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「平家女護島〜鬼界が島の段(俊寛)」床本
もとよりもこの島は、鬼界が島と聞くなれば、鬼ある所にて、今生よりの冥途なり。たとひいかなる鬼なりと、この哀れなどか知らざらん。この島の鳥獣(けだもの)も、鳴くはわれを問ふやらん。昔語るも忍ぶにも、都に似たる物とては、空に月日の影ばかり、花の木草も稀なれば、耕し植ゑん五つの穀(たなつもの)もなく、せめて命を繋げとや。峰より硫黄の燃え出づるを、釣人の魚に換へ、波の荒布(あらめ)や干潟(ひかた)の貝、みるめにかゝる露の身は、憔悴枯稿(しょうすいここう)のつくも髪、肩に木の葉のつゞれさせてふ虫の音も、枯木の杖に、よろ、よろ、よろよろと、今は胡狄(こてき)の一足とかこちしも、俊寛が身に白雪の、積もるを冬消ゆるを夏、風の気色を暦にて、春ぞ秋ぞと手を折れば、およそ日数(ひかず)は三年の、こと問ふものは沖津波、磯山颪浜千鳥、涙を添へて故郷へ、いつ廻り行く小車の、轍(わだち)の鮒(ふな)の水を恋ふ憂目もなかなかに、くらべ苦しき身の果ての、命待つ間ぞ哀れなり。同じ思ひに朽ち果てし鶉衣(うづらごろも)に苔深き、岩の懸路(かけじ)を伝ひ下り、わづらふ有り様、
「アヽわれもあの姿かや。諸阿修羅道故在大海辺。そも三悪四趣は、深山海づらにありと御経に説かれしが、知らずわれ餓鬼道にや落ちけん」
と、よくよく見れば平判官康頼、
「アヽわれも人もかくも衰へ果てしか」
と、心も騒ぐ浜辺の芦、かき分けかき分け来る人は、丹波の少将成経、
「なう少将殿、なう康頼」
「こは俊寛か」
「僧都か」
と、招き合ひ歩み寄り、
「伴ふ人とては明けても康頼、暮れても少将、三人の他なきものを、なにとてか訪れ絶え、山田守(も)らねど世にあきし、僧都が身こそ悲しけれ」
と、手を取り交はし、泣き給ふ。「かこちは道理さりながら、康頼はこの島に、熊野三所を勧請(かんじょう)し、日参に暇なし。三人の伴ひもこの頃四人になつたるを、僧都は未だ御存知なきか」
「なに、四人になつたるとは、さてはまた流人ばしあつてのことか」
「イヤ、左様ではなし。少将殿こそやさしき海士(あま)の恋にむすぼれ、妻を設け給ひし」
と、言ふより僧都にこにこと、
「珍らしゝ珍らしゝ、配所三歳(みとせ)が間、人の上にもわが上にも、恋といふ字の聞き始め、笑ひ顔もこれ始め。殊更海士人の恋とは大職冠行平も、磯にみるめの汐なれ衣。濡れ初めはなんと、なんと。俊寛も故郷にあづまやといふ女房、明け暮れ思ひ慕へば、夫婦の中も恋同然、語るも恋聞くも恋、聞きたし聞きたし、語り給へ」
とせめられて、顔を赤むる丹波の少将、
「三人互ひの身の上を包むにはあらねども、数ならぬ海士の茶船押し出して、恋と申すも恥づかしながら、ノウかゝる辺国波涛まで、誰が踏み分けし恋の道。あの桐島の漁夫が娘千鳥といふ女、世の営みの汐衣、汲むも焼くもそれは未だ浜辺の業、そりや時ぞと夕波に、可愛や女の丸裸、腰にうけ桶、手には鎌、千尋(ちひろ)の底の波間を分けて水松布(みるめ)かる、和布(わかめ)荒布(あらめ)あられもない裸身に、鱧(はも)がぬら付く鯔(ぼら)がこそぐる、がざみがつめる。餌かと思ふて小鯛が乳に食ひ付くやら、腰の一重が波にひたれて肌も見え透く。壷かと心得蛸めが臍をうかゞふ、浮きぬ沈みぬ浮世渡り、人魚の泳ぐもかくやらん。汐干になれば洲崎の砂の腰だけ、踵(きびす)には蛤踏み、太股(ふともも)に赤貝挟み、指で鮑起せば爪は蠣貝、黄累(ばい)のふた、海士の逆手を打ち休み、黄楊(つげ)の小櫛も取る間なく、栄螺(さざい)の尻のぐるぐるわげも縁ある目からは玉鬘。