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「祇園祭礼信仰記(金閣寺)」床本

金閣寺の段爪先鼠の段


金閣寺の段

 

そも/\金閣と申すは、鹿苑院の相国義満公の山亭、三重の高楼造り庭には八つの致景を移し、夜泊の石岩下の水、滝の流れも春深く、柳桜を植ゑまぜて今ぞ都の錦なる、松永大膳久秀旧恩の主君を亡し、あまつさへ慶寿院を虜にしこの金閣に押し込め置き、遊興に月も日も立つや弥生の天罰にゆとり、ある間の栄華なり、大膳盤を押しやって
「ヤア喜藤太、残念なは浅倉義景、信長が計略に乗って亡された後、すぐさまぼっ駈け一合戦と思へども、軍を預けん軍師なし、無念ながらこの閣に引籠り、あっぱれよき侍もがなと望む折から、此下東吉といふ者、信長が手を離れ浪人し、我に奉公を望む由、心得ずとは思へども、軍平が云ふに任せ、信長、謀事をもって、東吉を差越さば、こっちもまた謀事に乗って召し抱へ候へと勧むるゆえ、軍平を迎ひにやったがいまだ帰らぬか」
「なるほど/\、イヤモ万事抜け目なき軍平、隙の入るはかの東吉、同道いたすに極まったり」
「その間に一杯食べう芸者どもを相手に」
と、間の障子を押し明くれば、芸子法師が取り巻いて、勇めるなかに雪姫が、夫は牢舎の苦しみを、引替へ妻は綾錦、蒲団幾重かその上に泣きしをれたるありさまは、王昭君が胡地の花、色香失ふ風情なり、大膳近く立ち寄って
「詰牢とは品を変へ舞ひ歌はせて奔走するも、慶寿院が指図した天井に墨絵の竜、直信に代って画くか、但し抱かれて寝る所存か、どうぢゃ/\」
と責められて、姫はやう/\顔を上げ
「思ひも寄らぬ御難題、絵の事は祖父様より、家に伝はることなれば、何しに辞退は申さねども、水草花鳥に事かはり墨絵の竜は、家の秘密、雪舟様より父将監まで伝はりしが、何者の仕業にや、父を手にかけその上に、家の秘書まで失へば、何を手本に描くべき、その儀は赦して下さりませ、同じ事を云ふやうなれど、直信殿とわが仲は、お前も知ってござんす通り、お主様のお情で夫婦となった義理あれば、たとへこの身を刻まれても不義は女の嗜み事、わたしばかりか夫まで、牢舎とは情なや、かゝる憂き目を見せんより、いっそ殺して下さんせ」
とかっぱと伏して、泣きゐたる
「喜藤太アレ聞いたか、慶寿院が望みの通り云ひ付くれば、家の秘書がないと云ふ、そんなら枕の伽ささうと云や、直信めに義理詮索胸が悪い、所詮邪魔になる直信め、軍平が戻りしだい岩下の井戸へ釣おろし、殺してしまへばあとがさっぱり、それともに直信を殺しともなか、おうと云うて雲竜を画きなりと、抱かれて寝なりとその方が得心しだい、生かさうと殺さうととっくりと思案して、よい返答聞くまでは蒲団の上の極楽責め、芸者ども張り上げて歌へ/\」
と勇めても、姫はとかくの答へさへ涙よりほか、なかりける、かゝるところへ十河軍平、伴なふ此下東吉が衿元に抜き刀差付け/\入り来れば、こなたも障子をさしもの大膳、
「ヤア軍平、その手籠めは何事ぞ」
「さん候ふこれこそ此下東吉、御奉公を望み推参は致せども、もし過ちもあらんかと油断いたさぬこの仕合せ」
「ハヽヽヽ、家を望む東吉何の用心許せ/\」
の詞に従ひ刀を鞘に納むれば、
「ムヽ聞き及ぶ東吉よな、苦しうないつっと参れ身も信長には手を置きつるに、その信長を見限り、大膳に仕へんとは珍重々々、オヽソレ腰が明いて見苦しい、刀を赦して近う/\」
と詞の下、家来に持たせし指添へ刀、渡せば取ってさすがの東吉、両手をつかへ謹しんで、
「御覧の如く四尺に足らぬ此下東吉、甲州山本勘助に比べては、抜群劣りし小男、お馬の口か秣(まぐさ)の役か、恐れながら御譜代とも、思し召し下されなばありがたく候ふ」
と身をへりくだりうづくまる、
「ムヽ古へ齋の晏子という者、身の丈は三尺なれども、諸候の上に立って国政を執行ふ、武士は魂人相の差別善悪によるべきか、さは云へ、人には一つの癖のあるものとは慈鎮が歌、この松永も碁を好むが一つの癖、相手はこれなる鬼藤太、軍平、ヤ幸ひ目見えの東吉、試みに何と一番打たうかい、ササこれへ/\」
と盤引寄せ招く頤お髭の塵、
「取りあへずお相手」
と盤に向ふも先手後手、
「軍平これで見物」
と腰打ちかけて差窺ふ、隔ての障子、そろ/\と一間を忍ぶ雪姫が、心一つの物案じ、
「囚れたを幸ひに、御恩を受けた慶寿院様、奪ひ返さうか、夫の命も助けたし、アヽどうかな」
