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「彦山権現誓助剣〜毛谷村」床本



毛谷村の段


「勝負は見えた弾正殿お手柄/\。立合ひ召さるるとはや勝ちと見えました。なんと曽平治殿違ふたものではござらぬか」
「いかさま軍八殿のいはるるとほりあっぱれ御手練でござる。ヤイ六助。われに勝つ者あらば奉公せんなどと、人もなげなる広言はもはやこれでいはれまいがな」
「イヤモだんだん謝り入りましてござります。ナニガ山かせぎの透間には、在所の者どもを相手に我流無法の叩き合ひ、『ヤレ六助は剣術がよいわ』の『兵法を抜けてゐるわ』のと、誰がいふとなき取沙汰、ぱっと噂立ったのがいまでの迷惑、誠の芸に出合ふてはなかなか叶ふものではござりませぬ。恐やの恐やの」
「ソリャ知れたことだ。おのれが雑言仕るを、殿も憎しと思し召さばこそ、六助に勝れし者あらば、五百石にて召抱へんとある高札を、ところどころに立ておかれたてや」
「オヽサしかるところ鞍馬山の僧正も閉口する剣術者微塵流の親玉が現はれ出でしゆゑ、殿にも甚だ御悦び。すなはち御前において両人が立合ひ、御覧遊ばされたく思し召せど、家老轟殿が、いま一息不呑込みだからおのれがあばら家にて立合はせ、『打勝つにおいては召抱へよ』と、両人ヘ検分の役仰せつけられた。よつぽどむつかしい試合であらふと思ひのほか、イヤ手間も隙もいることか。かの城下町の煤取りに古畳を叩くより、心安く見えたわい。ハヽヽヽさて/\先生恐れいった手のうち。イザまづ衣服を召替へられよ。はやくはやく」
と広蓋に、吉良流の折形包み、熨斗目の衣服麻上下、御紋付と着せかゆれば、忽ち見かはすその人柄、詞付きはや横柄に、
「イヤナニそな者、たとへ打負けたればとて力を落すな。これからが修行のところだから、随分出精いたしたがよい。なれど以後をきっと嗜みをらふ」
「コレ先生いらざる御教訓お構ひなされな」
「ソレ家来ども乗物これへ、イザ先生お召しなされ」
「これは憚り、やはりこのまゝ歩行いたさう」
「イヤテアたゞいまよりは殿の御師範。われ/\がためにも先生なれば、ひらに/\」
「しからば御免」
と乗り移るを、すぐに舁出すお六尺、七尺退って師範を得、悦び勇み出でて行く。


門送りして六助は、つっくり立って独り言。
「アヽ誰しも孝行にはしたいもの。見ず知らずの人なれど、親御を大事に思うて、侍のいひにくいことを打割って頼まっしゃったその実心な所がどふももだしがたなさ、契約の通り打負けて進ぜた今日の試合。イヤコレ必ず礼には及ばぬぞや。これもやっぱり親の威光故じゃと思ふて存生のうちに随分と孝行を尽くさっしゃりませ。おれが様に死別れと云ふものは何したとて、とんとまめしげはないぞいの。必ず大切にさっしゃれや」
と言ひつゝ見やる畠道、真黒になって山賤どもすた/\息せき走り付き
「サア/\/\六助殿、内へ入った/\、へしゃげたわいの/\、こちらまでも鼻がへしゃげたわいの」
「ハテ喧しい、何の事ぢゃ」
「何の事とは此方の事ぢゃ、六助に勝った者は抱へうと殿様から方々へ立てゝ置かしゃった高札を奴どもが皆引抜いて去んだわいの、ぢゃによってへしゃげたわいの/\」
「ソリャ何ぞあっちの勝手づくで持って去んだものであろぞい」
「イヤ/\そればかりぢゃない『六助めが頬桁とはきつい違い、打たれをったがそのいぢらしさ、大方骨が砕けたであろイヤ今時分は泣く/\頭の欠けを尋ねてをるであらう』のと口々吐かして去にをったが、こなさんほんまに負けたのかい」
「イヤ嘘ぢゃ、殿様の御意ぢゃから勝負をせうと言っては来たれど、爰で立合っては晴立たぬ、殿様の言ひ付ならば御前きろりがよい、小倉からお召しなされたら何時でも行って勝負せうと追戻したが、それを腹立てヽ悪口言うたのであろぞいやい」
「ムヽさうかいなア、それにまた額のその疵は」
「これか、これはアノ、ハヽヽソレ/\。あの着る物干しに出て入口の石に蹴躓き、竹垣で摺破ってのけたのぢゃ」
と嘘も真赤い血に染みし額押へてくろめる詞、しぶ/\ながら栗右衛門
「イヤコレ残りの衆ら謎がある、六助先生が今の詞とかけて」
「ムヽ何と解くの」
「サア極めてある掛目よりたんとある干鰯と解く」
「その心は」
「ハテ、まけた声ぢゃと思はるゝ」
と苦り切ってぞ帰りける。


