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梅の由兵衛の上方感覚を考える

平成29年12月国立劇場:「隅田春妓女容性〜ご存知梅の由兵衛」

二代目中村吉右衛門(梅の由兵衛)、五代目尾上菊之助(女房小梅、丁稚長吉二役)、五代目中村歌六(源塀堀の源兵衛)他


梅の由兵衛には、二人のモデルがあるそうです。ひとりは江戸初期の「江戸真砂六十帖」という書物に出て来る「梅の与四兵衛」という男伊達、もうひとりは江戸初期の大坂に住んでいた「梅渋吉兵衛」(うめしぶきちべえ)という悪党です。後者については、元禄2年(1689)に吉兵衛夫婦が共謀して両替屋の奉公人長吉を殺して百両を奪って極刑に処せられたと云う実説が、その後の「由兵衛」物の芝居の筋のなかに取り入れられました。「由兵衛」物の変遷を整理するのは難しいですが、このふたつの系統が入り混じって並木五瓶の「隅田春妓女容性」(すだのはるげきしゃかたぎ)が成立したと考えて良いようです。ですから梅の由兵衛は江戸の男伊達の設定ではありますが、どこかに上方オリジンの要素があるのです。

ところで江戸の男伊達の代表と云えば助六ですが、実は助六も上方発祥のキャラクターです。京都に住む助六と島原の遊女揚巻が心中したという話が、江戸に入って男伊達の主人公になっていく過程はこれも複雑です。現在の「助六由縁江戸桜」の舞台から、助六が上方発祥だと分かる要素がどこに見えるでしょうか。容貌からすると恐らくそれは助六のシンボルである江戸紫の鉢巻にあると思います。鉢巻をギユッと絞って上に付き立てた尖った部分は江戸の男伊達の心意気を示していますが、鉢巻の端を横顔に長く垂らした部分の優美なところに上方の感覚を見ることができるでしょう。ドラマとしては花道の出端の踊りの部分に上方の感覚が見えます。ここでの河東節の『それと言はねど かおよ鳥 間夫の名取りの草の花 思ひ初めたる五つ所 紋日待つ日のよすがさへ こどもが便り待合いの 辻うら茶屋に濡れてぬる雨の箕輪の冴えかえる』という歌詞など、威勢の良いかぶき者にも似合わぬ、なかなか哀愁に満ちたものです。そこに上方の感覚がするでしょう。助六が 江戸の気風が良い男伊達だという単純なことだけで、助六はこれほど人気のキャラクターになったのではないわけです。上方の、ちょっと色っぽい感覚が入ったからこそ、助六は華のキャラクターとなったのです。梅の由兵衛も同様に考えたいものです。

それでは梅の由兵衛の上方の感覚というのは、どこに見えるでしょうか。容貌からすると、それは由兵衛のシンボルと云うべき宗十郎頭巾にあります。享保21年(1836)・江戸中村座の二番目に梅の由兵衛が出て、この時、初代沢村宗十郎の由兵衛が頭巾姿で登場し、敵役を前にして「今をはじめの旅衣」と云い頭巾を取ると奴の頭で、観客がワァと唸ったそうです。この大成功で由兵衛は男伊達の役に固定し、頭巾は宗十郎頭巾と呼ばれるようになりました。この時の台本がたまたま曽我物で、以来由兵衛物と云えば曽我と結びつくのはそのせいです。由兵衛の頭巾は短気を戒める為に着けるのですが、仇討ちで仇を追い求める過程で艱難辛苦を耐え忍ぶ、由兵衛の「堪忍」を形象化したものでした。同時に由兵衛の内心にたぎる心情を頭巾の内に秘める色気、そこに上方の感覚があったと思います。初代宗十郎は京都出身の役者でした。

一方、実説の長吉殺しの件は、由兵衛の女房小梅の弟が長吉であったという設定に変化して、上方の由兵衛物の系統ではかなり早い時期に成立していたようです。寛政6年(1769)上方で長く修業していた三代目宗十郎が江戸に戻る時、宗十郎が勧めて五瓶は江戸に執筆拠点を移すことになりました。その2年後に五瓶が宗十郎のために書き下ろしたのが、寛政8年1月桐座初演の「隅田春」です。(五瓶の江戸歌舞伎の移籍は、その後の江戸歌舞伎の作劇水準を飛躍的に高めることになります。ちなみに江戸での五瓶の地位を確かなものにした「五大力恋緘」(ごだいりきこいのふうじめ)はその翌年の作になります。)「隅田春」において、五瓶は宗十郎の家の芸である江戸の梅の由兵衛物の系統に新たに上方オリジンの長吉殺しの件を絡ませて、芝居の流れをスッキリ合理化しました。江戸の初春狂言は曽我物とするのが約束ですが、五瓶は一番目「曽我大福帳」の方に曽我の世界を当てて、二番目の「隅田春」からは曽我の世界を遠ざけています。これも新しい行き方です。

宗十郎頭巾が上方の感覚を表すことは前述した通りですが、「隅田春」のドラマとしての上方感覚は、長吉が女房小梅の弟と知らず殺してしまった由兵衛の苦しみ、これを知った女房の悲嘆、さらに色紙入手のため女房に去り状を渡す由兵衛の心情など、登場人物の「堪忍」の細やかな心理描写に表れています。ここがまさに上方の感覚だと思います。

ここから黙阿弥までは、そう遠くはありません。それはちょっとした感覚の違いにすぎません。「隅田春」の筋を因果の律に絡めて仕立てれば、黙阿弥になるのです。黙阿弥物の因果の律は、幕末の閉塞した社会の暗い雰囲気を反映しています。これに対し黙阿弥より約90年ほど前になる五瓶の場合は、感覚がスッキリして明晰なものであると思います。(これは五瓶から直接の影響を受けた四代目南北についても同様です。)ですから由兵衛が御所五郎蔵のような感触になってしまってはならないわけです。現代の役者は黙阿弥の感覚が身に付いているのでそっちの方に傾き勝ちでしょうが、そうならないように注意せねばならないところです。

さて今回(平成29年12月国立劇場)の「隅田春」は、昭和53年9月国立劇場での上演以来、実に39年ぶりの上演になります。吉右衛門の梅の由兵衛は、上方の色気というところは仕方ないところがありますが、実事が上手い人ですから、大詰・由兵衛宅での、長吉殺しに絡んだ嘆き、小梅に去り状を出す葛藤にも「堪忍」の実がよく出ていて、この方向で芝居を締めていい出来になっています。なるほど、こういう行き方もありますね。

39年ぶりの上演ということもあって役者陣は手探りの感じがしますが、台詞は七五の黙阿弥調には陥っていません。そこは評価したいところですが、ただ全体的にもうちょっとテンポが欲しいですねえ。特に前半にダレるところがあって、芝居が 重めになると感触がどことなく黙阿弥に近くなる気がしました。本所大川端の長吉殺しも、殺しまでをサラッと進めて長吉が義理の弟だと分かってからの由兵衛の嘆きをたっぷりやれば良いのに、前後の芝居を起伏なくのっぺり進めているせいで黙阿弥の清心の求女殺しのような感触になってしまいま した。テンポの軽快さ、これがあれば上方芝居の明晰な感覚につながって行くと思うのです。そんなことを考えながら舞台を見ておりましたが。

(H29・12・29)




  
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