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「義経千本桜」・四段目・床本

道行初音旅(吉野山)、河連法眼館の段(四の切)


 

道行初音旅

 

 

恋と忠義はいづれが重い、かけて思いははかりなや。

忠と信(まこと)の武士(もののふ)に、君が情けと預けられ、静かに忍ぶ都をば、後に見捨てゝ旅立ちて、作らぬ形(なり)も義経の、御行末は難波津の、浪にゆられて漂ひて。今は吉野と人伝(ひとづて)の、噂を道のしほりにて、大和路さして慕ひ行く。

見渡せば、四方(よも)の梢もほころびて、梅が枝(え)諷ふ歌姫の里の男が声々に。

わが妻が、天井抜けて据ゑる膳、昼の枕はつがもなや、オヽつがもなや。

おかし烏の一節に、人も藁屋(わらや)の育ちにも、春は羽根つく、手鞠ひいふうつくづくと聞けば、こち風音添へて去年(こぞ)の氷を、徳若に御萬歳と君も栄へまします。愛敬(ありぎょう)ありや頼もしや、さぞな大和の人ならば、御隠れ家をいざ訪はん。

われも初音の、この鼓君の栄へを寿(ことぶ)きて、昔を今になすよしもがな。

谷の鴬な、初音の鼓/\。調べあやなす音につれて、連れてまねくさ。

遅ればせなる忠信が旅姿、背(せな)に風呂敷を、確(しか)と背たら負ふて、野道畦道ゆらり、ゆらり、軽いとりなりいそ/\と。

「目立たぬ様に道隔て、女中の足と侮つて、さぞお待ち兼ね、こゝ幸ひの人目なし」
と、姓名添へて給はりし、御着長(きせなが)を取り出だし、君と敬ひ奉る。

静は鼓を御顔と、よそへて上に沖の石、
「人こそ知らね西国へ、御下向の御海上(かいしょう)、波風荒く御船を、住吉浦に吹き上げられ、それより、吉野にまします由、やがてぞ参り候はん」
と、互ひに形見を取り納め。

雁と燕はどちらが可愛ひ、やゝを育つる燕が可愛ひ、花を見拾つる雁金ならば、文の便もまたの縁、エヽさふぢやいな/\。諷ふ声々面白や。

「げにこの鎧を給はりしも、兄継信が忠勤なり。誠にそれよ来(こ)し方の、思いぞ出づる壇の浦の、海に兵船平家の赤旗、陸(くが)に白旗、源氏の強者(つわもの)。『あら物々しや』と夕日影に長刀(なぎなた)を引きそばめ、『何某(なにがし)は平家の侍、悪七兵衛景清』と、名乗り掛け/\、薙ぎ立て/\薙ぎ立つれば、花に嵐の散々ぱつと、この葉武者、『言ひ甲斐なしとや方々よ、三保谷の四郎、これにあり』と、渚に丁ど討つてかゝる、刀を払う長刀の、えならぬ振舞ひいづれとも、勝り劣りも波の音、打ち合ふ太刀の鍔元より、折れて引く汐返る雁。勝負の花を見捨つるかと、長刀小脇にかい込んで、兜の錣(しころ)を引掴み、後へ引く足よろ/\/\、向ふへ行く足たじ/\/\、むんずと錣を引き切つて、双方尻居(しりい)にどつかと座す。『腕の強さ』と言ひければ、『首の骨こそ強けれ』と『ハヽヽヽヽヽヽ』『ホヽヽヽヽヽヽ』笑ひし後は入り乱れ、手繁き働き兄継信、君の御馬の矢表に駒を掛け据ゑ立ち塞がる、「オヽ聞き及ぶその時に、平家の方には名高き強弓(つよゆみ)、能登の守教経と名乗りもあへずよつ引いて、放つ矢先は恨めしや、兄継信が胸板にたまりもあへず真っ逆様」