「あいつらがあの様に言ふのは、一手も習ふ師匠ぢゃと思ふからの親切、馴染みの者どもに愛想つかされても人の為になる事ならいとひはせぬ、しかし得心したことながら、負けたと思やがっくりと力ない。ヤこれはさて、腹までが急に力なうなったほどにの、オットよし/\。きのふ庄屋からもらうたぼた餅。鼠がひかずばやっぱりそのまゝあるであらう。ドレ孤児どんにも食はさう」
と表に出てそこらを見回し
「コレ孤児どん、戻らしゃれ、それ崖やなど落まいぞ。これは又何所に遊んで居る事ぞ。孤児どん/\。イヤ/\戻った所でかのぼた餅がなくば手持ぶさた、ドレまづあるかないか見て来う」
と、子どもにさへも偽りを、いはぬ生得生抜きし、梅と椿の大木を、すぐに住家の門柱、立ちさふ花も八重ぶきの霞の屋根に蔦の壁、草のとぼそにたゝづむ老女。外面に乾したる四つ身の小袖。『ハテ心得ず』と差覗き見入れる家の一壁に、鉄棒鼻捻山刀半弓なんど掛けおきしは、『山立にてもあらんか』と心に納めしとやかに、
「これは心願あって国々の、神社を巡る年寄りの一人旅、脛を痛め迷惑いたす。しばしの宿り御免なれ」
と、案内聞くより六助は、納戸を出て迎ひ入れ、
「見れば御老人の旅疲れさぞ御難儀。宿はせずとも休息ほどのことは、ゆるりと御勝手次第」
「これは/\忝い。さやうならば」と打寛ぎ、囲炉裏に緩り鑵子の下、差しくべる木もほた/\と、心置きなき饗応に「イヤナウ御亭主。どうやら独り住みのやうに見受けましたがさやうかの。ただし御両親でもござるかの」「イヤ/\、母一人ござったれど、近き頃相果てられ、いまではほんの寡幕し」
「ヲヽそれは不自由にござらう。なんとものはいうて見づくぢゃがわしを親にさっしゃれぬか。かう見たところが、ちょうどよささうな親子ではないかいの」
とづっかりしたこというた顔。どうやら小気味悪ぢゃれな。
「ハヽヽヽヽ座興も旅の憂さ晴らし。テモ気の軽いお年寄じゃなう」
「イヤコレ座興ぢゃない。真実親になりませう」
「ムヽそりゃまたなぜな」
「サア心ざまのたくましさうな、こなたと見込んで来たことぢゃもの。万更無手では来ぬわいの。コレこゝに四五十両ほどはしっかりと土産も持ってゐるし、まだその上にうまい金儲けの相談もあるわいノ。サア/\はやう親子になってなんにもかも覆ひ隠しなしに、打明けて談合する気はないかいの」
と、『金から取入り一詮義』と、急けども急かぬ小うなづき、
「ヲヽ品によったら談合もせう。親にもせう。が、とっくりとおれが心の極まるまでは、退屈ながらあの一間で、マアゆっくりと待ったがよい」
「それならとんと腰据ゑて、やんがて孝行受けませう」
と互に探る肌刀。身内と知らでしばらくは、疑ひあひの破れ障子引立て

 

