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「源平布引滝・九郎助内(実盛物語)」床本


九郎助内の段


暖かな雲が見たくば、秋またござれ、畠は白妙雪かと見れば小まん小よしが綿仕業。歌に諷ふは近江路や、小野原村に住み馴れて、夫は九郎助、娘は小まん、われは小よしの霜かづき、雪と霰をくり分ける、立綿繰のくる/\と、まはる三里の船よりも、手廻しよいは百姓の秋の半ばと知られたり。野良はいつでも隙だらけ、主の甥矢橋の仁惣太大道横に門口から
「ハコリャ精がでます。今年の綿も百目喰ひにくひますか」
「ハアヽ甥の殿ごんせ。いつにないやんはりと綿挨拶。九郎助殿の留守を考えコリャまたなんぞ種まきにか」
「イヤ伯父貴の留守はしらぬが、たった今一寸見えて『われとは不通でこちのうちへは寄りつかぬが、根性も直ったら、ちと頼むことがある。こんど都から歴々の女中をお供して戻った。まさかの時力になってくれぬか』といはるゝ。『ハテ五十度や百度喧嘩したとて、身は泣寄り、頼まれませう』と約束した。なんとその女中といふは、木曽ノ先生義賢様の御台、葵様といふのであらうがの」
とうら問ひかゝれば、
「サア顔は青い手は真黒。どこぞの飯焚にはらまして、連れて戻ったのであろぞいの」
「アヽわっけもない。あのこんにゃく玉見るやうな親仁に、誰がねぶらすもので。けふ石山参りするといふてよられ、残らず話聞いた。エ隠すまいかくすまい」
「ムウすりゃ孫の太郎吉をつれて、網持っていかれたが」
「ヤア」「やあとは親父殿は草津川へ鮒取りにいかれたわいの。それに石山参りとはまざ/\しい大きな嘘」
「オヽ奥にゐる女子を、親仁の妾といふのも嘘、嘘と嘘とが出合ふたからは、いっそ誓文払に打ちまいて聞かさう。コレ義賢が女房葵御前はお尋ね者、訴人すると金になる。はや先だってもうし上げて置いたれど、ありさまを仲間へ入れると、づきが廻っても高ぶけりさせぬ。わけ口やらふが一味する気はないか」
「ヲヽよういふて下さった。したがマア親仁殿に問ふてから」
「エヽそれ問ふてたまるものか」
「ソレそのこなたの気を知って、留守の間へきたら骨鱠くはせといふて拵へてあるぞや」
「アノ鮒のか」
「インヤ倚棒(よりばう)の」
「イヤもうそれも伯父貴が切々くはして味覚えてゐる。さては留守にも拵へて置いたか」
「ムしかもオホ筋鉄の入ったのが」
「ハテ念の入ったこと。あはう律義で金儲け知らぬわろ達。ムあた面倒ないんでくりょ」
「ハテまあ遊んで一本まいれ」「イヤまた馳走に逢ふより、おとゝい来ましょ」
と足ばやにいふたことゞも
「禿げあたま帰らぬうち」
と出でて行く。