あへなき最後は武士の、忠臣義士の名を残す、思ひ出づるも涙にて、袖はかはかぬ筒井筒、いつか御身ものびやかに、春の柳生の糸長く、枝を連ぬる御契り、などかは朽ちしかるべきと、互に勇め/\られ、急ぐとすれどはかどらぬ、芦原峠(あしわらとうげ)かうの里、土田(つちだ)六田(むつだ)も遠からぬ、野路の春風吹き払ひ、雲と見紛(まご)ふ三吉野の、麓の里にぞ

 

河連法眼館の段

 

鴬の声なかりせば雪消えぬ、山里いかで春を知らまし。
春は来ながら春ならぬ、九郎判官義経を御慰めの琴三味(しゃみ)や、河連法眼が奥座敷、音締(ねじめ)も世上忍び駒、琴柱(ことじ)に立つる雁金(かりがね)も、春を見捨てぬ志、げに頼もしきもてなしなり。
かゝる所へ取次の侍罷り出で、
「佐藤四郎兵衛忠信殿、君の御行方を尋ね御出でなり」
と言上(ごんじょう)す。案内(あない)に連れて入り来たる四郎兵衛忠信、御座の間のこなたに出で、絶へて久しき主君の顔、見るも無念のあら涙、差し俯いて詞なし。

大将ご機嫌斜めならず、
「汝に別れこゝかしこ、鎌倉殿の御詮議強く、身の置き所なかりしに、東光坊の弟子河連法眼に匿はれ、心ならざる春を迎へ、暫くの命をつぐ。わが姓名を譲りしその方、命全くある事わが運のまだ尽きざるところ、ホヽオ頼もしゝ悦ばし。その砌(みぎり)預けたる静はいかゞなりしぞ」
と、御尋ねありければ、忠信いぶかしげに承はり、
「コハ思ひがけなき御仰せ。八島の平家一時に亡び、天下一統(いっとう)の勝鬨(かちどき)を上げ給ふ折から、告げ来る母が病気聞こし召し及ばれ、御暇給はつて本国出羽へ帰りしは去年三月。程なく別れし母が中陰、忌中(きちゅう)に合戦の疵口おこづき、破傷風(はしょうふう)といふ病となり、既に命も危き半ば、御兄弟の御仲裂け、堀川の御所没落と承はる口惜しさ。胸を煎(い)る程重なる病気、無念さ余つて腹切らんと存ぜしかど、せめては主君の御顔(かんばせ)、今一度拝し奉らんと、念願叶ひて本復遂げ、初立(ういだち)の長旅忍びの道中恙(つつが)なく、この館に御入りと承はり、只今参つた忠信に、姓名を給はりし。イヤ静御前を預けしなんど、御諚の趣かつ以て身に覚へ候はず」
と、言はせもあへず気早やの大将、
「ヤアとぼけな忠信。堀川の館を立ち退く時、折よく汝国より帰り、静が難儀を救ひし故、わが着長(きせなが)を汝に与へ、九郎義経という姓名を譲り、静を預け別れしその方。世になきわれを見限つて、静を鎌倉へ渡せしな。義経が在処(ありか)捜しに来たか。只今国より帰りしとは、まざまざしき偽り表裏(ひょうり)。漂泊してもうつけぬ義経、謀らんとは推参なり。不忠二心(にしん)の人外 (にんがい)、アレ引括つて面縛(めんはく)せよ。亀井、駿河」
と腹立ちの、声に駆け来る二人の勇士、裾ばせ折つて忠信が、弓手馬手に反り打ちかけ、
「委細あれにて皆聞いた。サア腕廻せ四郎兵衛」
「静御前の御行方、明白に白状せよ。但し踏み付け縄かけふか」
「拷問して言はせふか、サア、どふぢや」
「どふぢや」
とせりかけられてせん刀、差添共に投げ出だし、
「両人待つた麁忽(そこつ)すな」
「ヤア待てとは但し言ひ訳あるか。サア聞かふ」
「サアなんと、なんと/\」
に難儀の最中、
「静御前の御供申し、四郎兵衛忠信殿御出でなり」
と、奏者が声に人々仰天、
「ナニ、忠信がまた来たとは、合点行かず」
と聞きもあへず、以前の忠信立ち上がり、「わが名を衒るは何でも曲者。引括つて大将への面晴(めんぱれ)せん」と駆け行くを、
「ヤアならぬ/\、詮議の済むまで動かさぬ」
と亀井が向ふを支へたり。
「ヤアさなせそ六郎、忠信これにある上に、また忠信が静を同道。何にもせよ子細ぞあらん。片時(へんし)も早くこれへ通せ」
『あつ』と亀井は次の間へ、わが身危ぶむ忠信は、黙して様子を窺へば。

