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「摂州合邦辻」・合邦庵室の段 床本


合邦庵室の段

 

立ち帰る願以此功徳(がんにしくどく)鉦の声、止むが回向の申しあげ、百萬遍の同行中座並上下の差別なく心安居の岸はづれ、合邦夫婦が志、逮夜の料理そこ/\に、気軽手軽の給仕こそ心一ぱい馳走なり。講中一番はしゃぎ口せんべ屋の槌右衛門、杉箸片手に斜に構へ、
「オゝ奇特によう勤めさっしゃるの、見れば新しい戒名も張ってあれど、炬燵の櫓や焙爐(あぶりこ)のやうな四角な字ばかりで一つも読めねど、このやうにうまい事拵らへて講中を呼ばしゃるからは、どうで身内の仏でござらう、誰ぢゃ知らぬが頓生菩提」
と、念仏に汁菜噛ン交ぜて、蓮池のはぜやの嬶
「イヤコレ合邦殿、志の仏があると聞いたゆゑ、今夜の念仏はわれ一と精出したで、いつもと違うて夜食も格別、麦飯にとろゝ汁、飛龍頭の平、こんにゃくの白あへでは、いかな亡者もずる/\と極楽へすべり込み、しゃり/\仏にならしゃろ」
と、云ふも馳走の追従口、主合邦取りつくろひ、
「イヤモ、今夜の百萬遍は、ちっと遁れぬ亡者ヘの手向け、国を隔てゝ暮すゆゑ命日も知らず、それで戒命も手作りで大入妙若大姉と付けて置いたご存じもない仏にご苦労をかけまする、即ちこれが逆縁の成仏、心ばかりのほんの茶漬、何もなくとも御酒も三献、よう参って下され」
と、夫が挨拶女房は、目には涙の含み声、
「久しう顔も見ず、死に目にさへも得逢はぬむごい別れ、せめて未来を仏にと、ご苦労かけての百萬遍、ようこそ参って下さりました、サア/\/\なるもならぬも各盞で」と、取りの盃面々に、「オットある/\こぼれる」
と、夫婦が強(しい)ぶん大分に、
「コリャ食べ過ぎた満腹」
と、膳は取れてもうつむいて、辞宜さへならぬ腹塩梅、
「いかいご造作ご馳走」
と、礼もそこ/\同行ども皆打連れて立帰る、後に女房は御明しの、灯はかき立つれど、晴れやらぬ子ゆゑの闇の口説き言、
「天にも地にも一人の子、やっぱり道心者の娘で置いたら、非業の最期もさすまいもの、なまなか河内一国の、大名の奥様と、云はしたは親の科、五年六年逢ひ見ぬ親子、病ひでもある事か、苦しい死をする時に、さぞや親々恋しいと、思うたであろ慕ひもせう、今際(いまは)の念に引かされて、未来も迷ふてゐるであろ、可哀の者や、いぢらしや」と身をひれ伏して泣きかこつ、合邦は尖り声、
「コレ/\お婆、エヽ同じ事を繰り返し/\未練な述懐、不仕合せゆゑ十年このかた、天窓(あたま)は剃っても、心は昔の侍気質、一人の娘を高安殿へ腰元奉公、奥方に引上げられても親あるとも名乗らぬは、コレかういふ浅ましい姿ゆゑ、わが子の肩身もすぼらうかと、折ふしの状通にも、必ず/\親一門もない者と云ひつのれと、くどいほど云うてやったも娘の影で立身望むと世上の人に云はるゝが面倒さ、潔白な親とは違ひ、子と名の付いた俊徳様に、無体な恋をしかけるのみか、後までも慕ひ廻り、大恩の夫を捨て家出した徒(いたづら)女郎(めらう)、そのまゝにしてあらうか、早速に追手をかけ、なぶり殺しにがな成ったであらう、不所存をさげたやつ、子と思はねば不憫にも、いぢらしうもなけれども、弔ひの百萬遍は折々の貢の礼、また見ず知らずでも剣難で死んだ者は弔うてやるが天窓の役、そなたも武士の娘でないか、エヽ見苦しい泣き顔」
