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「鎌倉三代記(絹川村閑居)」床本

入れ墨の段絹川村閑居(局使者の段米洗いの段三浦別れの段高綱物語の段


入墨の段

 

されば北條時政公、一旦都頼家と御和睦ありつるは、寛宥の密計にて再び起こる大軍に義時公の後詰めをと、勢州庄野に御着あり、泊りの陣所おごそかに相詰めたる面々は古郡新左衛門、富田六郎はじめとして、そのほかの諸大名威儀を正すその中に、新左衛門進み出で
「昨日この陣所のあたり男にやつせし女武者、心得ずと捕へ見れば、京家の軍師佐々木高綱が妻女とや。例の高綱、妻篝火に手筈を授け、事を計るに疑ひなし。仮の獄屋へ入れ置いたれど、いまだその趣意を糺さず、いかゞ計らひ申さんや」
と、評議に、六郎居丈高。
「女なれど佐々木が女房。手ぬるいことでは参るまい。水責めで落ちずば火責め、白状さすにしくはなし」と、取り/\密談、一間のうち「御成りぞふ」と呼ばゝって、襖開かせ立ち出る御大将時政公。御太刀を小姓に取らせ肌に小具足表には、尋常(よのつね)の長袴、寛然として座し給へば、新左衛門謹んで「私家来、富田六郎、京家の軍師佐々木高綱、その身土民と形を変へ在郷にあるを召し捕って参りし由、言上のこと願へども、いまだその実否も糺さず、上聞に達すること差し控へ候」
と、聞きもあへず時政公
「ホヽさま/\と身を変じ、事を計る表裏の高綱、某ぢきに虚実を糺さん。引き出だせよ」
と宣ヘば
「はっ」
と答へて富田の六郎、御意待ち兼ねし手柄顔、縄付きを引っ立てさせ、引き添ひ御前へ立ち出づれば、新左衛門声をかけ
「ヤア/\者ども、御大将の御意次第、誠の佐々木に極まらば、恩賞の御沙汰あらん差控へよ」
とありければ、承はって者どもは、表の方へ引き下がる。時政公、縄付きを遙かに見やり
「ヤイ縄付の者面を上げよ」
「アイ/\」
と藤三はおろ/\声
「殿様へ申し上げます。私は北川村で藤三と申す百姓、野で働いてをりましたら、いまのお方が見えまして、おのれは佐々木ぢゃ、高綱ぢゃと人にいろ/\の異名をつけ、このやうに縛られて内方へ参りました。もう堪忍して下さりませ」
と詞しどろに詫びる顔、御大将はためつすがめつ
「去年以来、数度討ち取りし佐々木が影武者、その面体に寸分違はず、ハテ求むれば似た者も沢山にあるものなア。幸ひ昨日召し捕りし高綱が妻篝火、獄屋より引き出し引き合はせ試みん」
と、仰せに従ひ富田の六郎。
「ヤア/\者ども、召し捕り置きし篝火、只今これへ連れ来たれ」
と呼ばゝる。声にこれもまた、いとゞ物憂き、囚人の、柳の姿腰縄に、哀れ夫にも放れ鴛、丘に迷ひし気色なり。それと見るより件の縄付き。
「ヤレ嬉しや/\、よい人が出て見えた。おれが顔、一目見せたら人違へはすぐに知れる。サヽここへ、/\」
と云ふに、篝火面を上げ
「ヤアお前は夫、高綱殿」
「アヽ、コレ/\/\、そりゃなに云ふのぢゃ。おれがどこに」
「サア/\/\佐々木殿、高綱とも云はるゝ武士が、やみ/\と雑兵の手にかゝり給ひしか、かくまで武運尽き果つる、浅ましのありさま」
と膝に寄り添ひむせび泣き。
「アヽ申し、コレ/\わしゃそんな者じゃない。めっそうな、マアこはいおえさんぢゃ。お前のやうなおえさんを、女房にしているおれぢゃないわい、とっととそっちへ寄って貰はう」
と、押しやれば、なほ
「イヤ/\/\、もはや叶はぬこの場の仕儀、いとし可愛い独り子の小四郎は先に立て、千変万化の計略も尽き果てたお身の上、潔い死を遊ばせ、わらはもすぐに冥途の供、この期になっての抗ひは、未練にござんす高綱殿、エヽ時につれて心まで、さほど卑怯になるものか。この上にまた幾ばくの辱しめを見給はん。サア/\/\時政殿、夫もわれも眼の前で、心の儘に成敗あれ、わが夫覚悟なされよ」
とわざと敵へしら露の佐々木と贋の夫思ひ、心遣ひぞせつなけれ。
「エヽいま/\しい、よう泣く女中ぢゃ。そしてマア冥途の供と云はるゝは、アヽ尊霊殿の荷持のことか、そんな覚えは、とんとない。ほんにまたこの顔が、ひょんな和郎に似たことぢゃ、エヽ面倒くさい。トントもう相手にはならぬぞ」
と後へ下ってむっと顔。かゝるところへ表の方御番の侍まかり出で
「最前佐々木高綱なりと召し捕られし者の女房、お願ひありと門前に泣き叫び候ふ」
と、聞きもあへず新左衛門。
「その者通せ」
と取次ぎの、声聞くやいな藤三が妻、走り入って夫の側
