(TOP) (戻る)
「本朝廿四孝・勘助住家(筍掘り)」床本
景勝下駄の段
ゆゝしけれ。秋の末より信濃路は、野山も家も降り埋む、雪の中なる白髪の雪、女ながらも故あつて、男のすなる名を名乗る、山本勘助と人ごとに、岩間の水の音絶えて、木の葉の谺(こだま)二つ三つ、年もいたい気稚児を、すかすお種が手枕に、ねんねが守はどこへ往た、山の薪をえいさつさ、
「さらばこゝらで一休み。お種女郎、冷えますの」
「オヽ正五郎様、戸助様。吹雪で外は歩かれまい、お茶も沸いてござんす」
「イヤ/\構ふまい。子持は手が放されぬ、慈悲蔵殿は留守か。今日も今日と寄り合ふとあの人の噂、お袋への孝行は申すも愚か兄への親切。ほんの子は次にして、兄貴の息子のその次郎吉を大切にしらるゝ女夫の衆の心意気。名も慈悲蔵といふが尤も」
「サレバイノ、それにまた兄の横蔵殿、兄弟とてあの様にも違ふものか。親への不孝さ、弟への酷さ。親兄弟にさへあれぢやもの、村中で持て余すが尤も。外を家と出歩いて隣辺りへたゞれ込み、人の娘、下女、婢、当たり合ひに孕まし、そのおこもりのあの小倅も、親に似た子の鬼子であろ」
と、口はさがなき山道を、ゆがまぬ武士の梓弓、胸の袋に押し包み、孝を外さぬ慈悲蔵が、猟漁(かりすなどり)も母のため、流れに添ふて立ち帰る。
「オヽ孝行者お帰りか。仏性な慈悲蔵殿、殺生に出られたもお袋への養ひか。それ程にさつしやつても気に入らぬあの婆様は、さりとはきつと片意地者」
「アヽコレ/\勿体ない事言ふて下さんな。例へ身を粉に砕いても、胎内にあるから今日までの親の苦労、比べて見れば百分一。あの鳩部屋の鳥でさへ、鳩に三枝(さんし)の礼ありとて諸鳥に勝れて孝行な鳥。どこからともなうこの家の軒に集つて来たるも、慈悲蔵が心少しは通じ類を以て集つたかと、思ふて嬉しう思ひます」
「成程、それはこちとらもさる書物で見て置いた。烏は親の養ひを、育(はぐく)み返すといふ本文。俺が毎晩女房に孝行にする心が通じて、烏がかあ/\嚊の顔、去んで見やう」
と出でて行く。
「母老人は最前からまだお休みなされてか。炬燵でお風邪ひかしますな。お目の覚めぬその内にお肴料理して上げん。次郎吉も寝入つたか」
「ハイ、この子が機嫌よう育つにつけても気にかゝるは峰松が事。ほんに兄御の横蔵さん、いかにわが子でないとて捨てゝしまへと無理ばつかり。お前が外に出やしやんすと、私を女房にせうの何のと辛い悲しい事聞くも、お前の孝行立てるためと辛抱するにもしられぬは、真実な子を胴慾な他所へやつたと言はしやんすが、マアその先は何国の誰」
「ハテ、それを問ふがもう未練。気遣ひしやんな。この貧家に置かうより、乳母に乳母を付ける結構な内へ養子にやつた彼奴はきつい果報者。もう思ひ出さずと、とんと捨てたと思ふてゐや。病煩ひといふ事もある。万一先で死んだら無い昔ぢやと諦めて、俺やゐる気ぢや」
と言ひながら、『犬狼の餌食ともなりはせぬか』と子を思ふ、心は一つ一間の内、そつと窺ひ、
「これはさて、寝入つてござるかと思へば裏へ出て御気丈千万。お炬燵に火もあるか、追付け御膳の用意もしや」
と片時忘れぬ孝心は、またと類は嵐吹く、音も吹雪に高足駄、踏み分け尋ね来る人は長尾三郎景勝、『万卒は求め易く、一将は得難し』と、この隠れ家の弓取を、慕ひて一人門の口。二重の腰の白妙に、枝もたわゝの雪折竹、杖とわが子に助けられ庭に佇む老女の風情。
