳」が大好評であったのならば、その後の歌舞伎がどうなったのか分かりません。少なくともその後に出来た松羽目舞踊は、すべて散切頭になっていたことでしょう。なにしろ当時の本行(能狂言)は散切頭だったからです。江戸時代には式楽であった能狂言はチョンマゲ頭を捨てた。歌舞伎の方は、散切頭にならずにチョンマゲ頭にこだわり続けた。つまり歌舞伎は「江戸」にこだわり続けることになったということです。これは役者が選択したことでもあるし、観客が選択したことでもあるのです。このことは、歌舞伎の大きな精神的岐路であったと思います。(この稿つづく)

(H30・6・2)


2)黙阿弥の面白さ

黙阿弥の翻案は、ブルワー=リットンの原作 の筋の若干整理したようですが、概ね忠実に舞台を日本に移し替えたものであるそうです。これについては福地源一郎が原作を黙阿弥にどのように教授したか分からない 。どこまでが福地のセンスか、どこからが黙阿弥のセンスなのか、よく分からないところがありますが、「人間万事金世中」の舞台を見ると、いつもの黙阿弥であると芝居が粘った展開になりそうなところが、意外とサラりと行っているようです。それは、ドラマの軸がはっきり金(マネー)でドライに割り切られて、そこに人情 や葛藤があまり絡まないせいです。金が主人の難儀を救うためとか、馴染みの女郎を身請けするためとか、いつもの黙阿弥の世話物に付きものの湿った因縁がないのです。だから気楽にアハハ・・と笑って居られます。

辺見勢左衛門の娘おしなは、主人公林太郎が莫大な遺産を継ぐというので盛んにアプローチしますが、林太郎が破産したと聞くと途端に手の平を返します。色男の林太郎を振って、あんまり醜い男を亭主に持つのも可哀想・・と言われると、おしなは平然として、「いえいえわたしゃ厭いませぬ、業平さんでもひょとこでも、灯りを消したその時は、別に変わりはござんせぬ。わたししゃ男にゃ惚れませぬ。金のあるのに惚れますわいなあ」とあけすけに答えます。これを聞いて父親は、「おお金に惚れるは開化進歩、さてさて開けた娘だなあ」と大喜び。この場面は初演の時に大受けであったそうです。開化と云う言葉が、芝居のあちこちに出て来ますが、何でもかんでも金に結びつける当世を見事に皮肉っているのです。

下座音楽にあまり頼っていない感じなのも、この本作のサラりとした印象を強めています。これは翻案物だからそうなったと云うことかも知れませんが、それにしても、本作では黙阿弥の作劇センスの良いところばかり が目に付く感じがしますねえ。この行き方がその後の歌舞伎に定着していれば、歌舞伎の現代物のジャンルが出来たかも知れません。ここから新派の演目などはすぐそこだと思いますが、しかし、これは結局、歌舞伎の領域にはならなかったわけです。

今回(平成30年5月国立劇場)の前進座公演ですが、前進座の良いところは、舞台に出ている役者全員が同じ方向を向けて全力で芝居をするという、当たり前のことがしっかり出来ていることです。だから芝居が緩むとことがない。主役から脇役まで、どの役もすみずみまで生きています。そこがまことに気持ちが良い。これが散切物の本作のサラりとした印象にも良く似合っています。もし同じ本作を松竹歌舞伎でやったら、粘って重ったるくなると思います。

黙阿弥はここでも七と五に割れる台詞を書いていますが、前進座の役者はそこをそう見せないように、多少棒気味にサラサラとしゃべっています。末尾を詠嘆調に引き延ばすこともしません。ですから松竹歌舞伎の黙阿弥に慣れてしまった方には、歌舞伎らしくないように聞こえるかも知れませんが、むしろ黙阿弥の世話物はこのようにしゃべるべきだと云うことを申し上げたいですねえ。こんなに良い気分で黙阿弥物を見ることが出来たのは、久し振りのことでした。

(H30・6・7)



 

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