と差俯き、千々に心を砕くは、碁立て大膳は、先手の石打つや現の山、蔦の細道此下が、一間飛びに入り込んだも、松永を討って取る、岡目八目軍平が、助言と知らぬ大膳が、詞もあると打ちうなづき
「いっそこの身を打任せ、枕交そとつい一言、云うたらいとしい直信様、牢舎を助けてくれもせうとは云へ憎いあの大膳、何と枕が交されう、厭と云うたら夫の命」「危ない事の、大膳が石が既の事」
「アヽいや/\死ぬるはこの白石、どうやら遁れ鰈の魚」
「白き方には目がなうて」
あるかないかの、辻占を聞くもだく/\胸なでおろし、
「ほんに昔の常盤の前、夫の敵清盛に、枕並べし例もあり、それは子ゆえ、わしに子とてはなけれども、大切なお主のため、さしあたる夫の命さうぢや、/\」と立上り、震ふ膝節松永が、後におづ/\立ち寄って「さきほどの御返事を申し/\」
と手をつけど、碁に打傾く顔をも上げず、
「覗くは誰ぢゃ」
「アイ私でござります、さきほどの御返事を」
「ムヽ雪姫が顔の白石、返事とはマア嬉しい、抱かれて寝ばまの返事ぢゃな」
「アイ」
「あいとはうまい、昨今の東吉が見る前、恋は曲者、ハヽヽヽヽ赦せ/\」
「ハアこれは/\痛み入ったる御挨拶、主となり家来となれど、碁の勝負には遠慮は致さぬ、ノウ軍平殿」
「いかにもさやう、女房にしてうとはづんでござる大膳様」
「オヽサ/\、晩には一目、かう押さへて」
「この東吉が中手を入れて」
「面白い信長でも直信でも、斬ってしまへばだめも残らぬかい」
「いかさまさやう」
と藤太が助言、
「軍平斬れ/\、斬ってしまへ」
と碁癖の詞、『はっ』と駈け出す十河軍平、姫は驚き
「アヽコレ待った、斬るとは誰を」
「ハテ知れた事、狩野直信」
「ナウ待って下さんせ、夫を殺すまいために大膳様のお心に、従ふ心でこゝへ来ても、碁に打ち入ってござるゆえ差控へていたわいなう、マア/\待って下さんせ」
「何ぢゃ身が心に従はう」
「アイ/\」
「そりゃ真実か、余り急で呑み込まねど軍平待て、碁にかゝっては傍あたり、姫が来たやら何云ふやら、危ないは狩野介、ハヽヽヽなう東吉、かの太平記に記した、天竺波羅那国の大王まっこの如く、碁に打ち入り、過って沙門を殺した引き事、それは因果、これは眼前、コリャ雪姫、心にさへ従へば直信は助けんと、つがひし詞反古にもなるまい、暮を待って閨の盃、抱いて寝たその上で直信は赦してくれう」
と、云ふに少しは落ち付く思ひ大膳盤を打眺め、
「大方この碁もおれが勝、勝負を付けて見やうかい」
「しからばさやう」
と東吉が、
「向ふ敵は小田信長」
「この大膳が後陣の備ヘ」
「続く碁勢は」
「あるとも/\有馬山」「いなの笹原足つくな」
「突いたら大事か取ってくりょ」
「取るとは吉左右天下取る、国を取ろ/\とろゝ汁、山の芋から鰻とは、早い出世のやっこらさ、三五十八南無三宝、大膳様がお負けぢゃ」
と、はま拾ふ間も短気の松永、盤を掴んで打ち付くるを、すかさぬ東吉扇のあしらひ、にっこと笑ひ
「すべて碁は勝たんと打たんより、負けまじと打つが碁経の掟、東吉が癖として囲碁に限らず口論、或は戦場に向うても後れを取ること大嫌ひ、盤上は時の興、勝つべき碁をわざと負けるは追従軽薄、負け腹の投げ打ちなら今一勝負遊ばされんや、サヽヽヽ何番でもお相手」
と、井目すえたる東吉が、手段もさぞと、知られたり、大膳も納得し、
「面白い碁の譬へ、見かけに寄らぬ丈夫の魂、頼もしゝ/\、誠武士の肝要は軍のかけひき、そのかけひきには智謀が第一、汝が才智を試みんには、ハテ何をがな」
と思案の内、傍なる碁笥をおっ取って、目当ては岩下の井戸のうち、ざんぶと投げ込み、
「いかに東吉、今打ち込んだ碁笥の器、手を濡らさず取って得さす工夫やあるか/\」
「ハア/\/\」
と猶予もなく庭に、降り立ち金筒樋、漲ぎる滝の流れをすぐに井の内へ暫時に汲み取る早業は、井桁を越して水の上浮かめて取ったる件の碁笥、ありあふ盤を打ちかへし、
「四つの足の真中に、据えたる碁笥は信長が、首を引提げこの如く、首実検のその時に用意に用ふる碁盤の裏、四つの足を四星に象り、軍神の備へとし、小田を亡す血祭」
と盤を片手に差上げしては、下ひの土橋に石公が沓を棒げし張良も、かくやとばかり勇ましゝ、
「したり/\」
と松永兄弟軍平も舌を巻き
「かほど才智を備へし東吉、御手に入るこそ吉左右めでたし、まづ/\一間に御入りあって御酒宴もや」
と勧むれば、
「いかにも/\あっぱれ頓智、いよ/\軍師に頼みの盃、喜藤太軍平案内せよ」
と、令する詞に両人が伴ひ