かゝる島へもいつの間に、結ぶの神の影向(ようごう)か、馴れ初め馴染み今は埴生の夫婦住み。夫を思ふ真実の情け深く哀れ知り、木の葉を集め縫ひ綴る針手きゝ、小夜の寝覚めは塩じむ肌に引き寄せ、声こそは薩摩訛り、世に睦まじい睦言、『うらが様な女ら、歌連歌にべる都人、夢にも見やしめすまい。縁あればこそ抱いて寝て、むぞうか者共思しやつてたもりめすと思へば、胸つぶしうほやほやしやりめす。親もない身大事の夫(せな)の友達、康頼様は兄ん丈、俊寛様は父(ててい)様と拝みたい。娘よ妹よ、兎せろ角せろとぎやつて、りんによがつてくれめせかし』と、ほろと泣いたる可愛さ、都人のござんすより、りんによぎやつてくれめすが、身に沁み渡る」
と語らるゝ。僧都聞き入り感にたへ、
「テさて、面白うて哀れで伊達で殊勝で可愛い恋、まづその君に見参。いざ庵へ参らうか」
「いや、すなはちあれまで同道。千鳥、千鳥」
と、呼ばれて『あい』と声かき分け、竹の枴(おうこ)にめざし籠、かたげた振りも小じほらしげな、眉目(みめ)がよければ身に着たる、つゞれも綾羅錦繍(りょうらきんしゅう)を、恥じぬ形はあたら物、何故に海士とは生れけん。僧都も会釈の挨拶、
「やさしい噂承つて感心、康頼はとく対面とな。俊寛は今日始め親と頼みたきとや。この三人は親類同然、別して今日より親子の約束わが娘、あはれ御免蒙り四人連れて都入り、丹波の少将成経の北の方と、緋の袴着けるを待つばかり。エヽ口惜しい。岩を穿ち土を掘つても、一滴の酒はなし盃なし。めでたいといふ詞が、三々九度じや」
と言ひければ、
「ハア、このいやしい海士の身で緋の袴とは親ばちかぶること、都人に縁を結ぶが身の大慶、七百年生きる仙人の薬の酒とは菊水の流れ。それをかたどり筒に詰めたもこの島の山水、酒ぞと思ふ心が酒、この鮑貝のお盃戴き、今日からいよいよ親よ子よ、父様よ娘よとむぞうか者と、りんによぎやつてくれめせ」
と、言へば各々打ち笑ひ、
「げに尤も」
と菊の酒盛、鮑は瑠璃の玉の盃、差いつ差されつ飲めうたへ、三人四人が身の上を祝うが島も蓬莱の、島に譬へて汲めども尽きぬ泉の酒とぞ楽しける。康頼沖を打ち眺め、
「ハア、漁船とも覚えぬ大船、漕ぎ来るは心得ず。あれよ、あれよ」
と言ふうちに、程なく着岸、京家の武士の印を立て、汐の干潟(ひかた)に船繋がせ、両使汀(みぎわ)に上つて、松蔭に床几立てさせ、
「流人丹波の少将、平判官康頼やおはする」
と、高らかに呼ばるゝ声、夢ともわかず、
「丹波の少将これに候ふ」
「俊寛」
「康頼候ふ」
と、われ先にとふためき走り、二人が前に、
「ハツ」
「ハツ」
「ハーツ」
と、手をつき頭を下げ蹲る。
瀬尾太郎が首に掛けたる赦し文取り出だし、
「これこれ、赦免の趣き拝聴あれ」
と押し開き、
「中宮御産の祈りによつて、非常の大赦行なはる。鬼界が島の流人丹波の少将成経、平判官康頼、二人赦免あるところ、急ぎ帰洛せしむペきの条、件の如し」
と、読みも終らず二人
「ハツ」
「ハツ」
とひれ伏せば、
「イヤなう、俊寛はなにとて読み落し給ふぞ」
「ヤア、瀬尾程の者に読み落せしとは慮外至極、二人のほかに名があるか、サこれ見よ」
と差し出だす、少将判官諸共に、『これは不思議』と読み返し繰り返し、『もしや』と礼紙(らいし)を尋ねても、僧都とも俊寛とも、書いたる文字のあらばこそ、
「入道殿の物忘れか、そも筆者の誤りか。同じ罪同じ配所、非常も同じ大赦の、二人は赦されわれ独り、誓ひの網に漏れ果てし、菩薩の大慈大悲にも分け隔てのありけるか。とくに捨身し死したらば、この悲しみはあるまじき。もしやもしやと存へて、浅ましの命や」
と、声も惜しまず泣き給ふ。丹左衛門懐中の一通出だし、
「とつく申し聞かせんずれども、小松殿の仁心、骨髄に知らせんため暫くは控へたり。これ聞かれよ」