別れ程経し君が顔、見たさ逢いたさとつかはと、河連が奥の亭(てい)、歩み来る間もとけしなく、
「ノウわが君か懐かしや」
と、人目厭はず縋り付き、恋しゆかしの溜々(ためだめ)を、涙の色に知らせけり。
「オヽ女心に嘆くは尤も。別れし時言ひ聞かせし如く、人の情けに預かる義経。輪廻(りんね)きたなき振舞ひならねば、つれなくはもてなしたり。忠信を同道とや、いづくにあり」
と尋ね給へば、
「たつた今次の間まで連れ立つて参りしが、こゝへはまだか」
と見廻し/\、
「それ/\/\、ても早ふこゝへ来てぢや。一緒にお目に掛かるものを、ちつとの間に先へ抜けがけ、まだ軍場(いくさば)かと思ふてか。まんがちな人ではある」
と、恨み口なる詞に不審、一倍晴れぬ四郎忠信、
「わが君もその如く覚へなき御尋ね。拙者めは今の先、出羽の国から戻りがけ、去年お暇申してから、お目に掛かるは只今初めて」
「エヽあの人のぢやら/\とてんがうな事ばつかり」
「てんがうでなし、大真実」
「アレまだ真顔で騙すのか」
と、何気も媚(なまめ)く詞の内、立ち戻る亀井六郎、
「静様同道の忠信、引立て来たらんと存ぜしところ、次の間にもありあはさず、玄関長屋所々方々尋ねても知れず侯」
と、申すに心迷はせ給ひ、
「コレ静、こゝに居るはその方を預けたる忠信ならず。只今国より帰りしと物語りする内、忠信静を同道との案内、二人ある内にも見へざるは不審者。面体(めんてい)似たる贋者(にせもの)ならずや。静、心は付かざるか」
と、仰せの内に忠信を、つれづれと打ち眺め、
「どふやらそふ仰れば、小袖も形(なり)も違ふてある。お待ち遊ばせや。それか、かふか、オヽそふぢや、思ひ当る事がある。君が形見と別れし時給はりし初音の鼓、御覧遊ばせ、この様に肌身も離さず手に触れて、忠信の介抱受け、八幡山崎小倉の里、所々に身を忍びゐたりしに、折々の留守の内、君恋しさのこの鼓、打つて慰む度々に、忠信帰らぬ事もなく、その音を感に堪ゆる事、ほんに酒(ささ)の過ぎた人同然。打ち止めばきよろりつと、何気ない顔付は、よく/\鼓が好きそふなと、初手(しょて)は思ひ二度三度、四度目にはテモ変つたこと、また五度目は不思議立ち、六度目には怖(こわ)げ立ち、それよりは打たざりしが、君はこゝにと聞き付けて、心せく道忠信にはぐれた時、鼓の事を思ひ出し、打てば不思議や目の前に、来るともなく見へたるは女心の迷ひ目かと、思ふて連れ立ち来たりしに、またこの仕儀はどふぞいの」
と、申し上ぐれば義経公、
「ムウ鼓を打てば帰り来るとは、それぞ良き詮議の近道。静、そちに言ひ付ける、その鼓を以て同道した忠信を詮議せよ。怪しい事あらばこの刀で」
と投げ出だし、
「わが手で打たれぬ鼓の妙音、それを肴(さかな)に一献酌まん。早や/\鼓打て/\」
と、言ひ捨て奥に入り給へば、亀井、駿河も忠信に引添ひてこそ入りにけれ。