「申し/\、この大雪にさりとては冷えまする。蒲団の上にござつてさへ御老体の身の上、平にあれへ」
と取る手を払ひ、
「七十に余つて愚鈍にはなつたれど、子供に物は教へられぬ。全て親に仕へるに、起き臥しの介抱は誰もする。何事によらず親の心に背かぬ様にするのが誠の孝行。寝てばかりゐるも気詰りさに、雪の景色も見やうと思ふ母が心を妨げるは、何と不孝であるまいか」
「ハヽア、一々誤り奉る。その段には心つかず、お年寄られて一日々々御気力の落ちるが悲しく、今日も漁に出て元気を養ふ谷川の、ます/\お達者なる様と志の捧げ物、賞翫(しょうかん)なされ下されかし」
「イヤ/\、物の命を取りそれが何の養ひ。真実親の養ひなら、遠い山川の珍物よりつい裏にある竹薮の筍を掘つて来い」
「ハア、それは御意ではござれども、この寒の中に筍が」
「サア、ある物を取つて来るは子供でもする事。ない物を取り寄するが本の孝行。かう言はゞ母が難題言ひ付けると思はうが、この位の難題に困る様な器量では、智者と呼ばれて人に知らるゝ弓取にはなられぬぞよ。妾が夫は天が下に聞こえし軍師。一生主人を取らず、過ぎ去られた忘れ形見、兄弟の子が器量を見定めるまでは、女ながらも夫の名を付け山本勘助と名乗るこの母。二人の内に勘助といふ名を譲り、父の軍法奥儀の巻を伝へうとは思へども、それではなか/\勘助にはなられぬ」
「サア、その名跡(みょうせき)を受けたさに、心を尽くすこの慈悲蔵」
「ソレ/\、その名が欲しさに孝行を尽くすは真実の孝ではない。上皮の偽り表裏」「コレ/\それはお情ない。苗氏を望むも出世して、母人の悦び顔拝見たいばつかり。兄者人の心入と一つに思し下さるゝは、余りつれなき御心」
と、雪に喰ひ付き落涙に、老母はなほも腹立ち声、
「コリヤ何ぼ利口に言ひ廻しても、この年月膝元を離れ他国してゐて、今日この頃俄かの親切、これが偽りといふ証拠。己が心にひき比べ、兄を不孝と言ひなす悪心。思へば見るも忌はし」
と、杖振り上げて打たんとす、老の力みに踏み挫く駒下駄飛んでよろめく足、
「コハ危なや」
と抱き止むれば、
「イヤ/\、汝が世話は受けぬわい。そこ退きをれ」
と親と子の、心合はざる片足(かたし)の下駄、景勝すかさず拾ひ取り、
「御召物これに候」
と、老女が前に押し直し、しさつて頭を下げらるゝ。母つくづくと打ち守り、
「人品骨柄、只人とも見えぬお侍。賤しい婆に履物を直されしは、黄石公に沓(くつ)を与へし張良が面影。ハテ奥床しき御方や。お近付きにもなつてとくとお礼も申したい。コリヤ慈悲蔵、其方に用はない、立つて行け」
「ハア、はつ」
と、何か子細はありそ海、母の心を量り兼ね、是非なく奥に入りにける。
「いざ此方へ」
と請ずれば、辞する色なく座に直り、
「御推量少しも違はず。黄石公に劣らぬ軍者、山本氏の御子息を召し抱へて一方の大将と頼まんため、身不肖なれども越後の城主、長尾謙信が嫡子三郎景勝、これまで参上仕る」
と、礼儀正しく述べらるれば。
「さてこそ/\、始めより自然と備はる御眼差し。シテお望みなさるゝは兄弟の中、兄か弟か」
「イヤ、景勝が望むところは惣領の横蔵」
「ハテナ、最前より御覧の通り、孝行な弟慈悲蔵を差し置き、不孝な兄の横蔵を御家来になされうとおつしやるお前のお心は」