と声を上げ、
「鬼界が島の流人俊寛僧都こと、小松の内府重盛公の憐愍によつて、備前の国まで帰参すべきの条、能登の守教経承つて件のごとし」
「なに、三人共の御赦しか」
「なかなか」
「ハア、ハア、ハツ」
と俊寛は、真砂に額を摺り入れ摺り入れ、三拝なして嬉し泣き。少将夫婦、平判官、『夢ではないか誠か』と、踊りつ舞ふつ悦びは、猛火に焦げし餓鬼道の、仏の甘露に潤ひて、如清涼池(にょしょうりょうち)と歌ひしも、かくやと思ひやられたり。
両使詞を揃へ、
「もはや島に用もなし。仕合せと風もよし、いざ御乗船」
「尤も」
と、四人船に乗らんとす、瀬尾千鳥を取つて引き退け、
「ヤ見苦しい女め。見送りの奴ならばそこ立去れ」
と睨め付くる、
「イヤ、苦しからず。この少将が配所のうち、厚恩の情けを受け夫婦となり、帰洛せば同道と固く申し交せし女、御両人の料簡をもつて着船の津まで乗せてたべ。子々孫々までこの恩は忘れおかじ」
と手を擦つて詫び給へば、
「ヤア思ひもよらず。やかましい女め。誰かある、引き摺り退けよ」
とひしめいたり、
「ハテ、料簡なければ力なし。この上は少将もこの島に止まつて、都へは帰るまじ。サア、俊寛康頼、船に乗られよ」
「いやいや、一人残し本意でなし。流人は一致我々も帰るまじ」
と、三人浜辺にどうど座を組み、思ひ定めしその顔色。丹左衛門心ある侍にて、
「これ瀬尾殿。かやうにては君御大願の妨げ、女を船には乗せずとも、一日二日も逗留し、とつくと宥め得心させ、皆々心よくてこそ御祈祷ならめ」
と、言ひも切らせず、
「そりや役人のわがまゝ。船路関所の通り切手、二人とある二の字の上に、能登殿が一点加へて三人とせられしさへ私なるに、四人とはどなたの赦し。所詮六波羅の御館へ渡すまでは我々が預り、乗らぬとて乗せまいか。俊寛が女房は清盛公の御意を背き首討たれた。有王が狼藉囚人(めしうど)同然の坊主、雑色共郎党共、三人を船底に押込め動かすな」
「承る」
と匹夫(ひっぷ)共、千鳥を突き退け三人の小腕取つて、引立て引立て狩人の、餌簣(えふご)に小鳥を詰むるが如く、捻ぢ付け捻ぢ付け、厳しく守る瀬尾が下知、
「船出せ、船出せ、乗り給へ左衛門殿。たゞし御使の他私の用ばし候ふか」
と、理屈張れば、力なく、同じく船に乗り移る。不憫や浜辺にたゞ独り、友なし千鳥泣き喚き、
「武士(もののふ)は、ものの哀れ知るといふは偽りよ、虚言(そらごと)よ。鬼界が島に鬼はなく鬼は都にありけるぞや。馴れ初めしその日より、御免の便り聞かせてたべと、月日を拝み龍神に願立て祈りしは、連れて都で栄耀(えよう)栄華の望みでなし。蓑虫の様な姿を元の花の姿にして、せめて一夜添ひ寝して、女子に生れた名聞(みょうもん)と、これ一つの楽しみぞや。エヽむごい鬼よ、鬼神よ、女子一人乗せたとて軽い船が重らうか。人々の嘆きを見る目はないか、聞く耳は持たぬか。乗せてたべなう、乗せをれ」
と、声を上げ打ち招き、足摺りしては伏し転び、人目も恥ぢず嘆きしが。
「海士の身なれば一里や二里の海怖いとは思はねども、八百里九百里が、泳ぎも水練(すいり)も叶はねば、この岩に頭を打ち当て打ち砕き、今死ぬる少将様。名残り惜しい、さらばや。念仏申しむぞうか者、りんによぎやつてくれめせ」
と、泣く泣く岩根に立ち寄れば、
「ヤレ待て、待て」
と、俊寛よろぼひよろぼひ船端を、やうやう転び走り寄り、
「アヽこれ船に乗せて京へ遣る、今のを聞いたか、わが妻は入道殿の気に違ふて斬られしとや。三世の契りの女房死なせ、何楽しみにわれ一人、京の月花見たうもなし。二度の嘆きを見せんより、われを島に残し、代りにおことが乗つてたべ。時には関所三人の切手にも相違なく、又お使ひにも誤りなし。世に便りなき俊寛、われを仏になすと思ひ、捨て置いて船に乗れ、乗れ」
