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祖父・父追善の「寺子屋」〜六代目勘九郎の源蔵

平成26年10月歌舞伎座:「菅原伝授手習鑑・寺子屋」

十五代目片岡仁左衛門(松王)、五代目坂東玉三郎(千代)、
六代目中村勘九郎(源蔵)、二代目中村七之助(戸浪)


今月(10月)歌舞伎座は、十七代目勘三郎の二十七回忌・十八代目勘三郎の三回忌追善ということです。別稿「青果劇の台詞のリズム」において、長男である勘九郎「ここの箇所は教えられた通り にキチンと決めないと・・」という印象が、父・勘三郎とはまた違った側面において、とても強いようだということを書きました。要するに芸に対して生真面目だということで、そこに好感が持てるわけですが、だから勘九郎にとって特に「寺子屋」の源蔵などは仁の役であろうと思います。熱さと真っ直ぐさがある演技で、御主人大事という性根に不足があるはずもなく、勘九郎の個性の良いところが出ている源蔵に違いありません。「寺子屋」首実検までの前半の芝居の段取りがテンポ良く引き締まって見えたのは、なかなかのものだと思います。

そのこと認めたうえで申し仕上げるならば、それでもやはり「キチンと決めないと・・」という硬い感じが強いと思える源蔵ですね。やや型っぽく、時代に傾斜した印象が強い。動作にカクカクという人形味のぎこちない動きを混ぜるのは、もうちょっと抑えた方がよろしい。台詞にもまだ硬さが見えます。こういうのが義太夫味だ・古怪さだなどという思い込みはやめにしたいと思います。もっと自然に、もっと写実にやれば良い ことです。これは今後、時代物役者としてもっと成長して行くための、勘九郎の大きな課題です。柔らか味のなかに時代の奇怪さを包み込む、そのような大きい役者を目指してもらいたい。そうすれば勘九郎の他の時代物の役、例えば斎藤実盛にしても、ずいぶん印象が違ってくるはずです。吉之助が思い出すに十七代目が演じた時代物はそのような印象であったと思います。遺されたお祖父さまの映像をご覧なされ。残念ながら十八代目はその域に達する前に亡くなってしまいました。

これは別に勘九郎に限ったことではありませんが、「寺子屋」は時代物だから源蔵 は時代にやるべきものだという思い込みは、世間には結構強いものがあるようです。別稿「又五郎襲名の寺子屋」でも同様のことを書きましたが、「寺子屋」の時代の要素は松王が受け持つものであって、源蔵も同じように時代に傾いたら正しい「寺子屋」の構図にならないのです。のどかな芹生の里に突然政治の世界が割り込むから、そのアンバランスが時代の感覚になるのです。だから源蔵は世話を基調とすべき役であると任ぜられたい。源蔵の熱さ・心情の強さは、表面的な硬さ・ぎこちなさとなって表れるのではなく、内面にグッと押し込められねばなりません。

今回(10月)の「寺子屋」の舞台での、勘九郎の源蔵は確かにはまった感じに見えますが、それは対峙する仁左衛門の松王がやや情感の方に傾いており、つまりどこか世話っぽい松王であるので、バランスの具合で源蔵の時代が引き立つせいもあります。今回の仁左衛門の松王はどことなく横綱相撲で、源蔵の演技を受けて立つ感じに思えます。(ちょっと元気がないようにも感じられます。)事実、今回の「寺子屋」は勘九郎が仁左衛門の胸を借りてどれだけやれるかというところが見どころであるので、そのせいか源蔵が自らの憤りを松王に一方的にぶつける構図となっており、だから勘九郎の源蔵の演技の熱さが生きたということは言えます。

まあそういう「寺子屋」を否定するつもりは全然ないですが、しかし、松王と源蔵を同格の役者が演じるとするならば、本来は松王の方が源蔵を強く押さねばならないはずです。ここのところ世間に誤解がありそうですが、源蔵が自ら望んで小太郎を殺すのでは ありません。小太郎を殺さなければならない状況に追い込まれて、源蔵は小太郎を殺すしか方法がなくなるのです。源蔵をそのように仕向けるのが松王なのですから、ドラマ的には源蔵の方が受身です。源蔵本人は苦悩した末に自分が小太郎を殺してしまったと自分を責めるでしょうが、これは全部、松王に仕組まれたことです。(別稿「寺子屋」における並列構造」をご覧ください。)

逆に云うならば、松王が我が子を身替りに差し出したことを嘆くのも、親が子供を失う気持ちは誰でも分かるから・それが時代を越えた普遍的な感情 だということになるのでしょうが、これがあまり強過ぎると松王が何だか被害者みたいになってしまいます。今回の仁左衛門の松王は、仲が良かった十八代目の追善ということで感傷的になるのも分からないことはないけれど、どうも情感の方へ傾斜の気配がします。玉三郎の千代も、これに合わせたのかは知らぬが、泣きが強い千代に思えます。源蔵宅へ入って奥を見る時からもう顔が泣き出しそうに見えます。「若君、菅秀才のお身代り、お役に立てて下さつたか、まだか様子が聞きたい」と源蔵に詰め寄るまでは女丈夫でありたいと思います。

最後になりましたが、七之助の戸浪は源蔵によく沿った出来でありましたね。兄弟力を合わせて頑張ってもらいたいと思います。

菅原伝授手習鑑 (歌舞伎オン・ステージ)

(H26・10・8)



 

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