「イヤ、そりや其方に覚えある事。諏訪明神の社内にて、面体恰好とつくりと見届けおいた横蔵。是非に身共が所望致す」
「ムヽ、左様おつしやれば思ひ当たる。よく/\思し召せばこそ、大名のお手づから、嫌と言はさぬこの婆に、下駄を預け給ひしは、天晴れ利(さと)き殿ぞかし。兄は只今他行なれど、この母が成替つて御家来に差し上げう」
「過分々々。その箱これへ」
と取り寄せて、
「いかに老女。主従となるからは一命を捨てゝも忠義を励む武士の慣ひ、言ふに及ばず。この方とても一身を任すといふ固めの一品受け取られよ。もし違変あらば身の上たるべし」
「御念に及ばず。その時は母が首差し上げるか」
「家来にするか」
「二つの安否」
「後程」
「後程」
「老女、さらば」と詞詰め、威風鋭き北国武士、越後縮みの物慣れて、引けぬその場の信濃路や、別れて
勘助住家の段
こそは帰らるゝ。木曽山木立荒くれて、無法無轍をしにせにて名も横蔵の筋違道(すじかいみち)、草鞋(わらんず)の紐降り埋む餌竿(えさお)担げて門口より。
「母者人、今戻りました」
と声に老母がほや/\顔、
「オヽ兄、待ち兼ねました。この間は何処へ行てゐやつた」
「ハテこなわろは。俺が足で俺が歩くに何処へなと飛び次第ぢや。飛びついでに戻りがけ、小鳥十羽程捕らうと思ふて、顔も足も切れる様な」
「オヽ道理々々。サヽちやつと上りや/\」
と草鞋の紐、手づから母の慈悲蔵も、足の湯を取り機嫌取る、
「兄者人、お足洗ひましよ」
「アヽコリヤ/\、孝行な兄が体に不孝な弟が手をさへるは穢はしい。ドレ/\母が洗ふてやりましよ」
と、一人に辛く一人には甘い女子の鼻の先、泥臑(どろずね)突き付け、
「エヽ若い女子の手の触るはよい物ぢやが、乾物(かんぶつ)の様な母者の手で情の罪科ぢや。いかさま俺は孝行者、この小鳥も晩の夜食にこなさんに食はすのぢやない、焼いて貰ふて俺が食ふ気。とかく俺が口さへ養へばこなさんの気が休まる。ノウ母者人」
「オヽさうとも/\、アノマア孝行な事わいのホヽヽヽ。サア/\炬燵に火もして置いた」
「ムヽ、こなさんが今まで当たつてゐて何の恩に着せること。エヽドレ/\、こりやぬるい水炬燵ぢや」
「イヤ/\あんまりきつい火は上(のぼ)つて悪い」
「それがたはけといふ物。もう此方も追付け火屋へ行く体、稽古のためにきつい火にも当たつて置かしやれ。サア、足揉んで下あれ」
と、踏み出す両臑慈悲蔵見兼ね、
「ドレ私が」
と立ち寄れば、
「また差し出るか小癪者。兄や、かうか/\」
と撫でさする、ほんそ息子のくはびら足。
「アヽとてもなら美しいお種が揉んでくれりやよいにな。ハア貴様子守か、峰松はどうした」「ハイ、お指図の通り一昨日主がどこへやら」「エヽ捨てヽしまふたか。ムヽよい事/\。一体俺や貴様に惚れてゐる。時に幸ひと嚊(かか)のそげ奴はてこねてしまふ。跡に残つた小倅のその次郎吉、邪魔な餓鬼め締め殺さうかと思ふたれど、味なもので子といふ物は親よりちつと可愛いもんぢや。また大きうなつたら俺に似て孝行にもしをろかと思ふて貴様に育てさすからは、ノウ慈悲蔵、畢竟(ひっきょう)わが身と相合(あいあい)の子、とてもの事に女房も相合にする合点。コリヤお種、顔振らずとウンと言や/\。それを嫌と言ふと慈悲蔵が大事がるこの母者に当たるぞよ。しか/\と揉ましやれ。エヽまだ火がぬるい」