「オヽ嬶か、さっきにから待っていた。よう来てくれた/\ナ」
「オヽこちの人か、嬉しや/\、どこも怪我はなかったか」
「なかった/\。よう来てくれたナア、サア/\サアこちの嬶が来たによってモウこれからは百人力ぢゃぞ千人力ぢゃハヽヽヽヽヽよう来てくれたなア」
「オヽよう健(まめ)でいやんした」
と、悦び合うぞ道理なる。おくるは御前見廻して
「申しお殿様。この人は藤三と申して、こちの主でござります。これはほんの人違へ、お助けなされて下さりませ」
と、詫びる女房、こなたなる佐々木が妻は胸に釘差し俯ぶいていたりける。御大将あざ笑ひ
「ハヽヽヽさこそあらん、/\。いかに運尽くればとて、富田ごときが手にかゝる高綱ではよもあるまじ。去年合戦真最中、佐々木が一子小四郎、かの似せ者の首を見て、父にもてなし愁歎して、切腹したる健気の計略、ハヽヽヽさすがは女、いまゝた土民を見てわが夫かとは、コリャ篝火、その計略ではもう行くまい。又ぞろ此時政を欺(たばか)らんとした今のしだら。エヽしぶとき女が工(たく)み事。誠におのれは鉄面皮」
とあくまでの嘲弄に、篝火は無念さの、何と答へも泣く涙、中へ差し出る藤三が女房
「ほんにマア去年から、その笹餅様とやら、高い綱貫殿とやら、その人にかゝってきつい災難、ハイ/\/\主をお返し下され」
と問はず語りの詞の端、時政公眉をひそめ
「ムヽ去年もその汝が夫、怪しきことありつるか、サヽ近う寄って委細を語れ、ソレ藤三が縛め赦せよ」
と、鶴の一声たちまちに、野烏の水呑百姓。縄目助かり御前に向ひ
「ハイその訳わたしが申しましょ、去年オヽソレソレ大雪の降った時、畑からの戻り道、大勢の侍が思ひがけなう私を乗物へ捻ぢ込んで、どこへ行くとも知らばこそ、屋敷のうちへ入るやいなや、旦那らしい和郎がまたつっと出て、私が顔を眺め、『よっく似たテよう似た』と、無性やたらに誉めそやし、それから毎日お振舞、米の飯に鯛や鱧、喰ふほどに/\、『サア鉄砲を撃ち習へ、馬に乗れ』の『弓引け』のと、トント残らず私が嫌ひのことばかり『こはい、/\』と云うたれば、侍衆かっと睨(ね)め、『こいつ顔はよく似たれど、役に立たぬ馬鹿者』と、また乗物に突っ込んで、海道筋の辻堂へ打ち明けて去にをった。どふでありゃ天狗のしはざか、よふ若衆になりませなんだ。」「アイ/\あの通りでござります。主は生得もの云ひ下手、後や先に、よいやうにお聞きなされて下さりませ」
と妻のおくるが心づかひ。
「ホヽ委細この時政が聞き届けた。おのれも佐々木が影武者に、取り寄せたに疑ひなし。その面体が似たるゆえ、この上にもなほ紛らはしい。ソレ侍ども、向後(けうこう)佐々木と紛れぬやうに、土民めが面体にしっかりと入墨せよ」
と、聞いてびっくり藤三夫婦
「エヽアノこちの主の顔へ、印をお附けなさるゝか。エヽそりゃあんまりお胴慾、生れもつかぬ片輪者、どうぞお赦し下され」
と妻の願ひに富田の六郎。
「イヤ慮外なる下郎めら、高綱に紛るゝと、おのれが命はすたり物、スリャこれ命代りの入墨。わが君の御情け、ありがたき仕合せと、二人とも三拝しをらう。ソレ侍ども、篝火は獄屋へ引け」
と云ひ付くれば
「はっ」
と答へる縄取りに、引き立てられて篝火は、工みし甲斐もなきしをれ、いかなる憂(うさ)や重ねんと、心一つに物案じ、獄屋の方へ、歩み行く。
「いざ入墨の刑罰」
と、数多(あまた)の侍藤三を囲み、用意の懐剣、三つ目の針、立ちかゝれば飛び退いて
「アヽこれ申し、マア/\静かになさって下さりませ、/\。虫にとくと得心いたさせます、コレ嬶、死ぬるよりはましなれど、入墨といふものは、定めて痛いものであろナ、おれが側についていて、皮切りは押へてたも」
と、押し直れば侍ども、両手も頭も引っ掴み
「動くな/\」
と云ふうちに、額をづっかり一刀。
「アイタ、/\/\」
に女房が側から
「ハア/\」
侍は、遠慮会釈も針の先、痛さは肝にこたへかね、仕上げの藍墨べったりと、額に印の俄かあざ。妻が思ひは浅からぬ、幸ひ浅間の万金丹、気付けに飲ませ労はりて
「コレ/\こちの人、気をしっかりと持たしゃんせ、コレ藤三殿、藤三どのいのう」
「オウイ」
「オヽ嬉しや/\、気がついたか」
「オヽ、大方ついたさうな。ヤレ/\痛かった痛かった。コレやっぱり跡がヒリ/\する。したが嬶よう似合うたか見てたも」と痛さ忘れし出かし顔、元服したる心地なり。新左衛門御前に向ひ「この度の大軍も十に七つ味方の勝ち、こゝに一つの心がゝりは、時姫君御心かけられし、三浦之助が母の閑居絹川村にまします由、敵の地に御座あっては御命のほど危し。御帰りあるやうに、コレ弥五郎にも思慮あるべし」