と叱れば、婆はなほ涙、
「可愛さうにそのやうに、むごたらしうは云はぬもの、片輪な子に不憫をかけるは世上の許し、女子は誰しもある習ひ、はたちそこらの色盛り、年寄った左衛門様より美しいお若衆様ならほれいで何とする物ぞ、徒者の不義者のと、叱るのは生きてゐるうち、死んだ後ぢゃ、ちっとばかり可哀やと云うたとて、仏の咎めもあるまい」
と、恨み歎けば父親も、心の底は子を思ふ歎きを、見せじとかぶり振り、
「アヽイヤ/\わが子でも悪人を不憫と思ふは天道へ敵対、坊主の役と一旦は弔うたれど、畜生めがその戒名引破って仕舞ひなりと、そこらの事はそなた任せ、抹香も切れたら盛(もり)なりと、御明(みあか)しも消えぬやうに仕なりと勝手にお仕やれ、おりゃ構はぬ、したがまんざら懇な他人の死んだやうにも思はぬゆゑ、思はず涙が、アヽいや/\涙は出ねど、年の科、この目がかすんで/\」
と、すり赤めたる恩愛の、涙隠せど悲しさは、声の曇りに顕はれし、夫の心汲む妻は、手向けの水の哀れげに、せめて未来の助けにと、くゆらす香の薄煙、思ひは富士の高嶺とも、袖は清見がせきとめて、涙押へる鉦の音、いとしん/\たる夜の道、恋の道には暗からねども、気は烏羽玉の玉手御前、俊徳丸の御行方、尋ねかねつゝ人目をも、忍びかねたる頬かむり包み隠せし親里も今は心の頼みにて馴れし故郷の門の口、立寄る跡より入平が、ご両所の御行方こゝとは聞けど奥方の、姿見るより様子もと、戸脇に厚き薮畳、身をひそめてぞ窺ひゐる。かくとは知らず玉手御前、干割(ひわれ)に洩るゝ細き声、
「母様(かかさん/\」
と呼ぶは確かに娘の声、
「ヤアわりやまだ死なぬか、殺さりゃせぬか」
と、立上りしが心付き、振り返り見る女房の方、鉦に紛れて聞えぬは、
『これ幸ひ』
とそ知らぬ顔、
「母様/\こゝ明けて」
「合邦殿、今こな様は何とぞ云うてか」
「アヽイヽヤ何とも云やせぬ、そりゃ空耳であろぞいの」
「イヤ空耳かは知らねども、ちらりと聞えた娘が声、ハテ合点のいかぬ」
と立上る、
「さうおっしゃるは母様か、ちゃっと明けて下さんせ、辻でござんす戻りました」
と、聞いてびっくり、
「ヤア戻ったとは夢ではないか、健(まめ)であったか嬉しや」
と、駈出る裾を取って引止め
「ヤイ/\/\、うろたへ者、肌は触れても触れいでも、わが子に不義をしかけた畜生、侍の身で高安殿が、助け置かしゃろ様なければ、何の今まで存(ながら)へて、うか/\こゝへ何しに来うぞい、隠すより顕はるゝはなし、親はないと云はしても、ある事知って、娘が手から度々の合力金(がふりょくきん)、二人が命を養ふたは、みな高安殿のご厚恩、サ、サヽその夫の目を掠め、畜生の心さげた娘、たとへ無事で戻ったとて、門端も踏まされうか、もとより娘は斬られて死んだ、が今もの云うたが娘なりゃ、それこそ幽霊、そなた気味が悪うはないか、肉縁の深いほど死人になれば怖いもの、必ず門の戸明けまいぞ」
と、云ふに女房は、
「イヤ/\/\、幽霊はおろか狐狸の化けたのでも、ま一度見たい娘が顔、もしや恐しいものであって、目を廻して死んだら仕合せ、いとし可愛い子を先立て、生きて業をさらさうより、一目見たい」
と振り切るをなほ引止めて