と、恋の意趣を炬燵に当たる非道者、持て余してぞ見えにける。折節表に先走り、
「山本勘助殿に用事あつて大僧正武田信玄、参上なり」
と案内に、思ひがけなき夫婦が不審、『子細あらん』と横蔵が、起きも直らず空寝入(そらねいり)。
「テさて、思ひ寄らぬ大身(たいしん)のお入り、卒爾(そつじ)には母も逢はれまい。慈悲蔵、もてなせ。コレ横蔵々々、是はしたり、何やら言ひ/\寝入つたさうな。風邪引きやんな」
と一間の障子、引立て窺ふ表より。匂ふ留木(とめき)の高坂が、妻と知らせてうづ高き、雪の懐稚児(おさなご)を抱いて幾重の柴の庵。家来は先へと追ひ返し、行儀正しく打ち通る。いぶかしながら手を付いて、
「信玄公の御入と思ひの外なる女中の御名は」
「オヽ成程、御不審尤も。偽りならぬ信玄公のコレこの寝顔に対面なされ」と、言ふに女房立ち寄つて、「ヤア峰松か、戻つたか」
と飛び立つばかりの胸押し鎮め。
「これは/\御苦労様や。そんならアノ峰を貰ふて下さりましたはお前様でござりますか。いかいお世話様に」
「アヽコレ、コレ、必ず麁相言ふまいぞ。甲斐国へ養ふからは最早一国の世継、即ち今日(こんにち)の信玄公。孝心深き慈悲蔵殿、殊に軍術の達人と聞き及び師範ともお頼みなされん為わざ/\。見やしやんせ、コレ愛らしいこの信玄が抱へに来た。お受け申されてよからう」
と、恩をかけたる名将の、情は肝にこたゆれど、とぼたけ顔で、
「アヽイヤ申し、私はこの在所の山賤、鋤鍬(すきくわ)の外何にも存ぜぬ者を、軍術の師範なぞとは勿体ない事おつしやります」
「アヽコレ/\こちの人、お前の器量を聞き及んでとあるからは、きつい誉(ほまれ)な事ぢやぞえ」
「さればいやい。軍法奥儀も譲り請け、誠山本勘助になつたれば抱へられまい物でもなけれど、未だ姓も変へぬ中に軍術の大将のと、そりやモウ山の芋を蒲焼にする様なもの。名さへ慈悲蔵とて虫さへ得踏み殺さぬ者が、軍事(いくさごと)とは恐ろしや/\」
と、取つても付かぬ顔付きに、唐織『はつ』と胸迫り、
「不調法な女子の使ひ、お気に入らいでおつしやるのか。どうあつても味方に付いて貰はねばならぬといふその訳は、桔梗原にこの捨子、山本氏とある書付を印に拾ひ取りは取つたれど、肝心の乳に呑み付かず、なんぼ抱いて突付けても『あつち/\』と指ざして泣いてばつかり。この大将に兵糧がなければ命も危し。その兵糧を続ける謀(はかりこと)は慈悲蔵殿、お前の心にありさうな事。甲斐国へ味方について夫婦して守り育てうと思ふ心はござんせぬか。コノマアちつとの間に、どこもかも細つた事を見やしやんせ。道理でもあり真実の、母御の懐を離れて他人の手に何の育たう。夜は得寝ず昼はうつ/\泣き寝入りに、寝た顔のいぢらしさ。ほんに見る目が悲しい」
と語る中より女房が、
「オヽ可愛や/\、さうでござんせう」
と『わつ』と泣き出す母親の、声に目覚まししがみ付き、縋る乳房は一人にてこの手柏の二面(ふたおもて)、儘ならぬこそ恨みなれ。一間に母の声高く、
「コリヤ/\慈悲蔵、子を餌(えば)にして味方に付けんと後汚ない信玄に奉公しては武士が立つまいぞよ。それとも又、軍法奥義も伝はらず、家の名跡を継ぐ気がなくばナコリヤ、勝手次第」
と没義道(もぎどう)に、言ひ捨て障子はたと鎖し。
「ハア、ハツ」
と立ち上がり、我が子を取つて引き放し、