世に連れてかはる住居や憂き思ひ、義賢の御台葵御前、たゞならぬ身の満つる月、かげを隠する一間より、打ちしほれ出でたまひ、
「ナウ内儀。いかふ烏の鳴く音も悪し、心にかゝるは小まんのこと。便りもないか音もせぬか。九郎助も太郎吉もまだ戻らずや」
とありければ、
「またわっけもないお案じ。連合ひの話のやうすではまんはナ、大かた折平の後を慕ひ、あてどもなしにいたものでがなござりましよ。烏鳴きが悪いとおっしゃれど、ありゃ御平産があらふと悦び烏。親父殿はお前へ上げまするといふて、近江の名物源五郎鮒を打ちにいかれました。モ網の目に風溜ると惣々の息精でも、お産を安うさせまする」
と力付けても、付けられても、昔にかはる落人の御身の上ぞいたはしき、主九郎助網提げ戻るを太郎吉先走り、
「祖母さん大きなものがかゝった。おれが見付けた、おれが取った」
と小踊りして悦ぶにぞ、
「ヲヽ出かしゃった/\。アレお聞き遊ばせ、御運の鮒をり大きなものがかゝったといな。ドレ見ませうか親父殿」
「見せうとも/\。イヤモけうといものぢゃ。恟りすなよ。飛びもはねもせず動きもせぬ。廿四五年ものゝ人魚、隠すが秘密」
と表引立て、
「よっぽどけうな源五郎鮒。驚くまい」
と網よりもはふり出したは女の片腕。娘の手ともしらでびっくり、
「ソリャ見たか。羅生門から奪いに来る。きほひ口でも伯母に見せな」
と仇口いふても、傍へも寄らず、太郎吉はをかしがり、
「テモ臆病な、死んだ手がなんでこはい」
と打笑ふ。
「イヤまた気味がようもない。コレ親父殿、コリャまあどこから取ってござった」
「されば草津川の下は湖から入込み。鮒の溜りがあらうと網持ってかゝった向ふへ、その肘(かひな)が流れてくる。孫めが見付けて『取ってくれ』とせがむ。『アヽよしないもの』と思へど、手に持ったものが好もしさに、一網くらはして引上げ、握り詰めてゐる白絹を放して見れどもなか/\放れぬ。いかなる者の肘ぞ弔ふてもやらふし、第一この絹をはづしてみたさに持って戻った。御台様とそちとして、腕首しっかり持ってゐよ。力に任せもぎ放さう。サア持った/\」
と差付けられ、こは/\ながら、御台とともに、手をかけて引けどしゃくれど放ればこそ、ほっとあぐんで、
「コリャいかぬわ。いっそ手のうち切り割ろ」
と立つを、太郎吉、
「コレ爺様、おれ放さふか」
と立寄れば、
「アヽおけ/\。人形の首ぬくとは違ふ。持った絹をばやぶりおろ」
と叱れど聞かず、
「イヤ/\/\、あの持った指を一本づつ放せば放れる」
と大ませ者のわんぱくが手をかくれば、忽ちに五つの指は一度にひらき、白絹わが子へ渡せしは、肘に残る一念の思ひはいとゞ哀れなり。不思議ながらも絹押開き、見るより御台は、
「ヤアこれは源氏の白旗、みづからが家の重宝」
「エヽスリャこの白旗持ったこの手は」
といふたばかりに九郎助、御台。虫が知らして女房も、
「もしや娘の肘か」
といはず語らず三人が、顔見合せて一時にほっと溜息つくばかり。