「オヽサわれ/\御迎ひに参った上、御聞き入れなき時に、すご/\戻らば役目の恥辱、この儀はたゞ幾重にも、女業にてしかるべし。御賢慮なし下され」
と、主従三人眉に皺、評議とり/\なる折から、傍へに控へし百姓藤三。始終を聞いてそろ/\と、御前間近くうづくまり
「申し/\お殿様。たゞいまの御相談、あそこで聞いてをりました。それに付いて私が、思ひ付きがござります」
と、云ふを打消し土肥の弥五郎
「なにをたは言吐き出す、おのれ等が分際で、御評議のことなんど、御前近う無礼千万、すさりをらう」
と睨め付くれば、大将
「しばし」
と声をかけ
「匹夫たりともその志を奪ふべからず。なにかただ今の評議に付き、汝が存する仔細ありとや。ホホしをらしい、なにごとなるぞ。近う寄って物語れ」
と仰せに藤三は手をつかへ
「たゞ今あれにをりまして、ふっと思ひ付きましたがマア申しても見ましょかい。エヽとかくお前様方は、第一お智恵が多いので、御了簡が腹の内でコウ/\/\くんじます。たかゞいまのお姫様が、絹川村のその盆屋に、腰据えてござるのぢゃ、婆一人いる内へ、お前方が仰山に鑓や長刀でござるゆえ、なんのかのと難しい。ヨッテこの私をおやりなさると、向ふにも気が付かず、ところをなんの苦もなうお姫様、トウ引きかたげて戻ります。どうぞこのお使ひを、おさしなされて下され」
と、思ひ切ったる願ひの筋。土肥古郡も詞なく、大将にっこと笑みを含み
「ホヽ出かいた。この使ひ面白い。姫一人取り返すに名ある侍を用ふるは、鶏を裂くに牛の刀、帰り来たらば手討にする時姫。首尾よう汝連れ帰れ。時政が使ひなれば、改めて苗字をくれん。たゞ今より安達藤三郎と名乗り、雑兵組の頭となしソレ物の具させよ」
とありければ、思ひがけなき土民が手柄、蛎のかけ込む、すべたのひん、面目身にぞ余りける。伺候の侍さし心得、着せる具足をとも/\に知らぬながらも嬉しげに、妻も手伝ふ端武者の出で立ち
「サア侍ぢゃ/\、もう怖いことも何もない。申し/\殿様、ホンニお前の前ぢゃが、このマアお姫様は、よっぽどな尻深ぢゃわいな。こっちへお帰りなされても、お手討ちになさるれば、所詮命のないお方、なんとてんぽの皮申して見ましょかい、首尾ようそのお姫様、連れまして戻ったら、イヒヽヽヽヽわたしがアハヽヽヽヽアノ女房に下さりませ」
と、ぼっかり云へば女房おくる
「コレマア/\そりゃなにを云はんすのぢゃ、マめっさうな/\/\、埒もない、申し/\どなた様も必ずお腹を立てゝ下さりますな。ホンニこなさんは/\、コリャ気が違やせぬかいの。あなた方のお姫様、女房にせうとは勿体ない、よう/\いま助かったその命、またひょんなことしだすのかいな」
「エヽ構うな/\構ひをるな。おりゃもうけふから、きっとした/\武士のものゝふぢゃによって今からはおのれのような在所臭ひアノひなた臭い、さうしてアノかび臭ひ焼餅女房は嫌ひぢゃわい、申しどうぞ私に今のお姫様をナ。申し/\」とひた願ひ。時政公打ちうなづき「手討ちにすべき不義の娘。汝にくれるもすなはち成敗。連れ帰りなば心任せ。またこの封釼は寝覚と名付けし秘蔵の一振り。姫これを見知りあれば時政が使ひの印。持参いたせ」
とたび給ひ一間へ入らせ給ふにぞ、両臣礼容厳かに、藤三は封釼懐中し、行かんとするを、女房おくる夫に取り付き
「コレこゝなどう気違ひ、真実そのお姫様を、女房にする心ぢゃの」
「オヽする/\/\するわい」
「工ヽ腹が立つ/\」
「何とするぞい、/\」
「なんとするとは胴慾な、胴慾な/\わいなア、人よりは愚鈍なこなた、子を育てるやうにして、辛抱したこの女房、捨てゝ世間へ立つかいなう」
「オヽ立つ/\、ぐっともうえら立ちに立ってあるわい」
「エヽ腹が立つ/\」
と女房は、しがみ付き振り廻せば
「コリャどうしをるぞい。具足着ているよって、こけるわやい、コレ/\みなの衆、引きずり退けて下され」
と、突き放せば、侍ども、中に隔たり引き立つる、女房はなほ恨み泣き「殿様の御意なれば、この場はぜひなう去ぬるぞや、庄屋殿へも断って、どのやうにする待っていや」と、悋気、炎(ほむら)の、荒涙、また駈け寄るを制する武士、土肥古郡は迎ひの指図、藤三は妻に目もかけず、俄かに作る武士行儀、つひに着なれぬ物の具に、重き足取り妻鳥の、思ひの翼引き別れ、隠れ家、さしてぞ