「須弥山滄海の大恩を受くればとて母の恩にはいつかな/\。信玄に仕ゆる事存じも寄らず。変改(へんがい)申す。コリヤ女房、一旦捨てたこの倅に見苦しい何吠える。縁に引かれて知行取つては末代までの名折れ。親子の縁をさつぱりと切つてしまへば信玄に恩もなく又義理もなし。これこの竹も、その本は竹に雀と離れぬ中、今餌刺(えさし)竿となる時は鳥の為には怨敵(あだがたき)。事によつたら親子兄弟敵味方となるも武士道。お返事はこの通り。稚児連れて早帰られよ」
と、詞鋭(するど)に言ひ放す。
「ハア、この上は力なし。とは言へ帰つて御主人や夫に何と」
詞さへ、泣く/\抱き立ち出づる。
「コレノウ峰松、一世の別れ。せめてマアこの乳が一口呑ましたい」
と、慕ふ女房引き退けて、枝折戸ぴつしやり表にも、心は残る雪中へ頑是涙の子を抱き下ろし。襠の下ぐくり括り添へたる後紐、垣に結ぶは義理の綱、神や捨て置く竹の子笠、いたいけつむりにうち着せて。
「山本の氏を継ぐ慈悲蔵殿を軍術の師と頼まんとこれまで来給ふ信玄公。どうも此儘では帰られず、是非とも味方に付くと言ふ一言を聞くまでは、この信玄は其許の門口を立ち去らず。雪に凍えて死すまでも、こゝに座を占め返事を待つ。大将の命助けうと殺さうと御思案次第、よい返答を頼み入る」
と、垂絹(しづ)を掛けたる雪の笠、思ひを残し捨てゝ行く。
「ヤアそんなら坊はまだ去なぬか」
「コリヤ/\、門には誰もない。よし居てからが赤の他人。今傍へ寄るとナ、信玄の恩を受けたになつて母の一言反古(ほご)になるがや。この簀戸(すど)の外へ一寸でも出るが否や、夫婦の縁もこれ限り」
と、腰下げの紐かきがねを括る酷さは我ながらいかなる悪魔鬼か蛇か、
「六韜三略の望みある慈悲蔵、慈悲も情も知つてはゐれど母の詞は背かれぬ。どうで乳房に離れたもの、とてもない命、凍えて死なば死に次第。其方もソレその子を袖にしては、兄貴への義が立つまいぞよ。オヽ何かに紛れて大事の孝行怠つたり。ドレ、裏へ行て雪の中の筍掘つて進ぜう」
と、簑笠取つて打ちかづき、厚き親子の縁を断つ鍬ふり担げ、
「この寒気に荒男でさへ耐らぬもの。余尺(よたけ)もない身体に、アヽ子を捨つる藪はあれど、親の詞は捨て難き。裏の藪へ」と踏み分ける、雪より先へ愛し子の埋もれ死なん不憫やと、見合はす顔に降る涙、霙(みぞれ)争ふ濡翅(ぬれつばさ)、しをるゝ夫の後影、
「いかに望みがあればとて、天にも地にも一人子をようむごたらしう捨てられた。今の女中も気の強い、置いて去ぬ程ならお家に寝さして去んだがよい。アヽ可愛や/\ひもじからうのに。ちつとの間なと抱きたい」と、任せぬ辛さ次郎吉を漸々そつと下に置き、差し足ながら庭に下り。覗けば門にしよんぼりと、
「ヤレ坊よ、それがマア何と、何と命があるもの」
と、開けんとすれどかけがねに、錠の代りの真結びは、『むごや、つれな』とあせる程、雪に湿つて明かぬ戸に、「乳たい/\」も絶え/\の、風にうたてや次郎吉が、『わつ』と泣く声
「ハア悲しや」
と、また駆け戻り抱き上げて、雪やころゝん霰(あられ)やころゝん、
「こはそも何たる因果ぞや。この子憎いぢやなけれども、わが子に乳が呑ましたい。コレちつとの間/\寝入つてたもいの」
と心も空はかき暗し、また降りしきる白雪に外に泣く声八寒(はっかん)地獄、剣を呑むより身にこたへ、思はず知らず転び降り、『砕けよ破れよ』の念力に、外る戸より身は先ヘ
