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四代目長十郎の弁慶・三代目翫右衛門の富樫〜前進座の「勧進帳」

昭和39年3月文京公会堂:「勧進帳」

四代目河原崎長十郎(弁慶)、三代目中村翫右衛門(富樫)、五代目河原崎国太郎(義経)


本稿で取り上げる映像は、前進座創立時からの三幅対、長十郎、翫右衛門、国太郎による「勧進帳」です。よくこういう映像が残っていたものだと感謝したくなりますねえ。前進座が初めて「勧進帳」を上演したのは昭和8年(1933)のことでした。「勧進帳」は市川宗家の許し物でしたから、それまで弁慶を演じることができたのは九代目団十郎の弟子筋の、七代目幸四郎 ・六代目菊五郎・十五代目羽左衛門ほか限られた役者のみでした。これを前進座が上演できるようになった経緯は、長十郎が河原崎座の座元であった八代目河原崎権之助の息子であったからでした。長十郎の祖父・六代目権之助は九代目団十郎の養父であり、一時期、団十郎は七代目権之助を名乗っていた時期がありました。そういうことで長十郎と市川宗家とは縁戚関係があったわけで、宗家である五代目市川三升( 九代目団十郎の娘婿で死後に十代目団十郎追贈)が八代目権之助17回忌での上演許可を長十郎に出したということだったようです。

長十郎の弁慶、翫右衛門の富樫の組み合わせは、世間に定評あるものでした。昭和10年半ば頃の話だそうですが、弁慶役者として有名な七代目幸四郎が「あなたの後に弁慶を演じられる役者がいるだろうか」と問われて、当時は三人の息子たちがまだ若かったということもあったかも知れませんが、幸四郎は事もなげに「長十郎がいるよ」と即答したということです。またこれも富樫役者として有名な十五代目羽左衛門も、「富樫の心得は全部教えておいたから、これから富樫について知りたければ三井(翫右衛門の本名)に聞きな」と言っていたそうです。そういう二人の「勧進帳」の映像が見られるのは、有難いことです。

長十郎には「勧進帳」(昭和40年・角川新書)という著書があって、弁慶の役作りについて長十郎の試行錯誤が述べられています。七代目幸四郎は長十郎に「十八番物でも助六の方は改造する余地はないが、勧進帳の方はまだまだ未完成で、研究改造の余地がある作品だと私は思っているが、完成までには私一代では手が届かなかった」ということを語ったそうです。「勧進帳」研究をする場合、特に迷い込むのが本行である能様式の取り入れと写実主義の問題です。例えば勧進帳読み上げや山伏問答にある仏語をどう発音するかということですが、これを学問的に正しい読み方に直すとなると、ただでさえ分かりにくい問答がますます難解になってしまうとか、上演するといろいろ微妙な齟齬が生じる場合もありそうです。そういう問題を踏まえて、七代目幸四郎を始め歴代の弁慶役者が試行錯誤しながら、今日の上演形態が次第に出来上がって来たということです。伝統芸能は時代の感性で磨きを掛け続けて絶えず変容していくものだという考え方もあるわけで、何が正しく・何が正しくないというのは、とても難しい問題なのですね 。

河原崎長十郎:勧進帳―付・上演台本 (角川新書)

一方、九代目団十郎そっくりそのままやればそれが正しいとする考え方もあるわけです。上演時間については、七代目幸四郎は「私のはたいがい1時間15分であげていましたが、師匠(九代目団十郎)のは1時間40分かかっていました」と証言しています。台本の細かな相違があったりするし、共演の役者のペースも関係しますから、表面的な時間の長さを議論を云々しても仕方ないですが、それにしても1時間40分というのは由々しき長さではあります。こうなると何が正しいかということを置いても、九代目団十郎の「勧進帳」の風格の大きさというものを想像したくなります。茫洋として大きい弁慶だったのだろうと想像されます。そこで上演時間とか細かい所作の違いはどうでも良いのですが、ぬっとして大きいということならば、長十郎の弁慶はなるほどそんな印象を何となく押さえた弁慶であったのかなと思うわけです。

長十郎という役者はどんな役でも「とにかく間合いが伸びる」ということで、実に共演者泣かせであったようです。悪く云えば、マイペースの役者だったということなのでしょうかね。しかし、それに足るだけの十分な息がなければ、伸びる間合いを維持できないわけですから、腹に力が入った役者であったのだろうと思います。弁慶の役造りに悩んでいた時、長十郎は文楽三味線の野沢吉兵衛から「あんたはんの弁慶はんはな、あれでもうひとつ大きゅう見えたら、それでよろしゅうおまんね。弁慶が別にあるのやおまへん。(弁慶になり切ろうとするのではなく)あんたはんの弁慶になったらよろしいのや」とアドバイスを受けたそうです。まあ確かに独特な味わいのする弁慶です。長十郎の弁慶の勧進帳読み上げや山伏問答に関しては、台詞が歯切れ良いとか、リズムが決まっていると云う印象はなくて、一歩一歩大地を踏みしめて歩くという感じの、線が太くて、小細工に走らない台詞廻しです。台詞が伸びる癖は、映像を見てもよく分かります。下手をすると一本調子な印象に聞こえかねないのですが、そこがどこか時代離れした古風な感触を醸し出します。

この長十郎の弁慶を受けるとなると、富樫も息を腹に持って受けないと大変なことになりますが、対する翫右衛門の富樫もなかなか面白いものです。こちらは台詞が歯切れ良く、二拍子のリズムが明確なかつきりした印象の、なかなか見事な富樫です。一見すると方向性が真反対なのですが、問答が決してバラバラな印象になりません。長十郎の古風な感触で押して出る弁慶を、翫右衛門の富樫がリアルな感触でいなす恰好になって、駆け引きが適度なアクセントになっています。この対照的な二人がこんな感じで前進座を引っ張って来たというのは、なるほどいいコンビであったということですね。

国太郎は女形ゆえ線の細い義経になるかと思いましたが、映像を見ると国太郎は女形と思えない太目の男の地声で発声しており、優美ではあっても、しっかり男性的な義経になっています。 昨今の舞台での義経は控えめに過ぎて存在感が淡くて、そこが良い・それが義経の神性だということになってる感じもします。一方、国太郎の義経には確かな存在感があります。しっかり人間の義経なのです。義経信仰とか云う以前 のこととして、もっと強い実体のある強い感情、例えば「俺はこの男(義経)の人間に心底惚れ込んでおり、この男の為にならば俺は死ねる」という弁慶の強い思いが感じられます。この感情こそ民衆の「判官贔屓」の原点であり、「勧進帳」とはそのようなドラマなのだと云う、これも前進座らしい、ひとつの見識であるなあと思いました。

(H29・12・6)




  
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