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「安達三」の難しさ

平成29年11月歌舞伎座:「奥州安達原・袖萩祭文」

二代目中村吉右衛門(安倍貞任)、五代目中村雀右衛門(袖萩)


1)「安達三」の世話の要素

五段物浄瑠璃の三段目が大体世話場であることは、例えば菅原の「佐太村」や千本桜の「鮓屋」を見れば分かります。この考え方は能の五番立ての構成から来るものです。能の三番目物は鬘物(かつらもの)と云って、「井筒」、「熊野」など、シテが女性でかつらをつけて優美に舞し、恋慕の情を表現するものです。これに相応した形で、浄瑠璃の三段目は人情を細やかに描くものとされます。三段目に武家や公家の社会に起きた政争・戦乱に本来無関係な庶民が巻き込まれる悲劇を描くものが多いのは、そこから来ます。

しかし、「佐太村」や「鮓屋」が時代浄瑠璃のなかの世話場であることは舞台面を見れば明らかですが、舞台面がまるで大時代の三段目もたくさんあります。例えば「奥州安達原・三段目」(通称「安達三」 ・あださん)などは、その筆頭です。「安達三」は舞台面が御殿であるし、幕切れは安倍貞任・宗任兄弟がスケール大きく引っ張りで決めて、如何にも時代物らしい。しかし、「安達三」も三段目なのですから、どこか世話の要素があるに違いない。そこを正しく描き出さないと、「安達三」は正しく三段目の風にならないわけです。だから「安達三」の世話の要素を考えてみたいと思うのです。

三宅周太郎は「文楽の研究」のなかで、「安達三」・袖萩の祭文の語りに「二世の夫にも引き別れ、泣きつぶしたる目なし鳥」とあるのは、つまり袖萩は怪我や病気で目が見えなくなったのではなく、泣きつぶしたあげくに目が見えなくなってしまったわけで、兎に角、この「安達三」ほど泣いて泣いて泣きぬく作は珍しいと云っています。

『まず袖萩は「泣きつぶしたる目なし鳥」といって泣く。娘お君さえ「申し旦那様奥様、外に願いはござりませんぬ、お慈悲に一言物おっしゃって」などといってベソを書く。母浜夕は「生まれ落ちると乞食さす子をあの様におとなしく、産みつけざまは何事ぞ」といって泣く。威丈高に「畜生め」と罵る父親{杖でさえ、口ではともかく腹では泣きぬいているのだ。しかも、袖萩は後に父と共に自害して死んでしまいさえする。こういう風に、これ位泣く作、これ位悲劇的に救われない作は珍しい。』(三宅周太郎:「文楽の研究」)

これはまったくその通りで、「安達三」で涙を見せないのは宗任くらいのものです。敵方の八幡太郎義家でさえ、腹のなかでは泣いています。本作での義家は もののあはれを解する男ですから、この場面で泣かぬはずがないのです。容貌を見ても「熊谷陣屋」での義経とまったく同じ役割であることが分かると思います。(別稿「義経は無慈悲な主人なのか」を参照ください。)ですから「安達三」で描かれるものは、表向きには戦争で敵味方に別れたことで一家が引き裂かれ崩壊していく悲劇ということになるかも知れませんが、煮詰めていくとそれは案外シンプルなものであるのです。それはこの世に人が生きていくことの救いがたい理不尽さ・辛さ・悲しさということになると思います。そこまで煮詰めて行くことで、「安達三」のなかの世話的な要素が見えて来ます。まったく近松半二という人は、どんな作品においても生の実相を非情なほど突き詰めて描く作者なのですねえ。

だから「安達三」が如何にも時代物らしい締め方で終わるのは、貞任登場までの舞台の陰鬱な雰囲気を一気に吹き飛ばす口直しみたいなところがある(そうでないと観客に対してお慰みにはならない)わけですが、前半が泣いて泣いて泣きぬく世話になっている分、バランス上、幕切れがますます大時代になるということです。「安達三」はかなり歪(いびつ)な構造になっています。だから理想的なバランスを取るのがなかなか難しいかも知れません。見終わった後の「安達三」の印象が、ともすれば四段目の感触になってしまうのです。(この稿つづく)

(H29・11・26)


2)「安達三」の難しさ

結局、「安達三」は「泣いて泣いて泣きぬく」ところにドラマの核心があるわけですから、観客の情に如何に訴えるかが大事なのです。「安達三」の頂点は、袖萩祭文の件にあるということです。貞任登場からの後半は音楽で云うとコーダであり、主題部とは異なる旋律で作られた終結部です。前半と後半の局面に連関がないのですが、バラバラな印象を呈してはいけません。そう考えると「安達三」で一人の役者が袖萩と貞任を兼ねるやり方は、無理やり連関性を持たせるということになるので、なるほどそれなりの意味があるのだなあと思います。昭和54年11月・池袋サンシャイン劇場において、三代目猿之助(二代目猿翁)が、岐阜の地芝居の型を取り入れて「安達三」で袖萩と貞任の二役を演じたことがありました。この時の「安達原」通しは「安達三」の前場に映画を挟み込んだ連鎖劇の手法を取ったもので、なかなか面白い舞台でした。このような観客の情に訴える小芝居的なあざとい手法の方が、「安達三」にはよく似合うようです。

袖萩と貞任を分けて二人の役者で演じるやり方が本来の形だとは思うのだけれど、今回(平成29年11月歌舞伎座)の舞台でも、配役は現時点において最適と思える布陣であり、やっていることにまったく不足はないのですが、それでも吉之助はどこか隙間風が吹くようなところを感じてしまいます。大歌舞伎の「安達三」は構えの大きさが、何となく三段目の風と異なるようです。むしろスケールの大きさを犠牲にしても、心理主義的に濃厚に描いた方が良いのかなという気がします。この点で「安達三」は構成的に難しい芝居であるなあと思いますねえ。終結部を大時代に塗りつぶしたこの歪な構造こそ近松半二のバロック性と云うことなのでしょう。しかし、袖萩と貞任を分けて二人の役者で演じる大歌舞伎のやり方ならば、今回の舞台はまあそれなりの出来として良いと思います。

襲名以来、雀右衛門は着実に腕を上げて来ました。だいぶ主張が出て来た感じがしますねえ。袖萩の悲しみをピュアな形で提示できています。立役(貞任)が袖萩を兼ねるならば悲惨さが もっと濃厚に出せるということも考えられますが、雀右衛門は真女形の袖萩の形をまずまず見せてくれたと思います。吉右衛門の貞任は言うまでもなくスケールの大きさにおいて申し分ないものです。ところで、これは吉右衛門だけのことでなくて歌舞伎の型のことですが、貞任の正体を見顕わす「何奴の仕業なるか」という台詞は、歌舞伎では「何奴の・・」を本性の貞任(武士)の声色で言い、「・・仕業なるか」を桂中納言(公卿)の声色に戻って言うという約束になっていますが、どうもわざとらしくて、誰がやっても気が抜ける感じでうまく行っていません。三宅周太郎に拠れば、文楽ではここは「打ち立つるは何者なるぞ」と云い、この台詞を貞任の性根で言うそうです。吉之助はこちらの方が良いと思いますけどねえ。

(H29・12・3)




  
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