「ハテさてマ悪い合点、狐狸か幽霊なればまだしも、もし誠の娘なら、高安殿へ義理の云訳、以前は刀を差いた役、親の手にかけ殺さにゃならぬ、サ、サヽそれが嫌さに止めるのぢゃ」
と、泣かねど親の慈悲心を、聞く子や妻はうちと外、顔と顔とは隔たれど、心の隔て泣き寄りの、親身の誠ぞ哀れなる、娘は涙押拭ひ、門の戸口に口を寄せ、
「父様(ととさん)のお腹立ち、お憎しみはご尤も、これにはだん/\云訳あれど人目を忍ぶこの身の上、マアこゝ明けて下さんせ」
と、泣く/\願ヘば母親は、
「アレ聞いてか合邦殿、云訳があるといの、マヽマヽヽヽマア聞いてやって下さんせ、ハテ娘と思ヘば義理も欠ける、が幽霊をうちへ入れるに、誰に遠慮もあるまいぞえ」
「ムヽいかさまなうこの世を離れた者なれば世間を憚ることもないかい、そんなら早う呼び込んで、茶漬でも手向けてやりゃ、アヽ可哀や立寄るところはなし、幽霊もさぞひだるかろ」
と、身を背けるは泣く百倍、母は悦び門口の疾しや遅しと開く間も、
「お懐しや懐しや」
と、縋る娘の顔形、前うしろ見つ肌に手を、入れてもやっぱりほんの娘、
「嬉しや健でゐたかいの、さうとは知らいで逆事(さかさまごと)あた忌々しい百萬遍、弔ひした夜に無事な顔、ひょっと夢ではあるまいか」
と、抱きしめ/\嬉し泣き、父もほど経る娘が顔、見たさに思はず立寄れど、以前の詞と世の義理を、思へばちゃっと飛び退いて、手持ち悪ぞいぢらしき。母はやう/\心を沈め、
「世間の噂にはの、そなたはアノ俊徳様とやらに恋をして、館を抜けて出やったのイヤ不義ぢゃのと悪う云へど、そなたに限りよもや/\さう云ふことはあるまいの、コリャアノ嘘であろ嘘であろ、オホヽヽヽ、ヲヽ嘘か/\」
と箸持ってくゝめるやうな母の慈悲、面映ゆげなる玉手御前、
「母様のお詞なれどいかなる過去の因縁やら、俊徳様の御事は寝た間も忘れず恋ひ焦れ、思ひ余って打ちつけに、云うても親子の道を立て、つれない返事堅いほどなほいやまさる恋の淵、いっそ沈まばどこまでもと、後を慕うて歩(かち)はだし、芦の浦々難波潟、身を尽くしたる心根を、不憫と思うてとも/\に、俊徳様の行方を尋ね、女夫にして下さんすが、親のお慈悲」
と手を合はせ、拝み廻れば母親も、今さら呆れわが子の顔、ただ打守るばかりなり、父はとかうの詞なく、納戸のうちより昔の一腰引さげ出で、
「ヤイ畜生め、おのれにはまだ話さねど、もとおれが親は青砥左衛門藤綱というてナ、鎌倉の最明寺時頼公の見出しに合うて天下の政道を預り、武士の鑑と云はれた人ぢゃわい、おれが代になっても親の蔭、大名の数にも入ったれど、今の相模入道殿の世になって、侫人どもに讒言しられ、浪人して二十余年、世を見限っての捨て坊主、この形になってもナ、親の譲りの廉直を立て通した合邦が子に、マようも/\おのれがやうな女子の道も、人の道も、むちゃくちゃな娘を持ったと思へば、無念で身節がエイ砕けるわい、ガまた高安殿が今日まで、うぬを助けて置かっしゃるご心底を推量するに、もとおのれは先奥方の腰元、後の奥方に引上げうとあった時、たって辞退しをったを、心の正直懇望で無理やりに奥方姿(なり)、アヽ手をかけず奥様とも云はさずば、今この仕儀にも及ぶまい、殺さにゃならぬやうになったも、みなわが業とお身の上を省みて、親への義理に助けさっしゃるを、アヽありがたい、恥づかしいと思ふ心が芥子ほどでもあるなら、譬へどれほど惚れておっても、思ひ切るに切られぬといふ事はないわい、それに何ぢゃ、そのざまになっても、まだ俊徳様と女夫になりたい、親の慈悲に尋ねてくれとは、ドヾヾヾヾどの頬げたで吐(ぬ)かした、エヾあっちから義理立てゝ助けて置かしゃるほど、生けて置いてはこっちもまた義理が立たぬ、サ覚悟せい、ぶち放す」