 

爪先鼠の段

 

奥に入りにけり、後見送って大膳が、
「サアこれからは雪姫に、閨を見せう」
と手を取りしが、
「イヤ/\/\、抱いて寝ぬ先今一色、つひぐる/\と墨絵の竜、天井に出来ればよい、コレサ、望みかゝった大膳、ついでに望みを叶へて給べ、これさ/\」
と寄り添へば、
「サア申し、お心に従ふ上知ってさへいる事なら何しに筆を惜しみませう、先にも申した秘密の書、つひに見ぬみづから、手本がなうてはいつまでも」
「ムヽ尤」
とうなづきしが、下げたる一腰取り直し、
「しからば手本が出た上では、いやとは云はさぬ合点か」「アイ、なるほど/\、雪舟が残された、手本でさへあるならば、たった今でも画きませう、がお前に手本が」
「あるとも/\、いざまづこちへ」
と松永は、姫を、伴なひ庭に降り、件の一腰抜き放し、滝に映せばあら不思議や、落ちくる水に竜の形あり/\怪しむ雪姫が、『さては』とばかり目を放さず、またも映せば生けるが如き、雨を起すや倶利加羅竜、隠せば隠るゝ希代の剣、手に持ちながら松永も奇異の、思ひをなしにける、姫はすかさず身繕ひ、守り詰めたる大膳が、刀奪ひ取りとっくと見
「ホヽさてこそ尋ぬる倶利加羅丸、親の敵大膳やらぬ」
と斬りかゝる、かひくゞって遙かに投げ退け、
「ハテ心得ぬ、われを親の敵とは、何を証拠」
と云はせも立てず、
「オヽその証拠とはコレこの剣、爺の雪舟唐土より持ち帰り、家に伝へし倶利加羅丸、朝日に映せば不動の尊体、夕日に向へば竜の形、倶利加羅不動の奇特をもって、かくは名付けしこの名剣、父雪村まで伝はりしが、河内の国慈眼寺山潅頂が滝のもとにて、父を討たれ刀も紛失、されども倶利加羅丸といふ名をつゝみ、家の秘書が見えぬ/\と云ひふらせしも、誠はこれこの剣を見出さうばかり、姉様ともろともに、心を砕いた父の敵、今といふ今剣の不思議を見る上は、敵もこなたに極まった、サア尋常に勝負しや」
と、又斬りかくる剣もぎ取り
「ハヽヽヽびくしゃくとはね廻るな、年来天下を覆す望みあって、三種の神宝を仮りに拵へんと思ふ折節、いかにも潅頂が滝のほとりにおいて、この刀を水に映し、竜の形をあらはし見る老人一人われもその場に行きかゝり、ホヽあっぱれよき名作名剣、武士の守になるべき物と、ひたすらに所望すれども、承引せざるや奇怪さ、人知れずぶち放いた、さてはその時、討ち捨てた老人は雪姫そちが親将監雪村であったよな、年月の無念もさぞ/\、この剣がほしいか、某が首もほしかろな、先立った姉花橘が追善、雪姫が心ざしに免じ、討たれてやりたいが、マアならぬ、義輝さへぶち殺し、天下はもとより王位をも望む大膳、匹夫づれが敵などとは、ヤ小ざかしい女め」
と立ち蹴にはったと踏み飛ばし、足下にふまへる折こそあれ、
「喜藤太これに」
とつっと寄り、姫を引立て後手に、縛りからむる後へづっと此下東吉
「ハアハッかやうな事もあらんかと、見え隠れに窺ふところ、御主人をねらふ女、なぜ細首をぶちめされぬ、東吉がお目見えに、いですっぱり云はして御覧に入れん」
