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五代目勘九郎の弁天小僧

平成16年4月歌舞伎座・通し狂言「白浪五人男」

五代目中村勘九郎(十八代目中村勘三郎)(弁天小僧)、十代目坂東三津五郎(南郷力丸) 、中村信二郎(二代目中村錦之助)(忠信利平)、九代目中村福助(赤星十三郎)、十五代目片岡仁左衛門(日本駄右衛門)


1)勘九郎の弁天小僧

平成16年4月歌舞伎座での・久しぶりの「白浪五人男」通しを見てきました。役者揃いで見応えのあるいい舞台になりました。特に勘九郎の弁天小僧は父・勘三郎 の面影を思い出させて嬉しくなりました。「浜松屋」の弁天小僧の見顕しの後はちょっと崩れたグロテスクで退廃的な味を出して、なかなか良ろしうございました。「グロテスク」というのは容貌的に綺麗じゃないということを言っているのではないのです。明らかにそこに在るべきでないものがデンとして在るという感じです。これがいわば伝統的・かつ正統的な弁天小僧の感触でしょう。

しかし、通し狂言であるということが背景にあると思いますが、「浜松屋」で弁天小僧の騙りの正体がバレる前の・早瀬娘お浪が花道から南郷と一緒に出てきたところからして「見物の皆さんは先刻ご承知ですよね、僕、化けてんだよ」と言って片目をつぶって舌を出して 笑って見せそうな・愛嬌を振り撒くのはちょっと気になります。これは序幕「初瀬寺花見の場」での信田小太郎(実は弁天小僧)の場面でもまったく同じです。つまり、最初から底を割った行き方です。これは勘九郎の愛嬌が観客にそれだけ受け容れられている・何をやっても許されるという実力と人気のほどを示すものです。良く言えば観客とのコミュニケーションの上で成り立っている・観客との「馴れ合い」で成立しているとも言えます。

イヤ歌舞伎では「役者と観客の馴れ合い」は悪いことではないのです。歌舞伎は役者の味でするものなのは間違いありませんから。こういう最初から底を割った行き方も、それはそれで悪くはないと思います。しかも、通し狂言であって・序幕で信田小太郎での化けを一度見せているということがありますから、この解釈も理解できないことはありません。「浜松屋」だけの見取りなら勘九郎はこういう行き方はしなかっただろうと思いますが、しかしやっぱり「浜松屋」の前半は娘でしっかりと行くべきだと思いますよ。まして勘九郎はそれが十分出来る役者なのですから。

余談ですが、序幕に千寿姫で出ていた七之助が「浜松屋」では宗之助で出ます。宗之助が登場した時に吉之助の後ろの席で「あっ、お姫様が出てきた」とおっしゃった方がいらっしゃった。弁天小僧が底を割っているものだから、宗之助まで騙りの一味にされてしまいそうでした。弁天小僧が前半しっかりと娘でいれば、そんなことはなかったと思います。


2)女形の弁天小僧のこと

同じ役であっても・役者が違えば役の寸法・デッサンは当然変わります。これでいいとか・これであるべきというのはないのですが、弁天小僧は役の性格が分裂しているところがあって、どこに役の主眼を置くかで・弁天小僧の印象は相当に変わります。現行歌舞伎での弁天小僧のイメージはほぼ十五代目羽左衛門が作ったものと言ってよろしいでしょう。

別稿「源之助の弁天小僧を想像する」「女形の弁天小僧」などで、黙阿弥が最初の弁天小僧を構想した時に役に想定していたのは五代目菊五郎(当時は 十三代目羽左衛門)ではなくて・八代目半四郎(当時は三代目粂三郎)であったことに触れました。結局、半四郎は弁天小僧を演じなかったのですが、もし半四郎がこの役を 初演していれば・その後の役のイメージはどうなったろうかということは想像力を掻き立てる問いであります。

黙阿弥が安政6年(1859)に三世歌川豊国に「半四郎の弁天小僧菊之助」の錦絵を描かせた時、まだ黙阿弥には詳細な芝居の筋立てがあったわけではなかったようです。というのは、「弁天小僧」が初演されたのはそれから3年後の文久2年(1862)3月・江戸中村座での初演ですが、その時の櫓下番附の名題の上のカタリ(お芝居紹介の宣伝文)を見ますと、これが実際の芝居の筋とだいぶ違っているのです。これは構想が まだ決まらぬうちからカタリを書かねばならなかったことを示しており、作劇が急拵(こしら)えであったことを伺わせます。黙阿弥は半四郎で弁天小僧を書くのを一度は諦めたが、必要に迫られてお蔵入りさせていたアイデアを若き菊五郎に利用したということのようです。

今回の通し上演を見ながら漠然として思いますが、黙阿弥が書いた弁天小僧は菊五郎にはめて書いているのだから当然ですが、全体として半四郎には無理なものになっているのだろうと思います。しかし、美しい娘が騙りの男の正体を顕して・裾をまくって開き直るという趣向は、もともと黙阿弥が半四郎で構想したアイデアです。それに固執するでもないが、この芝居の発想の原点がここにある以上、「浜松屋」前半の弁天小僧はやはりしっかりと娘である方がよろしいようです。