「コリヤ坊よ/\/\」
とわが子を肌に抱き締め、流涕(りゅうてい)焦がれ泣く声に。唐織木蔭をつゝと出で、
「信玄公を抱き上げ乳房を含め参らすからは、慈悲蔵は最早此方の味方。夫に知らせて悦ばせん」
と勇んで館へ立ち帰る。『ハツ』とお種も心付き、うろつく隙に何処より懐剣丁ど峰松が、肝先貫き息絶えたり、
「コハ何事」
と驚く中、次郎吉引立て横蔵が一間をさして駆け入れば。
「ムヽ扨は、わが子の害になると横蔵のコリヤ仕業ぢやの。義理も情ももうこれまで。敵を取らいで置かうか」
と、死骸を小脇にかい込んで、常には弱き女気も恨みに強き力帯、奥ヘ
窺ふ忍び足。早や日も暮に近づきて、鐘孝行の道ぞとて古き例(ためし)の跡を追ふ、子故の闇に白妙の道も涙に見え分かず。
「何ぼ掘つても筍があらう様はなけれど、親を思ふ一心を憐み天より授くる事もや」
と、心に込めて一尺二尺、底は白羽の鳩一羽飛んで下りしも『飼ひ慣れし鳥も心のあるやらん』と。また掘り返せばまた一羽、友呼び誘ふ生類の有様つくづく打ち守り、
「ハテ怪しや。最早入相、諸鳥塒(ねぐら)へ帰る頃。一羽ならず二羽三羽、集り来たるはハテ心得ぬ。誠や兵器ある地には鳥群をなすと言へり。わが父は日本の軍師、この処にて世を去り給ふ。一生暗(そら)んじ置かれたる六韜三略の秘密の巻、この下に埋み置かれしやらん。扨はわが孝心天に通じ鳥類これを知らせしか。ハアハヽヽヽ有難し忝し」
と、心勇んで掘り穿(うが)つ。雪も散乱群雀ぱつと立つたる藪の中、窺ふ兄が面魂。
「ハテ合点のいかぬ。野に伏勢(ふせぜい)ある時は帰雁(きがん)列を乱る。油断の塒を窺ふ悪鳥、殺さうと生かさうと手の内の雀、慥かに手応へ、この下を」
「コリヤ/\待て慈悲蔵、埋んである伝授の一巻われにはやらぬ。兄が出世の種にするわい」
「兄者人、そりやお前無理でござりましよ」
「サイヤイ、無理言ふが兄の威光。阿呆烏の孝行ごかし、邪魔なうぬから仕舞ふて取る」「どつこいさうはなりますまい。苗氏を継ぐはこの慈悲蔵」
「見事われが」
「継いで見せう」
「小癪な退け」
と鋤と鍬。落花微塵の雪飛んで、掘り出す箱の二人が争ひ、道と非道の二筋を滑つこけつ掴み合ふ、はずみにがはと取り落とし池にざんぶと水煙、騒ぐ群鳥兄弟も『不思議』と見とるゝ後ろより、障子ぐはらりと母の老女、
「両人待て。兄弟共に武士となり、主人を取るべき時節到来。雪の中の筍を掘り出だしたる慈悲蔵、今こそ母が心に叶ふた天晴れ孝行。オヽ出来した/\。其方はソレ最前言ひ付けた通り、裏口四方に気を付けよ。ナ、サ合点か」
「ハヽ委細承知仕る」
と駆け入る弟、横蔵は池中の箱を引き上げて、母の前に差し出だせば。
「サア/\兄、其方にはわけてよい主を取らするぞよ。即ち主人より下されし装束も改めさせん」
と、しづ/\奥の白台に無紋の裃白小袖、三方には九寸五分、わが子の前に直し置く。
「母者人、こりや何ぢや、イヤサコレこの白装束は何の為」
「オヽそれこそは冥途の晴着。今其方が首打つて身代りに立つるのぢやわやい」
「エヽ、マど滅相な事言はんすわいの。この首を身代りとはソリヤマア誰が」