てこそ入りにける。後には不審とつ置いつ、思案吹散る春風に、梅が香慕ひ鴬のさへづる声に法華経も、既に暮れぬと告げぬらん。
「ハア刻限も違へず、鴬がもう鳥屋に来た。アいかさま鳥でさへ法華経とさへづるに、身のせはしさに取紛れ、念仏もろく/\に得もうさぬ。アヽ勿体ない/\。もうし母者人。如才ぢゃごんせぬぞや。必ず叱って下さるな」
と、位牌に向ひ合掌し、在すがごとき孝行を、感ずる天の加護やがて、深き恵みもありぬべし。一心不乱他念なく、打鳴らしたる鈴の音に、さそはれ帰る稚子の、目元しを/\亡き母と、知らでこがるゝ子心に、聞き覚えてや拾ひ取り、
「小石積みてはかゝ様」
と、慕ふ涙の雨やさめ、草葉に落ちておのづから、手向の水の哀なる。賽の河原を目前に、見やる六助堪え兼ね、その儘駆けおり抱き上げ、
「尤ぢゃ/\/\わい。どうぞ逢はしてやりたさに、どこぢゃと問へど分ちは知れず、勿論預けさしゃった人は、たゞ一言も得いはぬ最期。スリャいづくの誰が倅かは知らねど、いたいけにしをらしう、『小父様、々々』とまはすもの、憎まうとて憎まれうか、可愛や/\」
「コレ小父様、かゝ様はなぜござらぬ、かゝ様欲しい。かゝ様なう」
と泣叫ぶ。
「コレそのやうに親を恋ひ焦れて、煩ひやなどしてくれなよ。ひょっと死んだらいまのやうに、賽の河原で石の数一重積んでは父を慕ひ、二重積んでは母親を、尋ね焦れて六道の、地蔵菩薩に取縋り、父よ母よと泣くといやい。おれも二人の親にはなれ、女房もなければ子供も同然。ほんに親に逢はれるほどならば、賽の河原はまだなこと、八万地獄の底へでも、尋ねて行きたい逢ひたいもの。なに弁へない心から、逢ひたがるのは無理ぢゃない。ヲヽ道理ぢゃ/\可愛や」
と、抱締め/\声立てゝ、男泣きにぞ歎きしが、やう/\涙押拭ひ、
「アヽ悪い孤児殿。おれまでを唆かして泣かしたほどにの、サア/\、さっぱりと機嫌を直して、ソレきのふ買うてやった疣太鼓、それを叩いて遊ばしゃれ。おれが守りしてやりませう」
「イヤ/\太鼓はいやぢゃ。おりゃねむたい。かゝ様と寝たいわいなう。寝さして欲しい」
と稚子のわやくもぐわんぜなき寝入り。
「ヲヽコリヤもう寝入ったさうな。ハア子供といふものは、とんと罪のない仏様ではあるわいの。ドレ小父が寝さしてやらうか」

 

とともに臥戸の、草莚、折節竹の、音も冴えて、吹きくらしなる虚無僧の、宿求めんと籬に寄り「ムヽこゝに乾してある四つ身は、たしかに覚えある小袖」
と、取らんとするをうしろから、
「コリャ盗人め」
と二三人、掴みかゝるを寄せつけず、振廻したる尺八の、たけた手利きにぶら/\とも、眉間肩先腕骨背骨、ぶちのめされてちり/\に、みなわれ先と逃げ帰る。六助うちよりきっと目を付け、
「見れば売僧の偽虚無僧。よっぽど味をやりをった」
と、なじる詞を聞きとがめ
「ナニ偽虚無僧の売僧とは」
「ハテ掟に違うた身のまはりといひ、第一宗門の姿で、喧嘩口論ならぬ筈。また常人が理不尽をいひかけても、随分如法に済ませよとは、本山からの戒めでないか、その上尺八の本手は吹かず、いま時流行雑な手を吹き歩くからは、偽者というたが誤りか。山賤はしていれど、それほどのことは知ってゐる。なんとでごんす梵論字」
と、詞に一癖さる者と、見てとる、こなたも笠脱ぎ捨て
「ヲヽその返答して聞けん」
と、ずっと入るより替筒に、仕込みし短刀抜打ちを
「家来の敵」
と打ちかくるを、ひらりとかはししっかと取り、
「アハヽヽヽヽヽちょっと見るから女とは悟ったゆゑに咎めて見たが、敵といはるゝ覚えはないぞ」
「ヤ覚えがないとは卑怯な奴。杉坂のほとりにて五十有余の侍を手にかけ、路銀は勿論妹が、忘れ形見の稚子まで、奪ひ取った山賊め。赦しはせじ」と振りほどき、鋭き切先無刀の六助。抜けつ潜りつあしらふ手練。逃さじものと付廻す。屏風のうちより
「伯母様か」
と駆出る稚子見てびっくり、不審ながらも小脇に引抱き、心赦さず身構へたり。
「コレ小父様伯母様が来てぢゃ。太鼓叩いて見せていなう」
「ヲヽ合点ぢゃ/\。後に/\」
「イヤいまぢゃ。はやう/\」
と頑是なう廻せば廻る子可愛がり、弄び箱を引寄せて、
「ソレいま鳴らすぞ。コレマ聞かしゃれや。二十三日は母者人の四十九日、杉坂の墓所を戻りがけ、泥坊めらが二三人、五十ばかりな侍を、切るやら突くやらなぶり殺し。見るに見兼ねて片はしからのめらせ、介抱すれどものも得いはず、その子を指差して拝んだばかりがっくり往生。目前敵の盗人めら。踏殺して谷へ蹴込み、連れて戻ってその子に問へど差別はなし。そこで思ひついたあの着る者。門口に乾して置いたは、その子の所縁を知らうため。心がはやう届いたか、現在の伯母御に渡せばこっちも安堵。ようマア尋ねてごんしたの」
と、悦ぶ体に偽りなき、真実見ゆれどなほも根を押し
「しかとその詞に違ひないか」
「イヤなにがこはうて偽りいはう。くどい尋ねにゃ及ばぬこと」
「シテこな様の名はなんといふ」
「ヲヽ六助といひまする」
「ヤアなんと」
「サア毛谷村の六助といふ山賤でごんす」
「ヤア、すりゃ八重垣流の達人と音に聞えた六助様かエヽ」
と呆れて取落す、子は狼狽えて逃込むとも、知らず構はず六助を、うっかり眺め、見とれゐる。