と、はや抜きかくる刀の鯉口、母は取り付き、
「コレ合邦殿、ソリャ了簡が違うた/\、お慈悲で助けて下さる娘、お志を無足にして、殺して義理が立ちますか、ハテこの上は随分と意見して、俊徳様の事思ひ切らし、命の替りに尼法師、いかなる科の囚人(めしうど)も助かるは衣の徳、浮世を捨つれば死んだも同然、どこへの義理も立つ道理」
と、奥へ指差しさま/\となだめすかして母親は、わが子の膝に膝すり寄せ、
「モ聞きやる通りの様子なれば、どのやうに思やっても、そなたの恋は叶はぬほどにの、ふっつりと思ひ諦めて、はやう尼になってたも、十九(つづ)や二十の年輩(としばい)で、器量発明優れた娘、尼になれと勧めるは、マどんな心であろぞいの、コレ助けたいばっかりに花の盛りを捨てさせて、かゝれとてしも黒髪の、百筋千筋と撫でしもの、剃らねばならぬこの仕儀は、何の因果」
とばかりにて縋り付いて、泣きゐたる、娘は飛び退き顔色変へ、
「エゝわっけない事云はしゃんすな、わしゃ尼になること嫌ぢゃ/\、アイ嫌でござんす、モせっかく艶よう梳き込んだこの髪が、どう酷たらしう剃られるもの、今までの屋敷風はもう置いて、これからは色町風随分派手に身を持って、俊徳様に逢うたらば、あっちからも惚れて貰ふ気、怪我にも仮りにも尼の、坊主のと云ひ出しても下さんすな」
とけんもほろろに寄せ付けず、
「さう吐(ぬ)かしゃモウ勘忍が」
と、父が身構ヘ母親は、
「ヲヽ道理でござんす、腹の立つは尤ぢゃ/\、ガモウ半時かしいて一時(ひととき)、わしに預けて下さんせ、手の裏を返すやうに、思ひ切らして見せませう、夫婦になって長の年月、たった一度のわしが願ひ、コレ聞き届けて下され」
と願へば、是非も、なかの間へ、見返りもせずに行く父親、母は意地張る娘の手、引立て/\無理やりに納戸ヘこそは、入る月の、影さへ、見えぬ目なし鳥、つがひ放れず浅香姫、一間のうちより俊徳の御手を引いて忍び出で、
「今の様子を聞くにつけ、モウしばらくもこのうちに、お前はどうも置きまされぬ、いづくへなりとお供せう」
と手を引立つれば俊徳丸、
「わが業満てず母上にかくまで思はれ参らするも、身の罪障とは云ひながら、館を出でし頃には勝り両眼盲(しい)たるその上に、かゝるけやけき姿をばお目にかけなば母上の、愛着心は切れもやせん、案内せよ今一度、御目にかゝってその上に、入平も尋ね来ば召し連れて立退かん」
と、宣ふ声を聞きとる門口、
「アヽイヤ/\、下郎めは先刻より、始終の様子承る、このところにござある事、里人の噂に聞けば、もし敵方へ洩れては大事、一刻もはやくお供せん」
と、気を急く折しも駈出る玉手
「ナウ懐かしや俊徳様、お前に逢はふばっかりに幾瀬の苦労もの案じ、心を尽くした甲斐あって、お健(まめ)なお姿見たわいな」
と縋り給へば身をすり退き、
「ヘエヽ情けない母上様、館にても申すごとく同氏さへも娶らぬは君子の戒め、まして親子の仲々に恋の色のとかほどまで慕ひ給ふはお身ばかりか、宿業深き俊徳にまだ/\罪を重ねよとか、見る目いぶせきこの癩病、両眼盲て浅ましき姿はお目にかゝらぬか、これでも愛想が尽きませぬか、道も恥をも知り給ヘ」