「オヽ今日そちが主人と頼みし長尾三郎景勝公の御身代り。聞き及ぶ武田信玄越後の謙信、室町の御所に於て互ひにわが子の首打つて心底を顕はさんと契約ある由。最前そちを召し抱へんとて来られし景勝の面体そちが顔にさも似たり。扨はと母が推量違はず箱の中に残されしこの一通、委細の様子詳らかに記されたり。コリヤ、恩を知らねば人ではないぞよ。主従となるからは命は君に捧げし物、武士の因果と諦めて潔う死んでくれ」
「コレ/\母者人、よう思ふても見やしやれいの。いかに主ぢやとて、まだ知行もくれぬ中殺さうといふ様な胴慾な主があるものか。イヤもう/\この主従はとんと変改ぢやぞ」
「イヤさうはなるまい。いつぞや諏訪の森に於て殺さるゝそちが命助け置かれし景勝の恩、よもや忘れはせまいがの。その時の情は今身代りに立てん為、智謀の罠にかゝりしとは知らざるか。が又、たとへ逃げてもこの家のぐるりは景勝の家来取り巻いて一寸も逃れはない。潔う切腹するか」
「サアそれは」
「ただし母が手に掛けうか」
「サア」
「サア」
「サア」
「サア/\なんと」
と詰めかけられ、理の当然に横蔵は、籠中(こちゅう)の鳥の目はうろ/\、隙を見て逃げ出す、膝口はつしと手裏剣に尻居にどつさり詮方なく。
「エヽ是非に及ばぬ。もう是まで」
と、腹切刀取るより早く右の眼に突込んだり、さすがの老母も不審顔、流るゝ血潮押し拭ひ/\、
「コレ/\母人。景勝に似たるこの面にかう疵つけて相好変ゆれば、身代りの役にやもう立つまい。今日只今父が苗氏を受け継ぎ山本勘助晴義。軍法奥義を胸に貯へ三略の巻より大切なこの命、ヤア/\謙信の家来直江山城之守種綱、言ひ聞かす子細あり。それへ出でよ」
と呼ばはれば、一間の内より慈悲蔵が優美の骨柄長裃、さはやかに立ち出でて。
「某長尾の家臣たる事、母人には密かに語り、かねて申し受けたる兄者人の命。現在の子を捨てたも否応言はさぬ命の無心。さりながら眼を抉つて身を全うせんず大丈夫の魂、あつたら勇士を殺すは残念。この上は長く謙信に仕へ、忠勤を尽くさるべし」
と言はせもあヘず、
「ヤア愚か/\。謙信づれが家来には汝等が分相応、身が主には釣り合はぬ。まこと山本勘助があがむる主人は忝くも足利十三代の公達松寿君、これへ誘ひ申されよ」
と、詞の下より高坂が妻の唐織次郎吉を傅(かしづ)き申せば山城親子、『ハヽア、はつ』とばかり飛びしさり、恐れ入つたるばかりなり。勘助真中にどつかと直り、
「ヤイ山城、只今汝が打つたるこの手裏剣は、先年室町の館にて賤の方を奪ひ取り立ち退く折から、景勝目当に打つたる小柄(こづか)、只今わが手へ確かに落手。われ山本の苗氏を引き興さんと軍学に心を凝らす処に、武田信玄大僧正、姿をやつし唯一人密かに庵ヘ来たらせ給ひ、『足利の行末覚束なし。汝わが力となつて事を謀れ』と名将の一言心魂(しんこん)に徹し、『ハヽア、畏り奉る』と即座の領承(りょうじょう)弓矢の誓ひ」
「オヽ成程、その時にこの母も只人ならずと思ふたが、扨は武田信玄公と主従の契約しやつたの」
「オヽサ、大魚は小池に住まず、鶴は枯木に巣をくはず。智勇兼備の大将にサ頼まれ申せし身の面目。すぐさま都に馳せ上り、窺ふ時しも館の騒動。義晴公はあへなき御最期、ハツア詮方なし。懐胎の賤の方人手には渡さじと忍び入つて御家の白旗諸共守り奉り、立退く館は八方に提灯松明(たいまつ)散る花の、都を跡に遠近(おちこち)の雪の信濃路こゝかしこ。月の更科の片山里に人知れず匿ふとはさしもの母も御存知あるまい」