と、泣く泣く手を取り引つ立て引つ立て、
「御両使、ひとへに頼み存ずる。この女乗せてたべ」
と、よろぼひ寄れば、瀬尾太郎、大きに怒り飛んで降り、
「ヤア梟入(ずくにゅう)め。左様に自由になるならば、赦し文もお使ひも詮なし。女はとても叶はぬ、うぬめ乗れ」
といがみかゝれば、
「それは余り料簡なし。とかくお慈悲」
と騙し寄り、瀬尾が差いたる腰刀、抜いて取つたる稲妻や、弓手の肩先八寸ばかり切り込んだり、『うん』とのれどもさすがの瀬尾、差添抜いて起き直り、打つてかゝるもひよろひよろ柳、僧都は枯木のゐざり松、両方気力渚の松原、踏ん込み踏み抜き息切れ声を力にて、こゝを先と挑み合う。船中騒げば丹左衛門舳板(へいた)に上がり、
「御帳面の流人と上使との喧嘩、落居の首尾を見届けて言上する。下人なりとも助太刀すな、脇より少しも構ふな」
と、眼もふらず検分す、千鳥堪へ兼ね竹杖振つて打ちかくる、僧都声を掛け、
「アヽコリヤ寄るな、寄るな。杖でも出だせば相手のうち科は逃れぬ。差し出たらば恨むぞ」
と、怒れば千鳥も詮方なく、心ばかりに身をもんだり。血まぶれの手負と飢えに疲れし痩せ法師、はつしと打てばたぢたぢたぢ、刀につられ手はぶらぶら、組みは組んでもしめねば左右へひよろりと離れ、砂にむせんで片息の、両方危く見えけるが。瀬尾が心は上見ぬ鷲、掴みかゝるを俊寛が、雲雀骨にはつたと蹴られ、かつぱと伏せば這ひ寄つて、馬乗りにどうど乗つたる刀、止めを刺さんと振り上ぐる、船中より丹左衛門、
「勝負はきつと見届けた。止めを刺せば僧都の誤り科重なる。止め刺すこと無用々々」
「オヽ、科重なつたる俊寛、島にそのまゝ捨て置かれよ」
「いやいや、御辺を島に残しては、小松殿能登殿御情けも無足し、御意を背く使ひの落度。殊に三人の数不足しては、関所の違論叶ひ難し」
と呼ばはつたる、
「されば、されば。康頼少将にこの女を乗すれば人数にも不足なく、関所の違論なきところ、小松殿能登殿の情けにて、昔の科は赦され帰洛に及ぶ俊寛が、上使を切つたる科によつて、改めて今、鬼界が島の流人となれば、上(かみ)御慈悲の筋も立ち、お使ひの落度些かなし」
と、始終をわが一心に、思ひ定めし止めの刀、
「瀬尾、受け取れ恨みの刀」
三刀、四刀、肉(しし)切る引き切る、首押し切つて立ち上れば、船中『わつ』と感涙に、少将も康頼も、手を合せたるぱかりにて、物をも言はず泣きゐたり。見るに付け聞くに付け、千鳥一人がやる方なさ、
「夫婦は来世もあるものよ。わしが未練で思ひ切りのない故、島の憂き目を人にかけ、のめのめ船に乗られうか、皆様さらば」
と立ち帰る、槌り止めて、
「アヽこれ、われこの島に止まれば、五穀に離れし餓鬼道に、今現在の修羅道、硫黄の燃ゆるは地獄道、三悪道をこの世で果たし、後生を助けてくれぬか。俊寛が乗るは弘誓(ぐぜい)の船、浮世の船には望みなし。サア、乗つてくれ、早乗れ」
と、袖を引き立て手を引き立て、漸々に抱き乗せければ、詮方波に船人は、纜(ともづな)解いて漕ぎ出だす。少将夫婦康頼も、
「名残り惜しやさらばや」
と言ふより他は涙にて、船よりは扇を上げ、陸よりは手を上げて、
「互ひに未来で、未来で」
と、呼ばゝる声も出で船に、追手の風の心なく、見送る影も島隠れ、見えつ隠れつ汐ぐもり、思ひ切つても凡夫心、岸の高見に駆け上り、爪立て打ち招き、浜の真砂に伏し転び。焦がれても叫びても、哀れ訪らふ人とても、鳴く音は鴎(かもめ)天津雁(あまつかり)、誘ふは己が友千鳥、一人を捨てゝ沖津波、幾重の袖や濡らすらん。
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