と、涙とともに恨むれど、
「オホヽヽヽヽ、オヽ愚かな事をおっしゃります、そのお姿も私が業、むさいともうるさいとも何の思はう思やせぬ、自らゆゑに難病に、苦しみ給ふと思ふほどいや増す恋の種となり、一倍いとしうござんする」
「フウこの業病を母上の、業とおっしゃるその仔細は」
「さればいな、去年霜月住吉で、神酒と偽り、コレこの鮑で勧めた酒は秘方の毒酒、癩病発する奇薬の力、中に隔てをしかけの銚子、私が呑んだは常の酒、お前のお顔を醜うして、浅香姫に愛想尽かさせ、わが身の恋を叶へうため、前世の悪業消滅と、家出ありしはヲヽよい幸ひ、後を慕うて知らぬ道、お行方尋ぬるそのうちも君が形見とこの盃肌身離さず抱締めて、いつか鮑の片思ひ、つれないわいな」
と御膝に、身を投伏してくどき泣き、様子を聞いて俊徳丸、無念と思せど義理の親、恨みも云はれずとにかくに、わが身の不運と御落涙、姫はいっそ涙も出でず、腹立ち紛れとって突き退け
「エヽ聞けば聞くほどあんまりぢゃ/\/\、あんまりじゃわいな、玉をのべたお姿をようあのやうに仕やったなう、母御の身として子に恋慕、人間とは思はねど、道ならぬ事もほどがあるわいな、サア/\/\、元のお顔にして返しゃ」
と、恨みあまりてはしたなさ、玉手はすっくと立ち上り、
「ヤア恋路の闇に迷うたわが身、道も法も聞く耳持たぬ、モウこの上は俊徳様いづくへなりとも連れ退いて、恋の一念通さで置かうか邪魔しやったら蹴殺す」
と、飛びかゝって俊徳の御手を取って引立つる、
「アヽラ穢らはし」
と振り切るを、離れじ遣らじと追ひ廻し、支へる姫を踏み退け蹴退け、怒る目元は薄紅梅、逆立つ髪は青柳の姿も乱るゝ嫉妬の乱行、門には入平身に冷汗、堪へかねて駈出る合邦、娘がたぶさ引掴み、ぐっと差込む氷の切先、
「あっ」
と魂消る声にびっくり戸をめり/\、駈込む入平驚ぐご夫婦、
「情けなや母上を手にかけしか」
と御涙、娘を抱へる母親は、
「心からとは云ひながら、ヲヽ術なかろ苦しかろ術なかろ苦しかろ術なかろ」
と歎けば、今さら人々も涙々を添へにける。合邦は怒りの顔色、筋骨立てて、
「ヤアみな何のためにその涙、ナヽ何吠えるのぢゃ女房ども、われ泣いてはナ左衛門様や、俊徳様ご夫婦へ、心の義理が立つまいがな、このやうな念の入った大悪人を、まだおのりゃ子ぢゃと思ふかい、おりゃもう/\憎うて/\どうもかうもたまらぬゆゑ、十年以来(このかた)蚤一疋殺さぬ手で現在の子を殺すも、とっとモウ浮世の義理とは云ひながら、これが坊主のあらう事かい\これが坊主の/\/\あらう事かいなあ、コリャヤイコリャ、おのればかりかこの親まで、仏の教へを背かして、無間地獄の釜焦げに、よう仕をったなウヌ、魔王め」
と、ゑぐる拳を手負は押へ、
「ヲヽ道理でござんす道理ぢゃ/\憎い筈ぢゃ、ガこれには深い様子のある事、物語るうちこの刀、必ず抜いて下さんすなエ」
と苦しき息をほっと継ぎ、