 

局使者の段

 

急ぎ行く。

時鳥ふるほど鳴けど聞人(ききて)なく、おのがまゝなる在の名は、絹川の村はずれ三浦之助義村が、故郷に残すたらちめの、母は老病ぶら/\と近所、隣の見舞人(みまいど)に、藁屋の軒も賑はヘり
「ヤレ/\御馳走のはったい茶たんと下された」
「マア/\けふはかみ様も、この間にない気の軽さ、めでたうござんす、いま云ふ通り、このおくる女郎は、わしをしるべにたったいま隣へ見えた一人住ひ。これからなにごとによらず、遠慮なう頼ましゃんせ」
「ハテそれが相長屋の相互ひ」
「ハイ/\おらち様のおしゃんすとおり、御病人の御不自由なに、不調法ながらお手伝ひ申しましょ。久しいお煩ひかしてきつい細り、さても/\御難儀様やの、これはわたしが宿茶(やどちゃ)の餅(あも)、なんなと上って早う本復、なされやいの」
と念頃ぶり口先で
「ちょっぽ草津取り寄せました」
と油半分、油けいつか葎生(むぐらおい)、主の母は枕を上げ
「アヽ御親切に忝い、私が息子は主持ち、奉公の身はまゝならず、便り音信も絶えたれど、病気と聞いてしをらしい、この間から来ている嫁のお時、孝行にしてくれますれば、なに不自由もいたしませぬ。長々お世話になった御近所のお衆、なんぼ御馳走申しても飽きがない。おらち様は酒好き一つ上げるとて、嫁が買ひに行きゃりました。マアゆるりと遊んで下さりませ」
「エなんぢゃ酒、ハヽヽヽこれは/\また、わっけもない、云はれぬことをホヽヽヽ、したが酒とあれば御病気の直り口、こんなめでたい折からぢゃに、口祝うて帰りましょかい、ヤレ/\御造作やの/\」
「なんの/\。持病の癪になにやかやが積ってのこの病、どうで本復はいたしませぬ、暇乞ひやら、お礼やら」
「アヽかみ様なんぞいの、このめでたいに、そんなこと云ふものかいの。まだ腰膝の抜ける年ではなし、追付け達者に本復の出立酒、ヤ出立とは御病人にぎえんの悪いこと云うたホヽヽヽ。気にかけて下さんすな、アヽ結構なかみ様、ほんにこの世から仏顔がするわいな。めでたい/\。時にと、酒が来たら墓行きに冷がよかろ。ヤ冷とは差合ひ、焼いてもらを、その間に奥でころりとやらう、ヤレ/\めでたや、なんまみだ/\」
と、べり/\しゃべりの気の毒さ、傍から吹き出す釜の下
「ちょっと、帰って参ぢょえ」
と出でゝ行く。夏野の千草踏み分けて武家の掻取りうづ高き、二人の女房戸口に差し寄り
「誰そ頼まん」
と訪なへど、答なければうちに入り
「三浦之助の母御前はこなさんか」
と云う声に起き直り
「いかにも私三浦が母いづかたより何用あってのお出で」
「さればこなたに北條家の御息女、時姫御前御渡り遊ばさる由、すなはち、われ/\鎌倉の奥を勤める讃岐の局、阿波の局、御迎ひに差し越さる。姫の御座へ御案内、頼み申す」
とありければ、騒ぎもやらず打ちほゝえみ
「ムヽさては鎌倉から時姫の迎ひにお出でか。はる/\のところ御苦労や、お渡し申さうと申したけれど、時姫は三浦が女房、わらはが嫁、暇の状を遣はさぬ間は、めったに鎌倉へは帰しませぬ。たとへお逢ひなされたとて姫も帰りはいたすまい。折角お出でなされたに、茶でも飲んでお帰りなされ」
と横にころりと取りあヘず
「イヤ/\、いか体におっしゃってもお供申して立ち帰る。まづお姫様はいづくにぞ」「アヽイヤいま客があるゆえ時姫は酒買ひに行きました」
「ヤアヽ、さて、興がる御有様、誠にあれ/\向ふからお帰りなさるがお姫様。誰そお迎ひ申しませい」
「アッ」
と駈け出す歩(かち)侍、二人の局は門口の土にひれ伏し
「シイ/\」
と敬ひ