園原や、帚木(ははきぎ)ならでありと見し、人の身の上いぶかしく、窺ひ出づる足音も、静は君の仰せを受け、手に取り上げて引き結ぶ、辛気(しんき)深紅(しんく)を綯い交ぜの、調べ結んで胴掛けて手の内締めてて肩に上げ、手品もゆらに打ち鳴らす、声清々と澄み渡り、心耳(しんに)を澄ます妙音は、世に類なき初音の鼓。

かの洛陽に聞こへたる会稽城門越(えつ)の鼓、かくやと思ふ春風に、誘はれ来たる佐藤忠信、静が前に両手を着き、音に聞き取れしその風情。すはやと見れど打ち止まず、猶も様子を調べの音色、聞き入り聞き入る余念の体。
怪しき者とは見て取る静、折よしと鼓を止め、
「遅かつた忠信殿、わが君様のお待ち兼ね、サア/\奥へ」
と何気なき、詞に
「ハツ」
とは言ひながら、座を立ち遅れて差し俯むく、油断を見済まし切り付くるを、ひらりと飛び退き飛びしさり、
「コハなんとなさるゝぞ」
と咎められて機転の笑ひ、
「ホヽホヽホヽヽヽヽ、オヽあの人の気疎い顔。久しぶりの静が舞、見よふと御意遊ばす故、八島の軍(いくさ)物語を、舞の稽古」と鼓を早め、かくて源平入り乱れ、船は陸路(くがじ)へ陸は磯へ、漕ぎ寄せ打ち出で打ち鳴らす。鼓にまたも聞き入つて余念たはひもなきところを、「忠信やらぬ」
とまた切りかくる、太刀筋かはしてかいくゞるを、付け入る柄元しつかと取り、
「なに科あつて騙し討ちに、斬らるゝ覚へかつてなし」
と、刀たぐつて投げ捨つれば、
「贋忠信のサア白状、仰せを受けた静が詮議、言はずばかうして言はする」
と、鼓追取りはた/\/\、女のか弱き腕先に、打ち立てられて、
「ハア、ハツ」
と、謝り入つたる忠信に、鼓打ち付け、
「サア白状、サア/\/\/\」
と詰め寄せられ、一句一答詞なくたゞひれ伏してゐたりしが。