「様子といふは他でもなく、外威腹(げしゃくばら)の次郎丸様、年かさに生れながら、後に生れた俊徳様に、家督継がすを無念に思ひ、壺井平馬と心を合はし御世継ぎの俊徳様を、殺さうといふかねての企み、推量ばかりか委しい様子、立聞きしてヤ南無三宝、義理ある仲のお子といひ元は主人の若殿様、殺させては道立たず、この上は俊徳様ご家督さへお継ぎなくば、次郎丸様の悪心も自然と止んで、お命に別条ないと、思案を極め、心にもない不義いたづら、云ふもうるさや穢らはしい、妹背の固めと毒酒をすゝめ、難病に苦しめたはな、お命助けうばかりの手立て、恋でないとの云訳は、身をも放さぬこの盃、母の心子は知らぬ片思ひといふ心の誓ひ、継子継母の義は立っても、さぞやわが夫(つま)通俊様、根が賤しい女ゆゑ見損うたいたずら者とおさげしみを受けるのが、黄泉(よみぢ)の障りになるわいの」
と、云ヘど合邦あざ笑ひ、
「それほど知れた次郎丸が悪事、ナヽヽなぜ通俊様へ告げぬぞい、たった一口云ひさへすりゃ、癩病にする事も不義者にもならぬわい、口利巧に云ひ廻したとて、今になってサア/\/\そんな暗い云訳喰ふやうな親ぢゃないわい」
「イエ/\/\、そりゃ父様のご了簡違ひ、そのやうすを夫へ告げなば、道理正しい左衛門様、お怒りあって次郎丸様、切腹かお手討は知れた事。次郎丸様も俊徳様も、私がためには同じ継子、義理ある仲に変りはない。悪人なれど殺させては先立たしゃんした母御前が草葉の蔭でもさぞやお嘆き、隔てた仲ゆゑ訴人して、殺させたかと思はれては、世間も立たず、通俊様もお子の事、何の/\お心よからうぞ、あなたこなたを思ひ遣り、継子二人の命をば、わが身一つに引受けて、不義者と云はれ悪人になって身を果すが、継子大切、夫のご恩、せめて報ずる百分一」
と云訳聞いて人々は
『さてはさうか』
と疑ひの晴れるほどなほ父親は、
「コリャ/\娘、その心でなぜにまた俊徳様の跡追うて、家出したが合点がいかぬわい」
「ヲヽ尤なお咎めなれど、いずくまでも御行方を尋ね、あなたのお目にかゝらねば、痛はしやアノ癩病、ご本復はござんせぬ」
と、聞いて入平不審顔、
「何とおっしゃる、お前様がお傍に付いてござれば、ご本復なさるゝとは」
「さればの事、典薬法眼に様子を打明け、毒酒の調合頼む折から、本復の治法委しく尋ねしに、胎内より受けたる癩病ならず、毒にて発する病なれば、寅の年寅の月、寅の日寅の刻に誕生したる女の、肝の臓の生血を取り、毒酒を盛ったる器にて病人に与へる時は、即座に本復疑ひなしと、聞いた時のその嬉しさ、それで/\この盃、身に添ヘ持って御行方、尋ね捜す心の割符、父様、母様コレ申し父様いな、何と疑ひは晴れましてござんすかえ」
「オイヤイ/\/\/\、スリャそちが生れ月日が妙薬に合うたゆゑ、一旦は癩病にしてお命助けまた身を捨てゝ本復さゝうと、それで毒酒を進ぜたな」
「アイ」
「出かしをった出かした/\/\/\出かした娘、モヽヽヽヽヽ何にも云はぬ、勘忍してくれ/\/\、日本はさておき、唐にも天竺にも、今一人とくらべる人もない貞女を、畜生の悪人のと、憎体口云ふばかりか、親の手にかけ酷い最期も、ココこのおれが愚鈍なからぢゃ阿呆なからぢゃ愚鈍なからぢゃ阿呆なからぢゃ愚鈍なからぢゃ阿呆なからぢゃ愚鈍なからぢゃ、赦してくれ」
とどうどゐて悔やみ、涙ぞ道理なる。始終を聞いて俊徳丸、探り寄って継母の手を取り押載き/\、
「生さぬ仲の義を重んじ御身を捨てての御慈愛、誠の親とも命の親とも云ふにも尽きぬご厚恩、身を百千に砕くとも何と報じ尽くすべき、ありがたや忝や」と頭(かうべ)を畳に付け給へば、