 

米洗いの段

 

請じ奉る。錦閨の花の時姫も、時に連れ添ふ夫ゆえ前垂、たすきかけ徳利、角な豆腐に丸盆のそぐはぬ家来が、長柄の日傘、天鵞絨覆の長刀持、近習小姓四方を守護し、あたりを払って見えにける。
「時姫様へ申し上げます。御父時政公よりのお使ひとして、両局お迎ひに参上」
と述べければ
「ムヽ讃岐の局、阿波の局無事にあったな、度々父上よりお召しあれど、女は夫の家を家とせよと、常々の仰せを守る自らに、いまさら帰れとは父上とも覚えぬ。ことに姑御のお失例御介抱の隙なければ、再び鎌倉へ帰る心はないわいの。そのとほり申し上げて給も、大儀」とばかり愛想なき、仰せのうちより「嫁女、お時」
「アイ/\/\。またお咳がおこったか、煎上りのお薬上ぎょ」
と、詞もいつか下種(げす)なれて、埃まぶれの薬鍋も心の水晶清水焼、撫でつさすりつ姑に、真実あつき宮仕へ。局も詮方顔見合はせ
「讃岐様」
「阿波様」
「なか/\一応で御得心はあるまい。たとへお帰りないとても、われ/\はこのまゝ、お姫様のお側の御用仰せ付けられ下さりませ。中間は勿論、侍たる者御前に叶わぬ。庄屋が方に控へよ」
と下知に
「ハアッ」
と侍中間みなばら/\と立って行く。
「局おぢゃ」
「ハア召しまする」
と手をつけば
「イヤコレニ人とも、このうちにいるならば、館のうちとは詞遣ひも違うぞや、時姫の、お姫様のと云ふまいぞ。お時様どうなされこうなされと、軽う云ふのがこの家の格式、よう覚やったか」
「ハア讃岐様忘れまいぞ、いまからお時様と申せとの御上意」
「ソレ/\/\その御上意がもう悪い、エヽ不調法な」と云ひ教える。姫も斑の染め分けづくし、暖簾押し上げ、おらちが奥から、大あくび「アヽコレ/\嫁御、この酒はマアいつ呑ますのぢゃいの」
「オヽそれ/\お客設けておきながら、ドレ九献あたゝめてお盃を」
と立つを引き止め
「イヤもう焼く間は待たれぬ。マア石で一つ行こぞえ」
と、二つ名のあるてんば嬶、薬茶碗できゅっと呑む
「アレあなたの詞遣ひ、みなよう聞いておきゃ」
「ハア、お下々のお詞は格別、さては、このお家では盃を石と申しますかえ」
「ホンニこれは自らも聞きはじめ」
「アヽこれ/\、こな様はまたしても、自ら/\と水辛や梅干で酒がいけるものかいの、そしてきつう後へ寄ったが、もう夕飯時分ぢゃがしゃりはあるかえ」
「しゃりとはえ」
「オヽしゃりとは/\しんきな子やの。次前があるか、と云ふこといの」
「ムヽ打蒔(うちまき)のことでござんすか」
「いや粽は嫌ひぢゃ。挙固取りはごんせぬか挙固取りは」
「そりゃどんな鳥でござんすえ」
「これはかゝらぬはハヽヽヽ、幸ひこゝにさっきの宿茶、皆一つづゝほうばらんせ/\サア/\飯も汁もちゃっちゃと仕掛けさんせお時様」
「アイ、/\/\」
と立ち給ふ
「アヽ申し。さような事を勿体ない、御膳番は不調法なれど、わたしらに仰せ付けられませ」
「イヤ/\/\大事のお客、そなた衆に云ひ付けては母様への疎略になる。わしがぢきに」
と膳棚の、おむし、すり鉢、こがらしの、風にも当てぬ、育ちにて、絵にさへ見ざる賤の業
「オヽおとましや/\摺子木の持ちやうも知らずに、よう男抱いて寝やしゃるぞ、アヽコレ/\そこな女子衆も後からあふぐ手間で、ソレふちを持ってやらんせ、すり鉢が逃げ歩くわいの/\ドレドレおれが摺らう」
と片肌脱ぎ、一人がら/\口喧しき、隣り姑さからはず、ソレ桶よ、ひしゃくよ、さま/\の名も聞き初めの天人の、降居(おりい)の清水立ち寄って汲めども、なれぬ水仕の手品、返りかねたる釣瓶縄、恋路に思ひ、参らせ候の、筆よりほかに持たぬ手に、どうかしぐやら、しらげの米、心ばかりに果しなき
「ヤレ情なや、それで飯になるものかいの」
「アヽ貧乏世帯、合点がいかぬ」「ドレそんなこっちゃ行かぬ/\、水の汲みやうから教えてやらう、よう見て置かんせ。こう/\こう汲んで、コレこうあけて、ぐる/\/\とこうかき廻して、ソレこう流す、これをかしぐといふわいの、嫁御前合点か、やっしっし、/\しし、やっしっし。茶釜の下をさしくべたり、しし、やっしっし、/\/\/\/\しゝ、豆腐もとうから切ってある。やっしっし、/\、しゝ、やっしっし、/\、/\、/\、/\。さても世話な嫁御寮。これから仕掛けの伝授の段、素人のうちは真中へ杓をこう立てゝ、立ったところが水かげん。ヤレ/\呼ばれて来てほっとりとくたびれた。息つぎに一杯せう。ハア悲しや、たった小半(こなから)かして、もうみなになった、お時さんマア二十がの、マヽこれもおれが買ひに行かずばなるまい。コリャ客ぢゃなうて飛脚ぢゃ」
と徳利片手に、つぶやき行く。後は主従水入らず、かまどの局飯焚姫、香はたけども、燃へかぬる雑木にしんきわくせきと
「また母様のお咳が」
と、片時忘れぬ孝行の心は感じ、入りながら
「阿波様なんと思はしゃんす、あれほど堅まったお姫様、得心づくではお帰りあるまい、お心の迷ひになる三浦の母を刺し殺し、有無なしにお手を取って、お供せうではあるまいか」
「さうぢゃ、/\、思いがけない裏口、サアござんせ」
と庭伝ひ小裙りゝしく忍び行く。
「待ったお局しばらく」
と、声は立派にむさ男、雑兵出立のやくざ鎧、安物作りの一腰かたげ、うっかり立ったは御堂の前の売れ残り見るごとくなり「ヤア下司の身分で推参な、待てと止めたそちが名は」
「オヽ忝くも、安達藤三といって、すなわち当座の出来合ひ侍、北條様よりの御上使」
「なに上使とは、ことおかしい、その方がやうな下郎に」
「サア御上使の証拠はこれ」
と、柄にくゝりし袋物、抜けば輝く印の釼
「ヤアヽ誠にこれは時政公の寝覚と名付けしお守刀、さては割符に遣はされしか。ハアはっ」
とばかり恐れ入って押し下れば、寛々と打ちうなづき
「ホヽウちっとさもあらん、上使の趣余の儀にあらず、時姫を女房にせい、イヤこれはマア後での事、なんぢゃあろとお姫様を取り返しに来たのぢゃ、智謀計略、種々さま/\あれども、こな様方がこゝにいては気が張って仕事が出来ぬ。二人ながら、ちゃっ/\と、去なんせとの御上意」
「イヤ/\なんぼ御上意でも、お主の傍は動かれぬ、われ/\もともに加勢」
「イヤサ無用々々、女童の力を頼む藤三でない、構はずと散った/\」
「そんなら二人は庄屋が方に控へている、必ず仕損じ召さるゝな」
「ハテ気遣ひせまい、しそこなうたら二つとないこの鼻をそいでやるわい。花は三吉野人は武士、ナア局。後に逢はう」
と高慢顔、ぬかった形(なり)も主人の威光、心もとなき上使の役目、二つに別れ