と刀抜く、手をとゞめる松永、
「待て/\東吉、わが思ふ仔細あれば、無成敗はさせぬ/\、軍平参れ」
と呼び出だし、
「コリャ、そちに預けた直信め、ソレ舟岡山ヘ引き出だし、五ツの鐘を合図、ソレ一分だめしにためして仕まへ」
「ハアハッしからばアノ雪姫もいっしょに引立て申すべきか」
「アヽいや/\さうはなるまい」
「とは又なぜでござります」
「なぜとは不粋、ナア喜藤太、アレあの縛られた姿を見よ、雨を帯びたる海棠桃李、桜がもとにくくり付け、苦痛を見せたその上で抱いて寝るか成敗するか、二つ一つはマアのち程、軍平は早く早く」
と追っ立てやり、大膳は上見ぬ鷲、欣然と席を改め
「コリャ/\喜藤太、その方には、この剣急度預くる、慶寿院が警固怠りなく云ひ付けよ、ナニ東吉、わりゃアノ女が首討たんとな、ムヽ、新参ながら某をかばふ心底満足々々、今よりいよ/\わが軍師、小田が家にて千貫取らば二千貫、一万石でも望み次第、恋の囮のこの女、ソレくゝし上げて憂目を見せよ」
「ハアハッ畏った」
と東吉、藤太、引立て/\桜が枝、くゝるも主命、主従が打連れ奥に、入相の鐘も霞に、埋れて心細くもたゞ一人無惨なるかな雪姫は、何を科とてからまれし夫も、もはや最期かと、思へばそよと吹く風もあはやそれぞと見上ぐれば、花の散るさへ恨みなる、今ぞ生死の、奥座敷、諷ふ調子も身にぞしむ、花を、雪かと眺むる空に、散ればぞ花を雪と詠む、命も花と散りかゝる、狩野介直信が最期も五つ限りぞと、軍平に追っ立てられ屠所の羊の歩み兼ね、たゝずむ夫婦が顔と、顔
「ヤアこはわが夫か」
「雪姫か」
と、寄らんとすれど縄取りが引っぱる縄の強ければ見交すばかり涙声、
「かうならうとは思ひもよらず、お主様を奪返し、舅の敵もとも/\に、尋ねんものと思ひしに、むざ/\死ぬる口惜しさ、何とぞそなたは存命(ながら)へて慶寿院の御先途を、見届けるやうに頼むぞや」
「ナウそのお頼みはみな逆様、科もない身を刃にかけ、後に残って何とせん、いっしょに行きたい死にたい」
と、叫ぶを軍平せゝら笑ひ、
「アヽよしなき女のうでだてから、狩野介を殺すと云ひ、その身も縄目の憂き面恥、まだも頼みは大膳様、ソヽその器量にうつ惚れて、御不憫がかかってある、どうぞも一度詫び事して、抱かれて寝たがましであろ、アヽ不憫や」
と夕まぐれ追っ立て/\引かれてゆく、見送る身さへからまれて、行くも行かれず伸び上がり見やれば誘ふ風につれ、野寺の鐘のこう/\と、響きに散るや桜花、梢もしほれ身もしほれ、しほれぬものは涙なる、やゝ泣き入りし目を開き、
「ヤアあの鐘は六つか初夜か、夫の命があるうちに、ホンニそれよ、まだ云ひ残した直信様いなう父の敵は大膳ぢゃわいなう、エヽこの事が知らせたい、この縄解いてほしいなあ、エヽ切れぬか、解けぬか」
と、身をあせる程しめからむ、煩悩の犬われとわが身を苦しむる憂き思ひ
「ヘエあの大膳の鬼よ蛇よ、人に報ひがあるものか無いものか、喰ひ付いてもこの恨み晴らさいで置かうか」
と悔やみの涙はら/\/\玉散る露の如くなり