かゝる折から平家の侍、斎藤市郎実盛、瀬尾ノ十郎兼氏、仁惣太が訴人によって葵御前を詮議の役。村の庄屋付従ひ、
「すなはちこれが九郎助が所。御案内」
と戸口にかけ寄り打ちたゝき、
「お上よりお尋ねのことあり。明けた/\」
とつかふど声。
「さては」
と九郎助、
「コリャ女房。平家方より源氏の胤を探すと聞いた。まづ御台様を忍ばせよ。まさかの時はコリャコリャかう」
と耳へ吹込み奥へ追ひやり門口明くれば、両人はやがてうちへぞ入りにける。分けてけにくき瀬尾ノ十郎、床几にかゝり、
「ナニ九郎助といふはおのれか。木曽の先生義賢が女房葵といふ孕み女、匿ひ置いたる由これヘ引出せ。詮議することあり」
とてっぺい押しを、少しもひるまず、
「これは思ひもよらぬお尋ね。さやうなお方このうちには」
といはせも立てず、
「ヤアぬかすな。おのれが甥の矢橋の仁惣太、この瀬尾へ両度の注進。遁れぬところ白状ひろげ」
「アヽイヤたとへ甥がもうしませうが、この埴生(あばらや)にさやうなお方。毛頭覚えござりませぬ」
といひ放せば、実盛。
「アヽコリャ九郎助とやら悪い合点。当時平家の威勢をもって、源氏の胤を胎内まで御詮議。懐妊(くわいたい)の葵御前匿ひあること現在の甥が訴人。サこゝをよっく聞け。たとへ源氏の胤なりとも、女ならば助けよと小松殿の情。それにたって争(あらが)ふと踏込んで家捜し、ためになるまい白状」
とことをわけたる一言に、『はっ』と吐胸の思案も出でず、是非におよばず手をつかへ、
「なるほどゆゑあって葵御前をかくまひもうし、当月が産み月、いまだ女とも男とも定められぬ懐胎、御平産あるまでを私にお預け下され」
と願へば、十郎、
「ヤアしにぶとい親仁め、今日産むか明日産むかとべん/\と待たふか。胎内まで捜せとある御上意は、腹裂いて見よとある仰せ。すなはち裂く役は某。検分はこれなる実盛。葵御前をこれへ出せ。腹裂いてみて女ならば助けてくれる。隙とらずはやく/\」
「アノ懐胎を腹裂けとある」
「オヽサ清盛公の仰せなるわい」
「ホイそれはあんまりお胴慾。一人ならず二人のお命、なにとぞお情で当月中を」
「イヤソリャならぬ」
「サアそこをどうぞ」
「ヤアしちくどい親仁め。奥へ踏込み引きずり出し、源氏の胤を絶やしてくれん」と立つを九郎助、「ヤレ待ってお慈悲/\」
と手に縋り歎きとゞむる折からに、にはかに騒ぐ一間のうち、女房の声として、
「九郎助殿々々々々。御台様が気(け)がついた。ちゃっと/\」
と呼びたける。『はっ』と驚きかけ行くを、瀬尾はやがて引捕へ、
「ヤアどこヘ/\。腹裂かれるがせつなさに、産んだとぬかすが合点がいかぬ。まこと産んだが定ならば、そのがきこれへ連れてこい。たゞし踏込み見届けふか。なんとぢゃどうぢゃ」とせり立てられ、のっ引きならぬ手ごめを見るより、是非なく/\も女房が錦に包み抱きかゝへ、
「果報拙き源の御行末」とばかりにて涙ながらに立出づる。九郎助はせきにせき、
「コリャ女房。男の子なればお命がない。エムヽムヽ女(おなご)か/\」と問ヘど答えず打ちしをれ、詞なければ瀬尾ノ十郎。
「ハアヽ男子(なんし)に極った。そのがきこれヘ」
ともぎ取るを実盛押さへて、
「イヤ検分は某が役。改めた上お渡しもうさん。水子これヘ」
と抱き取り、男子を女子(にょし)にくるめんと、心配れど目先に瀬尾油断せぬ顔、工面皺面こゝぞ絶体絶命、男子なりとも変生(へんじやう)女子と絹引きまくれば、『こはいかに』朱に染まりし女の肘。
「これは」
と驚く実盛より瀬尾はびっくり、
「エこれ産んだか。/\/\」
と興覚まし、あきれ果てたるばかりなり。