漸々に頭をもたげ、初音の鼓手に取り上げ、さもうや/\しく押し戴き/\、静の前に直し置き、しづ/\立つて広庭へ、下りる姿もしほ/\と、みすぼらしげに手をつかへ。
「今日が日まで隠しおゝせ、人に知らせぬ身の上なれども、今日国より帰つたる誠の忠信に御不審かゝり、難儀となる故よんどころなく、身の上を申し上ぐる始りは、それなる初音の鼓。桓武天皇の御宇(ぎょう)、内裏(だいり)に雨乞ひありし時、この大和国に千年功ふる雌狐(めぎつね)雄狐(おぎつね)。二疋の狐を狩り出だし、その狐の生皮を以て拵へたるその鼓。雨の神を諫(いさ)めの神楽、日に向かふてこれを打てば、鼓はもとより波の音。狐は陰の獣故、水を発(おこ)して降る雨に、民百姓は悦びの声を初めて上げしより、初音の鼓と名付け給ふ。その鼓は私が親、私めはその鼓の子でござります」
と、語るに、ぞつと怖げ立ち、騒ぐ心を押し鎮め、
「ムヽ、そなたの親はこの鼓、鼓の子ぢやと言やるからは、さてはそなたは狐ぢやの」
「ハツア、成程、雨の祈りに二親の狐を取られ、殺されたその時は、親子の差別(しゃべつ)も悲しい事も、弁へなきまだ子狐。藻(も)を被(かづ)く程年も長け鳥居の数も重なれど、一日親をも養はず、産みの恩を送らねば、豚狼にも劣りし故、六万四千の狐の下座に着き、たゞ野狐とさげしまれ、官上りの願(がん)も叶はず、親に不孝な子があれば、ヤイ畜生よ野良狐と人間では仰れども。鳩の子は親鳥より枝を下がつて礼儀を述ぶ、烏は親の養ひを育み返すも皆孝行。鳥でさへその通り、まして人の詞に通じ人の情も知る狐、なんぼ愚痴無智の畜生でも、孝行といふ事を知らいでなんと致しませふ。とは言ふものゝ親はなし、まだも頼みはソレその鼓、千年功経る威徳には、皮に魂留まつて性根入れたは即ち親。付き添ふて守護するはまだこの上の孝行と思へども、浅ましや禁中に留め置き給へば、八百万神(はっぴゃくまんしん)宿直(とのい)の御番、恐れあれば寄り付かれず。頼みの綱も切れ果てしは、前世に誰を罪せしぞ。人のために怨(あだ)する者、狐と生れ来るといふ因果の経文恨めしく、日に三度夜に三度、五臓を絞る血の涙、火焔と見ゆる狐火は胸を焦する炎ぞや。か程業因(ごういん)探き身も、天道様の御恵みで、不思議にも初音の鼓、義経公の御手に入り、内裏(だいり)を出づれば恐れもなし。ハア、嬉しや悦ばしやと、その日より付き添ふは義経公の皆お蔭。稲荷の森にて忠信があり会はさばとの御悔み、せめて御恩を送らんと、その忠信になり変り、静様の御難儀を救ひました褒美とあつて、勿体なや畜生に、清和天皇の後胤源九郎義経といふ御姓名を給はりしは、そら恐ろしき身の冥加。これといふもわが親に孝行が尽くしたい、親大事、親大事と思ひ込んだ心が届き、大将の御名を下されしは人間の果(か)を請けたも同然、いよ/\親が大切、片時(へんし)も離れず付き添ふ鼓。静様はまたわが君を、恋ひ慕ふ調べの音(おと)、変はらぬ音色と聞こゆれども、この耳へは二親が、物言ふ声と聞こゆる故、呼び返されて幾度か、戻つた事もござりました。只今の鼓の音は、私故に忠信殿、君のご不審蒙つて、『暫くも忠臣を苦しますは汝が科、早や/\帰れ』と父母が、教への詞に力なく、元の古巣へ帰りまする。今までは大将の御目を掠(かす)めし段、お情には静様、お詫びなされて下さりませ」
と、縁の下より伸び上り、わが親鼓に打ち向ひ、交はす詞の尻声も、涙ながらの暇乞ひ、人間よりは睦まじく。
「親父様母様、お詞を背きませず、私はもふお暇申しまする。とは言ひながら、お名残り惜しかるまいか、二親(ふたおや)に別れた折は何にも知らず、一日々々経つにつけ、暫くもお傍にゐたい、産みの恩が送りたいと、思ひ暮らし泣き明し、焦れた月日は四百年。雨乞い故に殺されしと、思へば照る日がエヽ恨めしく、曇らぬ雨はわが涙、願ひ叶ふが嬉しさに、年月馴れし妻狐。中に設けしわが子狐、不憫さ余つて幾度か、引かるゝ心を胴慾に、荒野(あれの)に捨てゝ出でながら、アヽ飢へはせぬか、凍へはせぬか、もし猟人に取られはせぬか、わが親を慕ふ程、わが子も丁度この様に、われを慕はふかと、案じ過しがせらるゝは、切つても切れぬ輪廻の絆(きずな)、愛着(あいじゃく)の鎖(くさり)に繋ぎ止められて、肉も骨身も砕くる程、悲しい妻子(つまこ)を振り捨てゝ、去年の春から付き添ふて、丸一年たつやたゝず。『去ね』とあるとてなんとマア、『アツ』と申して去なれませふ、『アツ』と申して去なれませふかいの。お詞背かば不孝となり、尽くした心も水の泡、切なさが余つて、帰るこの身はなんたる業(ごう)。まだせめてもの思ひ出に、大将の給はつたる源九郎をわが名にして、末世末代呼ばるゝとも、この悲しさはなんとせん。心を推量し給へ」
と、泣いつ口説いつ身もだへし、どうど伏して泣き叫ぶは、大和国の源九郎狐と言ひ伝へしも哀れなり。