 

三浦別れの段

 

入相過ぎ、されば風雅の歌人は、恋とや聞かん虫の音も、沢の蛙の声々は修羅の巷の戦ひと、身に引きしむる兜の緒、若宮口の戦場より一文字に取って返す、心はさらにおくれねど、もし落人と人や三浦が孝行の、念力通ず母の軒
「嬉しやこゝぞ」
と気の張弓、はじめてがっくり門口に、かっぱと転(まろ)ぶ物音は、胸にこたゆる二世の縁、心時姫走り出で、見紛ふ方なき武者ぶりの
「ヤア三浦様か」
と駈け寄って、抱き起さんも大男
「コレ時姫でござんす」
と云へども正気あら悲しや、詮方なく間もあり合はす幸ひ気付の独参湯、注ぎかけたる薬水の一滴五臓にしみ渡り、むっくと起きて
「母人はいづくに」
「オヽお気が付いたか、なつかしや」
と、鎧にひしとすがり付く
「ムヽ思ひ寄らぬ時姫殿。こゝへはどうして、問ふ間も惜しや母人に、対面せん」
と行くを引き止め
「アヽコレ申し時姫殿とは聞えませぬ。なんぼお嫌ひなされても、わたしはお前の女房ぢゃ、夫のかはりに母様の介抱に来たが、なんの不思議」
「ムヽすりゃこのほどより付き添ひいるか、シテ母人の御機嫌は」
「いま、すやと/\と御寝なって」
「お食はどうぢゃ」
「アイなに差し上げても、いやとおつしゃる、ガけさはやう/\粥の湯を少しばかり」
「ハア聞きしに違はず、それでは御本復覚束ない」
「サアされどもお気の御実証なは、独参とやらの力、薬の験は目のあたり、いまお前のお気の付いたも」「さては母に与ふる薬で精神すゞしくなったるも思はず知らず親の御慈悲、ハア勿体なし、/\。お休みならば、お寝顔なりと拝まん」
と、母もわが身もこれぞこれ一世の別れと思ふにぞ、さすがの勇気も、恩愛の肉身、わけしはら/\と、先立つ涙案内にて、『物音ひゞかば驚き給はん、しづかに、/\』と心しづめて病所の口、立ち寄れば母の声
「嫁女々々」
「オヽ嬉しや、お目が覚めましたか、三浦様のお帰りぞや」
「義村参上仕る」
と、明くる隔てをはたとさし
「ヤレこの障子明けまい/\。そも三浦が帰りしとは、坂本の城へ帰りしか。よもこゝへ来る三浦ではあるまい。必ず麁相な事いふまいぞ。嫁女よふ聞きゃ。夫平六兵衛殿は先君の御家人。後家の身となり幼少の三浦を育てくらす中、宇治様よりたって御所望、『頼家公の近習となし、今より二代の忠臣』とのお詞が有難さに、坂本の城中へ御奉公に参らす時、わらはも倶にとありつれども、『イヤ/\倅三浦は人に勝れて、孝行深き者なれば、母が傍に付きそはゞ、まさかの時に親に引かされ、未練の心付く時は、かへって我子が弓矢の名折』と、此儘故郷に引残り、別るゝ時もくれ/\と、『必ず/\親ありと思ふなよ。母が事は忘れてお主に忠義怠るな。煩ふとも死ぬるともしらせもせぬぞ便もすな』と、言聞かした教訓をよもや忘れふ様がない。それにうかうか戻ってくる。三浦ではない、そりゃ人違ひ、もしまた来たが定なれば、京鎌倉両家分目の大事の軍、戦場に向ひながら、さす敵にうしろを見せる、うろたへた性根ならば、子でないぞ、サ親でない。母は病ひに臥しながら、日ごとに人の取沙汰を、余の名は聞かず、わが子はいかに三浦は手柄したるかと、仏神に祈誓をかけ、おのれやれ、はやう死んで未来の夫に、わが子の自慢せんものと、今際の楽しみ心の嬉しさ。その未練な倅がありさま、なんと夫に話されう。もはやこの世で、顔合はす子は持たぬぞ。この蚊帳のうちは母が城廓、そのおくれた魂で、この城一重、破らるゝならサ破って見よ」
と、百筋千筋の理をこめて、引きかづいたる蚊帳のうち、泣く音よりほか、いらへなし。母の教訓肝に銘じ
「ハヽアその御詞忘れねばこそ、故郷を出でゝ今日まで、一度便りもいたさねども、御命も危しとの、噂を聞くに胸せまり、今生で御無事な御顔を、たった一目拝みたさに、眼くらんで侍の、道を忘れし不調法、御病気のお気をもます、不孝を御免下されかし。いで戦場へかけ向ひ、華々しき高名して、追っ付け凱陣仕らん、その時めでたく御対面、お暇申す」
と立ち出づる。時姫あはて抱きとめ
「コレのう、待って下さんせ。せっかく顔見た甲斐もなう、もう別るゝとは曲もない、親に背いて焦れた殿御、夫婦の固めないうちはモどうやらつんと心が済まぬ、短い夏の一夜さに、忠義の欠くることもあるまい、これほどまでに付き慕ふわたしが心、思ひやってくれもせで、心強や」
と緋縅にうら紫の色深き
「ホヽウ切なる心は察したれども、出陣は延ばされず、夫婦となるは、凱陣の後しばしの間と相待たれよ」
「イエ/\それでも」
「ハテ聞きわけなし放されよ」
と振り切り/\駈け出すを、また抱き止めて
「三浦様。追っ付け凱陣とは偽り、お前は今宵討死に、行かしゃんすのであらうがな」
と、云ふ声
「高し」
と口に手を、覆へど止まらぬ涙声
「イヤ/\/\、これが泣かずにいられうか。討死の門出には、忍びの緒を切ると聞く、ことさら兜に名香の、薫るは兼ねてのお物語、思ひ切った最期のお覚悟、わたしもお前に連れ添ふからは、何の未練に止めやせぬ/\、なぜ、あからさまに打明けて、『この世の縁はこれ限り、未来で夫婦になってやろ』と、一言云うては下さんせぬ、やっぱり敵の娘ぢゃと疑うてかいの聞えませぬ、父上のことは打忘れ、日本国に親といふは、奥にござる母様より、ほかにはないと思うているに、あんまり気づよい三浦様、お前を先立て、後にのめのめ生きている、時姫ぢゃと、思うてかいの」
と身をふるはし、つもり/\し憂さ辛さ、鎧の膝に夕立の涙汲み出すごとくなり。
「ホヽウよい推量、いかほど親切を尽しても、三浦が疑ひは晴れぬわやい」
「アノまだわたしに疑ひが」
「オヽ晴れぬ仔細云ひ聞かせん、ガ、それも益なしもうさらば」
「イエ/\待たしゃんせ」
「イヤサ放せ」
「イヤのう、コレ長う止めはせぬわいのう、どのやうに思うても、あの、おやつれなされよう、もう母様はけふあすのお命、なんぼ潔うおっしゃっても、討死と聞き給はゞ、お歎きが思ひやらるる、今宵一夜は夜伽遊ばし、同じことなら御臨終の後で死んで下さんせ」
と、云ふも泣く/\義村も
「父母に受けたる身体膚腑(はっぷ)、死目に逢はで別るゝか」
と行きつ、戻りつとつ置いつ、またもや咳の声すれば
「これこそ声の聞き納め」}
と、思へば弱る、うしろ髪
「せめて暫しはよそながら、万分の一の恩報じ、御薬なりとも温めん」
と、心のうちに繰る数珠の、涙忍びの自ら、短夜