「オヽ知らなんだ/\。さうして御母賤の方のご在所はいづくぞ、サヽどうぢや/\」
「ハヽア、申すも便なき事ながら、憂き事積もる産後の悩み、果敢なくこの世を去り給ふ。跡に残りしあの公達、勿体なくも我が子と偽り、『コリヤ次郎吉よ/\』と呼ぶ度々の勿体なさ。弟嫁が乳を幸ひ二人が中の子を捨てさせ養育さする我儘無法、一物ありとはや悟られし母人の、雪の中の筍を掘つて見よとは天晴れ明察、げに勘助が母人ぞや。穢れを厭ひ今日まで埋み置いたる雪中の笋(たかんな)これにあり」
と、箱押取つて差し上ぐる源家正統武将の白旗、
「神明を頭に戴く義兵の旗上げ、謙信親子只今よりこの勘助が幕下に付けとナコリヤ、立ち帰つて言ひ聞かせよ」
と一つの眼に天が下、見下す富士の山本勘助三国無双の弓取なり。山城大きに感じ入り、
「信玄景勝不和なるも、互ひに心を疑ひ合ふ、忠臣の割符を合はすが如し。君御在処(ありか)知るゝ上は、景勝公の言訳立つて身代はりにももう及ばぬ。追付け両家和睦の基(もとい)」
「成程々々、最前裏で直々に様子を聞いた。信玄公と勘助様言ひ合はせのある事は、一家中へもお隠しあれば、夫高坂も露知らず。抱えに来た慈悲蔵殿は思ひも寄らぬ長尾の御家来、君の御事初めて聞いた使ひの面目、この上なし」
と悦びの、中に嘆きは一人の孫、
「かう心が解けるなら、仕様模様もあらうもの。この婆が偏屈から信玄方の恩受けては立たぬと言ふた一言で、直江が手にかけ殺しやつたは、すなはち母が殺した同然。コレ/\/\嫁女、許せ」
「アヽ勿体ない。乳房に離れて死ぬる命、思はず知らずお主様のお役に立つたも因縁」
と、泣かぬ顔するいぢらしさ。母は一間の一巻携ヘ、
「不孝と見えし勘助は、却つて父の名を上ぐる廿四孝に優りし孝。器量も揃ふ二人の子供、軍法伝授のこの一巻、サ頂戴しや」
と差し置けば、勘助取つて押し戴き、
「ハヽア、父の苗氏を賜はれば勘助が身の規模は立つ。母方の氏を継ぐ弟直江が母への孝、その徳によつてこの一巻はコレ其方に下さるゝ。御恩を忘れず猶この上孝行怠ることなかれ。景勝の忠心はわが胸中に徹したれども、心得難きは親謙信、君に弓引く逆心ならば汝も従ふ心やいかに」
「ホヽ言ふにや及ぶ。わが子を切つて二君(じくん)に仕へぬこの山城、兄とは言はさぬ敵味方。この三略の恩を仇、一合戦仕らん」
「ハヽヽムハヽヽさもあらん出かす/\。われまた主君に仕ふる甲斐の、天目山に立て籠り出合ふ処は川中島。運に乗じて越後の出城、諏訪の城まで押し寄せ/\さも目覚ましき勝負をせんぞよ」
「ホヽ潔しさりながら、仮にも一旦景勝に受けたる恩はサ、何と/\」
「オヽ、日月(じつげつ)に譬へたる右の眼は越後へ進上、二心(ふたごころ)なき勇士の固め母に与へし片足(かたし)の下駄、景勝の志捨つるは武士の道ならず」
と、左の足にしつかと履き、降り立つ庭の高低も道は歪まぬ弓取の、直(すぐ)なる竹の根元よりはつしと切つたる旗竿は、盛運めでたき大将の誘ふは賢き御笑顔、眠れる花の死顔に、抱いてゆぶつてすかしても、返らぬ昔唐土の廿四孝を目の当たり。孟宗竹の筍は雪と消えゆく胸の中、氷の上の魚を取るそれは王祥これは他生の縁と縁。黄金の釜より逢ひ難きその子宝を切り離す、弟が慈悲の胴慾と兄が不孝の孝行は、わが日の本に一人の勇士、今に名高き山本氏、武田の家の礎(いしずえ)と、事跡を世々に残しける
(TOP) (戻る)