静はさすが女気の、かれが誠に目もうるみ、一間の方(かた)に打ち向ひ、
「わが君、それにましますか」
と、申す内より障子を開き、
「オヽ委(くわ)しく聞き届けし。さては人にてなかりしな。今までは義経も狐とは知らざりし。不憫の心」
とありければ、頭(こうべ)をうなだれ礼をなし、御大将を伏し拝み/\、座を立ちは立ちながら、鼓の方を懐かしげに、見返り/\行くとなく、消ゆるともなき春霞、人目朧(おぼろ)に見へざれば、大将哀れと思し召し、
「アレ呼び返せ鼓打て、音(ね)につれ又も帰り来ん、鼓、鼓」
とあリけるにぞ。静は又も取り上げて、打てば不思議や音は出でず、
「これは/\」
と取り直し、打てども/\『コハいかに』、ちいともぽうとも音せぬは、
「ハア、さては魂残すこの鼓、親子の別れを悲しんで音を止めたよな。人ならぬ身もそれ程に、子故に物思ふか」
と、打ち萎るれば義経公、
「オヽ、われとても生類(しょうるい)の、恩愛の節義(せつぎ)身にせまる。一日の孝もなき父義朝を長田(おさだ)に討たれ、日蔭鞍馬に成長(ひととなり)、せめては兄の頼朝にと、身を西海の浮き沈み、忠勤仇なる御憎しみ、親とも思ふ兄親に見捨てられし義経が、名を譲つたる源九郎は前世の業(ごう)、われも業。そもいつの世の宿酬(しゅくしゅう)にて、かゝる業因(ごういん)なりけるぞ」
と、身につまさるゝ御涙に、静は『わつ』と泣き出だせば、目にこそ見えね庭の面、わが身の上と大将の、御身の上を一口には勿体涙に源九郎、保ち兼ねたる大声に、『わつ』と叫べばわれとわが、姿を包む春霞、晴れて形を現はせり。

義経御座を立ち給ひ、手づから鼓取り上げて、
「ヤイ源九郎、静を預かり長々の介抱詞には述べ難し。禁裏より給はり大切の物なれども、これを汝に得さする」
と、差し出し給へば、
「ナニ、その鼓を下されんとや。ハア/\/\ありがたや忝なや。焦れ慕ふた親鼓、御辞退申さず頂戴せん。重々深き御恩の御礼、今より君の影身に添ひ、御身の危きその時は一方を防ぎ奉らん。返へす/\も嬉しやな。オヽそれよそれ、身の上に取り紛れ申す事怠つたり。一山(いっさん)の悪僧ばら、今宵この館を夜討ちにせんと企てたり。押し寄せさするまでもなし、わが天変(てんべん)の通力にて、衆徒を残らず謀つて、この館へ引き入れ/\、真向(まっこう)立割(たてわり)車切(くるまぎり)、また一時にかゝつし時、蜘蛛手(くもで)かぐ縄十文字、あるひは右袈裟左袈裟、上を払へば沈んで受け、裾を払はばひらりと飛び、軽捷(けいしょう)秘術は得たりや得たり、御手に入れて亡ぼすべし。必ずぬからせ給ふな」
と、鼓を取つて礼をなし、飛ぶが如くに行末の、後をくらまし


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