「そのお心とは露知らず勿体ない道知らずとさげしんだのが恐しい、お赦しなされて下さりませ」
と、両手を合はす姫の詫び、
「あっばれ女の鑑とも云はるるお身に悪名受け、かかるご最期痛はしや」
と、姫入平も悲歎の涙、母は正体涙に暮れ、
「ほんにこの子が生れたは寅の年寅の月寅の日の寅の刻、世間へ沙汰をせぬものと世の教へをば大事ぞと、夫婦親子のそのほかは犬猫にさへ隠したに義理にせまればわれとわが、身を責めはたる無常の寅、ひょんな月日に生れたは持って生れた不運か」
と、歎けば道理と一座の涙逢坂増井の名水に龍骨車(りゅうごしゃ)かけし、ごとくなり、手負は顔を振上げて、
「サア父様、この鳩尾を切り裂いて、肝の臓の生血を取り、この鮑ではやう、/\」
と気を入る娘、
「トットモ憎いと思うた張り合ひなりゃこそ切りも突きもなったもの、今では心底可愛い娘をどうマアこれが酷たらしい、ナニ若役ぢゃ入平殿とやら、大儀ながら頼みます」「これはまた迷惑千万、主人の介抱お世話の御礼、モどんなご用も相勤めうが、ご主人同然の玉手様、どこへ刃が当てられませう、こればかりはネイご免/\/\/\」
「ヤア未練な用捨、もう人頼みには及ばぬ」
と、懐剣逆手に取直せば、
「マヽヽヽ待ってくれ/\、娘、とても生きぬそちが命、臨終正念未来成仏、仏力頼む百萬遍、この人数で繰る数珠の、輪の中で往生せい」
と、とりどり、広げる数珠の輪の、中に玉手は気丈の身構へ、俊徳丸を膝元へ、右に懐剣、左に盃、外には父の親粒が、導師の役と、鉦鐘木、母は涙の目も明かず、宵は死んだと思ひ子が、回向のための百萬遍、今また無事なと悦んだも、露と消え行く勧めの、念仏(ねぶつ)、
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏/\、南無阿弥陀仏なむあみだ/\南無阿弥陀仏」
うちには何なく切り裂く鳩尾、自身に血汐受けたる盃、差付ける手もわな/\/\、俊徳丸は押載き、
「母の賜物天地にもあまるばかりのご芳志」
と、ただ一口に呑みほし給へば、不思議やたちまち両眼開け面色手足も瞬くうち、昔の姿に返り咲き花の顔(かんばせ)見る手負、苦しき片頬に笑ひ顔、
「ヤアご本復か」
と一座の悦び、はや断末魔の四苦八苦、鉦も早めて責め念仏、
「なまいだ/\/\/\/\」
願以此功徳平等に死骸に取付き縋付き、悲しみ涙忝け涙、庭に波打つばかりなり。歎きの中に母親は、頭(かしら)の雪を打払ひ、娘が菩提の尼衣、俊徳君も涙をとどめ、
「広大無辺継母の恩、せめて少しは報ずるため、出世の後はこの辺に一宇の寺院を建立し、母の尼公を住侶とせん、継母は貞女の鑑とも曇らぬ心は清める江に、月を宿せし操をすぐに、月江寺と号くべし」
と、仰せは今も尼寺と、常念仏の鉦の音に昔の哀れや残るらん、父はつね/\勧進の、
「自力他力にこの仏体、建立してわが住家をそのまま一つの辻堂に、営むもまた平等利益、東門中心極楽へ、娘を往生なし給ヘ」
と、願ふ心は後世のため、現世の名残り数々は百八煩悩夢覚めて、涅槃の岸に浮かむ瀬と形見に残る盃の、逆様事も善知識、仏法最初の天王寺、西門通り一筋に、玉手の水や合邦が辻と、古跡をとゞめけり。


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