「いまのやうにいうても疑ひ晴れず、やっぱりおれを敵にするか」
「エヽわっけもない/\なんの家来の一人や二人、どうなとしたがよいわいな」
と、前に寄添ひ、うしろに立ち、
「テモマアあっぱれよい殿御。マアなによりか落着いた。イヤイヤまだ落着かれぬことがあるわいの。イヤもうし、お前にはアノ女房様がござりますかえ」
「イヤ様子あって女房は持ちませぬ」
「ありゃせまいがな、ないかえ/\。ヲヽ嬉しや/\。それでほんまに落着いた。コレイナアお前の女房は私ぢゃぞえ。サア/\女房ぢゃ/\」
と、かきたくるほどいままでも、逢ひたう思うた重荷が下り、三衣袋も茶袋に、して見たがりの水仕業、袈裟も襷とかけ徳利。
「酒も上げうし夕飯の、こしらへせう」
と釜の下、薪のしめり燃えかぬる、
「火吹竹は」
と尺八を取違へてはをかしがりひとり御機嫌六助は、承知内儀のふり売りを、持てあましたるむっと顔。
「とんと訳が知れぬ、けふほどけぶな日はない。見ず知らずのわろ達が、イヤ親にならうの、かゝぢゃのと、押入れ女房の手引した、あの子もめったに油断はならぬ。全体こなたはマア誰ぢゃ」
と、尋ねにはっと心付き、にはかに行儀改めて、いふべきことも後や先。


「つね/\とゝ様のおっしゃるには、豊前の国毛谷村の六助といふ者こそ、剣術勝れし器量の若者。行末はそちと娶合せ、吉岡の家を相続させんと、おとづれ通じ置いたるぞと、仰せを守るこの年月。二十の上を越しながら眉をその儘いかなこと鉄漿も含まぬ恥しさ。推量なされて下さんせ」
「ウウスリャそこ許は、吉岡一味斎殿の」
「ハイ娘の園でござります」
「コレハシタリ」
と手を取って無理に上座へ、押直し、
「まずなにか差置きお尋ねまうしたいは、御親父一味斎殿。御健勝でいまにお勤めなさるゝか。御老体のことなれば自然のお労れにて、もし御病気など起りはせぬかと、寝ても覚めても心ならぬはこれ一つ」
と、問はれて園は涙ぐみ、
「まうすもあへないことながらおいとしやとゝ様は、隣国周防の山口といふところでな」
「ヤヽなにがなんと、ドヾどうなされた」
「口惜しや闇々と、欺し討たれてはかない御最期」
「イヤア、シテ/\その相手は町人土民でよもあるまい。仮名はなんといづくの誰」「同じ家中に名を得たる、剣術師範の京極内匠」
「シテこの豊前へ来られしは敵の在所は当国と、知ってかたゞし知らずにか」
「サア所々方々と身をやつし、いふにいはれぬ憂き艱難。尋ね探せど敵の行方、けふが日までも知れませぬわいな」
「ムホイ」
はっとばかりにどうど座し、拳を握り悔み泣き。園は取分け悲しさをやるせ涙のくどき言。