九郎助ぬからず女房引寄せ、
「ヤイこゝなうろたへ者め。木曽ノ先生義賢様の御台が、肘産んだといはれては末代までお名の穢れ。なぜ隠しとげをらぬ」
と真顔で叱れば真顔でうけ、
「サアわしもさう思ふたれど、あんまり詮議が厳しさに、是非なう持って出ました」
と手爾葉も品もよい手な身がはり、これも娘が忠義かや。邪智深き瀬尾ノ十郎にが笑ひして、
「ムヽハヽムヽハヽヽヽヽヽ、ヤアたくんだり拵へたり。日本はさておき唐天竺にも肘を産んだ例しはないわい。鳩の戒の売僧(まいす)めら」
と睨み廻せば、実盛。
「アイヤ例しないとはもうされず。かゝる不思議も世にあること」
「ムヽヤコリャ聞きごと。かゝる例しがサいづくにある」
「ホヽもうさぬとて御存じあらん。唐土楚国の后桃容夫人、常にあつきを苦しんで鉄(くろがね)の柱をいだく。その精霊宿って鉄丸を産む。陰陽師占ふて剣に打たす、干将莫耶が剣サこれなり。察するところ葵御前も常に積衆(しやくじゆ)の愁あって、導引鍼医(はりい)の手先を借り、全快の心通じ自然と孕めるものならん。ハテあらそはれぬ天地の道理。今よりこの所を手孕村と名づくべし」
とさもありさうにいひしより、今もその名をいひ伝ふ。
さすがの瀬尾もいひ廻され、
「ハテ珍らしい肘の講釈。その旨清盛の御前へ参り披露する。その腕きっと預けたぞ」「ヲヽ申訳は実盛が胸にあり」
「ホウ腹に肘があるからは、胸に思案がなくちゃ叶はぬてハヽヽヽヽ。先へ帰って注進」
と表へ出でしがきっと思案し、思い付いたる詮議の種。
「ムそれ/\」
とうなづいて逸足(いちあし)出して走り行く。

音鎮まれば葵御前、太郎吉連れて立出で給ひ、
「聞き及びし実盛殿。お目にかゝるは初めて、段段のお情、忘れ置かじ」
とありければ、
「これは/\御挨拶。某もとは源氏の家臣、新院の御謀叛より思はずも平家に従ひ、清盛の禄を喰むといへども、旧恩は忘れず、今日の役目乞受けたも危きを救はんため。しかるに不思議なはこの肘。矢橋の船中にて某が切落した覚えあり。たしかにこの手に白旗を持ちつらん。御存じなきや」
と尋ぬれば、
「なる程/\。その旗も手に入りしが、その切ったとある者の年恰好は」
「ホウ年ごろは二十三四(にじふさうし)、背高く色白なる女(をうな)。たしかに名は小まん」
と聞くより九郎助夫婦とも、
「ナウ、それはわしが娘の小まんぢゃ」
「まんぢゃ」
とうろたへ歎けば、御台もともに、
「さてこそそれよ」
と骨身にこたへ、太郎吉はたゞうろ/\と訳も涙に暮れゐたる。
九郎助は老いの一徹、息も涙もせぐりかけ、
「コレ実盛殿、娘が肘はなに科あって切ったぞ。エヽむごたらしいことしやったのふ。この娘にはノ六十にあまる親もあり、また七つになる子もあるぞや。よもや盗みも衒りもせまい。なに誤りでなに科で、サアサそれ聞かふ/\」
とせちがひかゝれば、女房も、
「ヲヽさふぢゃ/\、親父殿。骸はどこに捨てゝある。ついでにそれも聞いて下され」
「ヲヽそれもナア、今ごろは犬の餌食。当座に死んだか生きてゐるか、サアありやうにいへ。ありやうにいへいわぬか」
「情ぢゃいふて下され」
と夫婦が泣き出す心根を、思ひやって実盛。
「さてはその方達が娘よな。聞きもおよばん宗盛公、竹生島詣で下向の御船、勢田、唐崎の方へ漕ぎ出すところに、矢橋の方より二十あまりの女、口に白絹を引っくはへ、ぬき手を切ってさっ/\と、浮いつ沈みつ游ぎくる。『アレ助けよ、アレ殺すな』と、舷叩いてあせれども、折柄比叡の山颪柴舟の助けもなく、水に溺れる不憫さに、三間櫂を投込んで、念なう御船へ助け乗せ、『コリャいかなるものぞ』と尋ぬるうち、追手と見えて声々に『その女こそ源氏方、白旗隠し持ったるぞ。奪ひ取れ/\』と呼ばはる声を聞きしより、船に居合はす飛弾ノ左衛門飛びかゝって『もぎ取らん』、『イヤ渡さじ』と女の一念。『もしや白旗平家へ渡らば、末代まで源氏は埋れ木。女が命にかえられず』と、白旗持たる肘をば、海へざんぶと切り落し、水底へ沈みしと、船を汀へ漕ぎ戻し、骸は陸へ上げ置きしが、廻(めぐ)り廻ってこのうちへ白旗もろとも帰りしは、親を慕ひ、子を慕ひ、流れ寄ったか不便や」
と涙交りの物語。