七代目宗十郎は 昭和2年10月・帝国劇場で弁天小僧を演じていますが、「前半は自分の畑のものでまあ楽でございますが、見顕しになってからのあの空っ世話からはまったく自分には不向きで・・」と語っています。(「演芸画報」・昭和2年11月号)この時の山崎紫紅の舞台評を見ると、「十五代目羽左衛門はトゲがあって・そこに一道の凄みがあるが・宗十郎にはそれがない。宗十郎は娘から男に変わるのが、時には娘が男の声色を使うようにも思わせられる」と書いていて全体に不評であります。しかし、「徳もある」として・「そうは云うものの、やっぱり女ではあるまいかと、玉島逸当さんの反対に、どこやら乳房を障って見たい気にもなる」と書いてもいます。(同じく「演芸画報」・昭和2年11月号)

見顕しになった後も「そうは云うものの、やっぱり女ではあるまいかと」思わずその顔をマジマジと見てしまうという倒錯的なイメージは、弁天小僧の特質として大事にしたいものです。しかし、そんな女っぽい弁天小僧だと芸質的に見顕しの啖呵が切り難いということなのでしょう。逆に啖呵がうまい立役の弁天小僧であると、前半の娘がどうしても嘘っぽくなる。この辺りのバランスが難しいところです。そのバランスの難しさを十八歳の中性的な若さの美で大胆不敵に乗り切っちゃったところが五代目菊五郎の天才たる所以なのであり、これはやはりひとつの奇跡であったと思われてなりません。

だから五代目菊五郎の成功もその十八歳という年齢の肉体が備えている・時分の花によるところが大きいのだろうと思います。これは当代菊之助が同じ十八歳で演じた弁天小僧を見ても強く感じられたことでした。(別稿「女形の弁天小僧」をご覧下さい。)その後の弁天小僧という役がもっぱら立役の視点で作られていくこと・十五代目羽左衛門の行き方が弁天小僧の標準になっていくのも、そう考えれば自然の成り行きであったと思われるのです。カチャカチャと性のチャンネルを切り替えて・女から男に鮮やかに切り替わる・その行き方はある意味で健康的なのです。しかし、ベテランの役者が演じれば・その年齢にふさわしい肌のたるみや脂がちょっと崩れた退廃的な味を出し始めます。そういう弁天小僧もその役の持つ別の魅力としてまた良しというべきなのです。

3)七五調の台詞

本稿冒頭に書いた通り、勘九郎の弁天小僧は見顕しの後は非常に良い出来だと思いました。特に台詞が水際立ってよろしい。別稿「黙阿弥の七五調の台詞術」で現行歌舞伎の七五調のダラダラテンポのことを書きましたが、今回の弁天小僧の台詞はここしばらくの黙阿弥上演では珍しく・お手本にしたいくらいの出来でありました。「浜の真砂と五右衛門が・・」の長台詞に七五調の緩急が十分についており、テンポ良く音楽的でいて・言葉が生きて写実になっています。六代目菊五郎の録音を随分聴いたのであろうと想像しました。ただし、熱演のあまり少々張り過ぎの感じはありましたね。「弁天小僧菊之助たァ俺がことだ」をあまり張り上げると時代になってしまいます。これは稲瀬川勢揃いでの長台詞も同様です。威勢が良くて、思わず「大中村ッ!」と声を掛けたくなるような迫力です。しかし、もう少し抑えた方がいいかもね。

時代と世話の使い分けで言えば、今回は浜松屋幸兵衛(弥十郎)も・玉島逸当(仁左衛門)もいつも通りに正面奥の襖から登場せず・上手部屋の障子からの登場でありました。二人とも障子をスッと開けてちょっと顔を見せてから最初の台詞を言っていましたが、これは とても良いことです。例えばいつものように幸兵衛が「主人幸兵衛、ただいまそれへ参りまする」と言ってから障子を開けて出てくるのは本来は時代物のやり方なのです。誰のご指導かは分かりませんが・今回のやり方を世話のやり方として定着させてもらいたいものです。

もうひとつ気になるのは、勘九郎の弁天小僧はもう完全にベテランの泥棒に見ることです。強請がすっかり手に入っているというか・自在というか・習いたての悪には見えません。台詞の息が良くて、強請場は確かに見応えがありますが、まあ、「浜松屋」だけならこれはこれでもよろしいと思いますが、本当の弁天小僧はまだ悪さを覚えたての子供なのです。もし玉島逸当が弁天小僧が男だと指摘しなければ、浜松屋でのゆすりがどう展開したか想像してみればよろしい。これは弁天小僧はスリをわざと見破られて・店の者に折檻されて・それをネタにして南郷力丸がゆするという彼らの筋書きなのです。要するに弁天小僧は使い走りの役回り なのです。弁天小僧が言うとおり「わっちゃ、ほんの頭数」ということです。だから、弁天小僧が度胸のあるワルに見えるのがいいとは吉之助は思いません。

「蔵前」は取って付けたような場面で、黙阿弥としてもあまりいい出来とは吉之助も思いません。もともと急拵えの作品ではあるし、この場面で日本駄右衛門や弁天小僧の人物像が深まるというものでもないでしょう。しかし、生き別れた親や子供に再会して・泥棒の我が身を恥じて「面目ない」と嘆くのは、やはり黙阿弥に登場する悪人には「心底からの悪人」はいないということだと思います。ここは弁天小僧が「面目ない」と嘆くのを見て、その運命の悪戯の恐ろしさを素直に聞いてやればよろしいのだと思います。

(H16・3・18)


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写真 c松竹、2012年5月、平成中村座、髪結新三


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