「オヽそれよ/\三井寺の頼豪法師一念の鼠となり、牙をもって経文を喰ひさき、恨みを晴らせし例もあり、わが身、このまゝ鼠とも、虎狼ともなして給べ、南無天道様仏様、申し/\、コレ拝みたうても手が叶はぬ、エヽ無念や口惜しや」
と踊り上り飛び上り、天に呼ばゝり地に伏して正体涙にくれけるが、
「ハッア誠に思ひ出せし事こそあれ、自らが祖父の雪舟様、備中の国、井の山の宝福寺にて僧となり、学問はし給はず、とにかく絵を好き給ふゆゑ師の僧これを戒めんと、堂の柱にまっこのやうに縛り付けて折檻せしが、ひねもす苦しむ涙を点じ、足をもって板縁に画く鼠縄を喰ひ切り助けしとや、われも、血筋を受け継いで、筆は先祖に劣るとも、一念力は劣らじ」
と足にて花を、かき寄せ/\かき集め、筆はなくとも爪先を筆の代り、墨は涙の、濃き薄桜足に任せて画くとだに、絵は一心によるものすごく、すは/\動くは風かあらぬか、花を毛色の白鼠、たちまちこゝに顕はれ出で、縄目のかづら草の根を、月日の鼠が喰ひ切り/\、喰ひ切るはづみばったりこけしがむっくと起き、
「ヤア嬉しや、縄が切れたかほどけたか、足で鼠を画いたのが、喰ひ切ってくれたか」と見やればあたりに散る花の鼠の行方も嵐吹く、木の葉とともに散り失せたり、姫は夢の心地もさめ「嬉しや/\本望や」
と、悦ぶ足も地に付かず、夫の命を助けんと、駈け行く後へ弟喜藤太、
「どっこいさせぬ」
と首筋掴んで引き戻す、
「放せ」
「やらじ」
とせり合ふうち、はっしと打ったる手裏剣に、藤太が息は絶えにけり、
「これは」
と驚き見返るところへ、
「ヤア/\雪姫しばし」ととゞめ、腹巻に身を固め、悠々と立ち出づる筑前守久吉「ホヽ何事も最前より、窺ひ知ったる始終の様子先祖の雪舟渡唐の時、明帝に望まれて天満宮の渡唐の神像、描く称美に取り交せし、倶利加羅丸はこれこゝに」
と、藤太が死骸の一腰を、取って渡せばとっくと見、
「オヽなるほど/\、家の秘蔵のこの剣、祖父様が唐土で、お画きなされた渡唐の天神、今日本に弘まったも、雪舟様が始めぢゃと、父様の物語、この名剣が手に入るからは、いで踏ん込んで大膳を」
と、駈け入るを押しとどめ、
「ホヽオ一途にはやるは尤ながら、申さば彼は天下の敵、親の敵は又重ねて、慶寿院の御身の上、この久吉が受け取った、軍平に申し付け、直信の命の上、ちっとも気遣ひなけれど、何かの様子を知らすため、一刻も早く舟岡ヘ」
と、聞くに心も浮き立つばかり、
「そんならお主を頼むぞえ」
と、剣を腰に褄引き上げ、小褄ほら/\花の浪、舟岡山へと、走り行く、既にその夜の月代も傾く運命松永が、熟睡の折よしと差足抜足、
「慶寿院の御座所、究竟頂の楼ぞ」
と、見上る空に赫々たる、星の光はあらいぶかし、
「時は今春の末、春は木なり、青陽の東に当って木曜星寿命家におざす時は、ム、ムヽ忠臣君にかはるといふ天の吉瑞めでたし/\、三重の楼には梯子を引いて、宿直が物音しすましたり」
と、見廻す広庭桜が枝、
「ホヽこれ幸ひのかけはしぞ」
と、取り付き、