聞くほど悲しく夫婦はせき上げ、
「道理で孫が目にかゝり、取ってくれとわんぱくも、虫が知らした親子の縁。三人かゝって放さぬ白旗、心よう放したは、わが子に手柄させたさか。死んでもそれほど可愛いか。手にとゞまった一念がものいふことはならぬか」
と御台もろとも取りすがり、泣くよりほかのことぞなき。涙おさへて太郎吉はずっと立って、
「ヤイ侍。ようかゝ様を殺したな」とぐっと睨(ね)めたる恨みの眼、自然と実盛肝にこたへ、
「ホヽ健気なりたくましや。母が筐はソリャそこに」
といふにかけ寄り肘を抱き、
「かゝ様呼んでこの手をば、骸へついで下され」
とあなたへ持ち行き、こなたへ頼み、身を投げ伏して泣きしづむ。かゝる歎きの折も折、所の者ども死骸を持込み、
「アヽコレ/\これの娘が切られてゐた。ガ肘がかたし紛失(ふんじつ)した。ほかはまんぞく渡します」
といひ捨てゝこそ立帰る。
「ヤレ太郎吉よ。かゝが顔これが見納め。見て置け」
といふに、かけ寄りいだきつき、
「コレなうかゝ様拝みます。無理もいふまい、いふこと聞かふ、ものいふて下され。祖父様詫び言して下され」
と泣きこがるれば、
「ヤレ詫び言におよばふか。こっちよりあっちから、ものいひたうてなるまいけれど、この世の縁が切れてはナ、モ互ひに詞はかはされぬ。死骸のありかをどうぞまあ尋ねふかと思ふたれど、なまなかに持って戻り、顔見せたらたまるまいと、そちらがねるまで待ってゐた。ヘエ男勝りな女であったが、それが却って身の怨となって死ぬるか。可愛や」
と悔み涙に、女房も
「さぞ死にしなにこなたやおれに、いひたいことがあったであろ。太郎吉よ、水汲んで樒の花で手向けてくれ」
「イヤ/\おりゃいやぢゃ。かゝ様がものいはにゃ聞かぬ、/\」
とわんぱくも、
「ヲヽそればっかりが道理ぢゃ」
と思ひやるほどいぢらしゝ。実盛始終手をこまねき、人々の愁歎に涙と浮かむ一工夫、思ひついて傍に立寄り、
「かく甲斐々々しき女、たとへ片腕切ったりとて即座に息も絶えまじきが、白旗を渡さじと一心腕に凝りかたまり、五臓に残る魂なし。再び肘を接合はさば、霊魂帰り息することもあらん。誠にかの眉間尺が首、三日三夜にられても凝ったる一念恨みを報ぜし例しもあり。今この肘に温りあるも不思議、または御旗の威徳も」
と切ったる肘に白旗持たせ、
「ものは試し」
と接合せば、わが子を慕ふ魂魄も御旗の徳にや立帰り、息吹返し目を開き、
「太郎吉どこにぞ。太郎吉」
といふに、びっくり、
「ヤレ蘇生ったわこゝにゐる。こゝに」
「こゝに」
と取縋る。
「ナウ御台様。白旗はお手に入ったか。太郎吉にたった一言いひたいことが」
とばかりにて今ぞはかなくなりにけり。
「ヤアコリャ小まんよ」