 

「ほんに浮世といひながら、身に憂きことのかくばかり、重るものか父上の、敵を願ふ門出に、可哀や弟は盲目の、儘ならぬ身を悔み死。後に見捨てゝ故郷を、出づるもちり/\放れ/\。在所を探すそのうちに、悲しや妹も剣の難。父上のみかそもやそも二人三人が味気ない、刃の霜と消え残る母とわたしが憂き苦労。つらい、悲しい、恥しいなりも形もいとひなく雨露、雪の深山路や野末に、荒るゝ一つ家に、もしや隠れてゐやうかと、人なき道に日を暮しさまよひ歩く親と子が、便りない身の上もなき、便りの人に廻り逢ひ、わたしが心の奥底を、明かすは二世のわが夫、必ず見捨てゝ下さんすな。可愛と思うて給はれ」
とくどき、歎きて伏沈む。悲歎の涙六助も、
「かゝる憂きにはなほさらに、思ひ忘れぬ一昔、彦山の麓にて、目馴れぬ老翁に目見得しが、高良の神の使なりと、兵法印可の一巻を下されし、その老翁こそ吉岡殿と、察せしことはかの巻の、奥にありあり御姓名、書き添へられしはこなたのこと。『夫婦となって吉岡の、家名相続いたせよ』と六助ごときの拙き芸、伝へ聞かれてありがたや。神の使と偽って、印可を与へその上に、『汝に勝つべき者あらば、それに従ひ身を修め、末長久に栄えよ』と、教訓ありしは後々まで、我慢を押さゆる御情。喩へん方もなき大恩。肉にしみ骨に通って忘られず、母だに見送る上からは、尋ね上って恩を謝し、師の御顔をしみ/\と、拝せんものと思ひしも、みなむだごととなったるか。エエ残念や悔しやな。せめての形見師の片われあらなつかしや」
とお園を拝し、迸走る涙はら/\/\、腸を断つ思ひにて慕ひ歎くぞ、不憫なる。

 

時に障子のうちしはぶき、
「ホオヽ師匠を慕ふ誠こそ、はるかに届き冥途より、閻浮に帰る一味斎。対面せん」と聞ゆれば、思ひがけなくお園がびっくり。
「ヤアさうおっしゃるは母様か」
と、嬉しさとつかは押しひらく、うちににっこと以前の老女。柔和の面皺の波、打掛着なし稚子の、手を引連て立出づるを、見るよりはっと飛びしさり、
「師の後室とは夢いささか、存ぜぬこととて最前は、ぶこつのあしらひ無礼の段ひとえに御免下されかし」
と謝り入ってぞ、平伏す。
「イヤナウ、さっきに逢うたその時は、聟殿とも姑とも、互に知らねば他人も同然。いまこそ親身泣き寄りし、親子がためには鉄の立てとほしたる娘が操。不憫と思ひ睦じう夫婦になって下さらば、本望とぐるに疑ひもなきわが夫のこの魂。聟引手に」
と差出せば、
「ハヽヽアコハありがたき師の形見。辞退まうさず頂戴せん」
と押戴きし献こんの、盃三三くどからず、ひねた生娘けふよりは、手折らせ初むる花嫁御母も喜ぶそのところへ、
「こゝぢゃ/\」
と杣仲間遠慮なき骸戸板にのせ、どや/\と舁込んで、
「コレ六助殿聞かしゃませ。二十三日のことであったがよ。この斧右衛門のお婆が見えぬとて、仲間中が手分けをしての」
「ヲヽテヤ、なにが所々方々を尋ね歩き、やう/\と杉坂の土橋の下で見付けたところがよ。このやうなおかいこ絹を引っぱらせ、むごく殺してありましたよ。敵がとってやりたけれど、うらどもではなんとして/\、サヽヽヽヽヽそこで頼むは六助殿」
と、いふに駆下り死骸の傍、立寄ってとっくと見、
「ムヽスリャこの死骸はそちが母か。アノこれがフン」と眉に皺、思案の体に杣仲間。
「コリャ斧右衛門。しめり伏さずとタヽ頼みやれ」
と、引越されて泣いじゃくり、
「アイ/\、みなのおいやるとほりじゃよ。敵を取って下さいませ。アア死なしゃるはしかその昼間、塩梅よう出来た自慢の団子棚からころり、その身もころり、手でこねたとててこねるものか。なんぼう杣が親ぢゃとて、かうしゃきばった枝骨は、おろさゞ桶へ這入るまい、這入りともない死出の山。覚束なかろうなう婆様。婆さま/\」
と呼子鳥。谺に響き泣く涙、落込む谷に水嵩のいとゞ増りて見えぬらす。始終とっくと聞きすまし、
「ヲヽ気遣ひすな。いまの間に敵は取ってやる。その死骸大事にして、うちへ去んで香花とれ。サアはやう連れて行け。はやうはやう」
と六助が、詞を勢に斧右衛門。
「アヽそのやうにいうて下さるのが、婆様のためにはお寺様の御引導。ナウみなの衆」「ヲヽテヤ、あの人がアヽいははりゃ、ちっとも気遣ひ」
泣き顔を、笑顔に直して帰りける。