 

高綱物語の段

 

すでに更け渡る、丑三つ告ぐる、夜嵐の闇を窺ひ立ち戻る二人の局、めい/\一腰脇ばさみ見やる傍の薄原、井筒の側に鍵縄引きかけ下より伝ひ駈け上るは
「ヤア富田の六郎殿」
「シイ高い/\、姫を奪ひ返すこと藤三めに仰せ付けられたれど、心もとなく横目の使ひ時政公の御指図、兼ねて覚えし忍びの術、小松道より半丁ばかり、この井筒まで切り抜かせ、忍び入ったる術の手つがひ、三浦がこゝに来りしは鰯網で鯨の大功、御身達は宿はづれの出口々々に番を付け、姫の安否を相待たれよ」
「合点々々」
とうなづき合ふ。うしろに立ち聞く隣のおくる
「人こそ来れなに者」
と咎むるうちにも透さぬ身構ヘ
「アヽ聊爾なされな、お味方の者」
「ムヽ味方とは傍輩の女中か。お末か名はなんと」
「アヽイヤ私はけふの役目を蒙むる、安達藤三が女房、夫に力を付けんため、とくよりこゝへ忍びの女、勝手覚えし裏口四方、御案内申しましょ」
「ウム/\/\アハヽヽヽ出かいた/\最究竟、コレ/\局、われに任して、かう/\」
と云ふも、ひそ/\別るゝ局、おくるが案内(あない)に富田の六郎、裏口さして忍び入る。かくとしら歯を、染め兼ぬる思ひに、迷ふ時も時姫に見入った藤三郎、尻付小馬の細目して
「お姫様、なんとその守り刀、慥かな証拠でござりませうがな、それを印に北條様からお迎ひに来た藤三郎、サヽヽナアござりませ」
と手を取れば振り放し
「三浦之助義村が妻の時姫、たとへ父上でも敵味方、敵の家へなんの帰らう。迎ひの人もあるべきに、名も知らぬ新参者、返事に及ばぬ帰れ/\」
「アヽ申し、そりゃ悪い思ひ付きぢゃぞえ、鎌倉方の御評定には、坂本の城は追っ付け落る、お前の大切に思はしゃます三浦殿は、けふあすのうち首がヤころり、その手筈ちゃんとしてあるげな。なんぼ可愛がらしゃっても、首のない男に心中立つるは後の月の富の札を買ふやうなものぢゃぞえ、そんな危いものより、男に持って何不足のない藤三郎、『時姫を取り返して戻ったらば、その褒美には汝が女房に遣はす間、心のまゝに抱いて寝て楽しむべし』との御上意、父御にきっと約束して来たからは、殿御といふはコレこの藤三、お前への心中に、顔に入黒子して来たわいな、イヤまた美しいものでもある、いやでも応でもかたげて退く、サア/\サヽヽヽヽお出で」
と付きまとふ。
「寄るな/\推参者、主人に対して慮外の科、時姫が手討にするぞ」
「エヽイ、さてはお前は首のない男が好きぢゃな、いかに下が肝心ぢゃとて、胴ばかりを抱いて寝よとは、胴慾な御心底、御免々々」
と云はせも立てず、隠せし刃に
「わっ」
とばかり、頭かゝへて逃げて行く。時姫せきくる涙ながら、父の印の封釼を打守り/\
「エヽ聞えぬ父上、この刀を給はりしは、三浦様と縁切る印に母様を、殺して帰れとある難題は、刃の色に顕はれて、胸を切り裂く御賜物、もっとも親の赦さぬ夫、思ひ染めた不義の科お憎しみあるならば、お手討ちに遊ばすとも恨みとは存じませぬ。夫を捨てゝ帰れとは、お情に似て情ない。いたづら者の成敗に、あの下種下郎の妻となし、世上へ恥を見せしめとは、余りにむごい御仕置。『とても繋る縁ぢゃもの、夫と一緒に自害せい』と、おっしゃって下さらば、それこそ誠の親の慈悲、恨めしい父上様、あすを限りの夫の命、疑はれても添はれいでも、思ひ極めた夫は一人、あの世の縁を三浦様、必ずやいの」
とばかりにて、すでに自害と三浦之助、しっかと押へ
「ヤレ早まるまい。只今の一言にて、日頃の疑ひ晴れたるぞ。すりゃ真実親とても夫には見かへぬな、ホヽウ神妙々々、コレ時姫、いま死ぬる命を存へ、三浦が最期を見届けた上、夫の敵討つ気はないか」
「ムヽ敵を討てとは、そりゃ誰を」
「ホヽウ他までもなし、鎌倉の大将、北條時政」
「エヽイ」
「ホヽウ驚くは理り、真、三浦が女房ならば、夫が頼む一大事、サ違背はあらじ、去年来、佐々木高綱、時節を考へ付け狙へども、なか/\討つことあたはざる、武運強き北條殿、佐々木が力に叶はねば、この討人(うちて)は日本に、御身ならでほかになし。迎ひの来るは究竟の時姫、招きに応じて立帰り、父に近付き、油断を見て一刀、すぐにその太刀わが咽に、刺し貫ぬいて自害せばこれ、親を討つにあらず、時あって親子主従、刺し違ゆるも武門の常、頼むといふは、これ一つ、得心なれば未来は愚か、五百生まで誠の夫婦、ガいやなれば、この座ぎり、親に付くか、夫に付くか、落ち付く道はたった二つ、サヽヽヽヽ返答いかに、思案いかに」
とせりかけられ、どちらが重い軽いとも恩と、恋との義理詰めに、詞は涙もろともに
「思ひ切って討ちませう。北條時政討って見せう。父様赦して下さりませ」
と、わっと叫べば
「オヽ出かされたり、あっぱれ」
と、天にも上る勇みの顔色。思ひがけなき木蔭より、窺ふおくるつっと出で
「聞く人なしと思ふは不覚。最前よりの一大事、残らず聞いた時姫殿、覚悟めされ」
と云ひ捨てゝ、行くをすかさず三浦之助、小腕(こがひな)取って引っ敷けば
「コレ/\/\六郎様、こゝ構はずとたくみの次第を、北條様へ御注進」
心得こなたに富田の六郎、井筒のもとに寄るかと見えしが下より突き出す鑓先に、虚空を掴んで息絶えたり。三浦之助声をかけ
「かねて申し合せし計略、今日ただいま調(とな)ふたり、佐々木四郎左衛門高綱殿、いざこなたヘ」
と請ずれば、井戸よりぬっと藤三郎、初めに変る優美の眼中、おくるもしさって色代(しきたい)に、千万人に勝れたる威風備はり見えにける。真中にどっかと坐し
「時姫の不審もっとも、あれにいるおくるが夫藤三と云っしは、面体われに見まがふばかり似たるを幸ひ、価をくれて命を買ひ取り、去年石山の陣にて、北條家を欺きし、佐々木が贋首こそかの藤三郎、僅かの恩に不憫の最期、女が心思ひやる、龍は時を得て大地に蟠る、時を失へば守宮(いもり)、蚯蚓と身を潜む。わが君のために軍慮を廻らし、肺肝を砕くといへども、頼家公の武運拙さ、なすことすること一つも成らず、この度の合戦は坂本の城滅亡の時、天より亡す主人の運命、チエヽ無念の鬱憤止むことなく、もはや計略の術尽き果てたる詮のつまり、百計の中のたった一計、おくるにとくと申し含め、死したる藤三が名を借って、産(うぶ)の土民に拵(こしら)へすまし、指にも足らぬ端武者どもに、安々と生け捕られ、時政の前に引き出されしは地獄の上の一足飛び、いまだ天道捨て給はざる印にや、さしも明察の北條殿『匹夫下郎に相違あらじ』と、コレこの面に入墨を刺されし時のその嬉しさ、ムハヽヽヽヽこの印ある時は、白昼に往来するとも、佐々木と咎むる者もなし、わが命だにあるならば時節を待って再び京都の旗下に、飜ヘさんと心の笑み、折節姫を迎ひの使者、云ひ付けられしはハアこれ幸ひ、百万の大軍より、討取りがたき一人を、討つ謀は姫にありと、密かに三浦へ内通し、しめし合せし計略はづれず、姫の心底極まる上は大願成就時来れり。ハヽ、ハヽ、ハヽハヽヽ嬉しゝ/\、喜ばし」