「コレ/\/\小まんナウ」
「小まんやい/\。ハア可愛や/\/\/\な。モウそれが遺言か。いひたいことゝは、オヽ合点ぢゃ、/\。そちが筋目の事であろ。イヤもうし、なにを隠しませうぞこの者は二人が中の娘でもござりませぬ。堅田の浦に捨てゝござりました。ガコレ御覧じて下さりませ。この懐に持ってをります用心合口、金刺といふ銘を刻りつけ、氏は平家何某が娘と、書付もござりますれば、もし親達が尋ねて来ふか。取返しにも来ふかと、そればっかりを案じてゐて、今死なうとは/\存じませなんだ。生返ったがなほ思ひ、あんまりこれは胴慾な、ほいない別れ」
と取付いて『わっ』とばかりに泣きゐたり。ともに悲しむ葵御前。たゞならぬ身にせきのぼす、五臓の苦しみ御産の悩み、実盛驚き、
「ヤアコリャ夫婦の者。泣いているところでなし。御台は産の悩みあり、いたはりもうせ」
と一間へ伴ふ間もなく、用意の屏風引廻し、お腰抱くやらはやめやら、祖父(おじ)祖母(うば)が介抱に、心利いたる実盛がかの白旗を押立つれば、実にも源氏を守りの印。若君安々御誕生初声高く上げ給ふ。父義賢の稚名をすぐに用いて駒王丸、後に木曽ノ義仲と名乗り給ひし大将は、この若君のことなりし。九郎助歎きも打ち忘れ、
「お生れなされたいと様の、御家来にはこの太郎吉」
「ヲヽそれ/\、かゝる目出たい折なれば、実盛様御取りなし」
と願へばうなづき、
「ヲヽ幸ひ/\。死したる女の忠義を思へば、骸は灰になすとも、一心の凝りかたまりし肘、うかつには焼捨てがたし。その手をすぐに塚に築き、太郎吉が名を今日より、手塚ノ太郎光盛と名乗らせ、御誕生の若君木曽殿へ御奉公。すなはちこれが片腕のよい家来」
と披露する。御台は気色を改め給ひ、
「もっとも父は源氏なれども、母は平家某が娘と九郎助の物語。一家一門広い平家、もし清盛が落し子も知れず、まづ成人して一つの功を立てた上で」
と仰せに、実盛、
「ハヽア御尤も至極々々。まづこの所にござあって若君御誕生と聞えては一大事。義賢の御生国信州諏訪へ立越え、御家来権ノ頭兼任(かねたう)に預け御成人の後、再び義兵を挙げ給へ。九郎助夫婦御供」
とすゝめに任する表の方、いつの間にかは瀬尾ノ十郎、小柴垣より顕れ出で、
「ヤアそりゃならぬ/\。かくあらんと思ひしゆゑ、死骸を持たせて窺ひ聞く。義賢が倅男子とあれば見遁しならず。いで受取らん」
と駈入れば、実盛やがて立ちふさがり、
「アヽこれ/\瀬尾。貴殿も生通しにもせまい。海とも山とも知れぬ水子、見逃しやるが武士の情」「ヤアいふな実盛。さては汝二心な。平家の禄を喰んで源氏の胤を見逃す不忠。サぐっとでもいふて見よ。じたいこのくたばった女めが、白旗奪ひ取ったるゆゑ、平家方は夜が寝られず。思へば思へば重罪人め」
と死骸を立蹴にはったと蹴飛ばし、
「サア生れたがきめ渡せ/\。異議におよぶとなで切り」
と飛んでかゝるを太郎吉が、母の譲りの九寸五分抜くよりはやく瀬尾が脇腹ぐっと突いたる小腕の力。『これは』と人々驚くうち、
「ようかゝ様の死骸をば、踏んだな蹴ったな」
とえぐりくる/\、さすがの瀬尾、急所の痛手にどっかと伏す。
「ヤレ出かしゃった」
「出かしゃった」
とほめそやしても、夫婦とも、後の難儀を思ひやり胸轟かすばかりなり。
しばらくあって瀬尾ノ十郎。
「なんと葵御前。これで太郎吉は駒王殿の御家来にサならふがの。平家譜代の侍、瀬尾ノ十郎兼氏を討ちとめた一つの功。成人を待たずとも、ノコレ召しつかはれて下さりませ。誠に思へば一昔、部屋住みの折から手廻りの女に懐胎させ、堅田の浦へ捨ておいたる平家のなにがしは某。まためぐり逢ふ印にと、相添え置きたるソレこの剣、廻りめぐりてわが体、あばらをかけて金刺となったも孫めが不便さゆゑ。初めての御家来に平家の縁と嫌はれては、娘が未来の迷ひといひ、一生埋れる土百姓。七つの年から奉公せば、木曽の御内に一といふて二のなき家来。取りなし頼む/\実盛殿。サア瀬尾が首とって、初奉公の手柄にせよ」
と非道に根強き侍も、孫に心も乱れ焼き。すらりと抜いてわが首へ、しっかと当てゝ両手をかけ、
「えい/\/\」
と引落す。難波瀬尾と平家でも悪に名高きその一人最後はさすが健気なり。