後に六助無念の顔色。
「さては、杣が母をたらし込み、おのれが親と偽って、孝行ごかしに六助を、深いところへやりをったな。ヘエ思へば/\腹立ちや。卑怯未練の微塵弾正。おのれこの儘置くべきか」
と、胸も張り裂く怒りの歯がみ。庭の青石三尺ばかり思はず踏込む、金剛力。
「イヤコレ聟殿待たしゃれ。こなたの腹を立てさっしゃる、相手の苗字は微塵とや」
「いかにも。おのが流儀をその儘に、氏となしたる微塵弾正」
「ナニその流儀の名が微塵とな。シテその者の年輩は」
「ヲヽ三十二三至極の骨柄。面体白く目のうち冴え、左の眉に一つの黒子。たしかにあり/\左の肘二の腕かけて刀疵」
「ヤさてこそなア。同じ家中といひながら、お園といひこの母も、見知らぬ敵の人相書、妹に尋ねその砌、書かせ置いたるこの姿絵」
「まだこの上に妹が死骸の傍にありしとて、小栗栖村にて友平が後の証拠と渡したる、この臍の緒の書付に、永禄九年の生れとある、月日をくれば三十四歳」
「人相といひ年の頃、割符の合うたは尋ぬる敵」
「親の敵」
「菊が仇。恨みを晴らすはいまこの時。アヽ嬉しや娘片時もはやう」
「母様用意」
と勇み立つ。
「アヽコレ/\二人ともにマア待った。たしかにそれと知れたれば六助がためにも師匠の仇。コレ気遣ひせまひ敵は討たす。が真剣当てぬその先に木太刀で試合の意趣返し。ぶって/\ぶちのめしまうし請けての敵討。お袋、女房、いざ一緒に」
と取出だす、やぶれ上下手伝うて母は腰板あてがふ紐、お園が取ってしっかりと結び合うたる妹背の縁。
「コレ伯父様。ぼんにも敵討たしてや」
「ヲヽ出かした。賢い/\強いなア。どりゃ行かうか」
といふよりはやひらりと庭へ一足飛び。
「コレ/\聟殿。軽き相手と侮って、必ず不覚を取るまいぞ」
「さうとも/\欺すに手なし、油断なされなこちの人」
「ムヽヽヽハヽヽヽヽなにさ/\気遣ひ無用。一旦こそは得心にて、負けてやったる蝿虫め。謀り取ったる五百石抱へられたもわが情。却って足を繋ぎしは、もっけの幸ひ」
塞翁がうまう出会うた妻姑、恨みはともに六助も天地にはぢる義の一字。
「ヤ鬼神とて京極内匠。わが見る目にはひとつまみ。しかし御知行戴くうちは、殿の御家人討ち得難し。試合を願ひ勝った上直ぐに仇討御免の訴訟。ヤ元首押へ討たす」
と実にも鋭き魂を、見極め置きし吉岡が眼力違はぬ、若者なり。お園はなほも勇み立ち、咲乱れたる紅梅の花の一枝折持って、
「ナウ/\わが夫。梶原源太景季は平家の陣に斬入って、誉を上げし箙の梅。これは敵の京極に勝つ色見するこの花の、可愛男へ寿」
といひつゝ抱付きたさも親に遠慮の手をもぢ/\母も同じく椿の一枝。
「本望遂げたその上ですぐに八千代の玉椿、かはらぬ色の花聟殿。いざ」
と打連れ立出づる三人が、中に弥三松は、ほんさう小倉の領内へ勇み進んで出でて行く。




 

 

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