と、勇める面色威あって猛く実(げ)に、名にしあふ坂本の惣大将とたぐひなき。おくるも末座に顔を上げ
「わたしが夫は水呑百姓、かつ/\のすぎわいさへ、長の病気の貧苦の中、不相応な御恩のお貢、金銀に命は売らねど、夫も元は侍の端くれ、生れ付いて臆病で弓引くことも叶はぬ非力、わが身を悔むこの年頃、誰あらう佐々木様に面ざし似たが仕合せで『討死の数に入るは一生の本望』と、にこ/\笑うて行かれた顔。いま見るやうに思はれて、あなたのお顔を見るにつけ、思ひ出されて懐しうござりまする」
と云ひさして、ひれ伏す畳の目に涙、人の歎きも身にこたへ
「いづれを見ても義理ゆえに死なねばならぬ定りか、開く御運が定ならば討死を、思ひ止まって給べ、三浦様」
と、くどき欺けば
「愚か/\、生は難く死は易し、生き残って大事を計るには、佐々木殿ほどの、器量なくては思ひも寄らず三浦などが及ぶべきか、一旦思ひ極めし討死、再び返さぬ姿を見よ」と、上帯高紐引きほどき、明くる鎧の引合せ、肌着は染むる紅に雪をくま取る数ケ所の矢疵。姫は悲しさやる方なく
「討死の気は付きながら弓矢の家に生れし身が、これほどの手を負ひ給ふと、知らぬ女の浅ましさ」
と、すがるを払ひ
「コレ/\おくる、奥へ参って母人の介抱頼む、早く/\」
「イヤノウ佐々木殿、若宮口の合戦事急に及び必死の戦場、切り死にと極めしところに貴殿より火急の早打ち、この謀の成就を見届けずして死ぬるは不忠、一つには母に今一度、忠孝二つに命を延べ、血汐を隠す着替への鎧、故郷に帰る心の錦、とは知らずして敵方に、うしろを見せしと嘲られんこと、末代までの武門の疵、チエ思へば無念口惜しゝ。この上の願ひには、これよりまたも若宮の森に向ひ、一身五体、ずた/\になるまで切って斬り死に。謀の先途を見ず、相果つるも武士の意地、まっぴら御免下さるべし」と、思ひ込んだるはら/\涙「ホヽウもっとも至極、高綱も心底推察仕る。エエ惜しむらくはいま少し、この謀早かりせば、あったら勇士をやみ/\と、討死はさせまいもの。残念さよさりながら、犬死とばし思はれな。京都の武士に時政の、真実面体見覚しは御辺一人、三浦が首を討ち取って実検に入れるならば、いよいよわれに心を赦し、近寄る術の一つならん。時には御辺の首を以て、敵の大将討ち取れば、最期の大功忠義の第一、われは元より敵に入り、心は佐々木、面はこのまゝ藤三郎。三浦が首は安達藤三が討ち取るぞ」
「ハ、ハ、ハ、ハヽヽヽヽア忝し悦ばしや。最期の本望この上なし、冥途で再会々々」
と、互ににっこと顔見合はせ、笑ふぞ武士の、涙なる。涙の中に時姫は心を定め
「オウオそれよ。親を捨て命を捨て、主に従ふは弓取の道。夫に従ふは女の操、不孝の罰の当らば当れ、夫ゆえには幾奈落の、責苦を受くとも厭ふまじ。父の陣所に立帰り、仕おほせてお目にかけう。一念通るか通らぬか、女の切先試みん」
と、縁の鉢石心の目当、突き出す鑓を障子越ししっかと取って
「オヽ念力見えた。まっこのとはり仕おほせよ」
と脇つぼぐっと貫いたり。
「ノゥ母様か勿体なや、コハなにゆえ」
と三浦が驚き、おくるもあはて立っついつ
「血止よ気つけ」
と立ち騒ぐ。
「アヽなに驚くことがある。定業極まった死病。人参の精力で、死に兼ぬるこの母が、苦痛を助ける止めの鑓、女でこそあれ侍の母、畳の上の病死せうより、わが子とともに討死と思へば、この切先は名医の鍼、ノウ嫁女、これが勿体なうては、仕おほせること心もとない。生みの親御をふり捨てゝ、何の恩もない姑を、誠の母とこのほどの起き臥し介抱心遣ひ、親切とも過分とも、どうも礼の云ひやうがなさ、こなたに功が立てさしたさ、三浦が母を仕止めたれば、生みの父北條殿へ、孝行の一つは立つ。またこの母への返礼には、このとほりの功を立てゝ下され。親を忘れて義を立つる、手本の鑓先。ヲヽあっぱれ手のうち、健気の働き出かした嫁女、出かしゃった三浦之助。十人にも百人にも、またとあるまい忠臣を、子に持って死ぬるおれは仕合せ者果報者。とても果報のあることなら女夫この世で末永う、孫悦ぶを冥途から、見るなら何ぼう嬉しかろ。御運開くる時あらば三ケ国四ケ国の、主となしても惜しからぬ若武者を、このまゝむざ/\戦場の、土となすか」
と手を取って見交す顔に義村も
「三歳五歳のその昔御膝に抱かれし、乳房の恵みに人となり、恩を報ずる間もなく、お傍を離れて幾年月、御懐しさはいかばかり、たゞいま母の胎内に立ち帰ったる心地ぞ」
と、膝にひっしと抱き付き大声上げて男泣き
「敵の娘と思し召し御憎しみを引き換へて、重ね重ねのお慈悲心、御恩をいかで忘るべき、せめて半年添ひもせで思へば短い親子の縁」
「コレのう長い別れぢゃないわいの、最期所は変るとも、わが子も嫁も、あすは一緒に死出の露、蓮の台(うてな)で祝言の、酌人はこの母、嫁入りの輿を未来で、待っているわいの。コレ/\必ず早う」
「ハヽア追っ付け後から参ります」
と、三人顔を見合せて一度に
「わっ」
と叫び泣き、これぞ、この世の名残りなる。佐々木も悲歎にくれ居しが、四方をきっと打眺め
「すでに四更も過ぎたれば、東の陽気はこれ鶏鳴、南北西に人気立つは、ハレあやしや東国の軍勢、坂本の城間近く寄すると覚えたり。歎きをとどめ出陣の用意あれ」と云ひ渡し、庭の井筒をしっかと踏まへ、古木の松が枝むさゝびの木伝ふごとくかけ上り「寄せたり、/\、東は志賀越、辛崎口、伊達の一党奥州勢、勢田ケ崎まで満ち/\たり、南は横川(よかは)、比良の口、大将の旗真先に坂本さしてひた寄せに、北は丹波路、亀山街道、西は京道、淀、八幡みな人ならぬところもなし。日本一度に寄するとも、恐るゝ敵は只一人、勝負の一挙はあすにあり。ヤア/\三浦、たとへ心は剛なりとも、深手に弱り働き得じ、後詰めの副将城中より、加勢を乞はんはいかに/\」
「コハ佐々木殿とも覚えぬ一言、必死と定むる三浦之助、かほどの手疵をなに屈託」
「ホウ/\/\ホヽヽヽヽ万夫不当の大丈夫はや打ち立たん」
と高綱が、励ます勇声、せき立つ若武者。
「暫くのう」
と時姫が、とゞむる鎧、振り切る振袖
「これのう、いまが御臨終」
名残りに一目と云ふ声に思はず後へ振り返る、縁の切れ目は蘭奢の薫、無常の声や鬨の声、後に見捨てて出て行く。




 

 

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