 

登る楼閣は、究竟頂に儲けの構へ、今ぞ御身の上なりと、慶寿院は覚悟の体、小袖の鎧をうや/\しく釈迦観勢の三尊仏、口に称名一心不乱、脇目もふらずおはします、御前に頭を下げ、
「小田信長が家臣真柴久吉、御迎ひに参上せり、心鎮かに御用意」
と云ふに念珠をとゞめ給ひ、
「ナニ信長の迎ひとは、ホヽ美(い)しくも来たりし嬉しさよ、さりながら、かくも敵の囮となり、いつまで命惜しむべき、未来仏果を得させよ」と御目を閉ぢて合掌し再び、仰せはなかりける「ヘエこは云ひがひなき御所存かな、信長が諌めにより、慶覚公にも還俗あり、義照公と諱(いみな)を改め、足利の家を起さんと、軍勢催促最中なり、この閣外には某が一味の武士、御迎ひに満ち/\たり、いで御安否を知らせん」
と、腰に付けたる備用急、合図の狼煙取り出し、立て明かしの灯を映せば、戚南塘が火竜炮、炎々と燃え上り、雲間になびき入ると等しく、合図の大鼓合せの螺吹き立て/\、打鳴らし、数千の提灯ゑい/\声、天地に響き動揺せり、慶寿院も安堵の思ひ、久吉御手を取り参らせ鎧を、小脇に段々梯子、二重の楼に降り立って、心にうなづく即座の気転、鎧をすぐに御着背長、御身を鎮に、忍ぶ竹天より橋を呉竹の梢はしいわりふうわふわ、その身はもとの桜木取り付きさがる細蟹の蜘蛛のふるまひ、いとあやふき、庭に降りしも、十河軍平、狩野直信、雪姫も立帰り、御母君の御安体悦び申せば御目に涙
「雲竜を描かせよと二人の者を呼寄せしも、大膳を欺いて奪ひ返せし家の旗、慶覚に伝えさせ潔く死なんもの」
と語りたまへば、十河は手をつき、
「某軍平とは仮りの名、誠は久吉の郎等加藤正清かほど大勢取り囲むに折り合はぬ大膳、イデ目覚ましさせん」
と駈け寄って一間の障子蹴放せば、四方四つ手に鉄の網、力士のごとく真中に、すっくと立ったる松永大膳、
「ヤア信長が計略かくあらんと察せしゆゑ、かねての要害油断はせじ、何さ/\、七重八重に網を張るともわが見るには童すかし、きりざりす籠に劣った企み踏み潰し首取るは易かりつれども信長が差図によって、アレ慶寿院は奪はんばかり、義照公に御馬を勧め、汝が本城、信貴に向って攻め寄せん」
「オヽサ/\、おもしろし/\、わが本城に攻め来らば、叡山法師をあひかたらひ、はな/\しき軍せん」
「オヽ云ふにや及ぶ」
とにらみ合ひ、互に肱をはるの風、こち吹く風に翻す籏よ、鎧よ母君と、ともに、輝やく袖袂、倶奉する真柴は大望の、万里に羽打つ朝嵐、正清、直信、雪姫が再び手に入る倶利加羅丸、影を映すやその奇特滝は今より、竜門の、名を万天に鳴り響く、こゝは都の金閣寺、庭の桜の春かけて眺めを残し帰りける。

 



 

 

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