夫婦も泣く/\その首を太郎に持たせ御目見得。葵御前は若君抱き、
「初めての見参に平家に名高き侍を討取ったる高名、主従三世の奇縁ぞ」
と仰せを聞くより太郎はつっ立ち、
「サアこれからおれは侍。侍なればかゝ様の敵、実盛やらぬ」と詰めかけたり。
「ホヽヽヽあっぱれ/\。さりながら四十に近き某が、稚き汝に討たれなば情と知れて手柄になるまい。若君ともろともに信濃の国諏訪へ立越え、成人して義兵を挙げよ。その時実盛討手を乞受け、故郷へ帰る錦の袖ひるがへして討死せん。まづそれまではさらば/\。いづれもさらば。家来ども乗りがへ引け」
と呼ばはれば、『はっ』と答べて月びたひ、栗毛の駒を引出だす。手綱おっ取り乗るうちに、いづくに隠れゐたりけん、矢橋の仁惣太踊り出で、
「ヤア先だって注進の褒美を無にしたそのかはり実盛が二心で駒王丸を北国へ下す段々直ぐに注進。詞つがふた争ふな」といひ捨てゝ駈出す。実盛すかさず馬上より、用意の鎌縄打ちかくれば、首にかゝってきり/\/\。引寄せ引上げ引掴み、
「あっぱれおのれは日本一の、大欲無道の曲者め」
と鞍の前輸へ押付けて、首かき切って捨てゝげり。
その後手塚ノ太郎、母がかたみの小合口、金刺取って腰にぼっ込み、綿繰馬にひらりと乗り、
「ヤア/\実盛。かゝ様殺して逃ぐるかいぬか。もうおれが名は手塚ノ太郎、コリャこの金刺の光盛なり。いなずとこゝで勝負々々」
と呼ばはったり、
「ヲヽ出かした/\。蛇は一寸にしてその気を得る。自然と備はる軍の広言、成人して母の怨、顔見覚えて恨みを晴らせ」
「イヤ/\もうし、孫めが大きうなるうちには、そこもと様は顔に皺、髪は白髪でその顔かはろ」
「ムヽ、ムヽ、ムヽヽヽハヽヽヽなるほど、その時こそ鬢髭を墨に染め若やいで勝負を遂げん。坂東声の首取らば池の溜りで洗ふて見よ。軍の場所は北国篠原、加賀の国にて見参々々」
「げにその時にこの若が、恩を思ふて討たすまい」

「生きながらへてをったらば、この親父めが御旗持」
「兵糧焚くはわたしが役」
「首切る役はこの手塚」
「ヲヽ、ヲヽ互ひに馬上でむんずと組み、両馬が間に落つるとも、老武者の悲しさは、軍にしつかれ、風にちゞめる古木の力もおれん。その時手塚」
「合点々々」
「ついに首をもかき落され、篠原の土となるとも名は北国の街に上げん。さらば」
「さらば」
と引別れ、帰るや駒の染手綱、隠れなかりし弓取りの名は末代に有明の、月もる家を後になし駒をはやめて立帰る。

 


 

 

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